春服の色教へてよ揚雲雀 太宰 治
■「太宰治と俳句」というと、エーッ? と思われるかもしれません。確かに、「太宰治全集(全13巻)」の第11巻「俳句」の項には、「旅人」と題した連句の発句を含めて太宰の句は16句しか掲出されていませんし、太宰の作と認められるのは33句ほどでしょうか。しかし、太宰の文体と俳句は密接な関係にあるのです。
■昭和2年に芥川龍之介が青酸カリを服毒して自殺した時、太宰は弘前高等学校の1年生で、いわゆる芥川の辞世の句「水洟や鼻の先だけ暮れのこる」を、ノートのあちこちに書き連ねています。太宰は芥川に心酔し、芥川を芸術至上主義の理想としていたのです。当時の太宰には、顎の下に手を添えた芥川と同じポーズをとった写真が多数見られますし、芥川になぞらえて、“芹川麟一郎”や“小川麟一郎”の筆名も考えていたようです。
■太宰は、やがて学業を放棄して、義太夫を習い、花柳界に出入りし、青森の料亭で15歳の芸妓紅子・小山(おやま)初代と知り合います。
■このころの太宰の俳句に、
大川端道化に窶〈やつ〉れ幇間の
幇間の道化窶れやみづつぱな
などがあります。これらは“衆二”の名で蔵書の表紙裏などに記されていたもので、中学から『蜃気楼』『細胞文芸』では、主に“辻島衆二”の名義を使っていました。その後は、『弘高新聞』や『猟騎兵』『座標』等に、“大藤熊太”や“小菅銀吉”の名義で左翼傾向の作品を書いています。
■ちなみに、“太宰治”の筆名の由来には、「高校の同級生太宰友次郎説」「ダダイズム説」「ダァ・ザイン(da sein =そこに存在すること)説」「堕罪説」など諸説がありますが、「友人と考えた」としか本人は語っていません。
■明治42年6月19日、津軽の大地主で、のちに貴族院議員となる父津島源右衛門、母タ子(たね)の第10子・六男として、太宰は青森県北津軽郡金木村に生まれました。長兄総一郎・次兄勤三郎の二人が夭折し、弟も早く亡くなり、芥川の境遇に似て、叔母のキヱ(きゑ)を実母のごとくにして育てられ、早熟で異常に感受性の強い子供でした。16歳のころから、同人雑誌に小説やエッセイを書きはじめています。太宰が14歳の時、父の源右衛門が病没し、三男の文治が家督を継ぎます。
■昭和4年12月、カルモチンを服用して、太宰は最初の自殺未遂を起こします。自分の出身階級に悩んでのことといわれていますが、太宰自身は、“微笑するだけ”で答えていません。翌年の4月、21歳で東京大学フランス文学科に入学、かねてから尊敬していた「山椒魚」の作者井伏鱒二に弟子入りします。青森から初代を呼び寄せ、同棲。11月24日に兄文治が小山家と結納を交わしますが、翌日、銀座のカフェの女給田部あつみ(シメ子・19歳)と出会い、3日間を共に過ごした後、神奈川県の小動崎(こゆるがさき)の岩の上で心中を図ります。シメ子は死亡、太宰は一命を取り留め、翌12月、青森で初代と仮祝言をあげます。
■しだいに左翼運動に傾倒し、昭和10年、太宰は授業料未納により大学を除籍、都新聞社の入社試験にも失敗し、3月16日、鎌倉八幡宮の山中で縊死を企てますが未遂におわります。その直後、盲腸炎から腹膜炎を併発し、入院先で鎮痛のために使用した麻酔剤(パビナール)をきっかけにして、薬物の中毒地獄に陥ります。
■太宰の自伝的な作品「東京八景」に昭和7年「朱鱗堂と号して俳句に凝つたりしてゐた」とあり、また、同年8月12日の沼津から青森の親戚・小館善四郎に宛てた書簡に、「一昨晩近所の俳句好きの青年たちと俳句に就いて語り合ひました」とあります。相当に俳句に入れ込んでいたことがわかります。
このころの太宰の句に、
旅人よゆくて野ざらし知らやいさ
今朝は初雪あゝ誰もゐないのだ
亀の子われに問へ春近きや
老ひそめし身の紅かねや今朝の寒
などがあり、孤独感が漂う、破調の句が目立ちます。
ウェブニュースより
