瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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中世の七不思議
 
時代の変遷とともに、ヨーロッパ人の地理的知識が広がり、七不思議として世界中の建造物が選ばれるようになりました。選者・年代ともに不明(14世紀以降と見られる)ながら、次の7つが一般に挙げられます。
①ローマのコロッセウム
 
②アレクサンドリアのカタコンベ
 
③万里の長城
 
④ストーンヘンジ
 
⑤ピサの斜塔
 
⑥南京の大報恩寺瑠璃塔(陶塔。中文)
 
⑦イスタンブールの聖ソフィア大聖堂
 
 
南京の陶塔以外は現存します。

世界七不思議 ⑦アレクサンドリアの大灯台
 
 
ファロス島の大灯台、あるいはアレクサンドリアのファロスとも呼ばれます。ファロス島は、アドリア海に同名の島(現在のフヴァル島)がありますが、それとは別で、アレクサンドリア港の一方の端に人工の埋め立てにより出来上がった半島の突端にあった小さな島です。
 
 
14世紀の二度の地震によって全壊したが、七不思議の中ではギザの大ピラミッドに次ぐ長命な建造物でした。
建造に至る経緯
 
紀元前332年、アレクサンドロス3世によってナイル河口にアレクサンドリアが建設されました。アレクサンドロスの死後、エジプトは彼の部下であるプトレマイオス1世の統治下に置かれ、ここにプトレマイオス朝が開かれました。
 
プトレマイオス朝はアレクサンドリアを首都としましたが、この都市の周辺は平坦な土地が広がっており、沿岸航行や入港の際に陸標となるものが何もありませんでした。そのためプトレマイオス1世は陸標となる灯台の建造を決定しました。
 
建造の指揮はクニドスのソストラトスに任せられました。建造地にはアレクサンドリア湾岸のファロス島が選ばれました。島とアレクサンドリア港との間は人工的な通路で結ばれた。紀元前305年から工事を開始し、完成したのはプトレマイオス2世の代でした。
 
構造
 
灯台の全高は約134メートル(約440フィート)。建造当時は地球上で最も高い人工物の一つでした。建材には大理石が用いられ、ブロック状に切り出したものを積み上げていきました。
 
形状の異なる三つのセクションで構成されており、方形の基層部の中央に塔があり、下層部は四角柱、中層部はひとまわり細い八角柱、上層部はさらに細い円柱形でした。
 
 
頂点には鏡が置かれ、日中はこれに陽光を反射させ、夜間は炎を燃やして反射させていたといいます。
 
灯台の四つ角には、角笛を吹く海神トリトンの彫像が置かれていました。また、ローマ時代には頂点にも彫像が置かれていました。
 
内部には、螺旋状の通路が設けられ、そこをロバを使い薪を運んでいたと考えられています。


 

荒幾則氏からメールが入りました。曰く、
 
日高先生
 
返信メール、有難うございます。
 
こうしてみると、以前からの2つのメールアドレスを使われている事が分かりました。
 
さて私の日程ですが、5月16日(木)晩に羽田到着。28日(火)昼に成田発です。
 
但し 最初の週末(金〜日)は三社祭。次の週末(金〜日)は千葉鴨川でサーフィンを予定しています。
 
ですから平日の晩となると、日数が限られ 既に仕事関連などで埋まってしまいました。
 
三社祭中は、日高先生の所に集まるのでしょうか?
 
集まるのであれば、その日時に伺いたいと思います。
 
それとも 何処かの店に行く様であれば、そちらへ伺います。
 
お手数ですが、日高先生のスケジュールをお知らせ下さい。
 
尚 日本到着前には、私の携帯番号とか連絡先をお知らせします。
 
以上 どうぞ宜しくお願いします。      荒 幾則

三社祭
 
東京都 台東区 浅草2-3-1
 
2019517 - 2019519
 
宮戸川(隅田川)で投網をしていた、檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)の兄弟が捧持された観音像を土師真中知(はじのまつち)が自宅にお祀りしたのが浅草寺のはじまり。のちに土師真仲知命と檜前浜成命・竹成命の三名を三社権現と称しお祀りされたのがこの浅草神社の起源となる。江戸時代から現代において当代随一の荒祭りとして全国的に知られるようになった三社祭は、江戸三大祭りのひとつに数えられ、下町の情緒を今に残す名物行事になっている。
 


世界七不思議 ⑥ロドス島の巨像
 
 
エーゲ海南東部に浮かぶロードス島。紀元前4世紀頃、この島は地中海貿易の中継地として、繁栄をきわめていました。
 
ところが紀元前305年、4万から成るマケドニアの大軍が突如、侵攻してきました。苦境に陥ったロードスです。そこに援軍を派遣してくれたのは、エジプトのプトレマイオス1世だったのです。こうしてマケドニア軍の撃退に成功したロードスの人々は、プトレマイオス1世への感謝と、自分たちの勝利を記念して、マンドラキ港に島の守護神である太陽神ヘリオスの巨像を造る事にしたのです。
 
