桜を詠んだ歌5
巻9-1776: 絶等寸の山の峰の上の桜花咲かむ春へは君し偲はむ
※石川君子(いしかわの-きみこ、生没年不詳)
奈良時代の官吏。和銅8 (715) 年、播磨守(はりまのかみ)となり、兵部大輔(たいふ)をへて侍従。「万葉集」に短歌があり、その注によれば、神亀(じんき)年間に大宰少弐(だざいのしょうに)に任官したようです。「播磨国風土記(ふどき)」を編集した可能性のある人物のひとりです。名は吉美侯とも書きます。
※播磨娘子(はりまのおとめ、生没年未詳)
伝未詳。養老四 (720) 年十月頃、播磨国守の任を解かれて帰京する石川君子に贈った惜別の歌二首が万葉集巻九に残ります。播磨国の遊行女婦(うかれめ)かといいます。
巻10-1854: 鴬の木伝ふ梅のうつろへば桜の花の時かたまけぬ
巻10-1855: 桜花時は過ぎねど見る人の恋ふる盛りと今し散るらむ
巻10-1864: あしひきの山の際照らす桜花この春雨に散りゆかむかも
巻10-1866: 雉鳴く高円の辺に桜花散りて流らふ見む人もがも
巻10-1867: 阿保山の桜の花は今日もかも散り乱ふらむ見る人なしに
巻10-1869: 春雨に争ひかねて我が宿の桜の花は咲きそめにけり
巻10-1870: 春雨はいたくな降りそ桜花いまだ見なくに散らまく惜しも
巻10-1872: 見わたせば春日の野辺に霞立ち咲きにほへるは桜花かも
巻10-1887: 春日なる御笠の山に月も出でぬかも佐紀山に咲ける桜の花の見ゆべく
◎旋頭歌(せどうか)
5・7・7・5・7・7の6句形式の歌をいいます。片歌を繰り返した形です。上代に多く、記紀歌謡にみられ、《万葉集》にも60余首がありますが、平安時代になるとほとんど姿を消し、《古今和歌集》《千載和歌集》などに数首あるにすぎません。〈旋頭〉は頭句にかえるの意で、5・7・7の3句を繰り返す詩形の意であろうといいます。
桜を詠んだ歌4
巻9-1747: 白雲の龍田の山の瀧の上の小椋の嶺に咲きををる.......(長歌)
巻9-1748: 我が行きは七日は過ぎじ龍田彦ゆめこの花を風にな散らし
巻9-1749: 白雲の龍田の山を夕暮れにうち越え行けば瀧の上の.......(長歌)
巻9-1750: 暇あらばなづさひ渡り向つ峰の桜の花も折らましものを
巻9-1751: 島山をい行き廻れる川沿ひの岡辺の道ゆ昨日こそ.......(長歌)
巻9-1752: い行き逢ひの坂のふもとに咲きををる桜の花を見せむ子もがも
ウェブニュースより
黒川氏人事、無関係と主張 行革相、検察官の定年延長 ―― 武田良太行政改革担当相は13日の衆院内閣委員会で、検察官の定年延長を含む国家公務員法改正案に関し、今年1月に異例の延長が決まった黒川弘務東京高検検事長(63)の定年問題とは無関係だと主張した。黒川氏の人事と法改正の関連性を問われ「黒川氏のための法改正ではない」と述べた。国民民主党の後藤祐一氏は「後付け」で黒川氏の定年延長を正当化するためだと批判した。
野党は検察幹部の定年延長を巡る武田氏の答弁が不十分だとして内閣委を退席、委員会は休憩となった。与党は週内に衆院を通過させる構えを崩していない。13日の質疑は採決を前提としていないが、与野党攻防が活発化した。
(東京新聞 2020年5月13日 13時01分)
巡業人気者の勝武士さん、土俵下で糖尿発症不戦敗も ―― 大相撲で初めて新型コロナウイルス感染が判明していた東京・江東区の高田川部屋の三段目力士、勝武士(しょうぶし、本名末武清孝=すえたけ・きよたか)さんが13日午前0時半、新型コロナウイルス性肺炎による多臓器不全のため都内の病院で死去した。28歳だった。
新型コロナ感染での死者は角界初。国内で20代の死亡は年齢が明らかになっている中では初とみられる。28歳の早すぎる死は、ウイルスの恐ろしさを改めて世間に伝える形となった。
◇ ◇ ◇
