二日は例年のようにSI・IK・TKの諸氏とS夫妻が年賀に見え、午後は彼らと雑談で過ごしました。
昨日三日は道子の84歳(亥年)の誕生日でした。正月三が日の生まれとあって誕生日祝いはしてもらったことがないといいます。テレビの箱根駅伝で1日を過ごしました。
ウェブニュースより
東海大が初の箱根総合優勝、青学の5連覇阻む ―― 第95回東京箱根間往復大学駅伝競走(関東学生陸上競技連盟主催、読売新聞社共催)は3日、神奈川県箱根町の芦ノ湖駐車場入り口から東京・大手町の読売新聞社前までの5区間、109.6キロで復路が行われ、往路2位の東海大が8区で東洋大を逆転し、大会新記録の10時間52分9秒で初の総合優勝を果たした。史上3校目の5連覇を狙った青山学院大は復路を制したが、往路6位と振るわなかったのが響き、総合2位だった。
東洋大と1分14秒差でスタートした東海大は、8区の小松陽平(3年)が22年ぶりの区間新記録となる1時間3分49秒をマークして先頭に立ち、逃げ切った。最優秀選手(金栗かなくり杯)には小松が輝いた。 (YOMIURI ONLINE 2019年01月03日 19時23分)
ウェブニュースより
藤井聡太七段、“現役最強”豊島将之二冠に快勝! 2019年も大活躍の予感/将棋・新人王戦優勝記念対局 ―― 2019年も新たな“藤井フィーバー”到来を予感させる快勝劇だ。将棋界の最年少棋士・藤井聡太七段(16)が、“現役最強”との呼び声高い豊島将之二冠(28)と、新人王戦優勝記念対局で、89手で勝利した。昨年10月に優勝した新人王戦の優勝者が、トップ棋士と対戦する企画で、藤井七段は8つあるタイトルのうち、唯一複数冠を持つ豊島二冠に対して、相手の得意な戦型に果敢に飛び込むと、新たな工夫を繰り出して快勝。周囲からはタイトル獲得の最年少記録を期待される中、その可能性を大いに感じさせる勝利を挙げた。
確実に、天才棋士は将棋界の頂点に近づいている。そのことを証明するには十分な勝ちっぷりだった。非公式戦の記念対局とはいえ、最年少の天才棋士と、昨年初タイトルから一気に複数冠を手にした実力者の対決。AbemaTVで解説を務めた森内俊之九段(48)も、「今、最前線で戦われている2人の対局」と注目していた。その言葉どおり、戦いも現在の将棋界の最先端トレンドを行くものが採用され、その中にお互いの工夫が織り交ぜられた。この状況で、輝く一手を指し続けたのは藤井七段だった。森内九段が「本当に完璧な指し回し。見ていて本当に強いなと思いました。今年の活躍を予感させる対局だったかと思います」と絶賛する、会心譜となった。
https://www.youtube.com/watch?v=Ka-wHv-i_ME
対局後、藤井七段は公式戦、非公式戦で1回ずつ負けていた豊島二冠について「先の(8月の)棋王戦の時は完敗してしまって、豊島先生の強さというのは、普段の棋譜からも非常に感じていました」と語ると、「思い切りぶつかっていこうという気持ちで臨んだんですけど、もしかしたら本局も少し指せる展開になったかなというところで、なかなかそうはならなかったので、やはりそのあたりは、豊島先生の強さを感じました」と、快勝の中にも実力者の強さを肌で感じた。また豊島二冠は「序盤から押されるというか、棋王戦の時は割と自分の方がペースを握っていたと思うんですけども、今回の将棋は難しいような気もしたんですけど、自信がない局面が続きました」と16歳の天才の力を認めた。
今年は屋敷伸之九段(46)が持つ最年少でのタイトル挑戦(17歳10カ月)、さらには挑戦だけでなくタイトル獲得(18歳6カ月)の記録更新が期待される藤井七段。今年もその右手から放たれる一手に、目が離せない。 (AbemaTIMES 1/1(火) 17:50配信 )
皆さんおめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。
新聞によると東京の元旦の日の出は6時50分、初日が見られるのは30分ほど遅れます。午前7時に家を出て、隅田川に出てみました。遊歩道沿いの堤防に沿って、初日の出をカメラに収めようと沢山の人が並んでいます。
何とか列の中に割り込んで、初日の出を待ちました。7時30分、やっと初日見れました。俳句もどきのものを作ってみました。どうぞお笑いください。
年賀のメールが入りました。いずれも水門会のメンバーからです。一つに曰く、
あけましておめでとうございます
お健やかで お幸せな一年でありますように
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