藤井七段、連勝新記録ならず=昇級も持ち越し-将棋・順位戦 ―― 将棋の最年少棋士、藤井聡太七段(16)が5日、大阪市で指された第77期名人戦・順位戦C級1組の対局で近藤誠也五段(22)に負け、今期8勝1敗とした。藤井七段はデビュー以来、順位戦で勝ち続けていたが、連勝記録は1月に中原誠十六世名人(71)と並んだ史上最長タイの18連勝で止まった。
https://www.youtube.com/watch?v=Y9r4OO4fHVs
師匠の杉本昌隆七段(50)も同日、同組で船江恒平六段(31)と対局して負け、8勝1敗とした。この日、師弟共に勝てばそろってB級2組への昇級が決まったが、これで4人が8勝1敗で並び、昇級者決定は3月5日の最終戦に持ち越しとなった。
https://www.youtube.com/watch?v=cfwgf5xUco4
藤井七段は「昇級は他力の状況になってしまったが、最後の1戦に全力を尽くしたい」と話した。 (時事通信社 2019年02月05日23時59分
昨日は節分、グレゴリオ暦での最初の節分となった1873年から22世紀初頭までの具体的な日付は表のようになります(重複している年はどちらの欄を使っても正しい日付が出ます)。節分の日付は数十年のスケールで徐々に前倒しになってきますが、4で割り切れても閏年とならない1900年、2100年、2200年……の翌年に1日遅れて帳消しとなるようです。
江戸時代以降からは「節分」といえば立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多く、これは旧暦の新年の始まりに相当する「立春」の前日にあたる節分がもっとも重要視されたためだと考えられています。
1984年までは、4年に1度の閏年は2月4日が節分でしたが、2025年から(2021年からになる可能性あり)は閏年の翌年に2月2日が節分になります。
立春は太陽黄経が315度となる日てす。したがって、天体の運行に基づいているので、日付は年によって異なり、また未来の日付は軌道計算に基づく予測しかできないようです。
因みに、私は1932(昭和7)年2月4日の生まれです。1932年2月4日は節分だったので、節夫なんて名前を付けられました。お袋は、學校へ行くようになったら皆から「セッチン」なんて呼ばれるから可哀想だと反対したそうですが、全くその通りになりました。
節分に豆をまく「豆まき」の行事は、「追俄(ついな)」と呼び、中国から伝わっ た風習です。魔(マ)を滅(メっ)するから、マメを撒くのだといいます。
「追俄(ついな)」の行事は、俗に「鬼やらい」「なやらい」「鬼走り」「厄払い」「厄おとし」「厄神送り」と呼ばれ、疫病などをもたらす悪い鬼を追い払う儀式で、日本では文武天皇の慶雲3年 (706) に宮中で初めて行われたといわれています。
豆は「煎った大豆」でなければなりません。生の豆は、そこから芽が出てきます。「魔」から目が出てくるということで、大変、縁起が悪いとされています。
鰯(いわし)の頭を、柊(ひいらぎ)の小枝に刺して戸口に挿す風習いわゆる「柊いわし」は、近世以降行われるようになったものです。西日本では、節分に鰯を食べる習慣があるようです。
鰯を焼くと出る激しい煙と臭いで邪気を追い払い、そして柊の針で鬼の眼を刺すという魔よけの意味があります。主に西日本では鰯を食べる習慣がありますが、これは節分いわしに由来しています。
節分に「恵方巻」を食べる風習は、福を巻き込むという意味と、縁を切らないという意味が込められ、恵方(えほう)に向かつて巻寿司を丸かぶりします。
願い事をしながら恵方巻を食べる場合には、恵方巻を食べている間は願い事がかなうように祈り続けるために恵方巻を食べている間はしゃべってはいけない事になっているようです。主に大阪の船場で行われていた風習のようですが、大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行っ た「巻き寿司のまるかぶり」のPRイベントがマスコミに取り上げられて関西地方に広まり、のちにコンビニ等でも販売され全国ヘ広まっていきました。
