横浜のIN氏よりメールが入りました。曰く、
2016年8月27日午前11時9分 Re:前進座と「ベニスの商人」
日高節夫様
メール快調のご様子、よかったですね。
最近の毎週一回、水泳の後、揉んでもらっているマッサージ師の29歳の若者が、何か言うと「良かったでーす」と返すものだから、私まで口癖が移って「そりゃあよかったね」というようになってしまいました。
今年一年、「シェークスピア没後400年」になるとかで、何かとこの大劇作家のことをテーマにした出版が多いですね。
あまり新発見はないようだが、それにしても、終戦直後、なぜあんなにシェークスピアブームが起こったのだろうね。
君の母校の早稲田大学に演劇博物館があって、私も何度か展覧会を観に行って、その都度、裸の六代目尾上菊五郎の「鏡獅子」の試し彫りを見ました。あの演劇博物館は、エプロンステージ(舞台が、客席の中に、エプロンのように突き出ているから)も建物もイギリスのシェークスピアの時代のグローブ座を模して作ったと聞いています。
シェークスピア全集は我が家にもあって、幸い戦災を免れたものだから、戦後、物のない頃、これと「主婦の友」の付録で、料理の作り方のグラフ雑誌を読みふけった。読めば読むほど、空腹を刺激して、ひどい逆効果であったことを思い出します。
シェークスピア劇は、戦後すぐ、門司中学の講堂で、「ベニスの商人」を巡回演劇で見せられました。このとき、わたしは低学年でしたから、床の上に座って下手(舞台に向かって左側)の幕側で、背景代わりの情景幕がたくられているあたりの床上に胡坐をかいて観た記憶があります。だからシャイロック役の河原崎長十郎が、アントニオーの胸元をつかんで床に膝まづかせ、ナイフを振りかざして胸の肉を切り取ろうとするあのシーンを、すぐそばで見ました。その時のポーシャ姫がだれだったのか、ことによったら夫人の河原崎静枝だったか、その辺ははっきりしません。
10年ほど前にまだ、国立劇場で、毎年、前進座の定期公演が行われていたころ、「ベニスの商人」と「歌舞伎十八番 鳴神」と二本立て公演がありました。門司中学時代が懐かしくて、半蔵門まで出かけました。河原崎長十郎はむろんのこと、路線の対立で盟友の中村翫右衛門も死んでしまった、それこそ二世、三世の時代です。
そこで法廷の場だけでない、金銀鉛の箱を開けてポーシャ姫と結婚させる男を選ぶという、まるで歌劇「トーランドット」みたいなシーンもあることを思い出しました。この金銀鉛という箱は、ことによったら後年、オリンピックのメダルもこの芝居の原作からヒントを得て、鉛よりも変形しにくい銅にして、五輪メダルの金属にきめたのではないだろうかと、勝手に想像しているが、鉛が銅になったとは考えにくいね。
まあそういうことで、門司中学の講堂で見た前進座がシェークスピア劇見物の筆下ろしでした。
国立劇場の前進座「鳴神」はまた書きます。
どうぞお元気で。 台風がまた迷走し始めています。ご尊家に被害が出ませんように…。 IN
昨日は午後1時より馬道通りから雷門通りにかけてサンバカーニバルが催され、久し振りに見物に行こうと思っていましたが、出かける段になって急に雨が降り出し、テレビのJcomの実況放送で我慢しました。
ウェブニュースより、
第35回浅草サンバカーニバル 写真特集 ―― 東京・浅草の夏の風物詩「浅草サンバカーニバル」が27日、東京都台東区の雷門周辺で行われた。あいにくの雨の中、華麗な衣装をまとったダンサーやきらびやかに装飾した山車がメイン通りに登場。打楽器隊の強烈なサンバのリズムに合わせ、ダンサーらが情熱的な踊りを披露した(2016年08月27日) 【時事通信社】
sechin@nethome.ne.jp です。
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