瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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ここで魚を獲ると「おいてけ、おいてけ」という声がするという、有名な本所七不思議の「おいてけ堀」の怪談を、田中貢太郎らしい簡潔な文体で再話しています。ここに田中貢太郎の短編小説『おいてけ堀』を紹介します。
 
 
なんだか、中学時代に習ったLafcadio Hearn(小泉八雲)の「Mujina」にとても良く似ております。
 
なお、『置いてけ堀』の場所については、色々な説があり、特定することができません。
 


おいてけ堀       田中貢太郎
 
本所のお竹蔵(たけぐら)から東四つ目通、今の被服廠跡の納骨堂のあるあたりに大きな池があって、それが本所の七不思議の一つの「おいてけ堀」であった。
 
其の池には鮒や鯰がたくさんいたので、釣りに往く者があるが、一日釣ってさて帰ろうとすると、何処どこからか、おいてけ、おいてけと云う声がするので、気の弱い者は、釣っている魚を魚籃(びく)から出して逃げて来るが、気の強い者は、風か何かのぐあいでそんな音がするだろう位に思って、平気で帰ろうとすると、三つ目小僧が出たり一つ目小僧が出たり、時とすると轆轤首(ろくろくび)、時とすると一本足の唐傘(からかさ)のお化ばけが出て路を塞ふさぐので、気の強い者も、それには顫(ふるえ)あがって、魚は元より魚籃も釣竿もほうり出して逃げて来ると云われていた。
 
 
金太と云う釣好きの壮佼(わかいしゅ)があった。金太はおいてけ堀に鮒が多いと聞いたので釣りに往った。両国橋を渡ったところで、知りあいの老人に逢あった。
「おや、金公か、釣に往くのか、何処だ」
「お竹蔵の池さ、今年は鮒が多いと云うじゃねえか」
「彼処(あすこ)は、鮒でも、鯰でも、たんといるだろうが、いけねえぜ、彼処には、怪物(えてもの)がいるぜ」
 
金太もおいてけ堀の怪(あや)しい話は聞いていた。
「いたら、ついでに、それも釣ってくるさ。今時、唐傘のお化でも釣りゃ、良い金になるぜ」
「金になるよりゃ、頭からしゃぶられたら、どうするのだ。往くなら、他へ往きなよ、あんな縁儀でもねえ処へ往くものじゃねえよ」
「なに、大丈夫ってことよ、おいらにゃ、神田明神がついてるのだ」
「それじゃ、まあ、往ってきな。其のかわり、暗くなるまでいちゃいけねえぜ」
「魚が釣れるなら、今晩は月があるよ」
「ほんとだよ、年よりの云うことはきくものだぜ」
「ああ、それじゃ、気をつけて往ってくる」
 
金太は笑い笑い老人に別れて池へ往った。池の周囲まわりには出たばかりの蘆の葉が午(ひる)の微風にそよいでいた。金太は最初のうちこそお妖怪(ばけ)のことを頭においていたが、鮒が後から後からと釣れるので、もう他の事は忘れてしまって一所懸命になって釣った。そして、近くの寺から響いて来る鐘に気が注ついて顔をあげた。十日比ごろの月魄(つきしろ)が池の西側の蘆の葉の上にあった。
 
金太はそこで三本やっていた釣竿をあげて、糸を巻つけ、それから水の中へ浸けてあった魚籃をあげた。魚籃には一貫匁あまりの魚がいた。
「重いや」
 
金太は一方の手に釣竿を持ち、一方の手に魚籃を持った。と、何処からか人声のようなものが聞えて来た。
「おい、てけ、おい、てけ」
 
金太はやろうとした足をとめた。
「おい、てけ、おい、てけ」
 
金太は忽ち、嘲(あざけ)りの色を浮べた。
「なに云ってやがるんだ、ふざけやがるな、糞でも啖(くら)えだ」
 
金太はさっさとあるいた。と、また、おい、てけの声が聞えて来た。
「まだ云ってやがる、なに云ってやがるのだ、こんな旨い鮒をおいてってたまるものけい、ふざけやがるな。狸か、狐、口惜しけりゃ、一本足の唐傘にでもなって出て来やがれ」
 
金太は気もちがわるいので足はとめなかった。と、眼の前へひょいと出て来た者があった。それは人の姿であるから一本足の唐傘ではなかった。
「何だ」
 
鈍い月の光に眼も鼻もないのっぺらの蒼白い顔を見せた。
「わたしだよ、金太さん」
 
 
金太はぎょっとしたが、まだ何処かに気のたしかなところがあった。金太は魚籃と釣竿を落とさないようにしっかり握って走った。後からまた聞えてくるおいてけの声。
「なに云やがるのだ」
 
金太はどんどん走って池の縁(へり)を離れた。来る時には気が注かなかったが、其処に一軒の茶店があった。金太はそれを見るとほっとした。金太はつかつかと入って往った。
「おい、茶を一ぱいくんねえ」
 
行燈(あんどん)のような微暗(うすぐら)い燈のある土室(どま)の隅から老人がひょいと顔を見せた。
「さあ、さあ、おかけなさいましよ」
 
金太は入口へ釣竿を立てかけて、土室の横へ往って腰をかけ、手にした魚籃を脚下(あしもと)へ置いた。老人は金太をじろりと見た。
「釣りのおかえりでございますか」
「そうだよ、其所の池へ釣に往ったが、爺さん、へんな物を見たぜ」
「へんな物と申しますと」
「お妖怪(ばけ)だよ、眼も鼻もない、のっぺらぼうだよ」
「へえェ、眼も鼻もないのっぺらぼう。それじゃ、こんなので」
 
老人がそう云って片手でつるりと顔を撫でた。と、其の顔は眼も鼻もないのっぺらぼうになっていた。金太は悲鳴をあげて逃げた。魚籃も釣竿も其のままにして。


 

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目高 拙痴无
年齢:
92
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1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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