恵方巻の名称は1998年(平成10年)にセブン-イレブンが全国発売にあたり、商品名に採用したことによるとされています。それ以前は「丸かぶり寿司」などと呼ばれておりました。
「恵方巻」の認知度も年々上がってきており、いまやほとんどの人が知っており、「豆まき」よりも「恵方巻を食べる」ほうが、上回っています。
いまや、「恵方巻」市場は150億円を超える市場になっており、スーパーやコンビニエンスストアでも無視できない商品になっているようです。
「恵方巻」は、ネーミングの多様化、高級ネタ化、スリム化、キャラクター使用そして、変わり種として「恵方ロールケーキ」「恵方ロールサンド」「恵方飲み(日本酒)」など更に、ヒートアップしそうである。
恵方巻を食べる時に向く方角は、その年の福徳を司っている歳徳神(としとくじん)という神様がいる方向に向かって行います。この歳徳神が居る方向は、基本的には、4つの方角になるようです。
ウェブニュースより
サッカー、日本は5度目Vならず カタールに1―3で敗れる ―― 【アブダビ共同】サッカーのアジア・カップ最終日は1日、アラブ首長国連邦(UAE)のアブダビで決勝が行われ、日本がカタールに1―3で敗れ、2大会ぶり5度目の優勝はならなかった。自国開催する2022年のワールドカップ(W杯)に向け強化を図るカタールは初の決勝進出でアジア制覇を果たした。
国際サッカー連盟(FIFA)ランキング50位の日本は同93位のカタールに前半、2点を先行された。後半に南野(ザルツブルク)のゴールで1点を返したが、PKで追加点を許した。16強入りした昨年のW杯ロシア大会後に就任した森保監督は12戦目で初黒星を喫した。 (東京新聞 2019年2月2日 01時12分)
「日本は攻撃の道筋を見失なった」AFC公式が歴史的結末となったアジアカップ決勝を詳報! ―― 「カタールにとっては記録づくめの歴史的な夜」 現地時間2月1日、UAE・アブダビで行なわれたアジアカップ2019決勝。日本代表がカタール代表と雌雄を決した頂上決戦は、1-3の完敗に終わった。
立ち上がりから緩やかにボール支配を高めた森保ジャパンだったが、縦へのクサビのパスがなかなか入らず、攻撃に閉塞感が生まれる。すると12分、カウンターからアルモエズ・アリに鮮やかなバイシクルをねじ込まれて被弾。さらに27分にはアブデルアジズ・ハティムに強力な左足ミドルを決められ、まさかの2点リードを奪われてしまう。
パススピードを速めて敵を左右に揺さぶり、FKやCKからも好機を探った日本だが、決定的なチャンスを掴むには至らない。フラストレーションが募る形でハーフタイムを迎えた。
後半は運動量が落ちた相手に対して、ボール支配をグッと高め、日本はさらに攻勢を強めた。そしてようやく69分に南野拓実のゴールで1点を返し、そこから一気に畳みかけたかったが……。83分にVARから吉田麻也のハンドでPKを献上し、スコアを1-3とされて万事休す。2大会ぶりのアジア制覇は露と消えた。
カタールが凱歌を上げた一戦を速報でレポートしたのが、AFC(アジア・サッカー連盟)の公式サイトだ。「カタールが歴史的なタイトルをもぎ獲る」と題して、マッチレポートを掲載。要約してお伝えしよう。
「カタールにとってはまさに記録づくめの夜となった。初のファイナルは、アリの大会新記録となる9得点目で幕を開け、ハティムのセンセーショナルなゴールでリードを広げた。ミナミノのゴールで1点差に詰められてしまうが、チーム一丸となって敵に傾きつつあった流れを食い止め、PKでふたたび2点差としたのだ。歴史的な勝利に歓喜が弾けた!」