 
制作者は彫刻家のカレスで、主な材料は青銅でした。巨像は、マケドニア軍が放棄した青銅製の武器を利用して造られたといいます。
※カレス:ギリシアの彫刻家で、リュシッポス(紀元前4世紀の古代ギリシアの彫刻家)の弟子。ロードス島のデメトリオス1世に対する勝利を記念して巨大なヘリオス神像(世界の七不思議の一)を作りました。
 
紀元前302年に制作を始め、12年の歳月を費やして完成したということです。白い大理石で造られた高さ15メートルの台座をもちます。
 
その上に外港を威圧するかのように建てられた像そのものの高さは33メートル。両方を加えると、実に48メートルに達します。
 
現在アメリカ、ニューヨーク港に建つ自由の女神の高さが46.3メートルだから、古代の人々ならずしても、途方もない大きさの像でした。だが、資料が少ないため、その実態は謎に包まれたままです。
 
像の形態にしても、両足を開いて港の入り口をまたぐようにして、防波堤の突端に立っていたとする説がある一方で、足を揃えていたとするなど諸説あります。 ただし、現在のマンドラキ港の入り口の幅は約60メートルあります。
 
当時も同程度の幅だったとすれば、港をまたいでいた場合、巨像は前述の高さより巨大でなければなりません。そのため、最近では足を揃えていたとする説が有力です。
 
巨像の内部には螺旋状の階段が設けられ、両目の内側にある燭台が夜を徹して赤々と燃えていました。右手には煮えたぎる油を満たして器を持っていて、港に侵入する敵船に上から注ぎ落とす工夫がなされていたともいいます。
 
製作法も謎に包まれたままだ。鋳造説が有力だが、鉄の補強材で組み立てて石材で安定させ、その表面に青銅板を貼り付けたなどの説もあります。残念ながらこの巨像は、紀元前224年、地震によって倒壊しました。
 
その後、900年近くも倒れたまま放置されていたが、672年にアラブ軍が同島を占領。残骸をスクラップにして売り飛ばしてしまい、跡形もなく地上から姿を消したのでした。
 
19877月初め、ロードス島の沖合700メートル、深さ52メートルの海底で、石灰岩の彫刻物が発見されました。それは縦160センチ、横180センチ、厚さ85センチ、重さ1トンという巨大なもので、左手で拳を握ったような形をしているといいます。この彫刻物が、幻の巨像の拳であるかどうかの結論は出ていません。


 

イギリス在住の塾友 荒幾則氏よりメールが入りました。曰く、
 
日高先生
 
お元気ですか? 5月に久し振りに日本へ行きます。
 
16日(木)着 〜 28日(火)発の予定で、三社祭が目的です。
 
是非 お会いしたいと思いますので、このメールが届きましたら 受領報告をお願いします。
 
どうぞ宜しくお願い致します。    荒 幾則


早速写真を添えて返信しました。曰く、
 
メール有難う。
 
在日中の予定が判ればお知らせください。
 
皆さんとも会える機会を設けてもよいのではと思います。
 
またの連絡をお待ちしています。    日高節夫
 

 
3月9日以降お留守になっている世界七不思議についての記述を続けます。
世界七不思議 ⑤ハリカルナッソスのマウソロス霊廟
 ハ
リカルナッソスのマウソロス霊廟
 
 
マウソロスとその妻アルテミシアの遺体を安置するために造られた霊廟です。
 
 
ギリシア人建築家のピュティオスとサテュロスによって設計され、スコパス、レオカレス、ブリュアクシス、ティモテオスという4人の高名な彫刻家によってフリーズ(彫刻帯)が施された。その壮麗さから、世界の七不思議のひとつに選ばれています。
 
また、ヨーロッパ圏で使用される単語「マウソレウム(一般に巨大な墓の意、英語:mausoleum)」はこの霊廟に由来するといいます。
 
マウソロスは、カリア国の首都をハリカルナッソス(現在のトルコ共和国ボドルム)に定め、周囲の地域も支配下に置きました。この霊廟は、マウソロスの死後に妃アルテミシアが夫のために建造したといわれているが、実際にはマウソロスの生存中に建造が開始されたと考えられています。マウソロスの死から3年後、アルテミシアの死から1年後にあたる紀元前350年に完成したといわれています。
 
アルテミシアは霊廟建設の費用を全く惜しみませんでした。彼女は、当時最も優れた建築家と芸術家を連れてくるため、ギリシアに使いを送りました。こうして2人の一流建築家ピュティオス、サテュロスと4人の高名な彫刻家スコパス、ブリュアクシス、レオカレス、ティモテオスが造営に参加しました。中でもスコパスは、他の世界の七不思議のひとつエフェソスのアルテミス神殿も手がけています。
 
