瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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ウェブニュースより
 
大相撲夏場所3日目 新大関 貴景勝に初黒星 ―― 大相撲夏場所は3日目。新大関の貴景勝は、前頭筆頭の北勝富士に押し出しで敗れ、初黒星を喫しました。
中入り後の勝敗
 
大翔鵬に十両の貴源治は、貴源治が寄り切りで勝ちました。
 
千代翔馬に琴恵光は、琴恵光がすくい投げ。
 
照強に石浦は、照強がはたき込み。
 
新入幕の炎鵬に佐田の海は、炎鵬が足取りで勝って2勝目。
 
 
千代丸に徳勝龍は、千代丸が突き出しで勝って3連勝です。
 
矢後に栃煌山は、栃煌山が押し出し。
 
松鳳山に新入幕の志摩ノ海は、志摩ノ海が上手出し投げで勝って幕内初白星を挙げました。

 
阿武咲に友風は、友風が押し出し。
 
錦木に輝は、輝が突き落とし。
 
朝乃山に明生は、朝乃山が寄り切りで勝って3連勝。
 
正代に魁聖は、魁聖が押し出し。
 
嘉風に竜電は、竜電が押し出しで勝って3連勝です。
 
妙義龍に宝富士は、宝富士が送り倒し。
 
千代大龍に阿炎は、阿炎が押し出し。
 
碧山に大栄翔は、大栄翔が押し出し。
 
隠岐の海に栃ノ心は、大関復帰を目指す栃ノ心が寄り切りで勝って3連勝としました。

 
逸ノ城に玉鷲は、玉鷲が押し出しで勝ちました。
 
御嶽海と大関高安は御嶽海がはたき込み。
 
 
大関豪栄道に遠藤は、遠藤が寄り切り。
 
 
新大関貴景勝に北勝富士は、北勝富士が押し出しで勝ち、14日は、3大関がすべて敗れました。
 
 
琴奨菊に横綱鶴竜は、鶴竜が上手投げで勝って3連勝です。


北勝富士「自分の中でも『おっしゃー』」
 
3連勝の千代丸は「立ち合いで持って行かれそうになったが、うまく残して攻め返すことができた。今場所は落ち着いて相撲を取れている。自分の相撲を取れているし順調な滑り出しだ。まわしを取られても対応できると思っていて、突き切れなくても組んだら組んだで、攻めることができると思っている。肩のけがをして調子が悪いときに四つで取ってみようとしたのがきっかけで、それがいい感じにはまった」と話していました。
 
朝乃山も3連勝。「前に出られた。左上手を取りたかったが、突っ張りで押した。幕内は、立ち合い、踏み込み、そして二歩目の意識が大事だ。出稽古や巡業で突っ張りを意識していた成果が本場所で出ればいい」と上機嫌でした。
 
竜電も3連勝に「きょうは立ち合いがよかった。立ち合いしっかり当たったので、後は流れでいった。基礎をきちんとやってきたので、これからもしっかりやっていきたい。稽古できる喜びをかみしめて、やっていきたい」と話していました。
 
大関復帰を目指す栃ノ心は3連勝。「左前みつが久しぶりに取れた。悪くないね。先場所よりも踏み込んでいる感じがする。踏み込むというのは大きいですね。3連勝は何とも言えない。これからですが、勝っているから自信がつきますね」と笑顔で話していました。
 
大関 高安を破った御嶽海は「立ち合いでしっかり当たれた。自分の相撲を取れば負けないと思う。今後は今後、気を引き締めてやるだけ」と落ち着いた様子で話していました。
 
一方、敗れた高安は、支度部屋では大きく息を吐き、無言でした。
 
大関 豪栄道を破って今場所初白星の遠藤は「よかったですね」と心境を話したあと、「うまく前に出ることができたか」という問いに対し「そうですね」とことば少なでした。
 
一方、敗れた豪栄道は、「反省するところを反省して、あすから集中していく」と淡々と話していました。
 
北勝富士は、高校の後輩の新大関貴景勝に勝って「あまり覚えていない。がむしゃらに前に出ることだけを考えていた。先場所ものど輪で土俵際に持っていったのでね。気持ちは燃えていた。体調も悪くないし稽古もしっかりできてたので、何が悪いかなと思っていた。いい相撲が続いている相手に真っ向勝負で勝って、自分の中でも『おっしゃー』となった」と笑顔でした。
 
一方、初黒星を喫した貴景勝は「いつもどおりに行ったが、押しの角度や体の預け方、いろいろなところのちょっとした違いだ。気持ちはあすへ準備している。戻っても戻れないから、落ち込んだというのはない。悔しいがあすに向けてやるだけ」と切り替えていました。
 
横綱 鶴竜は3連勝。「きょうは体の動きがよかった。投げることができる体勢だったので、振ってうまくタイミングを見た」と振り返りました。
 三大関が総崩れしたあとでの取組については「多少嫌な気持ちがあったが、しっかり自分の相撲に集中できてよかった」と話していました。    (NHK NEWS WEB 2019514 1959分)


 

ウェブニュースより
 
貴景勝の付け人 納谷初日白星 「大関の迷惑にならないように」 ―― 幕下の納谷(19=大嶽部屋)が元関取の磋牙司を押し出しで破り初日を出した。
 
立ち合いから相手をしっかり見て突いて、土俵際に回り込まれても足を送って危なげない取口を見せた。
 
 
「しっかり前に出れたんで良かったです。横の動きを意識して11発しっかり当てられように。良い感じで出来てるんでいいと思います」
 
今場所から新大関の貴景勝の付け人を務めている。関取の付け人はこれが初経験だ。
 
「(初日は)ほとんど何もできなかったです。(大関には)凄いよく見てくれたり声かけをしてもらっています。迷惑にならないようにしっかりやっていきたいなと思います。(初日前日の)土曜日の夕方に言われて。凄い勉強になるなと思って」と振り返る。
 
師匠の大嶽親方(元十両・大竜)によれば、埼玉栄高の先輩である貴景勝から「(納谷は)後輩なので(付け人に)付けたい」と千賀ノ浦親方(元小結・隆三杉)を通じて依頼があったという。
 