一方で日本代表については、「いつも通りの分厚い攻撃を仕掛けたものの、カタールが築いた5バックの人垣を打破できなかった」と指摘し、「相手守備陣が隙を与えてくれず、数多のコーナーキックでチャンスを掴んだもののひとつもゴールに結びつけられなかった。日本の攻撃は、どこか道筋を見失なっていたようだ」と評している。
無念にも準優勝で大会を終えた森保ジャパン。この敗北を糧とし、いかに強化を進めていくのか。3月下旬の国際Aマッチウイークではコロンビア、ボリビアの南米勢を迎え、6月のコパ・アメリカに備える。 (サッカーダイジェストWeb編集部 2019年02月02日)
ウェブニュースより
月・木・金、そろって天体ショー 東京スカイツリー周辺 ―― 月と木星、金星が1月31日の夜明け前、南東の空で「共演」した。東京スカイツリー(東京都墨田区)の周辺では、塔本体を挟んで細い月の下に木星、左に金星が輝く天体ショーが見られた(写真は午前5時54分、佐藤純哉さん撮影)。
国立天文台によると、天気がよければ2月1日未明には金星の下に月が見えるという。 (朝日新聞DIGITAL 1/31(木) 23:04配信)
小山田古墳、最大級方墳と判明 被葬者は天皇か蘇我氏か ―― 2014年に養護学校の建て替え工事に伴って発見され、7世紀中ごろに造られた未知の古墳とされる奈良県明日香村の小山田(こやまだ)古墳について、方形の古墳(方墳)の南辺の長さが80メートル以上になることがわかった。県立橿原(かしはら)考古学研究所(橿考研)が31日発表した。千葉県栄町の岩屋古墳(長辺約78メートル、7世紀)や、各地の天皇陵を上回り、飛鳥時代の国内最大規模を誇る巨大方墳だったとみられる。天皇陵なのか、あるいは豪族・蘇我氏の墓なのか。被葬者像をめぐる議論にも弾みがつきそうだ。
橿考研によれば、昨年12月下旬から古墳の西南端付近にあたる約64平方メートルを発掘調査し、墳丘西端と想定される裾部がみつかった。14年の調査では古墳北辺に石張りの大きな掘割(ほりわり、濠〈ほり〉)が出土。北辺の長さは約70メートルとされたが、今回、南辺の長さは80メートルを超えることが明らかになった。
また、結晶片岩や「榛原(はいばら)石」の板石の破片も多数みつかった。14年の調査でも、北辺の掘割の斜面に結晶片岩と榛原石が階段状に積み上げられた遺構が出土し、西辺でも同じように板石が積み上げられた可能性が高いとみられる。
小山田古墳の規模は、聖徳太子の父、用明(ようめい)天皇陵とされる大阪府太子町の春日向山古墳(長辺66メートル)や、蘇我馬子(うまこ、?~626年)の墓とされる奈良県明日香村の石舞台古墳(一辺約50メートル)などを上回る。
小山田古墳の被葬者像をめぐっては、飛鳥時代前半に即位した舒明(じょめい)天皇(在位629~641年)と、天皇をしのぐほどの権力を持ったとされるが、645年の大化改新で滅ぼされた蘇我蝦夷(えみし)とする見方がある。舒明天皇説は「日本書紀」の記述をもとに、最初に小山田古墳に葬られた後に奈良県桜井市の段ノ塚(だんのづか)古墳(押坂内陵〈おさかのうちのみささぎ〉)に改葬されたと主張。蝦夷説も「日本書紀」が伝える蝦夷と入鹿(いるか)の親子が生前に造ったとされる「双墓(ならびのはか)」のうち、蝦夷の墓とされる「大陵(おおみささぎ)」が小山田古墳だったとみる。
舒明天皇説を主張する木下正史・東京学芸大学名誉教授(考古学)は「飛鳥の中心部から離れた新たな宮殿の百済宮(くだらのみや)や国内最古の国家寺院の百済大寺(くだらのおおでら)を造営するなど、政治の中心にいた舒明天皇にふさわしい大きさだ」。一方、蘇我蝦夷説の立場をとる白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長(考古学)は「蝦夷が天皇墓より大きな古墳をつくるぐらいの権力を持っていたのでは」とみる。 (朝日新聞DIGITAL 2019年1月31日19時16分)
ウェブニュースより