最高位は三段目11枚目、勝武士さんは持病と付き合いながらの力士人生だった。糖尿病のため、インスリン注射は欠かすことができなかった。16年には取組直前に土俵下の控えで全身が赤らんで手が震え、異例の不戦敗を経験している。糖尿病による低血糖障がいだった。
巡業や花相撲では知られた人気者だった。元気で明るい性格。相撲の所作や禁じ手などを力士2人が面白おかしく実演する「しょっきり」を担当することが多く、ファンを楽しませた。兄弟子で1学年上の前頭竜電とは幼なじみで、山梨・竜王中ではともに柔道部に所属。気心の知れた仲で、付け人を長く務め兄弟子を支えた。
あまりにも早い別れに、周囲も胸を痛めた。竜王中柔道部の恩師、佐々木秀人さん(65)は「ワシより早くいっちゃダメだよ」と、声を震わせながら悲しんだ。中学時代の勝武士さんは稽古熱心で「何事にも一生懸命。体が小さいぶん、人の倍は稽古をしていた」と、170センチに満たない体で奮闘していた教え子を誇る。最後に会ったのは今年の2月だった。山梨県内で行われた竜電の後援会による激励会後に、佐々木さん、竜電、勝武士さんの3人だけで酒を酌み交わした。「そのときも元気だった。そんなにひどい糖尿病ではなかったと聞いていた。本当に残念」と肩を落とした。
09年に現師匠に部屋を譲った先代高田川親方の清水和一さん(75)は、勝武士さんの入門時を知っているだけに「びっくりした。まだ若いのに、考えられない」と驚きを隠せない様子。高田川親方の誘いを受けて入門したため、自身がスカウトした弟子ではなかったが「真面目な子。たまにふざける姿も見せていたけど、仕事に関しては無口で黙々とこなしていた」。丁寧な仕事ぶりを知っていただけに、沈痛な思いを吐露した。
◆勝武士幹士(しょうぶし・かんじ)本名・末武(すえたけ)清孝。1991年(平3)11月4日、山梨・甲府市生まれ。竜王中では柔道部に所属し、中学卒業後に高田川部屋に入門。07年春場所で初土俵を踏んだ。最高位は17年九州場所の東三段目11枚目で、通算79場所で260勝279敗。165センチ、107キロ。得意は突き、押し。 [日刊スポーツ 2020年5月13日21時21分]
桜を詠んだ歌3
巻7-1212: 足代過ぎて糸鹿の山の桜花散らずもあらなむ帰り来るまで
巻8-1425: あしひきの山桜花日並べてかく咲きたらばいたく恋ひめやも
巻8-1429: 娘子らがかざしのために風流士の蘰のためと.......
※若宮年魚麻呂(わかみやの-あゆまろ、生没年不詳)
奈良時代の歌人。経歴などは不明。「万葉集」巻3に歌1首をのこすほか、長歌2首、短歌2首の伝誦(でんしょう)者としてその名がしるされています。
巻8-1430: 去年の春逢へりし君に恋ひにてし桜の花は迎へけらしも
巻8-1440: 春雨のしくしく降るに高円の山の桜はいかにかあるらむ
※河邊東人(かわべのあづまひと、生没年不詳)
奈良時代の官吏。宝亀(ほうき)元(770)年石見守(いわみのかみ)となります。「万葉集」巻8に歌1首がおさめられています。
巻8-1456: この花の一節のうちに百種の言ぞ隠れるおほろかにすな
巻8-1457: この花の一節のうちは百種の言持ちかねて折らえけらずや
巻8-1458: やどにある桜の花は今もかも松風早み地に散るらむ
※厚見王(あつみおう、生没年不詳)
奈良時代の官吏。天平勝宝(てんぴょうしょうほう)6年(754)太皇太后藤原宮子の葬儀の御装束司(みそうぞくし)となります。7年伊勢(いせ)大神宮奉幣使(ほうへいし)となりました。「万葉集」に久米女郎(くめの-いらつめ)とのあいだの相聞歌(そうもんか)がみえます。
巻8-1459: 世間も常にしあらねばやどにある桜の花の散れるころかも
※久米女郎(くめのいらつめ、生没年不詳)
奈良時代の女性。万葉集にここにある厚見王との贈答歌があるだけです。
ウェブニュースより
