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 漢字の羅列で歌を表記した『万葉集』は、平安時代に入ると早くも読めない歌集となります。
 『古今集』に次ぐ勅撰集として『後撰集』の編纂を志した村上天皇は、天暦五(951)年、宮中の梨壺に和歌所を置き五人の識者に『万葉集』の解読を行わせます。

 五人は苦心の結果、約四千首の歌の読み方をつけたといいますから、全体の9割近くをとにかく読んで見せたことになります。五人の中でも、特に源順(みなもとのしたごう)は当代屈指の学者であり歌人でもありました。読めない字の多さに困り切って、石山の観音に参詣します。
 帰路、大津の浦で背に荷物を積んだ馬に出会います。馬を引いていた馬子が馬荷を直しながら「までより(両手で)」と言います。その言葉を耳にした順は、かねて読みわずらっていた『万葉集』の「左右」という文字をマデと読むことに気づきます。

   幾代(いくよ)左右にか(巻一・0034)
   千代(ちよ)二手に(巻一・0079)
   舟泊(は)つる左右手(巻七・1189)
   すべなき諸手に(巻一〇・1997)
   部はいずれも助詞のマデです。
などと書かれた「左右」「二手」「左右手」「諸手」などの字が、助詞「まて」の表記であることを発見したのです。


 
 「左右」「二手」「左右手」「諸手」などの「まで」の語は、「かたて(片手)」の反対で両手を意味します。大きな船には両舷に櫓・櫂をつけ、これを「まかぢ」と言いました。

 巻一三(3280)には女性のいじらしい長歌があります。
   吾が背子は 待てど来まさず …… さな葛 後も逢はむと
         慰むる 心を持ちて 
            三袖(みそで)もち 床うち掃ひ ……
                 万葉集巻一三 3280
 一体、自分の衣の袖に「み袖」と敬語をつける言い方は腑に落ちません。「三袖」の「三」は「二」の誤字で「二袖(まそで)」だったのではないと推測します。
 自分の袖に景勝の接頭語を冠して「御袖(みそで)」というようなことはあり得ません。「わが背子は まてど来ませず…… 三袖(みそで)もち 床うち掃ひ」『万葉集』3280の「三袖」は、接頭語の用法に抵触します。

 「ミソデのミは接頭語、意味はない」とか、「ここでは慣用として自分の袖に言っている」とか苦しい説明が試みられてきましたが、「三」を「二」の誤字と考え、「二袖(まそで)」と読むならば疑問は一応氷解されます。「ま袖もち床うち払ひ」という句を使って詠んだ次の歌が参考になります。
   ま袖もち 床うち払ひ 君待つと
        居りし間に つき傾(かたぶ)きぬ
              万葉集巻一一 2667

 『万葉集』の原典さえ伝わっていれ問題は即座に解決するところでしょうが、原点は湮滅し、平安時代中期以降の転写本しか残っていないため、本文の文字面を知ることの不可能な箇所が少なからずあります。これも『万葉集』の解読を妨げている根本的な支障の一つに数えられているそうです。


 


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