藤井七段に敗れた中村六段、ドレッドヘア「なりゆきで」 ―― 将棋の高校生棋士、藤井聡太(そうた)七段(16)が30日、大阪市福島区の関西将棋会館で指された第45期棋王戦(共同通信社主催)の予選で中村亮介(りょうすけ)六段(33)に82手で勝った。藤井七段はこれで公式戦10連勝。2018年度の成績は43対局を戦って37勝6敗、勝率は8割6分0厘となった。中原誠十六世名人(71)が1967年度に達成した歴代勝率1位(47勝8敗、勝率8割5分5厘)の記録を更新する可能性もある。
対局は午前10時に始まり、午後7時13分に終局した。終局後、藤井七段は「中盤で少し誤算があって、自信の無い展開になってしまった。最後はなんとか逃げ切り、しのぐことができたかなと思います」、中村六段は「結構、大変(難しい形勢)かなと思ったんですが。最後は、あまされちゃった感じですね」と振り返った。
https://www.youtube.com/watch?v=376klJ1S_a4
藤井七段の次の対局は2月5日、名人戦(朝日新聞社、毎日新聞社主催)の予選にあたるC級1組順位戦で近藤誠也五段(22)と対戦する。藤井七段にとって順位戦で通算19連勝という新記録がかかるほか、自らと師匠の杉本昌隆七段(50)がそろって勝てば、師弟での昇級も決まる。藤井七段は「重要な対局です。順位戦なので先手後手があらかじめ決まっているので、準備をするのはもちろんなんですが、何より、いつもと変わらず、落ち着いた気持ちで臨めれば、と思っています」と話した。ドレッドヘアでの対局について質問された中村六段は「たいした意味はないんです。(「気合を入れた?」と問われて)まあ、そうだったんですけど、完敗でしたね。(「この日のために?」と問われて)いや、そんなことではないんです。(髪を)伸ばしてたんで、なりゆきで……」と答えた。
ログイン前の続き棋王戦は、将棋界に八つあるタイトル戦の一つ。全棋士と女流名人、アマ名人が参加。予選がトーナメントで行われ、その通過者とシード者で挑戦者決定トーナメントが行われる。挑戦者決定トーナメントはベスト4以上は2敗失格制で、敗者復活戦がある。挑戦者決定戦は変則二番勝負で、勝者組の優勝者は2局のうち1回勝てば挑戦権を獲得できるが、敗者復活戦の優勝者は2連勝が挑戦の条件となる。挑戦者と棋王は、例年2~3月に五番勝負を行っている。
藤井七段が対局した予選は、2020年2~3月に予定される第45期棋王戦五番勝負の挑戦者を決める戦い。その予選には141人が参加し、8組に分かれてトーナメントを戦っている。藤井七段はデビュー以来、棋王戦は2期連続で予選を突破したが、挑戦者決定トーナメントの初戦で敗退。今回が3期目。
藤井七段のデビュー以来の通算成績は126対局を戦い、108勝18敗となった。
一方、今年2~3月に行われる第44期棋王戦五番勝負では、渡辺明棋王(34)に広瀬章人(あきひと)竜王(32)が挑戦する。 (朝日新聞DIGITAL 佐藤圭司 2019年1月30日22時41分)
ウェブニュースより
半端ないって!やっぱり大迫!頭&PK弾で日本決勝 ―― <アジア杯:日本3-0イラン>◇準決勝◇28日◇UAE・アルアイン
日本(FIFAランキング50位)が準決勝でイラン(同29位)に3-0で完勝し、2大会ぶり5度目の決勝に駒を進めた。0-0の後半11分にFW大迫勇也(28=ブレーメン)が頭で先制点を奪うと、22分にはPKを決めて2点目。同じく2得点した初戦トルクメニスタン戦以来5試合ぶりの先発で、今大会5戦無失点のイランを粉砕した。2月1日の決勝は、UAE対カタールの勝者と最多5度目の優勝をかけて戦う。
半端ないって。やはり決めたのは大迫だった。スコアレスで迎えた後半11分、MF南野の左クロスに頭を合わせる。アジア最高の呼び声高いGKベイランバンドの手前に飛び込むと、額でとらえたボールは日本サポーターの目の前でネットに突き刺さった。今大会の全5試合で完封してきたイランの鉄壁をぶち破った。