台風や竜巻など災害が多発し 郷里でも被害を受けましたので
修復は子供にまかせ 隠居することにしました。
平成も終わりますが まだまだこれからですね。
2019年 元旦
NI
今一つに曰く、
あけましておめでとうございます。
平成も残り少なくなりますね。
お互い87歳を迎えます。
静かにして穏やかに日々を達者で過ごしましょう。
門司の連中ものどかに1日を大事に送っております。
時々メールしましょう。
平成31年1月正月
MN
今日は親父の命日です。
敗戦の年の昭和20(1945)年、私は13歳であったから、73年も前の事です。私の一家の門司の家は強制疎開にあい広島県の三次町の郊外の農家に借りた木小屋に床上げをして12畳の畳を敷いた粗末な、隙間から風が吹き抜ける部屋に祖母・父・母・長兄・姉・私の人が犇めくようにして暮らしていました。
父はずっと寝たきりの病人でしたが、町から5キロメートルも離れており、十分に医者に診せることも叶いませんでした。遺体になってからの診断によると死因は「肺結核」とありました。
近くの寺のお坊さんに来てもらって、家族5人と2・3の近所の農家の人が来てくれて、それこそ簡単な葬式を済ませました。
近所の大工さんに頼んで、棺桶と骨入れの木箱を作ってもらいました。
柩と農家から買い求めた薪を大八車に乗せ三次中学(現在の三次高校)の裏手にある火葬場まで、長兄が牽く大八車の後を姉と私が押しながら運びました。火葬場とはいっても、遺体を焼く窯が2つだけあり、焼くのに1晩中かかりました。
三次に確かに檀家寺があることは判っていたのですが、祖母は半分惚けて判らず、後日九州の伯母からその場所を聞き出すことができ、木箱に入れたお骨を骨壺に移し、日高家の墓に埋葬できました。
広島の木小屋で暮らした祖母は勿論、母も長兄も姉ももう逝ってしまい、当時を知るものは私一人だけになりました。
ウェブニュースより
将棋の藤井七段、2018年を白星で締める 勝率8割超 ――将棋の高校生棋士、藤井聡太(そうた)七段(16)が28日、大阪市福島区の関西将棋会館での第45期棋王戦(共同通信社主催)の予選で、村田顕弘(あきひろ)六段(32)に84手で勝ち、2018年の年内最終戦を白星で飾った。藤井七段の18年度の成績は38対局、32勝6敗、勝率8割4分2厘となった。
対局は午前10時に始まり、午後5時20分に終局した。
https://www.youtube.com/watch?v=esGrld3K4Zo
終局後、藤井七段はこの1年を振り返り、「朝日杯将棋オープン戦と新人王戦、二つの棋戦で優勝できたのは大きな収穫だった。一方、自分の至らないところを改めて認識させられた将棋も何局かあった。来年は、見つかった課題を克服していける1年にしたい」と述べた。 (朝日新聞DIGITAL 2018年12月28日20時40分)
ウェブニュースより
なぜか唐津に「西郷どん」 八坂神社に明治39年奉納 陶像、経緯は不明 ―― 佐賀県唐津市石志の八坂神社境内に西郷隆盛の陶像が立つ。像や台座には11人の氏名と「明治39(1906)年5月18日 参宮記念」、そして「唐津焼製造所 中埜末造」と刻まれる。地区民が伊勢神社参拝を記念して奉納したとみられる。だが、なぜ唐津の地に西郷なのか。謎を秘めたまま、泰然として中空を見つめる。
像の高さは1.7メートル、幅55センチで、台座を含めると約3.4メートル。東京・上野公園の銅像の半分くらいの大きさで、ふくよかな表情で愛犬もかがんで寄り添う。
寄進者とみられる11人のうち1人は、神社を管理する区長の進藤博喜さん(69)の曽祖父で、全員地区住民の先祖という。ただ「いわれを知っている人がいないか、以前の区長が地区内に文書を配ったが、何も回答がなかった」と言う。
唐津焼で細工物を得意とする中野窯に聞くと「中埜末造は初代中野霓林(1876~1951年)の本名です」と三代目霓林さん(68)。30歳の時の作品になる。でも、なぜ西郷なのか。
明治39年は西郷が鹿児島・城山で自刃して29年。松浦史談会長の山田洋さん(82)は「(西南戦争の首謀者という)賊軍扱いから名誉は回復されていた。しかし唐津とは直接の縁はないはず」と首をかしげる。
取材を進めると前々区長の宮崎訓治さん(73)が知人から聞いたという話を明かした。「中野窯に西郷の焼き物の注文があり、予備を含め2体焼かれた。その1体がめぐりめぐって石志に来た」と。ただ中野窯にも記録はなく、もう1体の所在を含め謎が加わる。