「一門の連合稽古でもよく声をかけてくれて、よくしてくれている。勉強になるからやってみなさいと言いました」と大嶽親方は話した。
 
大関の初日の取組を支度部屋で見た納谷は「(取組への)気持ちの持って行き方というか、流れが凄いカッコいい。無駄なことがない」と印象を語った。前日は大関から相撲のアドバイスも受けた。「負けるときは突きが外れるときだから、しっかり当てていけと言われました。きょうはそれを意識していきました」と感謝していた。   [スポニチアネックス 2019513 14:39 ]


 大相撲夏場所2日目 新大関 貴景勝が2連勝 ―― 大相撲夏場所は2日目。新大関の貴景勝は、大関経験のある琴奨菊に勝って2連勝です。
中入り後の勝敗です。
 
千代翔馬に大翔鵬は千代翔馬が寄り切りで勝ちました。
 
石浦に十両の勢は石浦が寄り倒し。
 
照強に返り入幕の徳勝龍は、徳勝龍が押し出し。
 
新入幕の炎鵬に琴恵光は琴恵光が押し出し。
 
 
返り入幕の千代丸に新入幕の志摩ノ海は千代丸が寄り切り。
 
矢後に佐田の海は佐田の海が寄り切りで勝ちました。
 
松鳳山に輝は、松鳳山が寄り切り。
 
阿武咲に栃煌山は、阿武咲が寄り切り。
 
錦木に魁聖は錦木が小手投げ。
 
朝乃山に友風は、朝乃山が上手投げ。
 
正代に宝富士は、正代が突き落としで勝ちました。
 
嘉風に明生は、嘉風がはたき込み。
 
妙義龍に隠岐の海は、妙義龍が寄り切り。
 
阿炎に竜電は、竜電が押し倒しで勝ちました。
 
御嶽海に玉鷲は、御嶽海がはたき込み。
 
 
千代大龍に逸ノ城は逸ノ城が押し出し。
 
 
栃ノ心に大栄翔は、栃ノ心がつり出しで勝ちました。
 
 
碧山に大関 豪栄道は、豪栄道がすくい投げで勝って2連勝。
 
 
琴奨菊に新大関 貴景勝は、貴景勝が突き出しで勝ってこちらも2連勝です。
 
 
大関 高安に遠藤は、高安が突き出しで勝ちました。
 
 横綱 鶴竜に北勝富士は、鶴竜が押し出しで勝ちました。
 
 
夏場所2日目は、一横綱、三大関が安泰でした。
貴景勝「次も攻め攻めの気持ちで」
 
新入幕の炎鵬は初黒星、「立ち合いで相手が左を差してくるのは全く頭になかったです。完全に体が起きてしまいました。もっと考えていかないといけない。1日、1日、勉強だと思います。いい経験になりました」と振り返りました。
 
体の状態については「めちゃくちゃいい感じです。力が入りすぎているのでもっと楽に相撲を取りたいです。少しでも期待に応えられるように頑張りたいです」と落ち込んでいる様子はありませんでした。
 
新入幕の志摩ノ海は2連敗、「途中までは攻めていたが、中途半端だった。迷ってはいなかったが中途半端。動きは悪くないがどこかできっかけをつかまないと。がむしゃらに一番、一番取るだけだ。粘っこく押し相撲であすから気合いを入れて何も考えずに頑張りたい」と話していました。
 
2連勝の阿武咲は「予想外に相手が左に動いた。でも反応がよかった。自然に動けているのでいいと思う。考えすぎず、やるべきことに集中していきたい」と話していました。
 
竜電も2連勝、「勝ててよかったです。落ち着いて相撲が取れています。体調を崩さないように頑張ります」と話していました。
 
御嶽海は激しい相撲を制しての初白星に「疲れた。長すぎた」と振り返ったうえで、「状態はいいですね。相手も見えていて動けている。まだ2日目だから全力でいくしかない。しっかり白星を重ねていくほうが重要だ」と淡々と話していました。
 
一方、敗れた玉鷲は「前に前に行こうと考えていた。息がきれたね。負けたが、お客さんがわいたのはいいね」と話していました。
 
大関復帰を目指す栃ノ心は2連勝、「流れはよかったですよ。つかまえれば終わり、そこまでだからね。帰ってからおいしくごはんを食べられるよ。手応えはありますわ。このままいきたいね」と満足している様子でした。
 
2連勝の新大関 貴景勝は「立ち合いで手が滑って流れた。そういうこともある。まあ滑って負けたらそれで終わり。次も攻め攻めという気持ちで。自分の思いどおりにいかない場合でも、もう1回攻め直す形を作ることが大事だ。あすの相手に集中していく、それが15回、無心でいったほうがよい」と話していました。
 
大関は12日に続いて鼻血が出たということで、「まあ、また鼻血が出たが自分としてはいつもどおり。土俵に上がったら力を出しきれればそれでいい」と淡々と話していました。
 
大関 豪栄道も2連勝、「自分の得意の形になった。この流れを継続していきたい」と上機嫌でした。
 
今場所初白星の大関 高安は「前に出て勝負を決めることができた。組みたかったが、相手が突き放してきた。でも手がしっかりのびた。だいぶ調子はいい。コンディションよく初日を迎えることができた」と話していました。
 
横綱 鶴竜は2連勝、「踏み込みも低さもよかったですね。本当に思ったとおり。相撲に集中できているしそれに体がついてきている」と振り返りました。
 
一人横綱を務めることについては「何もないです。自分の相撲に集中してやるだけです」と話していました。   (NHK WEB NEWS 2019513 1856分)


 

ウェブニュースより
 
大相撲 夏場所初日 新大関の貴景勝が白星スタート ―― 大相撲の令和最初の本場所となる夏場所が、東京・両国の国技館で初日を迎え、新大関の貴景勝は平幕の遠藤に押し出しで勝って白星スタートです。
中入り後の勝敗
 