その直前、南野をファウルで倒したと勘違いした相手DFが足を止めた。その隙を逃さない。南野はボールを追ってクロスを放り込み、大迫はDF背後にポジションを取り直していた。「大一番で、アジア杯で1番の試合ができたので自信にもなる」。中東まで応援に駆けつけた、観客席のモデル三輪麻未夫人と長女の前で復活の一撃を決めた。
高校時代は「頭で決めた記憶がなかった」が「鹿島時代はもう練習、練習」の日々で無心に頭を振った。ドイツでは猫背を矯正。背筋のバランスから呼吸法まで見直し、個人トレーナーとは週2回、体幹や横隔膜を鍛えた。風船を膨らませながら、ストローをくわえて呼吸を制限しながら、の腹筋でバランスが安定。空中戦で、ぶれなくなった。
11分後には、イランを絶望に追いやる2点目を奪った。南野が得たPK。後輩の左足シュートが滑り込んだ相手DFの左手に当たった。主審がビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)で確認も、判定は変わらない。大迫は、迷わずボールを手にペナルティースポットへ向かった。森保監督からキッカーに指名されている。ベイランバンドの動きを読み、右足でGKとは逆のゴール右へ沈めた。
2点とも、決めた後は迷わずベンチへ走った。今大会、練習をともにすることが多かったサブ組のところへ。昨年末のリーグ戦で右臀部(でんぶ)を痛め、今大会の初戦で2得点した代償として再発した。以来、歩いても痛みがある状態からリハビリを始め、ピッチに戻ってからはサブ組と練習。一体感も高めてきた。
「(けがで)出場できない時間が続いていたので、チームのために点を取ろうと思っていた」。エースなのに出場できず「ふがいない気持ちが強かったので、今日はプレーで示したかった」と思いを爆発させた。
大迫の得点試合は、これで8勝2分けと不敗神話を更新。対アジアの公式戦39戦無敗だったイランも、半端ない大迫の前に屈するしかなかった。後半ロスタイムにはMF原口が左足で3点目。今大会初の複数得点差での完勝で、6連勝。日本が5度目のアジア頂点に王手をかけた。 〔1/29(火) 1:01配信 日刊スポーツ〕
ウェブニュースより
大相撲初場所千秋楽 玉鷲が13勝2敗で初優勝 ―― 大相撲初場所は千秋楽の27日、関脇玉鷲が勝って13勝2敗として初優勝を果たしました。
中入り後の勝敗です。
▽十両の貴源治に大翔丸は、貴源治が寄り切りで勝ちました。
▽輝に豊山は、輝が送り投げ。
▽矢後に阿炎は、矢後がはたき込み。
▽勢に朝乃山は、行司軍配差し違えで、朝乃山が上手投げで勝ちました。朝乃山は勝ち越しです。
▽佐田の海に大栄翔は、大栄翔が突き落とし。
▽竜電に琴恵光は竜電が寄り切り。琴恵光は負け越しです。
▽明生に阿武咲は、明生が寄り切り。明生は勝ち越しです。
▽千代大龍に宝富士は、宝富士が寄り切り。
▽大奄美に嘉風は、嘉風が寄り倒しで勝ちました。
▽琴奨菊に千代翔馬は琴奨菊が寄り倒し。
▽碧山に北勝富士は、北勝富士が押し出し。碧山は負け越しです。
▽正代に逸ノ城は、正代が寄り切り。
▽栃煌山に松鳳山は、栃煌山が押し倒し。
▽錦木に小結御嶽海は、錦木がきめ出し。
▽小結妙義龍に隠岐の海は、隠岐の海が寄り倒し。
▽遠藤に関脇玉鷲は玉鷲が突き落としで勝ちました。玉鷲は13勝2敗として初優勝を果たしました。
▽大関 高安に魁聖は、高安が寄り切りで勝ちました。
▽関脇 貴景勝に大関 豪栄道は、豪栄道が押し出しで勝ちました。貴景勝は敗れて11勝4敗となりました。
貴景勝「思い切りいったつもりが手が伸びなかった」
千秋楽の結びの一番で大関 豪栄道に敗れ、今場所を11勝4敗で終えた関脇 貴景勝は「自分なりに思い切りいったつもりだったが、手が伸びなかった」と悔しそうな表情を浮かべながら取組を振り返りました。今場所については「悪い成績ではなく全力でやりきった」としたうえで、来場所に向けては「もう少し実力を磨いていかないといけない。鍛錬していくだけです。頑張りたい」と話していました。 (NHK WEB NEWS 2019年1月27日 19時06分)