 
霊廟は町を見渡す丘の上に建てられた。工事場はレンガの壁に囲まれ、建築家たちはその中で作業をしました。まず、その中央に墓本体となる石壇が置かれ、ライオンの石造を横に配した階段が石壇に向かって築かれました。そして、この外壁に沿って神や女神の像が置かれ、角ごとには馬に乗った戦士の像が墓を守るように置かれました。これが霊廟の第1層です。また、この層の上部にはギリシア神話や歴史の一場面を描いた彫刻帯が施されました。スコパスが東側、ブリュアクシスが北、ティモテオスが南、レオカレスが西の彫刻を担当しました。スコパスは、ギリシア人とアマゾン族(好戦的女性部族)の闘争を描き、他の3人はラピテス族とケンタウロスの闘争などを描きました。
 
 第
1層から第2層へと工事は移ります。第1層から第2層へと36本の柱が上げられました。第2層は外に露出した円柱の集まりである。短い辺に9本ずつ、長い辺に11本ずつ柱が配されたと考えられています。柱と柱の間には1体ずつ像が置かれ、柱に囲まれた内側には、巨大な屋根を支えるため石のブロックが積まれました。
 
第3層は、24段のピラミッド型の屋根であった。この頂上には、巨大なクァドリガ(4頭立ての馬車)の像が置かれた。この馬車に、マウソロスとアルテミシアの像が乗っていたとも言われていますが、何も乗っていなかったという説が有力です。根拠としては、ギリシア世界では主のいない馬車は主の死を意味していたこと、マウソロスとアルテミシアの像は馬車の像のそばで発見されましたが、彼らの像が馬車に乗る格好をしていなかったことなどが挙げられます。どうやら、彼らの像は、第2層あるいは第1層に他の像と同様に置かれていたようです。
 
マウソロスの霊廟は、ハリカルナッソスの中心地に何世紀もの間建っていました。紀元前334年にアレクサンドロス大王によって町が陥落したときも、紀元前60年前後に海賊の襲撃を受けたときも、被害を受けずに残っていました。そして、1600年もの間、廃墟となった町を見下ろすように建っていましたが、度重なる地震によって柱は崩れ、屋根に乗っていた馬車の像は地面に落ちてしまったといいます。1404年には、ただ土台だけが確認できたのみでした。
 
15世紀のはじめ、聖ヨハネ騎士団がこの地を侵略し、巨大な城を建てました。1494年にこの城を要塞化することが決まると、彼らはマウソロス霊廟の残骸を資材として使いまし。さらに1522年、オスマン軍が攻めてくるという噂が流れると、彼らはボドルム(旧ハリカルナッソス)の要塞を強化し、残っていた残骸もすべて城壁に使われてしまいました。今日でもこの要塞跡の壁に、かつて霊廟に使われていた大理石を見ることができます。
 
 
記録によれば、このころ騎士の一団が霊廟跡の土台に立ち入り、棺の間を発見しています。発見した日はすでに帰営の時間になっていたので、一団は棺を開けずに立ち去ります。翌日、彼らが棺を開けると、あるべき宝やマウソロスとアルテミシアの遺体は無くなっていました。騎士たちは、周辺の住民か海賊が略奪したと主張しましたが、実際に略奪したのは騎士たち自身であったとも言われています。
 
マウソロス霊廟の残っていた彫刻が砕かれて城壁の資材とされる前に、騎士たちはいくつかの優れた作品を移動してボドルム城に集めておきました。それらは、十字軍が引き上げた後も300年にわたりそこに保存されました。また、これらの内いくつかは大英博物館に収蔵され、後の霊廟跡の発掘にも資料として影響を与えることとなりました。


 

 4月1日に政府が発表した新元号「令和」は、日本最古の和歌集である「万葉集」の出典だといいます。しかし、中国の古典に詳しい一部ネットユーザーからは、中国の詩文集「文選」(もんぜん)までさらにさかのぼれるのではないかという声が上がっています。
 万葉集巻五「梅花歌三十二首」には、詩歌の背景や趣旨を説明する「題詞」の中に「于時初春令月 氣淑風和」(時に、初春の令月にして、気淑く風和ぎ)という語句があり、「令和」はこれを出典としたとしています。
 しかし、これと似た漢文が、万葉集(780年頃成立)以前の中国の詩文集「文選」(530年頃成立)にあります。
 文選巻十五に収められた、後漢の文学者であり科学者の張衡(ちょうこう)が詠んだ「帰田賦」には、「於是仲春令月 時和氣清」(これにおいて、仲春の令月、時は和し気は清む)とあります。
 
 「ブリタニカ国際大百科事典小項目事典」や「大辞林 第三版」によれば、「日本に早くから伝わり、日本文学に大きな影響を与えた」とあることから、梅花歌三十二首の題詞の著者が文選を参考にした可能性があります。
 日本の元号は「平成」まで、出典が明らかなものについては全て中 { 国の書物が典拠だとされています。
 「令和」は初めて国書を典拠とする元号となったが、その源流にはやはり中国があるのかもしれません。この機会に日本や中国の古典を読み解くのも面白そうです。 