千代翔馬に十両の豊ノ島は、豊ノ島が突き落としで勝ちました。
 
大翔鵬に石浦は大翔鵬がきめ出し。
 
照強に琴恵光は照強が突き落とし。
 
返り入幕の徳勝龍に新入幕の炎鵬は、炎鵬が寄り切り。
 
 
返り入幕の千代丸に佐田の海は、千代丸がはたき込み。
 
新入幕の志摩ノ海に矢後は、矢後がはたき込み。
 
 
松鳳山に栃煌山は、松鳳山がすくい投げ。
 
輝に阿武咲は、阿武咲が押し出しで勝ちました。
 
錦木に友風は友風がはたき込み。
 
魁聖に朝乃山は、朝乃山が寄り切り。
 
正代に明生は正代が寄り切り。
 
宝富士に嘉風は宝富士が押し出し。
 
妙義龍に竜電は竜電が送り出し。
 
隠岐の海に阿炎は、阿炎が引き落とし。
 
碧山に玉鷲は碧山が押し出し。
 
千代大龍に大関から陥落した栃ノ心は、栃ノ心が寄り切り。
 
 
逸ノ城に大栄翔は、大栄翔が突き出し。
 
新大関 貴景勝に遠藤は、貴景勝が押し出しで勝ちました。
 
 
琴奨菊に大関 高安は、琴奨菊が押し出し。
 
 
大関 豪栄道に北勝富士は、豪栄道が寄り切りで勝ちました。
 
 
御嶽海に一人横綱の鶴竜は、鶴竜が押し出しで勝ちました。
 
最年長40歳 安美錦「気持ち新たにスタート」
 
現役の関取最年長、40歳の安美錦は初日白星に「がっぷりかはたきを頭に入れて、前に落ちてはたかれるのはいいと思って、手を伸ばして前に行くしかないと思った。気持ちを新たにスタートをと思って、いい相撲を取ろうと思って頑張った」と笑顔で話していました。
 
新入幕の炎鵬は初白星に「最高です。気持ちいいです。お客さんが多いし歓声が違います。押し寄せるプレッシャーがすごいです。人生を左右する大事な場所なので頑張りたい」と充実している様子でした。
 
新入幕の志摩ノ海は「体は動いているがはたきを警戒してしまった。悪い勝負をするよりもいい」と振り返り、幕内での取組については「特にない。所作も含めて普通だった。気を引き締めてもう一回、何も考えずにあすですね」と淡々と話していました。
 
阿武咲は「しっかり、はずも決まってよかった。白星は気分がいい。元号が変わって新しいスタートという思いはあるが考えすぎもね。特にやることは変わらない」と話していました。
 
小結復帰の碧山は白星を挙げた取組で強烈な張り手を見せましたが「たまたまだ。稽古はしていたが突いて行ったら距離感ができて前に行こうと思ったら、ちょうど相手も前に出てきた」と振り返りました。
 
白星については「よかった。稽古したことが出た。相手のことをよく見ることができた」とうれしそうでした。
 
大関復帰を目指す栃ノ心は初日白星に「よかったです」とほっとした様子を見せました。
 
体重198キロの千代大龍を豪快につり上げた場面については「気持ちいい。久しぶりかもしれないね」と笑顔を見せていました。
 
関脇 逸ノ城から白星を挙げた平幕の大栄翔は「気持ちいい。15日間あるので一日一番。一日に集中して最後まで持続力を大事にしたい」と話していました。
 
新大関 貴景勝は「初日、精神的にへこたれないように迷いなく行こうと思った。いつもどおり臨むことができた。感覚的に体の動きはよい。大関になってもいつもどおりやればいい。ただ、一つつかんだものはあるので、先場所よりは成長した姿を見せたい」と手応えを感じている様子でした。
 
取組前の花道から鼻血が出ていたことについては「鼻をかんだら出てきた。止まらなかったので相手に分からないようにずっと吸っていた」と話していました。
 
大関 豪栄道は「まずまずだ。これまで積み重ねてきたものを出すだけです」と淡々と話していました。
 
琴奨菊は「いい相撲だ。底力がある昭和生まれという気持ちを持ってね。いろいろな時代があるが、目いっぱい力を出して勝っても負けても印象に残りたいね。15日間長いから疲れないようにマイペースでいきたい」と満足している様子でした。
 
一方、敗れた大関 高安は支度部屋では無言でした。
 
横綱 鶴竜は過去の対戦成績が5勝5敗の御嶽海に勝って「立ち合いがよかった。そのあとも下からいい所に入ったのでよかった。相手のことを気にせずにしっかり相撲に集中できてよかった」と振り返りました。
 
令和最初の一番については「何十年か後になって、あういうことがあったなと思うかもしれないね」と話していました。   (NHK WEB NEWS 2019512 2256分)


 

ウェブニュースより
 
将棋の藤井七段、令和初の公式戦で勝利 王将戦一次予選 ―― 高校2年生の最年少将棋棋士、藤井聡太(そうた)七段(16)が9日、大阪市福島区の関西将棋会館で指された第69期大阪王将杯王将戦(スポーツニッポン新聞社・毎日新聞社主催)の一次予選で、北浜健介八段(43)に96手で勝った。藤井七段にとって令和初の公式戦で、勝利を挙げた。
 
 
対局は午前10時に始まり、午後5時36分に終局した。終局後、勝った藤井七段は「羽生(はぶ)(善治(よしはる)九段)先生は平成の時代に、ずっと常に第一線で活躍されてきた。羽生先生のようにというのは当然、非常に難しいですけれど、(令和の時代に)自分もこれから実力をつけて、新しい時代に長く活躍できるようにしたいと思います」「連休中は、いつもより時間がとれるということはあるので、普段以上に将棋に取り組めたかな、とは思います」と話した。敗れた北浜八段は「(過去2回の対戦は)ほとんど勝負どころが無く、負けてしまった。今日は、それよりは少し内容は良かったのかなと思います。(藤井七段が)強いという印象は前の時と一緒です」と話した。
https://www.youtube.com/watch?v=miSuP7kL3yM
 