石志地区は農村部で、神社に行くには細い集落道しかない。「人が押し寄せると困るけど、小さな村にこんな歴史があることを知ってもらうのはいいかな」と進藤さん。幕末維新の大きな渦の中で圧倒的な存在感を放ち続けた西郷隆盛。NHK大河ドラマ「西郷どん」は完結し、明治維新150年の年も間もなく終わる。 (佐賀新聞Live 12/20 7:00)
ウェブニュースより
藤井聡太七段、クリスマス勝利!棋聖戦本戦出場へあと1勝 次局はタイトルホルダーと/将棋・棋聖戦二次予選 ―― 最年少棋士・藤井聡太七段(16)が12月25日、大石直嗣七段(29)と棋聖戦二次予選で対局し、120手で勝利した。
自身に贈るクリスマスプレゼントの1勝で、決勝トーナメント出場まであと1勝と迫った。
https://www.youtube.com/watch?v=ldcS8MZLdC4
次局は久保利明王将(43)と斎藤慎太郎王座(25)の勝者という、どちらが勝ってもタイトルホルダーとの対局となる。藤井七段の通算成績は102勝18敗。
2年前の2016年12月24日に、加藤一二三九段(78)とプロ初対局を行った藤井七段は、デビュー直後の29連勝を皮切りに、その後も数々の最年少記録を樹立。今年も2月に一般棋戦初優勝を果たすと、10月には若手棋士の登竜門でもある新人王戦でも優勝し、一般棋戦で2度目の優勝を果たした。来年は最年少タイトルホルダー誕生という周囲の期待からの期待も受ける中で、現在唯一の複数冠を持つ豊島将之二冠が持つ、棋聖位への挑戦に向けて、一歩前進した。対局後には「序盤は自然に指していたつもりでした。最後まで気が抜けませんでした。(次局について)いずれにしてもタイトルホルダーとの対戦ということで、そういった対戦の機会が得られるのはうれしいことなので、全力でぶつかっていければと思います」と語った。 (Abema TIMES 2018.12.25 18:19)
今日はクリスマスです。サンタクロースの起源について調べてみました。
サンタクロースは、4世紀ごろ、小アジア(現在のトルコ)のミュラの司教であった、聖ニコラスだと言われています。
聖ニコラス(271~343年ごろ)は、現在のトルコのデムレ、かつてのギリシアの町ミュラの司教でした。彼は、日ごろから、困っている人や貧しい人を助け、自分の持ち物を惜しまず与えていた心のやさしい人でした。
あるとき、ニコラスの近所に3人の娘のいる家族が住んでいました。たいへん貧しくて、娘を売らなければならないほど、お金に困っていました。そのことを知ったニコラスは、その夜、その家の煙突から金貨を投げ入れました。ちょうどその金貨は、暖炉のそばに干してあった靴下の中に入って、そのお金で娘は救われ、後に結婚することができたのです。聖ニコラスは、同じことを下の2人の娘のときも繰り返し、その家庭を救ったと言われています。
クリスマスに靴下を下げておくと、サンタクロースが煙突から入って贈り物を入れてくれるという習慣は、ここから生まれたようです。
ニコラスにまつわる伝説や奇跡は、この他にたくさん残ってます。船乗りを嵐から救ったり、殺された子どもを生き返らせたという話も伝えられています。彼は、つねに子どもたちや貧しい人、弱い立場にある人と共に生きていたので、「子どもの守護の聖人」とされています。
彼は亡くなった後、聖人とされ、ヨーロッパでは彼の命日の12月6日に、聖ニコラス祭がはじまりました。この日、オランダやベルギーなどでは、子どもたちへのプレゼントを贈るようになりました。
聖ニコラスの伝説は、18世紀に北米に移住したオランダ人に伝えられ、子どもたちへのプレゼントの習慣が、オランダと同じ12月6日に引き継がれていきました。やがて、生まれたばかりのキリストに三賢者が贈り物をもって、ベトレヘムを訪れたという出来事と結びつき、アメリカ全土で「クリスマスにサンタクロースがプレゼントを贈る」という習慣が広がったと言われています。
聖ニコラスはオランダ語で、「ジンタークラース」と言い、それがなまって「サンタクロース」になったと言われています。
サンタクロースの着ている赤い服は、聖ニコラスが生きたころの、司教の儀式のときの服がもとになったと言われています。司教の赤い色は、自分の命をかけても、他の人を助けることを意味していて、血を流しても人々のために尽くすしるしでした。
しかし、今のサンタクロースの赤い衣装を考え出し有名にしたのは、1931年、アメリカのコカ・コーラ社が冬のキャンペーン広告のキャラクターとして、サンタクロースを起用したことから、サンタクロースの名前が急に、世界中に知られるようになりました。