自公、検察定年延長14日にも採決=野党は修正案、徹底抗戦へ ―― 検察官の定年を引き上げる検察庁法改正案について、自民、公明両党は12日の衆院内閣委員会理事懇談会で、13日の採決を提案した。立憲民主党など野党共同会派が拒否したため見送る方向だが、14日にも採決に踏み切り、週内に衆院を通過させる方針。野党は徹底抗戦の構えで、検察幹部の留任を特例的に可能とする条項を削除する修正案を提示した。
衆院内閣委は12日の理事懇談会で、13日は同法改正案の質疑を行い、採決については協議を続けることで折り合った。与党は14日に同委で、15日に衆院本会議で採決、参院に送付する日程を描く。週内の衆院通過を明言している自民党の森山裕国対委員長は記者団に「スケジュール感に変わりはない」と強調した。
同法改正案は、検察官の定年を63歳から65歳に段階的に引き上げる内容。63歳に達した検察幹部がポストから退く「役職定年」を設ける一方、「内閣が定める事由」がある場合、最大3年間、留任させることが可能となる。検察人事への恣意(しい)的な介入につながりかねないとして、野党は反対している。 (05/12 18:50 時事通信社)
桜を詠んだ歌2
巻6-0971: 白雲の龍田の山の露霜に色づく時にうち越えて.......(長歌)
※高橋虫麻呂(たかはしの-むしまろ、生没年不詳)
奈良前期の官人・歌人。藤原宇合(うまかい)の下僚と思われます。「高橋虫麻呂歌集」があり、伝説に取材した歌が多く万葉集に収められています。一説に「常陸風土記」の撰に関与したといわれています。
巻6-1047: やすみしし我が大君の高敷かす大和の国は.......(長歌)
※田辺福麻呂(さきまろ)
奈良時代の万葉歌人。下級官吏として世を終えたらしい。『万葉集』によると,天平 20 (748)年造酒司 (みきのつかさ) 令史で,左大臣橘諸兄(もろえ)の使いとして越中国におもむき、国守大伴家持らと遊宴し作歌しています。そのほか同12年頃から同16年頃にかけて、恭仁京、難波京に往来して作歌し、また東国での作もあります。『万葉集』に「田辺福麻呂之歌集所出歌」を含めて長歌10首、短歌34首を残しています。長歌の多いこと、主題、素材、表現に先行歌人の影響の著しいことが特色で、柿本人麻呂、山部赤人の流れをくむ宮廷歌人とみる説もあります。
ウェブニュースより
持ち帰り弁当など半額補助 名産牛ステーキも 兵庫・丹波篠山市 ―― 新型コロナウイルス感染拡大を受け、市民が弁当などの持ち帰り食品を購入する場合に半額を補助する丹波篠山市の「丹波篠山半額グルメ」が20日から始まった。食品の販売を促進することで、消費者と事業者双方を支援する。約50店の参加を見込んでおり、実施は7月末まで。
同市黒岡の飲食店と特産品などを扱うJA丹波ささやま直営店「特産館ささやま」(熊谷美鈴館長)ではこの日から看板メニューの「丹波篠山牛ステーキ弁当」(5000円)などが半額となり、さっそく来店客が買い求めていた。
半額グルメに参加するのは、本店が同市にあり丹波篠山観光協会会員か丹波篠山市飲食業組合員、市商工会会員などの店。市民が3000円以上の持ち帰り食品を購入した場合、半額になり、差額を市が事業者に補助する。1回の買い物の補助限度額は3万円。
熊谷館長は「団体客のキャンセルなど例年の今ごろに比べて70%ぐらい落ちている厳しい状況。半額グルメの事業はありがたい。この機会に市民の皆さんに丹波篠山牛のおいしさを改めて知ってもらう機会になれば」と期待を示した。
◇
また、同市は17日から、市役所の市民課窓口などで遮蔽(しゃへい)板の設置を始め、順次各支所などへも設置する予定という。
丹波市は、21日から予定していた「かいばら1番館」(同市柏原町柏原)のオープンを5月7日に延期した。同施設は観光客や地域住民、高校生の休息所や自習などのスペースとして活用される予定。 [毎日新聞2020年4月21日 12時00分(最終更新 4月21日 12時00分)]
