瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
本日は爺婆の53回目の結婚記念日。当時お世話になった人々はほとんど逝ってしまった。仲人であったS先生ご夫妻は言うまでもなく、戦中戦後私を女手で育ててくれた母、結婚後ずっとお世話に成りっ放(ぱ)なしであった婆様のご両親…… 我々二人を祝福して式に参加してくれたほとんどの人々がいまは鬼籍に名を連ねる。やがて、我々もまたこの人たちの後を追うことになるのだろう。
今日はまた、今年2月2日に亡くなったYM君の「百か日」に当たる。百か日は「卒哭忌(そつこくき)」ともいわれ、故人が亡くなった悲しみに区切りをつける日で、故人への悲しみのために泣き暮らしていたのを泣きやむ日を意味するらしいが、百か日、一周忌、三回忌は中国で行われていたしきたりであると聞く。
朝食後、花川戸公園を通り、二天門を潜って、浅草寺境内へ。午前10時前というのに、修学旅行の中学生・高校生で混み合っている。仲見世の裏道を通って雷門へ。雷門通りを西進して西浅草の清光寺に行ってみる。墓守の小父さんに、前野家の墓を訊ねていると、事務受付から女子の係員が出てきて、丁寧に案内してくださった。明日の土曜日に納骨の法要が行われるとのことであった。
清光寺の山門正面に長谷川一夫の碑と岡崎屋勘六墓がある。それぞれの説明板を呼んだが、長谷川一夫の碑には略歴が書いてあるだけで、この碑が清光寺にある謂れについては触れていなかった。
岡崎屋勘六は歌舞伎の看板、番付に使われる書体を考案した人らしい。説明板に曰く、
『岡崎屋勘六』 いわゆる歌舞伎文字である勘亭流の祖。勘六は、号を勘亭と称し、延享三(1746)年江戸に生まれる。堺町(現中央区日本橋)に住み、後家流の書を指南して能書家として知られる。勘亭流の生まれるもとは、同町中村座の依頼で安永八(1779)年春の狂言の大名題を書いたことに始まるといわれている。以来、中村座の看板を書き続け、その独特の書風は鳥居派の芝居絵とともに世に流行した。天明年中(1781~88年)からは勘亭流といえる一家の書法として公表。文化二(1805)年59歳で没するまで、もっぱら劇場のための看板や番付の執筆を業とした。墓石裏面に
と、勘亭流文字で刻まれている。
スカイツリーブームで、隅田川周辺にはアート環境プロジェクト(アート作品、アートベンチ)と称して、我々凡人にはよく理解の出来ないへんちくりんな作品が建てられている。本日通った花川戸公園にも、「石の舟」と称する得体の知れない石が置かれていた。説明板に曰く、
「石の舟」 【作品解説】 以前、台東区内にあった旧福井中学校の校舎の敷石を再利用し、作品の基盤として残した。そして、その上に大きな自然の玉石を設置した。この石は、共に茨城県産花崗岩である。玉石には隣接する浅草小学校の子供たちと藝大生が協力してつくったブロンズの人や動物の頭部(顔)が110個以上埋めこまれている。
この彫刻のテーマである過去・現在・未来の時間を、これまで台東区(浅草橋)の公共施設の一部であった敷石を記憶の積層と捉え、大きな玉石を地球とみたて、皆でつくった人間や動物のブロンズが地球上に生きる多くの生き物の現在を表している。そして「石の舟」が東京スカイツリーを眺め見つめることで未来を想い、時を漂う。本プロジェクトに関わった誰もが、周囲の環境(花川戸公園)と呼応し、これから長く愛され、しっかりと地域に根付く彫刻であることを望む。
【設置場所】 花川戸公園南(台東区)
挽歌詩(其一) 晋 陶淵明
有生必有死 生有れば必ず死有り
早終非命促 早く終うるも命の促さるるにはあらず
昨暮同爲人 昨暮は同じく人たりしに
今旦在鬼録 今旦は鬼録に在り
魂氣散何之 魂氣は散じて何くにか之く
枯形寄空木 枯形を空木に寄す
嬌兒索父啼 嬌兒は父を索めて啼き
良友撫我哭 良友は我を撫して哭く
得失不復知 得失 復た知らず
是非安能覺 是非 安んぞ能く覚らんや
千秋萬歳後 千秋万歳の後
誰知榮與辱 誰か栄と辱とを知らんや
但恨在世時 但だ恨む 在世の時
飮酒不得足 酒を飮むこと 足るを得ざりしを
〔訳〕命ある者は必ず死ぬ。
若くして死んだからとて
寿命が縮まったわけではないのだ。
昨日の暮れは皆と同じく生きていたのに、
今日の朝は死者の名簿に名を連ねている。
魂は体から離れてどこへ行ったのだろう。
亡骸だけが棺おけの中に横たわっている。
まだ幼い息子が父を求めて泣き、
親しい友が亡骸を撫でて号泣している。
死者にはもう物事の得失はわからない。
まして何が良くてなにが悪いかなど、わからない。
千年万年の後はこの世の栄誉や恥辱などどうでもいいことだ。