ウェブニュースより
 最優秀棋士賞に豊島将之2冠 藤井聡太七段は“神の一手”で升田幸三賞初受賞 ―― 平成30年度の将棋大賞選考会が1日、東京都渋谷区の将棋会館で行われ、最優秀棋士賞には豊島将之2冠(28)が初選出された。
 
 優秀棋士賞は王将、棋王の渡辺明2冠(34)が6度目の獲得。
 昨年「7冠」を獲得した藤井聡太七段(16)は記録部門で最高勝率0.849の1冠に終わったが、升田幸三賞の初受賞が決まった。

 同賞は新戦法や妙手を編み出した棋士に与えられるもので、昨年6月5日に行われた竜王戦5組ランキング戦・石田直裕五段戦の終盤に指した「7七同飛成」が対象。AIを超えた「神の一手」として有名になった。  [ Sponichi Annex 2019年4月1日 15:14 ]





 

ウェブニュースより
 
大関昇進 貴景勝 口上は「武士道精神重んじ」 ―― 大相撲の貴景勝が27日正式に大関に昇進し、伝達式の口上で「大関の名に恥じぬよう武士道精神を重んじ、感謝の気持ちと思いやりを忘れず相撲道に精進して参ります」と決意を述べました。
 
日本相撲協会は27日、大阪市にある府立体育会館で次の夏場所に向けた番付編成会議と臨時の理事会を開き、貴景勝の大関昇進を正式に決めました。
 
これを受けて日本相撲協会の2人の使者が貴景勝と師匠の千賀ノ浦親方が待つ市内のホテルを訪れ大関への昇進を伝えました。
 
これに対し貴景勝は口上で「謹んでお受けいたします。大関の名に恥じぬよう武士道精神を重んじ、感謝の気持ちと思いやりを忘れず相撲道に精進して参ります」と決意を述べました。
 
貴景勝「救われてきたことば」
 
大相撲で大関に昇進した貴景勝が昇進の伝達式のあとで会見し「武士道精神」ということばを使った「口上」について「小さな頃から自分を築き上げてきたことばだし、プロに入っても何度もこのことばに救われてきた」と込めた思いを明かしました。
 
貴景勝は大阪市内のホテルで大関昇進の伝達式を終えたあと、師匠の千賀ノ浦親方とともに会見しました。
 
この中で貴景勝は「小さい頃からの夢だったし、また1つ目標が達成できてうれしい気持ちだ。場所の疲労が抜けてきたことでうれしさが増えてきた気がする」と喜びをかみしめました。
 
 
「武士道精神」ということばを使った口上は、大関昇進を確実にしてからすぐに思い浮かんだということで「小さな頃から自分を築き上げてきたことばだし、プロに入っても何度もこのことばに救われてきた。勝っておごらず、負けて腐らずということを常日頃から意識しているが、それは武士道の中から得たことばでもあるし、受けた恩は必ず返す人間になりたいという思いもある。忘れてはならないことばだ」と込めた思いを明かしました。
 
貴景勝は、入門当時は貴乃花部屋に所属し、元横綱の貴乃花親方の退職に伴って、去年秋から千賀ノ浦部屋に所属していますが「貴乃花親方の背中を見て育ったし、今の千賀ノ浦部屋でも教わることが大変多い。みんなに支えられてここまで来た。感謝の気持ちは当然あるが恩を返すという意味では、強くなって土俵で示すしかない」と2人の師匠に対し感謝の思いを話しました。
 
また報道陣に「どんな大関になりたいか」と聞かれると、「それを言ったら終わってしまうと思う。どんな大関かではなく次の番付を目指したい」と大関昇進にも満足しないどん欲さをのぞかせました。
 
そして「自分はあまり攻撃パターンが多くないが、その中でも自分を信じてくれた人の期待に応えたいと思ってやってきた。この小さい体ではまわしを取るのは厳しいので、自分の武器を磨くしかない」と押し相撲を貫いていく決意を示していました。
大関昇進の「口上」とは
 
大関昇進は、日本相撲協会の使者が新大関と師匠のもとを訪れて直接伝達し、新大関は、受諾する意思とともに大関としての決意を示す「口上」を述べます。
 
貴景勝の師匠だった平成の大横綱 貴乃花は、平成5年に大関に昇進した際「今後も不撓不屈の精神で相撲道に精進します」と述べました。「不撓不屈」は、「どんな苦労や困難にもくじけないこと」という意味のことばで、貴乃花が横綱昇進の際にも用いていました。
 
貴乃花のように四字熟語を用いる例は多く、貴乃花の兄の元横綱 若乃花が大関に昇進した際は「今後も一意専心の気持ちを忘れず相撲道に精進いたします」と口上を述べました。「一意専心」は、「脇目もふらず心を一つのことだけに注ぐ」という意味です。
 