桜(さくら)を詠んだ歌1
桜(さくら)はバラ科サクラ属です。3月~5月に日本を北上しながら白・ピンクの花を咲かせる日本の春を代表する花です。
ちなみに、桜(さくら)の語源の一つの説として、「さ」が田の神、「くら」は神の座(くら)のことだという説があります。
万葉集は梅ばかり詠んでいるのかというと、そうでもなくて桜を詠んだ歌もかなりあるんですね。万葉集の時代にも桜は人々に愛されていたようです。
巻3-0257: 天降りつく天の香具山霞立つ春に至れば松風に.......(長歌)
※鴨君足人(かものきみのたりひと、生没年不詳)
鴨君足人についてははっきりしたことは分かりませんが、藤原宮大極殿の地を鴨公というそうなので、そこに居住した祭祀の氏族かと思われます。
巻3-0260: 天降りつく神の香具山うち靡く春さり来れば桜花.......(長歌)
巻5-0829: 梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべくなりにてあらずや
※張氏福子(ちょうしの-ふくし、生没年不詳)
奈良時代の医師。大宰(だざいの)薬師。渡来系氏族で,「藤氏家伝」にみえる方士張福子と同一人とみられます。
小楢(こなら)を詠んだ歌
小楢(こなら)は、ブナ科コナラ属のの落葉高木です。15メートルくらいのものもあります。薪(たきぎ)、炭、家具などに使われます。5月頃に黄色い花を垂れ下げるように咲かせます。
万葉集には1首だけに登場します。
巻14-3424: 下つ毛野みかもの山のこ楢のすまぐはし子ろは誰が笥か持たむ
児の手柏を詠んだ歌
万葉集には2首に登場しますが、現在のどの草木にあたるのかはよく分かっていません。ここでは、ヒノキ科のコノテガシワ属の「児の手柏(このてかしわ)」を紹介させていただきます。「児の手柏(このてかしわ)」は4月頃に白いこんぺいとうのような花を咲かせます。
現在の「児の手柏(このてかしわ)」は、江戸時代に日本に来たという説があります。他の説としては、次のようなものがあります。
・柏(かしわ)の若葉
・男郎花(おとこえし): オミナエシ科の多年草
・柞(ははそ): 小楢(こなら)、橡(つるばみ)などのブナ科の樹木のこと
巻16-3836: 奈良山の児手柏の両面にかにもかくにも侫人の伴
※背奈 行文(せな の ゆきふみ、生没年不詳)
奈良時代の官吏。
幼少より学をこのみ明経第二博士となり、養老5年(721)学業優秀として賞されました。神亀(じんき)4年従五位下。「万葉集」にこの1首とられています。また「懐風藻」に従五位下大学助、年62とあり、五言詩2首が載っています。武蔵(むさし)高麗郡(埼玉県)出身。姓は消奈ともかきます。
巻20-4387: 千葉の野の児手柏のほほまれどあやに愛しみ置きて誰が来ぬ
三枝(さきくさ)を詠んだ歌
三枝(さきくさ)が何なのかははっきりしていません。三椏(みつまた)、福寿草(ふくじゅそう)、沈丁花(じんちょうげ)などの説があります。ここでは、三椏(みつまた)として説明します。
三椏(みつまた)はジンショウゲ科の落葉低木です。枝が先で3本ずつに分かれるので、この名前がついたとのことです。3月頃に、葉が出てくる前に黄色い毬(まり)のような花をつけます。樹皮は紙の原料としても有名です。
万葉集には2首に登場しますが、いずれも花そのものではなくて、枕詞として使われています。
0904: 世間の貴び願ふ七種の宝も我れは何せむに我が中の.......(長歌)
※山上憶良(660~733ころ)