この広告のモデルは、1800年代後半に活躍した、アメリカの風刺漫画家トマス・ナスト(1842年~1902年)によって描かれたサンタクロースです。子どもたちのために、たくさんのおもちゃをかかえた、やさしそうなサンタクロース。白いふさふさしたひげをはやし、太った体形というアイデアは、彼によって生み出されました。
それまでの絵本や絵画の中に、サンタクロースは青い服を着たり、さまざまな色の衣装を着ていたそうです。今とはずいぶんイメージが違います。
日本では、いつごろサンタクロースが登場したのでしょうか。それは、1870年代です。日本でサンタクロースは、キャラクターとして、商業ペースに利用され、コマーシャル化され、歯磨き粉や醤油の広告などにも使われることになってしまいました。
商品の絵柄の広告には、恵比寿や大黒天、七福神のサンタクロースも表れ、親しまれたと伝えられています。
その後、だんだんと都会の中流家庭に広がって、おもちゃをもってやってくるサンタクロースとして描かれるようになりました。1951年ごろからは、デパートが一斉にサンタクロースを採用し、街はサンタクロースであふれるようになりました。
呼び方も、「サンタ」とか「サンタさん」などと親しみを込めて、呼ばれるようになり、サンタクロースは、すっかり日本の文化の中で、クリスマスにはなくてはならない存在となっていきました。
12月21日、塾友の成島氏から訃報が入りました。曰く、
日高先生
三村くんから、浦野潤也くんのお母様がお亡くなりになったと連絡がありました。 成島淳一
昨夕、今戸にある廣楽寺まで、浦野家の通夜に出かけました。塾友の馬場英一氏・矢作佳奈美女史・三村訓久氏と一緒に焼香しました。急な階段になっているので、上がるのに3人に両脇と後ろから支えてもらう次第でした。
帰りは、馬場氏と佳奈美女史が家まで送ってくれました。
ウェブニュースより
伊調馨が復活V 五輪金の川井梨破る レスリング全日本 ―― レスリングの全日本選手権は23日、来年9月の世界選手権代表選考会を兼ねて、東京・駒沢体育館で最終日があり、女子57キロ級決勝で3年ぶりに出場した五輪4連覇の伊調馨(かおり)(ALSOK)が、リオデジャネイロ五輪63キロ級金メダルの川井梨紗子(ジャパンビバレッジ)を3―2で破って優勝した。伊調は22日の予選リーグ初戦で川井梨に国内大会で17年ぶりの敗戦を喫していた。同50キロ級は入江ゆき(自衛隊)が2連覇した。同53キロ級は今秋の世界選手権55キロ級王者の向田真優(至学館大)が優勝。
男子フリー65キロ級は、今秋の世界選手権で日本男子最年少優勝を果たした乙黒拓斗(山梨学院大)が初優勝。男子グレコローマンスタイル60キロ級は、昨年の世界選手権59キロ級王者の文田健一郎(ミキハウス)が制した。 (朝日新聞DIGITAL 2018年12月23日16時59分)
坂本花織が逆転で初優勝、紀平トリプルアクセル2本着氷も2位 宮原は3位 ―― 「フィギュアスケート・全日本選手権」(23日、東和薬品ラクタブドーム)
女子フリーが行われ、SP2位の坂本花織(18)=シスメックス=がフリー152.36点、合計228.01点を記録し初優勝をはたした。世界選手権代表にも内定した。SP5位の紀平梨花(16)は2本のトリプルアクセルを着氷させる圧巻の演技でフリー155.01点を出したが、合計223.76点で2位。SP首位で、5連覇を目指した宮原知子(20)=関大=はフリー146.58点、合計223.34点で3位だった。
紀平の圧巻の演技の前に、自己ベストの142.61点を超える148.12点が逆転に必要という状況でリンクに入った。冒頭の3回転フリップ-3回転トーループ、2回転アクセルと着実に得点を積み重ねた。後半の2回転アクセルからの3連続ジャンプ、3回転フリップ-2回転トーループ、3回転ループもすべて着氷。目立ったミスはないほぼ完ぺきな演技を披露した。
右手を振り下ろすガッツポーズで喜びを爆発させた坂本に、会場のファンは総立ちで拍手を送った。得点が発表されると同時に「あ~、うあ~」と絶叫し、初優勝に喜びとともに、驚きを見せていた。SPとフリーの両方でミスのない演技を出したことが優勝に結びついた。
直後のフジテレビによるテレビインタビューに「全然今は実感がなくて、いろんなジャンプがいつもの勢いがなかったので」と反省も口にしながら「点数的には満足です」と笑顔で振り返った。「鼓動が聞こえるぐらい緊張していたんですけど」という緊迫感の中、結果を出した。 (ディリ―スポーツ 2018.12.23.)