ログイン前の続き日本将棋連盟によると、藤井七段の2019年度の成績は3対局して3勝0敗となった(未放映のテレビ対局を除く)。
 
藤井七段の次の対局は15日。第45期棋王戦(共同通信社主催)の予選で、牧野光則五段(31)と対戦する。
 
王将戦には全棋士が参加。一次予選と二次予選をトーナメントで行い、その勝ち上がり者とシード棋士4人でリーグ戦を行う。リーグ優勝者が王将のタイトル保持者に例年1~3月に七番勝負を挑む。現在のタイトル保持者は渡辺明二冠(35)=棋王、王将。
 
今期王将戦一次予選で藤井七段は池永天志(たかし)四段(26)、森内俊之九段(48)、そして本局で北浜八段に勝利し、一次予選の決勝に進出した。藤井七段の王将戦での次の対戦相手は、千田(ちだ)翔太(しょうた)七段(25)対佐々木大地五段(23)の勝者。   (朝日新聞DIGITAL 2019591242分)


 


 白鵬休場「仕方ない」親方 元号またぐ連続Vならず ―― 大相撲の横綱白鵬(34=宮城野)が夏場所(12日初日、両国国技館)を休場することが9日、決まった。師匠の宮城野親方(元前頭竹葉山)が明らかにしたもの。右上腕二頭筋断裂で全治3週間以上といい、この日、日本相撲協会に休場届、診断書を提出した。白鵬の休場は途中休場した初場所以来12回目。
 
 
白鵬はこの日、朝稽古に姿を見せなかったが、都内の同部屋前で取材に応じた同親方は「休場します。徐々に治ってきているけど、まだ思い切り当たったり、相撲を取れる状態ではない。(白鵬と)昨日夜に話して“休場します”と聞いた」と話した。白鵬は優勝した春場所千秋楽の鶴竜戦で右上腕を負傷。巡業を含め、胸出しなどはしても、相撲をとっていなかった。
 
夏場所は新元号の令和になって初の場所。白鵬は平成最後の場所だった春場所と、元号をまたぐ2場所連続優勝を目指していた。同親方は「本人は特に残念がっているけど、仕方がない」。患部の筋肉は7割方が断裂していると説明してきたが「徐々に筋肉がついてきているようです。治療は、動かしたりせずじっとしておく以外にない。そうすれば、自然と1カ月ぐらいで治るようです」と話した。今後は手術などの予定はなく、静養による回復を図りながら、名古屋場所での復帰を目指していく。   [日刊スポーツ 2019591139]


 

福岡市在住の甥・中村東樹氏より、娘恵理ちゃんを「変な奴」と言いながらも、記事の報告がありましたので、転載しました。

2歳児の母がアフリカにかける思い JICA・中村恵理
  
働く女のランチ図鑑  2019.5.6
  
Skill  仕事と出産  働く女のランチ図鑑
 
 
開発途上国への支援などを行っている国際協力機構(JICA)。各国や国際機関と協力し、インフラ整備や農業開発、自然環境保全などに取り組んでいますが、職員たちは実際、どんな働き方をしているのでしょうか。JICA本部(東京都千代田区)で、アフリカ諸国の支援を担当している中村恵理さん(37)に、日々取り組んでいる仕事と、仕事を支えるランチについて聞きました。
アフリカの子どもたちを健康に
 
アフリカの9か国を対象としたアフリカ部アフリカ第1課で、ケニアとルワンダの2か国を担当している中村さん。現地の大統領などからの要請を受けて、その国に必要な様々な施策が実行できるようサポートしています。例えば、ルワンダでは今、子どもの栄養不良を改善するための仕組みづくりを進めています。中村さんは、数か月に1度は現地に赴き、ルワンダ政府との協議だけでなく、実際に農民や子どもたちの暮らしぶりを見て、現地の状況に即した施策ができるように努めています。
 
ただ、いくら良い施策を作っても、現地の慣習やニーズに沿っていなければ実行されません。例えば、子どもの栄養改善のためには、妊娠の段階での栄養面のケアや情報提供をすることが必要とされています。ルワンダの農村を訪問しましたが、妊婦の姿が見つかりませんでした。後になって、農村では、女性が周囲に妊娠を隠そうとする慣習があることを知りました。妊婦の早期発見が重要な施策であるにもかかわらず、簡単ではないことが分かりました。
 
 
中村さんは「我々から見ると合理的でないことも、文化や歴史的背景から、弱い立場の人にとっては当たり前なこともある。まずは、行動の裏にある動機を解きほぐして働きかけなければ、施策は浸透しないんです」と話します。
 
政府や関係機関の体制づくりをサポートしたり、プロジェクトを立ち上げたりするなど、「日本とアフリカをつなぐ窓口のような業務」も中村さんの仕事。様々な立場の意見を集約するのに苦労することも多いですが、「それぞれの国に『自分たちの国をなんとか良くしたい』という思いを持って国づくりに力を尽くしている方々がいる。JICAのノウハウを使って、その方々と『伴走』できることにやりがいを感じます」と、中村さんは目を輝かせます。
食堂もワールドワイド
 世界各国で職員が活動するJICAは、ランチも世界規模。東京・市ヶ谷の交流施設「JICA地球ひろば」にある食堂「Js Cafe」では、週替わりでエスニック料理を提供しています。アルゼンチン、インドネシア、キューバ――世界各国の料理は、職員以外でも楽しむことができ、施設見学に訪れた修学旅行生らからも人気です。
 
 
ふだんは、本部内の社員食堂や周辺でランチを済ませる中村さんですが、研修などで地球ひろばを訪れた際は、必ずこの食堂を利用するそう。駐在経験のある国の料理がメニューにあると、「懐かしい気持ちになって、『あ、あの料理がある!』とうれしくなりますね」。
 
 
お気に入りはスーダン料理。中村さんは2009年から2年間ほど、南スーダンに駐在していました。当時は、スーダン共和国から独立する直前で、大きな建物もほとんどなく、事務所はプレハブ。コンテナや簡素なホテルで生活していました。ただ、現地の料理は、オクラやゴマ、ピーナツなど、日本と同じような食材を使い、味付けも日本人好みで食べやすかったそうです。
 