奈良時代の万葉歌人。文武5 (701) 年遣唐少録として名を記録されたのが『続日本紀』の初出で,このとき 42歳で無位でした。霊亀2 (716) 年伯耆守し、養老5 (721) 年東宮 (のちの聖武天皇) 侍講となり、この頃『類聚歌林』を編纂したとされます。神亀2 (725) 年頃筑前守となり、同じ頃大宰帥となった大伴旅人らとともに盛んな作歌活動をし、いわゆる筑紫歌壇を形成しました。『万葉集』には長歌約 10首、短歌約 50~80首、旋頭歌1首があるが、彼の作とする歌の範囲については説が分れています。ほかに漢詩2首,漢文数編が収められています。『貧窮問答歌』に代表される社会や人生の問題を題材とした、思想性に富んだ歌が特色です。
1895: 春さればまづさきくさの幸くあらば後にも逢はむな恋ひそ我妹
枳(からたち)を詠んだ歌
枳(からたち)は、ミカン科カラタチ属の落葉低木です。4~5月頃に五弁の白い花を咲かせます。枝に大きいトゲがあります。温州みかんの台木として植えられたりするそうです。
中国が原産なので、中国の橘(たちばな)の意味の「唐橘(からたちばな)」の略で、「からたち」と呼ばれているそうです。漢字の「枳」は中国名の「枳殻(きこく)」からきているようです。
万葉集には、1首だけに詠まれていますが、あまり品が良い歌とは言えません。
巻16-3832:からたちと茨刈り除け倉建てむ屎遠くまれ櫛造る刀自
※忌部子首(いんべの-こびと、?~719年)
飛鳥~奈良時代の官吏。壬申(じんしん)の乱のとき大海人(おおあまの)皇子方の大伴吹負(おおともの-ふけい)に属しました。天武天皇9年弟の色弗(しこぶち)とともに連(むらじ)、のち宿禰(すくね)の姓(かばね)をあたえられます。10年川島皇子らとともに歴代天皇の系譜などをまとめました。のち伊勢(いせ)神宮奉幣使、出雲守。従四位上。養老3年閏(うるう)7月死去。名は首(おびと)ともいい、子人とも書きます。
茎立(くくたち)を詠んだ歌
茎立(くくたち)は、菜薹(とう)のたったカブ、アブラナなどの菜のことを言うようです。古代の食料として重要だったようです。
福島県や山形県などでは、現在でも「クキタチ」という名で春の摘み菜を売っているようです。例えば福島県喜多方市では「クキタチ菜のおひたし(惣菜)」が販売されているようです。
万葉集ではたった一首だけにしか詠まれていません。
巻14-3406: 上野の佐野の茎立折りはやしあれは待たむゑ今年来ずとも
ウェブニュースより
藤井七段、最年少挑戦難しく 将棋連盟、一部対局休止を続行 ―― 日本将棋連盟は8日、新型コロナウイルス特措法に基づく緊急事態宣言の延長を受け、遠距離移動を伴う対局の休止を31日まで続行すると発表した。対局延期の影響で、最年少タイトル挑戦を目指す藤井聡太七段(17)の記録更新は難しくなった。
藤井七段が唯一、最年少挑戦の可能性があるのは6月初旬に5番勝負が開幕予定の棋聖戦。本戦準決勝へ進出しており、挑戦権獲得まで、あと2勝に迫っている。
最年少挑戦は1989年、屋敷伸之九段(48)の17歳10カ月24日。7月19日に18歳となる藤井七段がこの記録を上回るには、6月11日までに棋聖戦の5番勝負に出場しなければならない。 (東京新聞 2020年5月8日 18時16分)
堅香子(かたかご)を詠んだ歌
堅香子(かたかご)は、カタクリと言われています。ユリ科のコバイモという説もあるそうですが、ここでは、カタクリとして説明します。片栗(かたくり)はユリ科の多年草です。山林の中に生える小さな(高さ、15センチほど)花です。3月~4月にかけて、紫がかったピンクの花びらの可憐な花を咲かせます。片栗粉の材料として有名ですが、今ではほとんどの片栗粉はジャガイモの澱粉(デンプン)から作られます。
万葉集にはたった1首にしか登場しませんが、大伴家持(おおとものやかもち)が詠んだ歌として有名です。
巻19-4143:もののふの八十娘子らが汲み乱ふ寺井の上の堅香子の花
櫻皮(かには)を詠んだ歌
