瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 東坡志林 稗海本巻二 記徐陵語
 徐陵多忘、每不識人、人以此咎之。曰:“公自難記、若曹劉沈謝輩、暗中摸索、亦合認得。”誠哉是言。
〔訳〕《徐陵(じょりょう)》徐陵は忘れっぽい人で、人の顔をおぼえていないのが毎々だった。人がこのことで彼を咎めると、彼は言った。
「君の顔をおぼえろといわれたって、無理な注文というもの。これがもし曹(そう)・劉(りゅう)とか沈(しん)・謝(しゃ)といった人々の顔だったら、暗闇で手探りしたって、すぐに見分けがつくんだろうがね」
 全く、そのとおりである。
 
35cb4343.jpeg※徐陵(507~583年): 南朝梁、陳の文人貴族。字は孝穆(こうぼく)。梁代から文名がたかく、548年には梁朝の使節として東魏を訪問したが、江南に侯景の乱が勃発し、555年の帰国まで辛酸をなめた。陳代に尚書僕射に栄進。梁の簡文帝の皇太子時代、その東宮に父の徐摛(じょち)、および庾肩吾・庾信父子とともに奉職したころの軽艶の詩文は、〈宮体〉(宮体詩)とか〈徐廋体〉とかよばれて世にむかえられた。
 
※曹=曹植(そう しょく、または、そう ち、192~232年)は、中国後漢末から三国時代の人物で、魏の皇族。字は子建。陳王に封じられ、諡は思であったことから陳思王とも呼ばれる。唐の李白・杜甫以前における中国を代表する文学者として、「詩聖」の評価を受けた人物でもある。曹操の正嫡の三男。
 劉=劉楨(りゅう てい、?~217年)は、中国、後漢末に曹操に仕えた文学者。字は公幹。建安七子の一人。東平寧陽(現山東省)の人。後漢の宗室の子孫。
 沈=沈約(しん やく、441~513年)は、中国南朝を代表する文学者、政治家。呉興武康(現在の浙江省武康県)の人。字は休文。
 謝=謝眺(しゃ ちょう、464~499年)は中国南北朝時代、南斉の詩人。字は玄暉(げんき)。陳郡陽夏(現河南省)の人。同族の謝霊運(385~433年)・謝恵連(394~433年)とともに、六朝時代の山水詩人として名高く、あわせて「三謝」と称される。
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1932/02/04
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