瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
才能があり、能力も人並み以上に優れた人は、「才人、才に溺れる」ということになりがち。その理由は「他人が愚かに見える」ということがある。他人のやっていることが、もの足りなく感じられ、歯痒い思いをするたびに、つい人の仕事に口を出したり、自分の意見を満々と述べたりしがち。自分の知識をひけらかすような知ったかぶりは、どうしても嫌われ、敬遠される。聖人君子振りは他人から嫌われる。道徳じみたお説教の好きな上司は、部下から煙たがられ、うまい人間関係が築けない。
現代社会は、知性が尊ばれ、また知識のある人が重用される世の中 ―― 情報化社会とか、知識社会ともいわれ、とかく知識偏重になりがち。問題が入り組んで拗(こじ)れてくると、これを丹念に解きほぐさないで、断ち切ろうとする。世の中が万事スピードを尊重し、あまり丁寧な仕事はやっておられないという事情にあるからなのか、根本問題を丹念に解きほぐそうとはしない。
老子(第56章)に「解かっている者は喋らない。喋る者は解っていない。/感覚器官を塞ぎ、知識の出入り口を閉じ、鋭さを抑え弱め、縺れを解きほくし、外に出る光りは和らげ、すべての塵とひとつになる。そういうものを玄同(すなわち不可思議な同一)と呼ぶ。/そこで、(このような玄同なひとには)親しむことも出来なければ、敬遠することも出来ず、利益を与えることも出来なければ、害をあたえることも出来ず、尊貴することも出来なければ、卑賎することも出来ない。だからこそ世界中で最も貴いものとなるのだ」(平凡社、中国古典文学全集「老子」より)とある。
現代社会は、知性が尊ばれ、また知識のある人が重用される世の中 ―― 情報化社会とか、知識社会ともいわれ、とかく知識偏重になりがち。問題が入り組んで拗(こじ)れてくると、これを丹念に解きほぐさないで、断ち切ろうとする。世の中が万事スピードを尊重し、あまり丁寧な仕事はやっておられないという事情にあるからなのか、根本問題を丹念に解きほぐそうとはしない。
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プロフィール
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目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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