櫻皮(かには)は、桜の木の樹皮(じゅひ)だと考えられています。桜、特に山桜や霞桜(かすみざくら)などの樹皮は、はがれにくい性質を持っているので、弓や家具などに巻いたり張ったりし、強く丈夫なものにすることができるのだそうです。
櫻皮(かには)は、白樺(しらかば)の樹皮だという説もあります。
万葉集には1首だけに詠まれていますが、その歌には「櫻皮(かには)巻き作れる舟」ということばがあり、この桜の皮を巻いて作った舟と考えられています。
0942: あぢさはふ妹が目離れて敷栲の…… (長歌)
巻19-4238: 君が行きもし久にあらば梅柳誰れとともにか我がかづらかむ
※久米広縄(くめの-ひろなわ)
生没年不明。奈良時代の官吏。天平20年(748)から3年あまり越中掾(じょう)。越中守大伴家持(おおともの-やかもち)らと布勢水海(ふせのみずうみ)(富山県氷見(ひみ)市)をたずね、内蔵縄麻呂(くらの-なわまろ)宅の宴に参加するなどして歌をよみました。「万葉集」巻18・19に、長歌1首、短歌8首があります。名は「ひろただ」「ひろつな」ともよみます。
巻19-4241: 春日野に斎く三諸の梅の花栄えてあり待て帰りくるまで
※藤原清河(ふじわらの-きよかわ)
生没年不明。奈良時代の廷臣。房前(ふささき)の4男。天平12(740)年従五位下、天平勝宝元(749)年参議、翌年遣唐使となり、同4年副使吉備真備 (きびのまきび)らとともに玄宗皇帝に謁し帰国の途中、暴風にあい安南に漂着、阿倍仲麻呂と長安に戻り、唐朝に仕え特進秘書監となりました。日本の朝廷では清河を帰国させるために使者をつかわしましたが、安史の乱に妨げられて帰国できませんでした。宝亀8(777)年、次の遣唐使が入唐したときも勅して清河に帰国を促しましたが、帰りませんでした。
巻19-4277: 袖垂れていざ我が園に鴬の木伝ひ散らす梅の花見に
※藤原永手(ふじわらの-ながて)
[生]和銅7(714).奈良。[没]宝亀2(771).2.22. 奈良。
奈良時代後期の廷臣。藤原北家の祖房前の子。天平勝宝6 (754)年従三位、のち権中納言に任じ,恵美押勝 (藤原仲麻呂)の乱中に大納言に進み、道鏡の政権のもとにあっても、右大臣、左大臣となり、道鏡排斥の頂点に立ってこれを成功に導きました。また称徳天皇が後嗣を決めずに没すると、白壁王を立てて光仁天皇とし、その功により宝亀1 (770) 年正一位、山城国相楽郡に 200町の山地を賜わったといいます。
巻19-4278: あしひきの山下ひかげかづらける上にやさらに梅をしのはむ
巻19-4282: 言繁み相問はなくに梅の花雪にしをれてうつろはむかも
※石上宅嗣(いそのかみのやかつぐ、729~781年)
奈良時代の文人、政治家。古代の豪族物部氏の一族石上氏の出身で、祖父は左大臣の麻呂、父は中納言の乙麻呂です。宅嗣は才敏で姿、ようすがすぐれ、言語、動作が閑雅であったと伝えます。はじめ相模、三河、上総などの国守を歴任、761年(天平宝字5)に遣唐副使に任ぜられますが、翌年なぜかこの職を解かれています。このころ、藤原良継らとともに、当時の実力者藤原仲麻呂を除こうと企てますが、良継がひとり責を負って罪を許されたといいます。
巻19-4283: 梅の花咲けるが中にふふめるは恋か隠れる雪を待つとか
※茨田王(まんだのおほきみ)
生没年不明。奈良時代の官吏。
宮内大輔(たいふ)、越前守、越中守となります。従五位上。天平勝宝(てんぴょうしょうほう)5年(753)石上宅嗣(いそのかみの-やかつぐ)宅の宴でよんだ歌1首が「万葉集」巻19にみえます。
巻19-4287: 鴬の鳴きし垣内ににほへりし梅この雪にうつろふらむか
巻20-4496: 恨めしく君はもあるか宿の梅の散り過ぐるまで見しめずありける
※大原今城( おおはらの-いまき、生没年不詳)