スーダンでは、「ラクダの肉」にも挑戦したそう。「歯ごたえがあって、ジビエのような味わいでおいしかったですよ。向こうでは生で食べる人もいます」と教えてくれました。
アフリカ開発会議が日本で開催
 
今年8月には、横浜市で「第7回アフリカ開発会議(TICAD)」が開かれます。日本が主導し、国連やアフリカ連合委員会(AUC)、世界銀行などと共同で行う国際会議で、アフリカ諸国の首脳らや、日本とアフリカのビジネスリーダーたちが一堂に会し、アフリカ開発の課題や、さらなる連携に向けて議論がおこなわれます。JICAではアフリカ部が主体となり、準備を進めています。
 
 
アフリカ諸国は今、モバイル決済や輸血用血液のドローン輸送など、革新的な取り組みで注目を集めています。中村さんは「アフリカと聞くと、暗いイメージを持たれがち。でも、日本でもまだ見られないような先端技術を活用し、生活を良くしているといった明るい側面も、多くの人に知ってもらいたいですね」と期待を込めます。
平和構築につながる記憶
 
発展途上国の平和のために奔走する中村さんの根底には、幼少期に祖父母から聞いた戦争体験の記憶があります。高校生の時、パレスチナ問題のニュースと祖父母の話が重なり、「祖父母の話を『何十年も前の話』と、人ごととして聞いていたけれど、今でも同じような体験をしている人たちがいるんだと驚きました」。
 
 
平和構築のために何かしたいと漠然と考えるようになり、学生時代はNPOの活動を知るためにカンボジアへ。大学院では紛争研究に取り組み、06年、JICAに入りました。「第2次世界大戦から2世代後の我々は、当時と全然違う生活をしていますよね。世代が変われば、物事、世の中も変わる」と中村さん。紛争のある国でも、「何世代か後の人たちは、今の日本のように安心できる生活を手に入れられるかもしれない」と願いながら、平和のために貢献してきました。
アフリカに学ぶ子育て術
 
南スーダンから帰国後の2011年に結婚。今は、2歳の子どもを育てながら働いています。海外出張の多い仕事ですが、子育てとの両立に不安はないそう。なぜなら、出産当日まで働いたり、産後すぐ仕事に復帰したりするアフリカ女性のパワフルな姿を間近で見てきたからです。
 
「アフリカの人たちから、コミュニティーで子育てする文化や、『どうにかなる』というポジティブな考え方を学びました」と中村さんは話します。海外出張の際には、夫や両親がローテーションを組んで子育てに協力。出張中は、インターネット電話のスカイプなどで子どもと話をするのが楽しみの一つです。
 
また、出産を経験したことで、海外での活動で妊婦や子どもを見ると、「母子手帳はあるのかな」「うちの子と比べて、この子たちは小さいな」などと気に留めるように。母親としての視点が生かされるようになったといいます。
いずれはイラクなどの紛争地域へ
 
今はアフリカ支援のプロフェッショナルとして活躍している中村さんですが、入った時からの志望は「イラクや北朝鮮の、現地の人たちと一緒に国づくりに伴走したい」。まだ実現はしていませんが、子どもが大きくなったら、現地に駐在して平和構築に携わりたいと考えています。
 
 
これまでの経験の全てが紛争地域の支援に生かされると信じる中村さん。「近い将来、紛争の絶えない地域での国づくりや人づくりにも関わり、少しでも地域が安定するよう力になれたら」
(取材・文/メディア局編集部 安藤光里、写真/金井尭子)


◇    ◇    ◇


生き生きと働く女性をクローズアップする「働く女のランチ図鑑」。職場での仕事ぶりや気になるランチの様子をお届けします。


金井 尭子(かない・たかこ)
 
フォトグラファー
 


ニューヨーク市立大学ハンターカレッジ舞台芸術学部卒業。 帰国後は都内の撮影スタジオに勤務し、2011年独立。得意分野は人物ポートレイト。 バンコク発のファッションブランドに夢中で年2回は必ず訪泰。 現在はフリーランスフォトグラファーとして東京をベースに活動している。ホームページ


 

昨日五月五日は「端午の節句」でした。端午の節句の由来について調べてみました。
 
中国の戦国時代というから、今から約2300年前の話です。
 
楚(そ)の国の国王の側近に、屈原(くつげん)(前340頃~前278頃)という政治家がいました。
 
詩人でもあった彼はその正義感と国を思う情は強く、人々の信望を集めていました。しかし、屈原は陰謀によって失脚し、国を追われてしまいます。
 
その時の想いを歌った長編叙事詩「離騒(りそう)」は中国文学史上、不朽の名作と言われています。故国の行く末に失望した屈原は、汨羅(べきら)という川に身を投げてしまったのです。
 
 
楚 の国民達は、小舟で川に行き,太鼓を打ってその音で魚をおどし、さらにちまきを投げて,「屈原」の死体を魚が食べないようにしました。
 
その日が中国の年中行事になり、へさきに竜の首飾りをつけた竜船が競争する行事が生まれたそうです。
 
これは今日のドラゴンレース(龍舟比賽)の始 まりとも言われています。
 
これがちまき(肉粽=ローツ ォン)の起源です。
 
 
このようなエピソードから、毎年命日の5月5日の屈原の供養のために祭が行なわれるようになり、やがて中国全体に広がっていったのです。 国と人民に尽くした屈原の政策は、死んだ後もいっそう人々に惜しまれ、多くの粽(ちまき)を川に投げ入れて国の安泰を祈願する風習に変わって行きます。
 
そして、その風習は、病気や災厄(さいやく)を除ける大切な宮中行事、端午の節句となったと言われています。三国志の時代に端午の節句は、魏(ぎ)の国により旧暦五月五日に定められ、やがて日本にも伝わって行きました。
 
