瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
今朝のウェブニュースより
10万の“ホタル”川面に スカイツリーと光の競演 ―― 発光ダイオード(LED)の電球約10万個をホタルに見立て、東京の隅田川に流すイベント「東京ホタル」が6日夜、あった。川べりでは開業間近の東京スカイツリーも同時にライトアップ。光の競演に、多くの人がカメラを手に見入った。/太陽光パネルで蓄電したLEDを入れた直径8.5センチの電球を1個千円で買った人々が、隅田川にかかる言問橋付近から川面へ投げ入れた。東京都内の会社員山崎守さん(44)は「スカイツリーの青色とマッチしていて、きれい。昔田舎で見たホタルの乱舞のよう」と話した。/「川との共生」をテーマに墨田区や台東区、東京芸大などでつくる実行委員会が主催。投げ込まれた電球は川下にネットを張って回収した。 (産経ニュース 2012.5.6 20:40)
東坡志林 巻三 記與歐公語
歐陽文忠公嘗言:有患疾者、醫問其得疾之由、曰、“乘船遇風、驚而得之。”醫取多年柂牙為柂工手汗所漬處、刮末雜丹砂茯神之流、飲之而愈。今本草註別藥性論雲、“止汗、用麻黃根節及故竹扇為末服之。”文忠因言:“醫以意用藥多此比、初似兒戲、然或有驗、殆未易致詰也。”予因謂公:“以筆墨燒灰飲學者、當治昬惰耶? 推此而廣之、則飲伯夷之盥水、可以療貪;食比幹之餕餘、可以已佞;舐樊噲之盾、可以治怯;齅西子之珥、可以療惡疾矣。”公遂大笑。元祐六年閏八月十七日、舟行入潁州界、坐念二十年前見文忠公於此、偶記一時談笑之語、聊復識之。
〔訳〕《欧公と語った言葉》欧陽文忠がかつてこう言われた。
「病気にかかった人があった。医者からどうして病気にかかったのかと聞かれ、船に乗っているとき風に遇い、驚いたのが元ですと答えると、医者は長年使った梶(かじ)の、船頭の手の汗の浸み込んだ部分を削り取って粉末にし、それに丹砂や茯苓(ぶくりょう)などをまぜて飲ませたら、たちまち全快したそうだ。現に『本草』の注にも『別薬性論』を引いて、汗を止めるには麻黄の根節と古い竹の扇を粉末にして服用すればよいとある」
文忠公はさらに
「大体このように医は意を以って薬を用いることが多い。一見これはいささか児戯に類するようではあるが、案外効験のあることもあり、まんざら馬鹿にしたようなものではなさそうだ。
そこで私は公に言った。
「では筆墨を焼いた灰を学徒に飲ませると、頭がよくなり、怠け癖がなおりましょうか。さらにこれを推し進めれば、伯夷の手を洗った後の水を飲めば貪欲が癒せるし、比干の食べ残し食えば侫奸〔ねいかん、道徳的、もしくは精神的な価値のないこと〕がやめられるし、樊噲(はんかい)の盾和をねぶれば卑怯が直せるし、西施(せいし)の耳玉を嗅げば醜い顔が美しくなれるというわけでしょうか」
そういうと公はとうとう大笑いされた。元祐六(1090)年閏八月十七日、舟ようやく頴州に入った。ふと二十年前、文忠公にここでお目にかかったことを思い出し、偶々一時談笑の語を思い出し、いささかここに記しておく。
※丹砂や茯苓:丹砂は辰砂(しんしゃ、cinnabar)ともいい、硫化水銀(HgS)からなる鉱物である。茯苓とは、サルノコシカケ科マツホドの菌核のことを言う。漢方の生薬として用いられる。
※本草:『神農本草経』といい、神農氏の後人の作とされるが、実際の撰者は不詳である。365種の薬物を上品・中品・下品の三品に分類して記述している。上品は無毒で長期服用が可能な養命薬、中品は毒にもなり得る養性薬、下品は毒が強く長期服用が不可能な治病薬としている。
※伯夷:周の粟をはことを潔しとせず、首陽山に薇(わらび)を采って食い、餓死した人。孟子は「聖の清なるものなり」といっている。
孟子 万章(下) より
孟子曰:「伯夷、聖之清者也;伊尹、聖之任者也;柳下惠、聖之和者也;孔子、聖之時者也。孔子之謂集大成。集大成也者、金聲而玉振之也。金聲也者、始條理也;玉振之也者、終條理也。始條理者、智之事也;終條理者、聖之事也。智、譬則巧也;聖、譬則力也。由射於百步之外也、其至、爾力也;其中、非爾力也。」