最近では、おととしの夏場所後に昇進した高安が「大関の名に恥じぬよう正々堂々、精進します」と口上を述べました。
 
一方で、四字熟語などを使わない簡潔な口上もありました。元横綱 稀勢の里が平成23年に昇進した際の口上は「大関の名を汚さぬよう精進します」ということばでした。
 
去年の夏場所後に昇進した栃ノ心も「親方の教えを守り力士の手本となるように稽古に精進します」と率直な決意を述べました。
 
このほか、糖尿病に苦しみながら番付を上げていった元横綱 隆の里は昭和57年に大関に昇進した際の伝達式で「稽古に励み、健康管理に努め、立派な大関になるよう精進します」とみずからの置かれた状況を踏まえた口上を述べています。
 
貴景勝がかつての師匠のように四字熟語を用いるのか、別の形で決意を示すのか、伝達式での口上が注目されていました。   (NHK WEB NEWS 2019327 959分)

 
藤井七段 今年度最終局は大逆転勝ち 年度勝率は歴代3位に ―― 将棋の最年少プロ棋士、藤井聡太七段(16)が27日、東京・将棋会館で行われた、竜王戦4組ランキング戦3回戦で、中田宏樹八段(54)と対局。年度最終戦となった対局で大逆転勝ちを収めた。年度成績は45勝8敗となり、勝率は全棋士中1位で、昨年の0.836を上回る、歴代3位の0.849を記録した。
 
 
後手番の藤井七段が受けて立つ形で、戦型は相矢倉に。中盤は互角のねじり合いが続いたが、徐々に劣勢に陥った。終盤に入ったところで中田八段の鋭い踏み込みを受け、形成は不利に見えた。だが、ここからが藤井七段の真骨頂。必死の追い上げを見せ、最後の最後でまさかの大逆転。持ち前の終盤力を遺憾なく発揮した。
https://www.youtube.com/watch?v=x4Pq1oEVZwo
 
この対局が年度最終戦となり、見事な白締め。竜王戦ランキング戦での連勝も14まで伸ばした。藤井七段は終局後、「ミスが続いて苦しい形が続いた」と厳しい表情。それでも「次も指せることになったので、全力を尽くしたいい」と前向きに話し、わずかですけど(勝率で)前年度を上回れたことはうれしく思います」と喜びも示した。   (デイリースポーツ 2019.03.27.


 

昨日の午後は久し振りに隅田公園の築山に出てみました。ソメイヨシノはまだ4分咲きというところです。築山に植えられた枝垂桜もまだ5分咲きです。
 
 
この枝垂れ桜は三春滝桜の子孫木だということです。
 
 
三春滝桜(みはるたきざくら)は、福島県田村郡三春町大字滝字桜久保に所在する、樹齢推定1000年超のベニシダレザクラ(紅枝垂桜)の巨木です。国の天然記念物で、三春の滝桜、また単に滝桜とも呼ばれます。
 
2012年時点で推定樹齢1000年超、樹高12m、根回り11m、幹周り9.5m、枝張り東西22m・南北18mもあります。
 
三春町の滝地区に所在すること、毎年4月中・下旬に四方に広げた枝から薄紅の花が流れ落ちる滝のように咲き匂うことから、この名があります。毎年全国から30万人の観光客が訪れます。
 
天保の頃、加茂季鷹の詠歌「陸奥にみちたるのみか四方八方にひびきわたれる滝桜花」によってその名を知られ、三春藩主の御用木として保護されました。
 
 
ソメイヨシノはまだ満開とは言えませんが、それでも茣蓙を敷いての花見客もずいぶんでています。
 
 
ソメイヨシノ(染井吉野)とは、オオシマザクラとエドヒガンとの雑種で、日本の代表的な桜です。
 
染井吉野は、染井村(現在の東京都豊島区駒込)の植木屋が江戸時代末期に品種改良した園芸品種で、明治以降全国に広まりました。
 
当初、奈良県山岳部の桜の名所「吉野山」にちなんで「吉野桜」と命名されていました。
 
しかし、吉野山の桜はヤマザクラの類で、「吉野桜」の名は誤解を招くとして、明治33年(1900年)、上野公園の桜を調査した藤野寄命博士が、「染井吉野(ソメイヨシノ)」と命名し『日本園芸雑誌』に発表しました。
 
 
桜だけでなく、ハナモモもピンクの花をつけて一斉に咲いていました。
 
 
ハナモモは原産地は中国で、花を観賞するために改良されたモモで、花つきがよいため、主に花を観賞する目的で庭木などによく利用されます。日本で数多くの品種改良が行われ、種類が豊富です。観賞用のハナモモとして改良が行われるようになったのは江戸時代に入ってからで、現在の園芸品種の多くも江戸時代のものが多いといいます。サクラの開花前に咲くことが多いです。長野県では桜より遅く、4月中旬から5月初めにかけて、各地の名所で観られます。桃の節句(雛祭り)に飾られる。結実するが実は小さく、食用には適さない。最近では、日本国外でもよく利用されるといいます。
 