ところで、歴史の上ではどちらかと言えば些細なこの事件が、このように盛大な祭に発展していったのでしょうか? それは、次のような理由だと言われています。
 
急に暑くなるこの時期は、昔から病気にかかりやすく、亡くなる人が多かったそうです。
 
その為、5月を『毒月』と呼び、厄除け・毒除けをする意味で菖蒲やヨモギ・ガジュマロの葉を門に刺し、 薬用酒や肉粽を飲食して健康増進を祈願します。
 
人々の生きるための切実な思いによるものが、端午の節句が生まれた理由なのでしょう。
 
日本の端午(たんご)の節句は、奈良時代から続く古い行事です。
 
端午というのは、もとは月の端(はじめ)の午(うま)の日という意味で、5月に限ったものではありませんでした。
 
しかし、午()と五()の音が同じなので、毎月5日を指すようになり、やがて55日のことになったとも伝えられます。
 
当時の日本では季節の変わり目である端午の日に、病気や災厄をさけるための行事がおこなわれていました。
 
この日に薬草摘みをしたり、蘭を入れた湯を浴びたり、菖蒲を浸した酒を飲んだりという風習がありました。
 
厄よけの菖蒲をかざり、皇族や臣下の人たちには蓬(よもぎ)などの薬草を配り、また病気や災いをもたらすとされる悪鬼を退治する意味で、馬から弓を射る儀式もおこなわれたようです。
 
五月五日の端午の節句に「鯉の吹流し」を立て、「武者人形(五月人形)」を 飾って男の子の前途を祝うようになったのは、徳川時代からです。
 
 
五月五日の節句は、五と五を重ねる事から「重五」、菖蒲を用いる事から「菖蒲の節句」などと呼ばれています。「五」と「午」が相通ずることから、初節句を「端午」「端五」(端ははじめの意)と書きました。
 
菖蒲は薬草で、邪気を避け、悪魔を払うという昔からの信仰があり、節句にはヨモギとともに軒にさし、あるいは湯に入れて「菖蒲湯」として浴しました。
 武
家時代となると「菖蒲」が「尚武(しょうぶ)」と音 が通ずるために、さかんとなりました。
 
平安朝のころから、子供らはショウブで飾った紙のかぶとをつけ、石合戦な どの遊びをしていたそうです。元禄時代(一六八八~一七○四年)になって紙や木でつくった 菖蒲人形を庭先に立てるようになり、それがいつしか室内に飾るようになり、人形美術も発達して種類も増えました。
 
室町時代から武家では五月五日の端午の節句に、竹竿に布を張り「吹き流し」 を立ててましたが、江戸時代になって町人階級も紙で作った「鯉のぼり」を竿につけて高く掲げて対抗して楽しんでいました。コイはもともと威勢のいい魚で、昔から「鯉の滝上り」などと伝えられ、子供が元気に育つようにという親の願いが「鯉のぼり」にこめられています。
 
古来おこなわれていた宮廷での端午の行事も、時が鎌倉時代の武家政治ヘと移り変わってゆくにつれ、だんだんと廃れてきました。
 
しかし、武士のあいだでは尚武(武をたっとぶ)の気風が強く、「菖蒲」と「尚武」をかけて、端午の節句を尚武の節日として盛んに祝うようになったのです。
 
やがて江戸時代にはいると、55日は徳川幕府の重要な式日に定められ、大名や旗本が、式服で江戸城に参り、将軍にお祝いを奉じるようになりました。
 
また、将軍に男の子が生まれると、表御殿の玄関前に馬印(うましるし)や幟(のぼり)を立てて祝いました。
 
このような時代の変遷のなかで、薬草を摘んで邪気をはらうという端午の行事が、男の子の誕生の祝いへと結びついていったと考えられます。やがてこの風習は武士だけでなく、広く一般の人々にまで広まっていきます。
 
はじめは、玄関前に幟や吹き流しを立てていたものが、やがて厚紙で作った兜や人形、また紙や布に書いた武者絵なども飾るようになっていったのです。
 
さらに江戸時代の中期には、武家の幟に対抗して、町人の間では鯉のぼりが飾られるようになりました。


 

5月3日は「憲法記念日」
 
日本国憲法は、1946113日に公布され、その半年後の194753日に施行されました。憲法が施行された記念として、53日を「憲法記念日」に、また、公布日である113日を「文化の日」として制定しました。
 
なぜ「文化の日」と命名されたのかというと、日本国憲法が平和と文化を重視しているからです。
 
日本国憲法には3つの柱があります。覚えていますか?
 
日本国憲法は、以下の3つの項目を基本原則として定めています。
 
国民主権:国民が政治のあり方を決める力を持っていること
 
基本的人権の尊重:人間が生まれながらにして持っている、人間らしく生きる権利を永久に保証する
 
平和主義:世界の平和を永久に守るため、外国と争い起きても戦争をしないで平和的に解決する
 
 
そして、国民の三大義務として、子どもを養育する者に対して子どもに普通教育を受けさせる「教育の義務(262項)」「勤労の義務(271項)」「納税の義務(30条)」を定めています。
 
 
――平和主義に関係する憲法第9条については、改正論がたびたび取り上げられています。5月3日の「憲法記念日」には、家族と、または友人と、憲法について話し合ってみるのもいいかもしれません。


ウェブニュースより
 
きょう憲法記念日 今の国会での憲法改正議論 見通し立たず ―― 3日は憲法記念日です。自民党は、今の国会で国民投票法の改正案を成立させ、憲法改正案の議論を始めたい考えですが、立憲民主党など野党側は、夏の参議院選挙を控え、対決姿勢を強めることも予想され、見通しは立っていません。
 
衆議院憲法審査会は今月9日に、国民投票の実施に伴うテレビ広告の規制をめぐって民放連=日本民間放送連盟から意見を聞くことにしています。
 
与党側は、その後、直ちに、継続審議となっている国民投票の利便性を高めるための国民投票法改正案の成立に向けて、審議と採決を行いたい考えです。
 
これに対し、立憲民主党などは、さらに有識者からも意見を聞くなど、テレビ広告の規制をめぐる議論に時間をかけるべきだとしていて、与野党の間で協議が行われる見通しです。
 