(書き下し文)孟子曰く、伯夷は聖の清なる者なり。伊尹は聖の任なる者なり。柳下恵は聖の和なる者なり。孔子は聖の時なる者なり。孔子はこれを集めて大成すと謂う。集めて大成すとは、金声(きんせい)して玉振(ぎょくしん)することなり。金声すとは条理を始めるなり。玉振すとは条理を終うるなり。条理を始めるは智の事なり。条理を終うるは聖の事なり。智は譬えば則ち巧なり。聖は譬えば則ち力なり。由(なお)、百歩の外に射るがごとし。その至るは爾の力なり。その中たる(あたる)は爾の力に非ざるなり。
〔訳〕孟子はおっしゃった。「伯夷は、聖人の中で清潔(潔癖)なタイプである。伊尹は、聖人の中で責任感の強いタイプである。柳下恵は、聖人の中で調和を重んじるタイプである。孔子は、聖人の中でも時代(歴史)を越えた最高の聖人である。孔子は、それらの聖人の特徴を集めて総合したような人物である。集めて総合するというのは、音楽を演奏する際に、まず金属の打楽器を鳴らし、最後に玉の打楽器を振るわせて鳴らすようなものだ。金属の打楽器を鳴らすのは、音楽の秩序を始めることである。玉の打楽器を振るわせるのは、音楽の秩序を終結させることである。音楽の秩序を始めるのは知性の仕事であり、音楽の秩序を終結させるのは聖の仕事である。知性(智恵)は譬えて言えば、技巧のようなものである。聖は譬えて言えば力のようなものである。百歩以上の距離で射撃をするとすると、的まで届くのはあなたの力であり、的に命中するのはあなたの力ではない(技巧のお陰である。)」
※比干・樊噲・西施:比干は淫乱な殷の紂王を諌めて殺された忠臣。樊噲〔はんかい、?~BC189年〕は漢の高祖の武将、鴻門の会で、高祖が項羽に刺されようとするのをすくおうと、とめる衛兵を盾で突き倒して中に入った。西施は、古代越の美人。
※頴州(えいしゅう):今の安徽省阜陽県。蘇軾は元祐六(1019)年に竜図閣学士から地方に出されて頴州の知事になった。その二十年前といえば、欧陽脩が退官して、頴州に隠遁した時である。
10万の“ホタル”川面に スカイツリーと光の競演 ―― 発光ダイオード(LED)の電球約10万個をホタルに見立て、東京の隅田川に流すイベント「東京ホタル」が6日夜、あった。川べりでは開業間近の東京スカイツリーも同時にライトアップ。光の競演に、多くの人がカメラを手に見入った。/太陽光パネルで蓄電したLEDを入れた直径8.5センチの電球を1個千円で買った人々が、隅田川にかかる言問橋付近から川面へ投げ入れた。東京都内の会社員山崎守さん(44)は「スカイツリーの青色とマッチしていて、きれい。昔田舎で見たホタルの乱舞のよう」と話した。/「川との共生」をテーマに墨田区や台東区、東京芸大などでつくる実行委員会が主催。投げ込まれた電球は川下にネットを張って回収した。 (産経ニュース 2012.5.6 20:40)
東坡志林 巻三 記與歐公語
歐陽文忠公嘗言:有患疾者、醫問其得疾之由、曰、“乘船遇風、驚而得之。”醫取多年柂牙為柂工手汗所漬處、刮末雜丹砂茯神之流、飲之而愈。今本草註別藥性論雲、“止汗、用麻黃根節及故竹扇為末服之。”文忠因言:“醫以意用藥多此比、初似兒戲、然或有驗、殆未易致詰也。”予因謂公:“以筆墨燒灰飲學者、當治昬惰耶? 推此而廣之、則飲伯夷之盥水、可以療貪;食比幹之餕餘、可以已佞;舐樊噲之盾、可以治怯;齅西子之珥、可以療惡疾矣。”公遂大笑。元祐六年閏八月十七日、舟行入潁州界、坐念二十年前見文忠公於此、偶記一時談笑之語、聊復識之。
〔訳〕《欧公と語った言葉》欧陽文忠がかつてこう言われた。
「病気にかかった人があった。医者からどうして病気にかかったのかと聞かれ、船に乗っているとき風に遇い、驚いたのが元ですと答えると、医者は長年使った梶(かじ)の、船頭の手の汗の浸み込んだ部分を削り取って粉末にし、それに丹砂や茯苓(ぶくりょう)などをまぜて飲ませたら、たちまち全快したそうだ。現に『本草』の注にも『別薬性論』を引いて、汗を止めるには麻黄の根節と古い竹の扇を粉末にして服用すればよいとある」
文忠公はさらに