初優勝の玉鷲が殊勲・敢闘賞 大相撲初場所 ―― 大相撲初場所千秋楽の27日、三賞選考委員会が開かれ、13勝2敗で初優勝した関脇玉鷲が初の殊勲賞と敢闘賞に輝いた。三賞受賞は通算3度目。
3横綱全員を倒した小結御嶽海が4度目の殊勲賞に決まった。7日目から10日目まで休場し、11日目から再出場して勝ち越し。1947年秋場所の三賞制定後、休場した力士の受賞は初めてとなった。
新関脇で11勝を挙げた貴景勝は初の技能賞。2場所連続して三賞を獲得した。
(日本経済新聞 2019/1/27 20:30)〔共同〕
ウェブニュースより
大坂なおみ、全豪Vに「疲れました」 次なる目標は「全仏で優勝したい。次の目標はそこ」 ―― テニスの全豪オープン第13日が26日、オーストラリア・メルボルンで行われ、女子シングルス決勝で世界ランキング4位で第4シードの大坂なおみ(21=日清食品)は、第8シードのペトラ・クビトバ(28=チェコ)と対戦。7—6、5—7、6—4で勝利し、昨年の全米に続く4大大会優勝を飾った。
グランドスラム初優勝からの連覇は史上6人目、ジェニファー・カプリアティ以来18年ぶりの快挙。大会後の28日に発表される世界ランキングでは日本選手初の世界ランク1位となることが確定した。
コートでのセレモニー終了後、試合を中継したWOWOWの番組に生出演。インタビューに応じた。
——今の率直な気持ちを教えてください。
「信じられない気持ち。あとはとっても疲れましたね」
——ピンチの時のメンタルは。
「マッチポイントを失ったけど、これは現実と向き合わないといけないと思った」
——世界ランキング1位になるという目標がかなった。
「正直、ランキングのことは考えてなかった。この大会に優勝することだけ考えていた」
——次なる目標は。
「全仏で優勝したい。次の目標はそこです。どのトーナメントでもいいプレーがしたい」
——チーフスタッフへの思いは。
「スタッフにはメンタルの面で凄く助けてもらった。テニスだけに集中することができた」
〔スポーツニッポン 1月26日(土)21時18分〕
大相撲初場所 優勝決定はあすに ―― 大相撲初場所14日目、2敗の関脇玉鷲と3敗の関脇貴景勝がともに白星を挙げ、優勝争いはこの2人に絞られました。27日の千秋楽の一番で、玉鷲が勝てば初優勝が決まります。
中入り後の勝敗です。
▽琴恵光に輝の初顔合わせの一番は、琴恵光が網打ちで勝って7勝目を挙げました。
▽千代翔馬に佐田の海は、千代翔馬が上手投げ。
▽大奄美に宝富士の初顔合わせの一番は、宝富士が寄り切りで勝って勝ち越しを決めました。
▽矢後に魁聖の初顔合わせの一番は、魁聖が寄り切りで勝って10勝目を挙げました。
▽朝乃山に大翔丸は、大翔丸が押し倒し。
▽勢に竜電は勢が小手投げ。
▽大栄翔に豊山は、大栄翔が押し出しで勝って勝ち越しを決めました。敗れた豊山は負け越しです。
▽嘉風に明生は、明生が寄り切りで勝って7勝目です。
▽琴奨菊に正代は、正代が引き落とし。
▽松鳳山に阿炎は、阿炎がはたき込みで勝って10勝目を挙げました。
▽北勝富士に錦木は、北勝富士が肩透かしで勝って勝ち越しを決めました。敗れた錦木は負け越しです。
▽遠藤に栃煌山は、遠藤が突き出しで勝って10勝目です。
▽逸ノ城に阿武咲は、阿武咲が押し出しで勝って勝ち越しを決めました。敗れた逸ノ城は負け越しです。
▽千代大龍に小結 妙義龍は、千代大龍が押し出しで勝って勝ち越しを決めました。
▽隠岐の海に関脇 貴景勝は、貴景勝が押し出しで勝って3敗を守りました。
▽関脇 玉鷲に碧山は、玉鷲が押し出しで勝って2敗を守りました。
▽小結 御嶽海に大関 高安は、高安が寄り切りで勝って勝ち越しを決めました。