そして自民党は、憲法審査会に「自衛隊の明記」など4項目の党の憲法改正案を提示し、各党と議論を始めたい考えですが、連立を組む公明党は慎重な立場です。
 
また立憲民主党など野党側は、夏の参議院選挙を控え、対決姿勢を強めることも予想され、今の国会で憲法改正論議が進むかどうか、見通しは立っていません。   (NHK NEWS WEB 201953 427分)


 

大和高田市在住の水門会の成富満生氏よりメールが入りました。曰く、
 
いかがお過ごしですか
 
伊夫伎 直道様; 山本 幹男様; 日高 節夫様
 
お三方
 
明日が平成時代が終わります。お互いに昭和・平成・令和時代と生きることになりました。何時迄満喫できるでしょう。
 
さて、4月に4日間下向したのですが、栄町商店街で、小野に会いました。田中の店での囲碁に向かう途中の珍事でした。
 
家内の家作の整理で時間もなく、情報の仕入れなしで今回はご容赦ください。友人たちは、欠けることなくそこそこに生を送っておるそうです(田中夫人言)。
 
5月にも整理の終局で再下向します。硯友会(11日)には参加しますので
複数名のnewsはお届け出来るでしょう。
 
多分最後の参加としましょう。   (2019/4/29 成富満生)


大相撲夏場所
 
新番付が30日に発表され、新大関貴景勝は、豪栄道、高安に続く東の2番手についた。平成で新大関に昇進したのは26人目で、令和最初の本場所を新大関として迎える。東小結の碧山は、関脇だった2015年初場所以来、26場所ぶりの三役復帰となった。西小結御嶽海は三役在位が14場所連続で、昭和以降2位タイの記録。新入幕は志摩ノ海、炎鵬の2人。
 
 
貴景勝は30日、東京都台東の千賀ノ浦部屋で記者会見し、「身が引き締まる思い。先輩方の受け継ぐような、新しい時代を代表する力士になりたいと述べた。
 
 
昇進からの1カ月は「新鮮な気持ちだった」という。春巡業や表敬訪問などで看板力士になったことをじっかんしたからだ。
 
夏場所に向け、「良いスタートを切りたいし、今まで通り挑戦者の気持ちで臨みたい。15日間、全部勝てるように力を出し切りたい」と気概を示した。 


平成から令和にかわる「カウントダウン」に多くの群衆が集まりました。天下に名だたる東京・渋谷です。マスコミも大々的に取り上げ,昨夜から今朝もバカ騒ぎの映像のオンパレードです。
 
 
バカ騒ぎの跡はきまって,ごみの山です。あいにくの雨で,壊れてしまったビニール傘が道路上に無数散乱し,見る影もないありさまです。注意する者もいないのでしょう。 群集心理とでも云うのか、みんなが捨てれば怖くない,華やかな若者の街が一変してゴミの街になります。
 
 
大阪でもカウントダウンの後、例によって道頓堀へダイビングする若者を警戒して大勢の警察官が配備されていましたが、やっぱり制止できませんでした。道頓堀の橋から群衆の声に呼応して、見事に次々と飛び込んだといいます。
 
 
恒例だからとみんなが容認して、むしろ煽ってのダイブだったのでしょう。川を行く遊覧船に激突した若者もいたようだが、怪我の情報はわかっていません。
 
 
渋谷のバカ騒ぎも大阪の道頓堀ダイブもマスコミは、してやったりと映像を得意げに報道しています。改元という節目だから、笑って大目にみてやればいい、何も大袈裟に非難しなくてもいいではないかと云う人もあるでしょう。
 
まあ、やりたいようにやればいい、マスコミもそれをネタに面白おかしく報道して一緒に喜び,それを見て喜ぶ国民もいるんだから。
 でもねえ、
こんなバカ騒ぎには虫唾が走ります。


 

ビザンツ様式を代表するキリスト教の大聖堂建築です。イスタンブルにあり現在はイスラーム教モスクとされています。
 
 
一般に、聖ソフィア聖堂といいます。ビザンツ帝国の都コンスタンティノープルであった、現在のトルコの首都イスタンブルにある大聖堂を持つ建築物です。532年のニカの乱で焼け落ちたが、ユスティニアヌス帝はわずか39日後に復旧に着手します。神の栄光と己の栄華を永久に伝えるため、もとの教会よりはるかに壮大な規模としたのです。5年半の歳月をかけて53712月に完成した時、ユスティニアヌスは「我にかかる事業をなさせ給うた神に栄光あれ。ソロモンよ、我は汝に勝てり!」と叫んだといいます。ソロモンとは旧約聖書に出てくる壮大な神殿を築いたイスラエル王国の王のことです。
 
ビザンツ様式の特徴
 
建物はビザンツ様式の典型である巨大な円蓋(直径33m、高さ55m)を中央にもち、それを沢山のアーチと柱で支える。沢山の窓から内部に光が射し、宗教的な効果を高めました。
 
ビザンツ帝国滅亡に際し、オスマン帝国のメフメト2世は、コンスタンティノープルをオスマン帝国の首都イスタンブルとして改造した際、この聖堂もイスラームのモスクに転用されアヤ=ソフィア=モスクと言われるようになりました。その4隅に立つ塔(ミナレット)は、ことの時あたらに設けられたミナレットです。現在は、モスクの形態のまま、博物館として内部が公開されています。
 
 
建物内部を見回すと、同時に目につくのが、正面上部の半ドームに描かれた聖母子像、すなわちイエス・キリストと聖母マリアの像です。イスラム教のモスクに描かれたキリスト教のモチーフ。この不思議な取り合わせは、いったい何を意味しているのでしょうか。
 
 
その謎の手がかりは、15世紀のモスクへの改修時にありました。
 
見事な建築物であるアヤソフィアの破壊を望まなかったメフメット2世でしたが、偶像崇拝を禁じるイスラム教国家の君主である彼は、アヤソフィア内部の壁面に描かれたイエスやキリスト教の聖人たちの像をそのままにしておくことはできませんでした。アフメット2世はキリスト教の絵画やモザイク画を漆喰で覆い隠し、人々の目に触れることがないように命じたのです。
 