「大体このように医は意を以って薬を用いることが多い。一見これはいささか児戯に類するようではあるが、案外効験のあることもあり、まんざら馬鹿にしたようなものではなさそうだ。
そこで私は公に言った。
「では筆墨を焼いた灰を学徒に飲ませると、頭がよくなり、怠け癖がなおりましょうか。さらにこれを推し進めれば、伯夷の手を洗った後の水を飲めば貪欲が癒せるし、比干の食べ残し食えば侫奸〔ねいかん、道徳的、もしくは精神的な価値のないこと〕がやめられるし、樊噲(はんかい)の盾和をねぶれば卑怯が直せるし、西施(せいし)の耳玉を嗅げば醜い顔が美しくなれるというわけでしょうか」
そういうと公はとうとう大笑いされた。元祐六(1090)年閏八月十七日、舟ようやく頴州に入った。ふと二十年前、文忠公にここでお目にかかったことを思い出し、偶々一時談笑の語を思い出し、いささかここに記しておく。
※丹砂や茯苓:丹砂は辰砂(しんしゃ、cinnabar)ともいい、硫化水銀(HgS)からなる鉱物である。茯苓とは、サルノコシカケ科マツホドの菌核のことを言う。漢方の生薬として用いられる。
※本草:『神農本草経』といい、神農氏の後人の作とされるが、実際の撰者は不詳である。365種の薬物を上品・中品・下品の三品に分類して記述している。上品は無毒で長期服用が可能な養命薬、中品は毒にもなり得る養性薬、下品は毒が強く長期服用が不可能な治病薬としている。
※伯夷:周の粟をはことを潔しとせず、首陽山に薇(わらび)を采って食い、餓死した人。孟子は「聖の清なるものなり」といっている。
孟子 万章(下) より
孟子曰:「伯夷、聖之清者也;伊尹、聖之任者也;柳下惠、聖之和者也;孔子、聖之時者也。孔子之謂集大成。集大成也者、金聲而玉振之也。金聲也者、始條理也;玉振之也者、終條理也。始條理者、智之事也;終條理者、聖之事也。智、譬則巧也;聖、譬則力也。由射於百步之外也、其至、爾力也;其中、非爾力也。」
(書き下し文)孟子曰く、伯夷は聖の清なる者なり。伊尹は聖の任なる者なり。柳下恵は聖の和なる者なり。孔子は聖の時なる者なり。孔子はこれを集めて大成すと謂う。集めて大成すとは、金声(きんせい)して玉振(ぎょくしん)することなり。金声すとは条理を始めるなり。玉振すとは条理を終うるなり。条理を始めるは智の事なり。条理を終うるは聖の事なり。智は譬えば則ち巧なり。聖は譬えば則ち力なり。由(なお)、百歩の外に射るがごとし。その至るは爾の力なり。その中たる(あたる)は爾の力に非ざるなり。
〔訳〕孟子はおっしゃった。「伯夷は、聖人の中で清潔(潔癖)なタイプである。伊尹は、聖人の中で責任感の強いタイプである。柳下恵は、聖人の中で調和を重んじるタイプである。孔子は、聖人の中でも時代(歴史)を越えた最高の聖人である。孔子は、それらの聖人の特徴を集めて総合したような人物である。集めて総合するというのは、音楽を演奏する際に、まず金属の打楽器を鳴らし、最後に玉の打楽器を振るわせて鳴らすようなものだ。金属の打楽器を鳴らすのは、音楽の秩序を始めることである。玉の打楽器を振るわせるのは、音楽の秩序を終結させることである。音楽の秩序を始めるのは知性の仕事であり、音楽の秩序を終結させるのは聖の仕事である。知性(智恵)は譬えて言えば、技巧のようなものである。聖は譬えて言えば力のようなものである。百歩以上の距離で射撃をするとすると、的まで届くのはあなたの力であり、的に命中するのはあなたの力ではない(技巧のお陰である。)」
※比干・樊噲・西施:比干は淫乱な殷の紂王を諌めて殺された忠臣。樊噲〔はんかい、?~BC189年〕は漢の高祖の武将、鴻門の会で、高祖が項羽に刺されようとするのをすくおうと、とめる衛兵を盾で突き倒して中に入った。西施は、古代越の美人。
※頴州(えいしゅう):今の安徽省阜陽県。蘇軾は元祐六(1019)年に竜図閣学士から地方に出されて頴州の知事になった。その二十年前といえば、欧陽脩が退官して、頴州に隠遁した時である。
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