瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
来年の年の初めは、浅草七福神めぐりをしてみようと、下調べしてみると、浅草名所七福神は九社寺あって、その由来は「九は数のきわみ、一は変じて七、七変じて九と為す。九は鳩でありあつまる意味をもち、また、天地の至数、易では陽を表す」という故事に由来するということである。何だかよく判らないが、数について調べてみる。
Pythagoras(ピタゴラス、BC582~496年)は「この世のものはすべて数字で表すことができる。その数字の真の意味を理解すれば、その背後にある隠された真実を知ることができる」と説いた。その大まかな内容とは
1: 開始・自立・革新・独創性唯一の存在、「絶対」を表す。
2: 協調・親愛・知恵・受容性二つの関係性を持つ「相対」を表す。
3: 閃き・開放・歓喜・創造性方向性を生み出し、「発展」を表す。
4: 基盤・形態・信頼・現実性4つの柱を持ち、「安定」を表す。
5: 自由・進歩・活動・自発性動きを生み出す「変化」を表す。
6: 慈愛・献身・結合・完全性陽性と陰性のバランスである「調和」を表す。
7: 変革・探求・直観・精神性大いなる変革であり、「飛躍」を表す。
8: 統率・繁栄・活力・現実性物質性と精神性のバランスである「秩序」を表す。
9: 変容・共感・治癒・神秘性完成へ向けてすべてを結実させる「完結」を表す。
10(または0):全包括・全宇宙・神の栄光すべてを含む「完全」を表す。
数に対して神秘的な意味を与え、これにより特定の数を嫌ったり、あるいは吉とする概念は各民族の間にみられる。中国では古代から奇数を陽数として尊んだのに対して、偶数は陰数として忌み嫌った。この風習は日本にも移入されて現在に及んでいる。しかし、大陸文化が移入される以前にはかえって偶数が尊ばれたこともある。これらの概念は必ずしも一定しておらず、条件によって左右されることが多い。一般に吉とされる奇数の中にも三などのように忌数とされることもある。3人で写真を撮れば中のものが死に、3軒長屋の中の家は祟りがあり、食物の三切れは「身を切る」と考える俗信などがそれである。四は南方諸民族などでは聖数として重要な意味を持っているといわれるが、日本では「死」に通ずるとしてとくに忌ま和、病院や刑務所などでは4号室は避けられた。42は「死に」に音通するために嫌われている。この爺の御袋さまは爺の42歳の厄年の正月に東京に遊びに来ていて倒れ、4月2日にあの世に旅立ったので、こんなこと迷信だと思っても、42「死に」の数は忘れられない。しかし、運送店などでは「しじゅう荷」として好まれているという。また、七は七福神あるいは七賢人等として尊ばれると同時に、月の7日に船出することは忌む。偶数の場合には日本ではとくに八が末広がりで幸運な数とされる。古代日本ではこの「8」は神聖な数とされ、八咫鏡(やたのかがみ)、大八洲などの用例がある。中国でも同様に八が縁起が好いとされるが、理由は「発財」(金持ちになる)の「発」と「八」の発音がおなじであることからで、末広がりの概念は無いらしい。八は中国文化の中で吉祥を表わす数字で、“八卦”“八段錦”“八仙”など目出度いものに八という字を採用している。日本では、九の「く」という読みが「苦」を連想させる事から、凶運とされ、宿泊施設・集合住宅・入院施設の室番号等で9が避けられることがあるが、中国では、九の発音が「久」に通ずる点と、漢字一文字で書ける数字の中で最大の奇数(奇数は吉数、偶数は凶数とされる)である事から、幸運の数字とされるのである。
Pythagoras(ピタゴラス、BC582~496年)は「この世のものはすべて数字で表すことができる。その数字の真の意味を理解すれば、その背後にある隠された真実を知ることができる」と説いた。その大まかな内容とは
1: 開始・自立・革新・独創性唯一の存在、「絶対」を表す。
2: 協調・親愛・知恵・受容性二つの関係性を持つ「相対」を表す。
3: 閃き・開放・歓喜・創造性方向性を生み出し、「発展」を表す。
4: 基盤・形態・信頼・現実性4つの柱を持ち、「安定」を表す。
5: 自由・進歩・活動・自発性動きを生み出す「変化」を表す。
6: 慈愛・献身・結合・完全性陽性と陰性のバランスである「調和」を表す。
7: 変革・探求・直観・精神性大いなる変革であり、「飛躍」を表す。
8: 統率・繁栄・活力・現実性物質性と精神性のバランスである「秩序」を表す。
9: 変容・共感・治癒・神秘性完成へ向けてすべてを結実させる「完結」を表す。
10(または0):全包括・全宇宙・神の栄光すべてを含む「完全」を表す。
数に対して神秘的な意味を与え、これにより特定の数を嫌ったり、あるいは吉とする概念は各民族の間にみられる。中国では古代から奇数を陽数として尊んだのに対して、偶数は陰数として忌み嫌った。この風習は日本にも移入されて現在に及んでいる。しかし、大陸文化が移入される以前にはかえって偶数が尊ばれたこともある。これらの概念は必ずしも一定しておらず、条件によって左右されることが多い。一般に吉とされる奇数の中にも三などのように忌数とされることもある。3人で写真を撮れば中のものが死に、3軒長屋の中の家は祟りがあり、食物の三切れは「身を切る」と考える俗信などがそれである。四は南方諸民族などでは聖数として重要な意味を持っているといわれるが、日本では「死」に通ずるとしてとくに忌ま和、病院や刑務所などでは4号室は避けられた。42は「死に」に音通するために嫌われている。この爺の御袋さまは爺の42歳の厄年の正月に東京に遊びに来ていて倒れ、4月2日にあの世に旅立ったので、こんなこと迷信だと思っても、42「死に」の数は忘れられない。しかし、運送店などでは「しじゅう荷」として好まれているという。また、七は七福神あるいは七賢人等として尊ばれると同時に、月の7日に船出することは忌む。偶数の場合には日本ではとくに八が末広がりで幸運な数とされる。古代日本ではこの「8」は神聖な数とされ、八咫鏡(やたのかがみ)、大八洲などの用例がある。中国でも同様に八が縁起が好いとされるが、理由は「発財」(金持ちになる)の「発」と「八」の発音がおなじであることからで、末広がりの概念は無いらしい。八は中国文化の中で吉祥を表わす数字で、“八卦”“八段錦”“八仙”など目出度いものに八という字を採用している。日本では、九の「く」という読みが「苦」を連想させる事から、凶運とされ、宿泊施設・集合住宅・入院施設の室番号等で9が避けられることがあるが、中国では、九の発音が「久」に通ずる点と、漢字一文字で書ける数字の中で最大の奇数(奇数は吉数、偶数は凶数とされる)である事から、幸運の数字とされるのである。
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プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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