しかし、20世紀に入って博物館となったアヤソフィアで修復作業が進められると、漆喰の下から黄金に輝くビザンティン時代のモザイク画が次々と発見され、これによって、アヤソフィアがかつてキリスト教聖堂だった事実が改めて強く浮かび上がってきたのでした。
 

ウェブニュースより
 東京・台東区浅草の雷門の前で刃物を持った男が暴れ、現行犯逮捕されました。
 
 捜査関係者によりますと、29日午後5時ごろ、浅草の雷門前の交番に「金を出せ」と刃物のようなものを持った男が暴れました。男はその後、交番を出たところで警察官らに取り押さえられました。警視庁は男を現行犯逮捕し、詳しい状況を調べています。   (2019429 1859分 テレ朝news


 

200817日、中国の「チャイナフォトプレス」は江蘇省南京市で現在発掘調査が行われている大報恩寺塔跡地で、地下宮殿の入り口となる塔基(塔の基盤)が発見されたとのニュースを報じました。
 
 
明の太宗・永楽帝(在位1402年〜1424年)がその母のために建てた大報恩寺塔は、瑠璃瓦と白磁磚(レンガ)、瑠璃磚で造られた美しい塔で、別名「陶塔」「瑠璃宝塔」とも呼ばれたと史書にあります。高さは約78mあり、当時の南京で最高の建築物でした。その美しさと珍しさから、イタリアのピサの斜塔と並んで中世には「世界七不思議」の1つに数えられています。
 
 
1856年に戦火により消失した大報恩寺塔の跡地は現在の中華門外に位置し、その上に民家が建ち並んでいました。大報恩寺塔復元プロジェクトのため、南京市博物館考古学チームは現地にて1年以上にわたる発掘調査を実施しました。このたび、ついに塔基を発見しました。史書によれば、その地下には宝物を収蔵した秘密の宮殿があるとのこと。
 
「中国新聞網」の報道によると、明(13681644年)代に葛寅亮(ガー・インリャン)が編撰した「金陵梵刹志」に記載されている「金陵大報恩寺の瑠璃塔の地下宮」が、600年の時を経てまもなく発掘されるかもしれないといいます。またシャカ(ゴータマ・シッダルータ)の毛髪や、シャカの遺体を火葬した際にできたといわれる珠状の物(仏舎利)などの他、明代の航海家・鄭和(ジョン・ホー)が持ち帰った財宝なども付近に埋蔵されている可能性があるといわれ、その真偽が今明らかにされようとしています。
 
 
「金陵大報恩寺の瑠璃塔」は、明代、清(16441912年)代に南京が最も栄えた当時のシンボル的な建築物で、万里の長城と並んで中国を代表しているといわれるだけでなく、エジプトのピラミッドなどと並んで世界7大奇観の1つと称されています。
 
 
史料によると、明の永楽大帝は瑠璃塔を建造した際に、財宝類を塔内だけでなく、地下宮にも大量に安置したとされている。しかも歴史上この近辺には、各地に奉納されていた仏舎利を集めて再配布したとされるアショーカ王の塔の遺跡があり、この地下宮を探し当てれば仏舎利やシャカの毛髪などの発掘の可能性もあるといわれています。
 
1年以上前から発掘に参加している職員は「地下宮の存在を示す可能性が高い『青石板』をすでに発見しており、近いうちに地下宮の発掘ができるだろう」と期待を示している。

ウェブニュースより
 
仲邑菫初段 37歳女流棋士からプロ初勝利 緊張なし! 攻めて攻めて攻めまくった ―― 囲碁の非公式戦「若竹杯」で種村小百合二段を破り、はにかむ仲邑菫初段=大阪市の日本棋院関西総本部  兄弟子の村松大樹六段(右)と対局。足が届かないため、台を置き、つま先を立てて碁盤を見つめる
 囲碁の史上最年少プロ棋士、仲邑菫(なかむら・すみれ)初段(10)が28日、大阪・日本棋院関西総本部で、同本部所属の40歳以下棋士によるトーナメント戦「第2回若竹杯」に出場。1回戦で27歳上の種村小百合二段(37)を破り、非公式戦ながらプロ入り後の初勝利を決めた。2回戦では同門の村松大樹六段(30)に敗れたが、うれしい白星をつかんだ。
 
椅子に座った足が地面に届かないため、台を用意して対局した仲邑初段が、碁盤より小さな体で、大きな大きな1勝を刻んだ。
 
1回戦対局後は「うまく打てた。勝ててうれしい」とはにかんだが、プロ入り後の勝利がよほどうれしかったのだろう。対局場があるビルの廊下では、スキップしていた。
 
27歳年上のベテラン女流棋士が脱帽した。持ち時間1時間30分の切れ負けで行われたトーナメント初戦の相手は、03年にプロ入りした種村二段。互角の勝負を繰り広げると、不用意な一手を見逃さなかった。
 
 
対局に立ち会った後藤俊午常務理事(九段、52)は「一気に攻勢に出た。攻めて攻めて攻めまくった」と振り返る。167手で種村二段が投了し、中押し勝ち。種村二段は「読みもしっかりしていて、スキがなかった。強かった」と実力を認めた。
 
22日の公式戦初戦では、100人の報道陣が殺到。緊張して、うまく打てなかったと首をかしげた。2戦目となるこの日は非公式戦にもかかわらず、40人が仲邑初段の一手に注目。カメラのシャッター音にも動じず「緊張しなかった。対策?別に…」と強心臓ぶりを見せつけた。
 
準々決勝では、父・仲邑信也九段(46)門下の村松大樹(ひろき)六段(30)と対戦した。一時は優勢だったが、村松六段が兄弟子の意地を見せた。菫初段は「ちょっとくやしい…」と小さい体をくねらせた。
 
 
くしくも同門対決となったが、信也九段は「(ハラハラして)とても見ていられない」と愛娘の対局を見届けなかった。父不在にも関わらず、あと2日で終わる平成の最後に1勝をつかんだ10歳の天才少女。令和での飛躍へ確かな一手を打った。   (デイリースポーツ 2019.04.29.


 

プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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