瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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  5月といえば、祭りの月。東京では、来週辺りから6月にかけて、土・日といえば東京の下町のどこかでは祭礼が行われている。
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400a4bcf.jpeg 徳川家康は江戸に幕府を開くに当たり、現在の大手町にあった平将門をまつる神田明神を、江戸城の鬼門に当たる北東の方角の湯島に移転し、江戸の総鎮守(守り神)に認定。神社だけでは鬼門の守りが不安なので、江戸城湯島の延長線上に寛永寺も建立。さらに、裏鬼門の南西の方角の溜池山王に日枝神社を設置、その延長線上に増上寺を作ったという。そのため、神田と山王の二つの神社の祭りは、神輿や山車が城内まで入ることが許され、天下祭りと呼ばれて規模が拡大。拡大のあまり、毎年開催すると金がかかり過ぎるようになり、交互の隔年開催と決められたそうだ。その慣習は今もつづいており、どちらの神社も、祭礼の基本となる宗教行事は毎年行うものの、神輿の出る本祭りは、2年に一度。神輿の出ない年は陰祭りと呼ばれ、今年は山王が本祭りで、神田が陰祭りになっている(祭りは地元の寄付金によって成立しており、毎年やると地元の負担が大きすぎるため、観光資源化している三社祭を除けば、下町の大きな祭りはたいてい隔年開催となっている)。
 この二つが江戸の二大祭りであることには誰も文句のつけようがない事実なのであるが、日本人は元来が『三大云々』お好き。じゃあ、江戸三大祭りを選ぶってことになると、あとの一つは何かという問題になる。「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様。」と、狂歌に歌われたこともあって、江戸三大祭は「日枝神社山王祭・神田明神神田祭り・富岡八幡宮深川八幡祭り」とする向きもあるが、ここは地元びいきで、訊ねた人、答える人によってそれぞれ見解が異なってくる。
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201b2367.jpeg この問題に昔から名乗りを挙げているのが、浅草の三社祭りと深川富岡八幡宮の深川祭りであるという。神田・山王の祭りが武士の祭りとすれば、こちらは町人の祭り。喧嘩っ速い江戸の町人気質を反映してか、浅草と深川はことごとく対立しており、例えば、5月に行われる三社祭りでは、下に履く股引きは足首までの長いものが粋とされているのに対し、8月に行われる深川祭りでは、神輿の担ぎ手に水をかけまくるので、ボトムは膝までの短い半股引でなければならない。かけ声も、浅草が「そいや、そいや」なのに対し、深川は頑なに「わっしょい、わっしょい」。みこしの担ぎ方も、三社祭りは、別名喧嘩みこしと呼ばれるほど荒々しく、激しく上下動させるのに対し、深川祭りは、木場で材木を運ぶ要領で腰を使い上下動を抑えるのがよいとされています。深川では、上下動の激しい担ぎ方は浅草担ぎと呼ばれ、これをやっているとみこしの下からつまみ出されてしまうという始末だという。
 まあ、こんな対立などせずに、武家の祭りから2つ、町家の祭りから2つ仲良く取って、江戸四大祭りとは、いかないものだろうか。
 
東坡志林 巻四 劉凝之沈麟士
 南史:劉凝之為人認所著履、即與之、此人後得所失履、送還、不肯復取。又沈麟士亦為鄰人認所著履、麟士笑曰:「是卿履耶?」即與之。鄰人得所失履、送還、麟士曰:「非卿履耶?」笑而受之。此雖小事、然處事當如麟士、不當如凝之也。
759a5cea.jpeg〔訳〕《劉凝之(りゅうぎょうし)と沈士麟(しんしりん)》『南史』によると、劉凝之ははいていた履(くつ)を人から自分のだといわれて、すぐ脱いで与えた。そのあとその男が、
「失くした履が見つかりました」
といって送り返すと、彼はどうしても受け取ろうとはしなかったという。また、沈士麟も、隣人からはいていた履を自分のだといわれて、笑いながら
「あなたの履だったのですか」
といってすぐ与えた。そのあと隣人がなくした履が見つかったからといっと送り返すと、士麟は
「貴方の履ではなかったのですか」
といって、笑って受け取ったという。
 これは小さなことだが、世に処するには士麟のようであるべきで、凝之のようにあってはならぬとおもうのである。
 
※『南史』:唐の李延寿〔生没年不詳、唐の歴史家〕撰、南朝の宋・斉・梁・陳四代のことを記した史書。
 
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五大祭にしますか
将軍ゆかりの神社である根津権現の祭りも幕府の定めで天下祭として江戸城に入城したので、同じ格式の山王、神田とならび、三大祭という説もありますよね。正徳4年の根津の宝永祭は盛大でこれのみを天下祭というとも。
さくら 2013/04/19(Fri) 編集
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目高 拙痴无
年齢:
92
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1932/02/04
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