 樹高:約100700cm  花期:3から4月。
 
 花色:赤、桃色、白、紅白咲き分け  花径:3~5cm
 
 一重、八重咲きがあり、樹形は立性で、枝垂れ性、ほうき立ち性、矮性などもあります。


ウェブニュースより
 
仲邑菫さんにプロ免状授与 囲碁、最年少デビューへ ―― 4月に史上最年少でプロ入りする仲邑菫さん(10)は26日、東京都千代田区の日本棋院で開かれた同棋院の合同表彰式で、プロ初段免状を受け取った。門出を迎えた菫さんは記者会見で「世界で戦える棋士になりたい」と時折、笑顔を見せた。
 
 
式では一礼して免状を受け取った菫さんだったが、報道陣のために、授与をやり直す一幕もあった。菫さんは同棋院が世界での巻き返しを目指して新設した「英才枠」でプロになることが決まり、注目を集めている。
 
今回、免状を授与された新初段は菫さんを含めて13人。2月に小学6年でプロ入りを決めた上野梨紗さん(12)も出席した。   (一般社団法人共同通信社 2019/3/26 18:063/26 18:08updated


 

ウェブニュースより
 
大相撲春場所 千秋楽の結果 ―― 大相撲春場所は千秋楽の24日、横綱白鵬が結びの一番で横綱鶴竜に勝って全勝として、3場所ぶり42回目の優勝を果たしました。
中入り後の勝敗
▼琴勇輝に豊ノ島は、豊ノ島が押し出し。
▼大翔鳳に矢後は、大翔鳳が上手投げ。
▼松鳳山に千代翔馬は、松鳳山が押し出し。千代翔馬は負け越しです。
▼照強に勢は、照強が引き落とし。
▼佐田の海に豊山は、佐田の海が寄り切り。
▼竜電に琴奨菊は、竜電が寄り切り。竜電は10勝目です。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/kofu/20190324/1040005935.html
▼朝乃山に琴恵光は、琴恵光がすくい投げ。朝乃山は負け越しです。
▼石浦に宝富士は、宝富士が送り出し。宝富士は勝ち越しです。
▼碧山に友風は、碧山が突き倒しで勝って12勝目を挙げました。
 
▼輝に阿炎は、阿炎がはたき込み。阿炎は勝ち越しです。
▼隠岐の海に嘉風は、隠岐の海が押し出し。隠岐の海は勝ち越しです。
▼千代大龍に妙義龍は、千代大龍が押し出し。千代大龍は勝ち越しです。
▼大栄翔に逸ノ城は、逸ノ城がはたき込みで勝って14勝目を挙げました。大栄翔は負け越しです。
 
▼明生に遠藤は、遠藤が上手出し投げ。魁聖に栃煌山は栃煌山が寄り切り。
▼阿武咲に新小結 北勝富士は、北勝富士が押し倒し。
▼小結 御嶽海に錦木は、御嶽海が押し出し。
 
▼正代に関脇玉鷲は、正代が突き落とし。
▼角番の大関 栃ノ心に関脇 貴景勝は、貴景勝が押し出しで勝って10勝目を挙げました。
 
 
日本相撲協会は、春場所後に貴景勝の大関昇進に向けた臨時の理事会を開催することを決め大関昇進が確実になりました。
 
栃ノ心は負け越しで、大関の座から陥落することになりました。栃ノ心は、新大関となった去年の名古屋場所からわずか5場所での陥落となりました。
▼大関どうし高安に豪栄道は、豪栄道が突き落としで勝って12勝目を挙げました。
 
    横綱 白鵬に横綱 鶴竜は白鵬が下手投げで勝ちました。白鵬は全勝で3場所ぶり42回目の優勝です。
 
各力士の談話
 
通算900勝目で千秋楽に勝ち越しを決めた現役の関取最年長、40歳の十両 安美錦は、「冷静にしっかり相撲を取れた。どうやって勝つのかわからない状況で自分の相撲が帰ってきた。今場所が最後になるかもしれない、もうダメかと思う中で、最後まで取りきった」と振り返り、「引退がよぎったか」という報道陣の問いには、「今に始まったことじゃない。大阪でこんなことがあったとかいろんなことが湧いてきて大阪が最後の土俵になる予感がしていたけれど、積み重ねだからね」と答えていました。
 
10勝目をあげた竜電は、「攻めていたのでよかった。番付が上がるので次に向けて立ち合いの鋭い相撲をしっかりできたら」と充実感を漂わせながらも冷静に話していました。24日勝って3回目の敢闘賞を受賞した碧山は、「『負けない』という気持ちでうまく対応できた。こんなにいい場所を過ごせたのは初めてで、迷いなく落ち着いて相撲を取れた。来場所もしっかり稽古して頑張る」と満足げに力強く語りました。
 
