瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 「恕」を分解すると、「心の如し」となります。ここに言う「心」とは、相手の心、人様の心という意味で、人の立場に立って物事を考え行動せよ、ということです。「恕」は、「仁」と同義語のように扱われますが、「仁」を一歩進めて、「ゆるす」という意味を内包しています。「恕」とは、広い心で相手をゆるすことです。「恕」は、私たちの個人生活にも社会生活にも、事業の発展のためにも、大切な心がけであります。

 

孔子曰:「君子有三恕:有君不能事、有臣而求其使、非恕也;有親不能報、有子而求其孝、非恕也;有兄不能敬、有弟而求其聽令、非恕也。士明於此三恕、則可以端身矣。」  荀子 法行篇より

 

訳 孔子は、

「君子には三つの恕〔じょ、思いやり〕がある。君主がいて、それに良く仕えることができないで、自分の臣下によく仕えることを求めるのは恕ではない。自分の親に充分報いることができないのに、自分の子供には孝行をを尽くすことを求めるのは恕ではない。兄に対して敬意を以って仕えないのに、自分の弟には命令を聞けと要求するのは恕ではない。士たるものはこの三つの恕を明らかにすれば、身をただすことができる」と言った。

 

 長・思・窮の三つを思うことを三思といいます。幼児には成長してからのことを思って学び、老いては死後のことを思って子孫を教え、富んでいる時は他日の困窮を思って人に施すことです。荀子は法行篇で、三恕に続いて、三思についても述べています。

 

 孔子曰:「君子有三思而不可不思也:少而不學、長無能也;老而不教、死無思也;有而不施、窮無與也。是故君子少思長、則學;老思死、則教;有思窮、則施也。」 荀子 法行篇より

 

訳 孔子は、

「君子には三つの思(し)がある。これは誰も考えねばならないことである。少年時代に勉学しなければ、大人になって無能力者になる。年老いて人に教えなければ、死んでから慕われることがない。物を持っていて人に施さなければ、自分が困窮した時には誰も助けてくれない。だから君子は、少年時代には大人になった時のことを思って勉学し、年老いては、自分が死んだ時のことを思って人に教え、物を持っている時には、自分が困窮した時のことを思って人に施すのである」と言った。
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