▽横綱 白鵬に大関 豪栄道は、豪栄道が不戦勝で勝ち越しです。白鵬は、右ひざなどのけがのため26日から休場しました。
初場所は14日目を終えて、2敗で玉鷲が単独トップ、3敗で貴景勝が追う展開で、優勝争いはこの2人に絞られました。27日の千秋楽で、玉鷲が平幕の遠藤に勝てば初優勝が決まります。 (NHK WEB NEWS 2019年1月26日 18時05分)
ウェブニュースより
大相撲初場所13日目 白鵬3連敗 玉鷲が単独トップ ―― 大相撲初場所13日目、横綱 白鵬が敗れ、3連敗を喫した一方、関脇 玉鷲が勝ちました。2敗を守った玉鷲は、優勝争いの単独トップに立ちました。
中入り後の勝敗
▽佐田の海に豊山は、佐田の海が上手投げで勝ちました。
▽琴恵光に阿炎の初顔合わせの一番は、阿炎が突き出しで勝ちました。
▽宝富士に大翔丸は、大翔丸が寄り切り。
▽魁聖に勢は、勢が寄り切りで勝って勝ち越しを決めました。敗れた魁聖は4敗に後退です。
▽千代翔馬に大栄翔は、大栄翔が押し倒し。敗れた千代翔馬は負け越しです。
▽竜電に大奄美は、大奄美が寄り切り。竜電は負け越しです。
▽新入幕の矢後に阿武咲の初顔合わせの一番は、矢後が引き落としで勝って勝ち越しを決めました。
▽千代大龍に明生の初顔合わせの一番は、千代大龍が押し出し。
▽輝に嘉風は、輝が押し出し。
▽碧山に遠藤は、碧山が突き落とし。敗れた遠藤は、4敗目を喫しました。
▽朝乃山に隠岐の海は、朝乃山が上手投げ。
▽錦木に松鳳山は、錦木が押し出し。敗れた松鳳山は負け越しです。
▽栃煌山に正代は、正代が押し出し。敗れた栃煌山は、負け越しが決まりました。
▽逸ノ城に小結 御嶽海は御嶽海が寄り切り。御嶽海は、けがから再出場での勝ち越しです。
▽小結 妙義龍に琴奨菊は、琴奨菊が寄り倒し。妙義龍は負け越しです。
▽北勝富士に関脇 玉鷲は、玉鷲がはたき込みで勝って2敗を守りました。
▽高安に豪栄道の大関どうしの一番は、豪栄道が寄り切りで勝ちました。
▽関脇 貴景勝に横綱 白鵬は、貴景勝が突き落としで勝って白鵬から初白星です。一方、白鵬は痛い3連敗です。
初場所は、13日目を終えて2敗の玉鷲が単独トップに立ち、3敗で白鵬と貴景勝が追う展開です。
貴景勝「力を出しきれた」 白鵬「疲れてきたのかな」
4連敗のあとの白星で勝ち越しを決めた新入幕の矢後は「ほっとしました。連敗中は、勝ちたい勝ちたいという気持ちがありすぎて、空回りしていました。師匠の尾車親方から『前に出ろ』とか『下がって相撲を取るな。押し返せ』とことばをいただきました。残り2日間なので全部勝つつもりでふたけた勝利を目指して頑張りたい」と、安心した様子でした。
けがから再出場し勝ち越しを決めた御嶽海は「左ひざのけがは、よくも悪くもない。あと二番、しっかり勝ちにいきたい。三役に残れるのは大きい。まだ終わっていないので気を引き締めたい」と話していました。
2敗で単独トップに立った関脇の玉鷲は「前に出られている。勝ち越しがかかったところが1番、緊張していたので、きょうは、緊張はなかった。勝ち負けよりも相撲内容に集中していて優勝は考えていない。残り2日、観客が見にきてよかったと思える相撲を取りたい」と話していました。
横綱 白鵬を破った関脇 貴景勝は「横綱に勝っているものはないので、気持ちだけを強く持とうとした。持っている力を出しきろうと思って出しきれた。いきなり頑張っても強くなれないから。あす、あさって、気持ちを切り替えることが大事だ」と大きな白星にもいつもどおり淡々と話していました。
一方、3連敗を喫した横綱 白鵬は「途中から引っ張り込もうと思いましたが、相手がうまかったですね。疲れてきたのかな。あと2日ですから一番、一番ですね」と、ため息交じりに話していました。 (NHK WEB NEWS 2019年1月25日 19時23分)
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