忘年会の記事を続けます。
村田雅裕氏の忘年会参加は今年が初めてです。産経新聞社に入社、今まで、13年間大阪勤務でしたが、今年の1月ようやく東京に戻ることができたそうです。
現在は産経新聞社広報室PRグループに所属しているそうです。赤石和彦氏の誘いで今回の忘年会参加となりました。
赤石和彦氏は一時バイクを乗り回していましたが、昨今は自転車レースに凝っているようです。
最後になりましたが、矢作佳奈美女史は私とは3周り違いの昭和43年生まれです。同期の塾生の忘年会参加者が少ないながら、昨年は忘年会のアルバム配り、本年は私のカメラで忘年会の様子を撮影と、陰ながらよく動いてくれました。そんな訳で、色々探してみましたが、まともな彼女の写真は殆どありませんでした。ごめんなさいね。これに懲りずにこれからも毎年参加してくださいね。
以上を持ちまして、忘年会の記事を終わりますが、毎年このような会を企画して開くについては、大森夫妻に大変ご苦労を掛けています。なんといっても、お二人はこの会のまとめ役でもあります。本当に有難うございます。
来年もここTAKEYAさんで、同じ時期に生きていれば皆さんにお会いできると思います。それを楽しみに頑張ってみます。
昨夜はテレビで「古賀政男没後40年名曲ドキュメント」を見ました。今年4月に放映されたものの再放送でした。これについては今年の4月8日のブログに記載しました。
http://sechin.blog.shinobi.jp/日記/雲のふるさと
ウェブニュースより
羽生善治竜王、27年ぶりの無冠に 竜王戦第7局敗れる/将棋 ―― 将棋の第31期竜王戦七番勝負の第7局が20、21の両日、山口県下関市で指され、後手の羽生善治(はぶ・よしはる)竜王(48)が挑戦者の広瀬章人(あきひと)八段(31)に敗れ、対戦成績3勝4敗で竜王を失冠した。27年ぶりに無冠となり、今回はタイトル獲得通算100期の大記録達成はならなかった。勝った広瀬八段は初の竜王を獲得した。
https://www.youtube.com/watch?v=CxOq34b4weU
羽生前竜王は、平成元年に初タイトルの竜王を当時最年少の19歳で獲得。翌年11月に失冠するが、約4カ月後の3年3月に棋王を獲得して以来、現在までタイトルを保持し続けてきた。8年には、将棋界初の七冠独占を達成。24年に棋聖戦で5連覇し、タイトル獲得通算81期で歴代単独1位となった。以来、自身の記録を更新し続けてきた。
羽生前竜王は昨年12月の竜王戦で復位し、タイトル獲得通算99期に更新。さらに、叡王(えいおう)以外の7つのタイトルの永世称号を全てそろえた「永世七冠」を達成した。今年2月には将棋界初の国民栄誉賞を受賞した。棋聖、竜王の2冠だったが、棋聖戦を防衛できず、失冠。竜王のみの1冠となっていた。
広瀬新竜王は札幌市出身。平成22年に王位を1期獲得、トップ棋士の証しでもある名人戦順位戦A級(原則定員10人)に4期在籍している。今月、棋王戦五番勝負の挑戦者に決まった。(産経新聞2018.12.21 19:01)
忘年会の記事は次回に続きます。
sechin@nethome.ne.jp です。
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