奈良時代の皇別氏族出身の官僚です。歌人。姓は真人。もと今城王といいました。穂積皇子と大伴坂上女郎の子とにわれます。天平11(739)年高安王らと共に大原真人の氏姓を与えられました。同20年兵部少丞正七位下などを経て、天平勝宝9(757)年、従五位下、治部少輔。天平宝字7(763)年左少弁に任じられますが、藤原仲麻呂の乱に連座して官職位階を奪われたようです。宝亀2(771)年従五位下に復し兵部少輔になり、翌年駿河守に任じられたとあるのが史料にみえる官歴の最後です。『万葉集』に18首の歌を残し、大伴家持と親交のあったことが知られます。
巻20-4497: 見むと言はば否と言はめや梅の花散り過ぐるまで君が来まさぬ
巻20-4500: 梅の花香をかぐはしみ遠けども心もしのに君をしぞ思ふ
巻20-4502: 梅の花咲き散る春の長き日を見れども飽かぬ礒にもあるかも
※伊香王(いかごおう、生没年不詳)
奈良時代の官吏。敏達(びだつ)天皇の子孫といいます。天平勝宝(てんぴょうしょうほう)3年(751)甘南備(かんなび)の氏をあたえられました。主税頭(ちからのかみ)、越中守(かみ)などをつとめました。大伴家持(やかもち)と親交があり、「万葉集」に和歌4首がのせられています。
以上で、「梅を詠んだ歌」をおわります。
巻10-2335: 咲き出照る梅の下枝に置く露の消ぬべく妹に恋ふるこのころ
巻10-2344: 梅の花それとも見えず降る雪のいちしろけむな間使遣らば
巻10-2349: 我が宿に咲きたる梅を月夜よみ宵々見せむ君をこそ待て
[題詞]追和大宰之時梅花新歌六首(巻17-3901~3906)
[題訓]太宰の時の梅花に追ひて和(こた)ふる新(あら)たしき歌六首
※「大宰(だざい)の時の梅花」は、天平2(西暦730)年1月13日、大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅で詠まれた歌(0815番: 正月立ち春の来らばかくしこそ……~)のことです。
巻17-3901: み冬継ぎ春は来たれど梅の花君にしあらねば招く人もなし
巻17-3902: 梅の花み山としみにありともやかくのみ君は見れど飽かにせむ
巻17-3903: 春雨に萌えし柳か梅の花ともに後れぬ常の物かも
巻17-3904: 梅の花いつは折らじといとはねど咲きの盛りは惜しきものなり
巻17-3905: 遊ぶ内の楽しき庭に梅柳折りかざしてば思ひなみかも
巻17-3906: 御園生の百木の梅の散る花し天に飛び上がり雪と降りけむ
[左注] 右十二年十二月九日大伴宿禰書持作
[注訓]右は、十二年十二月九日、大伴宿禰書持作れり
※大伴書持(ふみもち)
没年:天平18(746) 生年:生年不詳
奈良時代の官人。旅人の子。家持の弟。天平10(738)年橘奈良麻呂の宴に家持らと共に列しました。11年妾の死を悲しむ家持の歌に和しています。13年には奈良の宅にあって恭仁京の家持に霍公鳥を詠む歌を贈りました。没後、佐保山(奈良市)に火葬され、越中(富山県)にいた家持は哀傷歌を詠んでいます。花草花樹を愛し、多く庭に植えたといいます。
巻18-4041: 梅の花咲き散る園に我れ行かむ君が使を片待ちがてら
※田辺福麻呂(たなべのさきまろ)
生没年不明 奈良時代の官吏、歌人。
天平20 (748) 年造酒司(さけのつかさ)の令史(さかん)のとき、左大臣橘諸兄(たちばなの-もろえ)の使者として越中(富山県)の大伴家持(おおとものやかもち)の館におもむき、宴席などでよんだ短歌13首が「万葉集」にあります。別に「田辺福麻呂歌集」より長歌10、短歌21首が「万葉集」に採録されており、万葉最後の宮廷歌人とかんがえられます。
巻18-4134: 雪の上に照れる月夜に梅の花折りて送らむはしき子もがも
巻19-4174: 春のうちの楽しき終は梅の花手折り招きつつ遊ぶにあるべし
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