ただ惜しいのは生きていた時、十分に酒を飲まなかったこと
今日はまた、今年2月2日に亡くなったYM君の「百か日」に当たる。百か日は「卒哭忌(そつこくき)」ともいわれ、故人が亡くなった悲しみに区切りをつける日で、故人への悲しみのために泣き暮らしていたのを泣きやむ日を意味するらしいが、百か日、一周忌、三回忌は中国で行われていたしきたりであると聞く。
朝食後、花川戸公園を通り、二天門を潜って、浅草寺境内へ。午前10時前というのに、修学旅行の中学生・高校生で混み合っている。仲見世の裏道を通って雷門へ。雷門通りを西進して西浅草の清光寺に行ってみる。墓守の小父さんに、前野家の墓を訊ねていると、事務受付から女子の係員が出てきて、丁寧に案内してくださった。明日の土曜日に納骨の法要が行われるとのことであった。
清光寺の山門正面に長谷川一夫の碑と岡崎屋勘六墓がある。それぞれの説明板を呼んだが、長谷川一夫の碑には略歴が書いてあるだけで、この碑が清光寺にある謂れについては触れていなかった。
岡崎屋勘六は歌舞伎の看板、番付に使われる書体を考案した人らしい。説明板に曰く、
『岡崎屋勘六』 いわゆる歌舞伎文字である勘亭流の祖。勘六は、号を勘亭と称し、延享三(1746)年江戸に生まれる。堺町(現中央区日本橋)に住み、後家流の書を指南して能書家として知られる。勘亭流の生まれるもとは、同町中村座の依頼で安永八(1779)年春の狂言の大名題を書いたことに始まるといわれている。以来、中村座の看板を書き続け、その独特の書風は鳥居派の芝居絵とともに世に流行した。天明年中(1781~88年)からは勘亭流といえる一家の書法として公表。文化二(1805)年59歳で没するまで、もっぱら劇場のための看板や番付の執筆を業とした。墓石裏面に
と、勘亭流文字で刻まれている。
スカイツリーブームで、隅田川周辺にはアート環境プロジェクト(アート作品、アートベンチ)と称して、我々凡人にはよく理解の出来ないへんちくりんな作品が建てられている。本日通った花川戸公園にも、「石の舟」と称する得体の知れない石が置かれていた。説明板に曰く、
「石の舟」 【作品解説】 以前、台東区内にあった旧福井中学校の校舎の敷石を再利用し、作品の基盤として残した。そして、その上に大きな自然の玉石を設置した。この石は、共に茨城県産花崗岩である。玉石には隣接する浅草小学校の子供たちと藝大生が協力してつくったブロンズの人や動物の頭部(顔)が110個以上埋めこまれている。
この彫刻のテーマである過去・現在・未来の時間を、これまで台東区(浅草橋)の公共施設の一部であった敷石を記憶の積層と捉え、大きな玉石を地球とみたて、皆でつくった人間や動物のブロンズが地球上に生きる多くの生き物の現在を表している。そして「石の舟」が東京スカイツリーを眺め見つめることで未来を想い、時を漂う。本プロジェクトに関わった誰もが、周囲の環境(花川戸公園)と呼応し、これから長く愛され、しっかりと地域に根付く彫刻であることを望む。
【設置場所】 花川戸公園南(台東区)
挽歌詩(其一) 晋 陶淵明
有生必有死 生有れば必ず死有り
早終非命促 早く終うるも命の促さるるにはあらず
昨暮同爲人 昨暮は同じく人たりしに
今旦在鬼録 今旦は鬼録に在り
魂氣散何之 魂氣は散じて何くにか之く
枯形寄空木 枯形を空木に寄す
嬌兒索父啼 嬌兒は父を索めて啼き
良友撫我哭 良友は我を撫して哭く
得失不復知 得失 復た知らず
是非安能覺 是非 安んぞ能く覚らんや
千秋萬歳後 千秋万歳の後
誰知榮與辱 誰か栄と辱とを知らんや
但恨在世時 但だ恨む 在世の時
飮酒不得足 酒を飮むこと 足るを得ざりしを
〔訳〕命ある者は必ず死ぬ。
若くして死んだからとて
寿命が縮まったわけではないのだ。
昨日の暮れは皆と同じく生きていたのに、
今日の朝は死者の名簿に名を連ねている。
魂は体から離れてどこへ行ったのだろう。
亡骸だけが棺おけの中に横たわっている。
まだ幼い息子が父を求めて泣き、
親しい友が亡骸を撫でて号泣している。
死者にはもう物事の得失はわからない。
まして何が良くてなにが悪いかなど、わからない。
千年万年の後はこの世の栄誉や恥辱などどうでもいいことだ。
ただ惜しいのは生きていた時、十分に酒を飲まなかったこと
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プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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