14勝目をあげ、2回目の殊勲賞を受賞した逸ノ城は横綱 白鵬が勝って、優勝を逃した取組を見届けると、「フーッ」と息を吐いてから目を閉じ、「きょうは結構、緊張したが、しっかり勝って結果を待つという気持ちだった。今場所は、体が思いどおりに動き、前に出る動きがよかった。今場所の気持ちを覚えていて、やっていきたい」と話していました。   (NHK WEB NEWS 2019324 1925分)


 

ウェブニュースより
 
大相撲春場所 志摩ノ海が2場所連続の十両優勝 ―― 大相撲春場所の十両は14日目の23日、三重県出身の志摩ノ海が2場所連続となる優勝を果たしました。
 
春場所の十両は、ただ1人2敗の木瀬部屋の志摩ノ海を星の差2つの4敗で千代丸と隆の勝の2人が追う展開で14日目を迎えました。
 
志摩ノ海は23日、千代の海と対戦し押し出しで勝って12勝2敗として、千秋楽を待たずに2場所連続となる十両優勝を果たしました。
 
 
志摩ノ海は三重県出身の29歳。明徳義塾高校と近畿大学ではアマチュア相撲で活躍し、平成24年の夏場所、前相撲で初土俵を踏み、平成28年の名古屋場所で十両に昇進しました。
 
一時、番付を幕下に落としましたが、先場所は13勝2敗で初めての十両優勝を決め、東の十両筆頭で迎えた今場所も2日目から10連勝するなど徹底した突き押しで白星を重ねて優勝を果たしました。
 
志摩ノ海は23日の相撲で左目を腫らしながらも「親方から常に言われていることを守り、押しに徹することができた。けがをしてつらい時期もあったが、周囲の人たちに声をかけてもらい腐らずに頑張ってきてよかった」と笑顔で話しました。
 
志摩ノ海は来場所の新入幕が確実となり「幕内は別格で、強い人たちの集まりなので自分の相撲が通用するかどうか楽しみです」と話していました。   (NHK WEB NEWS 2019323 1758分)


 大相撲春場所14日目 白鵬が全勝 星の差1つで千秋楽へ ―― 大相撲春場所は14日目、横綱 白鵬が大関 高安に浴びせ倒しで勝って全勝としました。全勝の白鵬と1敗を守った平幕 逸ノ城が星の差1つのまま24日の千秋楽を迎えます。一方、大関昇進がかかる関脇 貴景勝は敗れて5敗目を喫しました。
中入り後の勝敗
▼十両の貴源治に石浦は、貴源治が押し出し。石浦は負け越しです。
▼琴恵光に照強は、照強が寄り切り。琴恵光は負け越しが決まりました。
▼大翔鵬に竜電は、竜電が寄り切り。大翔鵬も負け越しです。
▼友風に松鳳山は、友風がはたき込み。松鳳山の負け越しが決まりました。
▼矢後に千代翔馬は、矢後が寄り倒し。
▼勢に豊山は、勢が寄り切りで2勝目を挙げました。
 
▼輝に朝乃山は、輝が押し出し。
 
▼琴奨菊に嘉風は、琴奨菊が押し出しで勝って11勝目を挙げました。

▼明生に碧山は、碧山がはたき込みで11勝目。
▼宝富士に豊ノ島は、豊ノ島が肩すかし。
▼正代に佐田の海は、正代が上手出し投げ。
▼阿炎に大栄翔は、阿炎が引き落としで勝ちました。
▼妙義龍に隠岐の海は、妙義龍が首投げ。
▼阿武咲に魁聖は、魁聖が寄り切り。
▼遠藤に錦木は、遠藤が突き落とし。
▼千代大龍に小結 御嶽海は御嶽海が寄り切りで勝ちました。
▼新小結 北勝富士に栃煌山は、北勝富士が押し出し。
▼逸ノ城に関脇 貴景勝は、逸ノ城がはたき込みで勝って1敗を守りました。貴景勝は5敗目を喫しました。
 
▼関脇 玉鷲に角番の大関・栃ノ心は、栃ノ心が押し出しで7勝目。24日に勝ち越しをかけて貴景勝と対戦します。
 
▼大関・高安に横綱 白鵬は、白鵬が浴びせ倒しで14連勝としました。
 
▼横綱 鶴竜に大関 豪栄道は、豪栄道が寄り切りで11勝目。鶴竜は4敗目を喫しました。


大相撲春場所は14日目を終えて全勝が横綱 白鵬、1敗で平幕 逸ノ城となり、優勝争いは、星の差1つのまま千秋楽に持ち込まれました。
 
24日は、逸ノ城が大栄翔と対戦し、白鵬は結びの一番で横綱 鶴竜と対戦します。


逸ノ城「あすの一番に集中」
 
琴奨菊は11勝目に「いい相撲だね。コンディションはきのうのほうがよかったので、何が正解かわからないね」と充実している様子でした。
 
豊ノ島は4勝目、「体が反応した。タイミングがよかった。ちょっとでも押し込んで、簡単にはいかないと思ったがね」と話していました。
 
1敗を守った逸ノ城は「しっかり当たれている。あすの一番に集中して」と淡々と話していました。
 
5敗目を喫した貴景勝は、「悪くはなかったですがあす1日、できることをやるだけです。あす集中していきます」と話していました。
 
千秋楽に勝ち越しをかける角番の大関・栃ノ心は、「思い切りやろうと思ってやった。あすですね。最後だし緊張すると思うが、集中してやりたい」と意気込みを話しました。
 
ただ1人全勝の横綱 白鵬は「立ち合いがちょっと合わなかったですね。合わせようと思ったが…。でも最後に合ったので…。あしたまた頑張ります」と淡々と話していました。
 
敗れた横綱 鶴竜は「もっと当たりたかったがね。しっかり15日間務めるのが大事なことだ。あすいい相撲を取りたい」と話していました。   (NHK WEB NEWS 2019323 2013分)


 

ウェブニュースより
 
大相撲春場所13日目 貴景勝 連敗止め9勝目 ―― 大相撲春場所は13日目、大関昇進がかかる関脇 貴景勝は、大関 高安に押し出しで勝って連敗を止め、9勝4敗としました。一方、優勝争いは、横綱 白鵬がただ1人全勝で、23日に1敗の逸ノ城が敗れ、白鵬が勝てば、千秋楽を待たずに白鵬の42回目の優勝が決まります。
中入り後の勝敗です。
▼石浦に大翔鵬は、大翔鵬がきめ出しで勝ちました。
▼照強に十両の琴勇輝は、照強が押し出し。
▼竜電に千代翔馬は、千代翔馬が寄り切りで7勝目。
▼琴恵光に矢後は、矢後が寄り切り。
▼松鳳山に豊山は、松鳳山が押し出しで勝ちました。
▼佐田の海に豊ノ島は、佐田の海が寄り切り。
▼明生に琴奨菊は、明生が上手出し投げで勝ちました。琴奨菊は3敗目を喫しました。
▼朝乃山に友風は、友風が上手投げ。友風は新入幕で勝ち越しを決めました。
 
▼輝に宝富士は、宝富士がひっかけで勝って7勝目。
▼碧山に嘉風は、嘉風が送り出しで10勝目。碧山は10勝3敗となりました。
▼勢に阿炎は、阿炎が引き落とし。
▼隠岐の海に正代は、正代が寄り切り。
▼錦木に栃煌山は、錦木がきめ出し。
▼大栄翔に阿武咲は、大栄翔が押し出しで7勝目。敗れた阿武咲は、負け越しが決まりました。
▼魁聖に遠藤は、取り直しの一番を制して遠藤が寄り切り。
▼妙義龍に新小結 北勝富士は、北勝富士が引き落とし。敗れた妙義龍は負け越しです。
▼小結 御嶽海に逸ノ城は、逸ノ城がはたき込みで12勝目1敗を守りました。一方、御嶽海は、13場所続けて三役を務めましたが、負け越しです。
 
▼千代大龍に関脇 玉鷲は、千代大龍が押し出しで7勝目。玉鷲は負け越しです。
 
▼大関 高安に関脇 貴景勝は、貴景勝が押し出しで勝って連敗を止め、9勝目をあげました。敗れた高安は3敗目です。
 
▼角番の大関 栃ノ心に横綱 鶴竜は、鶴竜が寄り切りで勝って3敗を守りました。栃ノ心は7敗目で、大関の地位を守るためには1敗もできなくなりました。
 
▼横綱 白鵬に大関 豪栄道は、白鵬が寄り切りでただ1人13連勝です。豪栄道は3敗に後退しました。
 
 
大相撲春場所は、13日目を終えて、全勝が横綱 白鵬、1敗で平幕 逸ノ城が追う展開です。23日に逸ノ城が敗れて、白鵬が勝てば、千秋楽を待たずに白鵬の42回目の優勝が決まります。


審判部長「貴景勝 あと2日見ないと…」
 
関脇 貴景勝が大関 高安に勝った一番について、大関昇進の議論を預かる日本相撲協会審判部の阿武松審判部長は「いい相撲だった。こういう緊迫した場面でああいう相撲を取れるのはすばらしい。気持ちを切らしていないというのがわかる」と評価しました。
 
貴景勝はこれで9勝4敗となり、直近3場所の勝ち星の合計が大関昇進の目安とされる33勝に達しましたが、阿武松審判部長は「やはり、あと2日見なければわからない」と述べるにとどまりました。   (NHK WEB NEWS 2019322 1849分)


 

プロフィール
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目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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