葦を詠める歌5
巻11-2468:港葦に交じれる草のしり草の人皆知りぬ我が下思ひは
巻11-2565:花ぐはし葦垣越しにただ一目相見し子ゆゑ千たび嘆きつ
巻11-2576:人間守り葦垣越しに我妹子を相見しからに言ぞさだ多き
巻11-2651:難波人葦火焚く屋の煤してあれどおのが妻こそ常めづらしき
巻11-2745:港入りの葦別け小舟障り多み我が思ふ君に逢はぬころかも
巻11-2748:大船に葦荷刈り積みしみみにも妹は心に乗りにけるかも
巻11-2762:葦垣の中の和草にこやかに我れと笑まして人に知らゆな
巻11-2833:葦鴨のすだく池水溢るともまけ溝の辺に我れ越えめやも
ウェブニュースより
橋本会長もコーツ氏もルール破り 範示さぬ「五輪大物」ら、ハグする幹部も ―― 東京五輪・パラリンピックの選手・関係者らの行動ルールを定めた「プレーブック」。新型コロナウイルス感染対策のため、ハグの禁止や社会的距離の確保などを列挙しているが、先週、橋本聖子会長ら大会組織委員会のメンバーや国際オリンピック委員会(IOC)の幹部らがルールをおろそかにする場面を東京都内で目撃した。「大物」だからといって、守らなくていいわけはない。選手や観客にルール順守を求めるなら、まず自分たちが範を示すべきだ。(原田遼)
23日午後1時半、有明体操競技場(東京都江東区)の1階通用口にワゴン車2台が寄せられた。視察に訪れたIOCのコーツ調整委員長、ギラディ調整副委員長、デュビ五輪統括部長の3人が車内から出てくると、橋本会長ら数人の組織委幹部らが肘タッチで出迎えた。
それだけにとどまらず、ギラディ氏は顔なじみの職員を見つけると、がっちりハグを交わした。とがめる人は誰もいなかった。
3人は来日して約1週間。特例で用務先での活動のみ許されるが、2週間の隔離を求められている身だ。全員がマスクを着用しているとはいえ、こんなに接触しては何のための隔離期間なのか分からない。
視察の模様は代表撮影方式だったため、ハグの瞬間の写真はない。しかし私は、報道陣の待機場所となっていた2階踊り場から真下を見下ろして目撃したので、間違いない。
その後、一行はわれわれのいる踊り場まで来て、そこでも橋本氏とコーツ氏は肩を寄せ合って談笑していた。一行はカメラマンがいる会場内に入ると、距離を空けて座り、イヤホンとマイクを使って会話をした。
プレーブックは「選手向け」「オリンピック・ファミリー(IOC委員ら)向け」「メディア向け」などに分かれ、国内外で公表されている。そこには共通して「マスク着用の義務」「公共交通機関の利用禁止」などとともに、「ハグや握手などの物理的な接触を避ける」「人との距離は少なくとも1メートルを確保する」などとイラスト入りで紹介している。
私は25日の定例会見で「違反行為ではなかったか」と質問すると、橋本氏は「マイク、イヤホンの状況がよくなかったので、近くで聞いてしまった。離れなければいけなかった。(選手らに)お願いする以上、主催者がより徹底した行動管理をしないといけない」と釈明した。肘タッチや同僚がしていたハグは「したかどうか分からない」と言葉を濁した。
「それくらい、いいのでは」という意見はあるかもしれないが、厳しいルールを作ったのは当人たちだ。組織委は「違反した場合は資格停止などの措置を取る」とするが、ルールをおろそかにする主催者がどうして処罰をできるだろうか。
この日の会見でもいつも通り「安全、安心」という言葉を繰り返したが、その前にプレーブックの熟読と順守が必要だろう。 (東京新聞 2021年6月29日 06時00分)
双子パンダ、2頭とも健康で体重増加中 シンシンが赤ちゃん気遣う様子も ――東京・上野動物園は29日、23日に誕生したジャイアントパンダの双子について「2頭とも健康状態は良好で、体重が増加し始めた」と発表した。性別はまだ不明。母親のシンシン(雌、15歳)も、問題なく子どもの世話をしているという。29日に公開された最新の動画では、シンシンがえさを食べながらも、右腕でだっこした赤ちゃんをしきりに気遣う様子もみられる。
同園はシンシンが1頭の世話をしている間、もう1頭は保育器で飼育管理。1日おきに入れ替えている。子どもたちは母親に抱かれているときは乳房から、保育器ではシンシンから搾乳した母乳を獣医師から与えられて飲んでいる。ともに健康状態は良好で、26日ごろから体重が増加し始めたという。同園は個体の間違いを防ぐため、出産後に取り上げて保育器に移した子ども1の背中に印をつけた。
子ども1は25日時点で体重116グラムだったが、28日には体重134グラム、体長15.0センチに。出産後にシンシンがずっと抱いていた子ども2は25日の体重131グラムから、28日には体重166グラム、体長17.0センチと、ともにスクスク成長している。
シンシンは食欲も少しずつ戻っている。25日朝に出産後初のえさとしてタケノコ3本食べて以降、タケノコの量を徐々に増やしている。25日午後には、初めて葉を食べた。現在は園内で採取された新鮮なヤダケやクマザサ、トウチクなどの葉が与えられている。産室内で過ごしており「出産による疲労が見受けられるが、健康状態に特に問題はありません」という。 [日刊スポーツ 2021年6月29日17時35分]
葦を詠める歌4
巻9-1804:父母が成しのまにまに箸向ふ弟の命は.......(長歌)
標題:哀弟死去作歌一首并短歌
標訓:弟の死去(みまか)れるを哀(かな)しびて作れる謌一首并せて短謌
原文:父母賀 成乃任尓 箸向 弟乃命者 朝露乃 銷易杵壽 神之共 荒競不勝而 葦原乃 水穂之國尓 家無哉 又還不来 遠津國 黄泉乃界丹 蔓都多乃 各各向々 天雲乃 別石徃者 闇夜成 思迷匍匐 所射十六乃 意矣痛 葦垣之 思乱而 春鳥能 啼耳鳴乍 味澤相 宵晝不云 蜻蜒火之 心所燎管 悲悽別焉
万葉集 巻9-1804
作者:田辺福麻呂
よみ:父母が 成(な)しのまにまに 箸(はし)向(むか)ふ 弟(おと)の命(みこと)は 朝露の 消(け)やすき命(いのち) 神の共(むた) 争ひかねて 葦原の 瑞穂の国に 家なみか また帰り来ぬ 遠つ国 黄泉(よみ)の境(さかひ)に 延(は)ふ蔦(つた)の おのが向き向き 天雲の 別れし行(い)けば 闇夜(やみよ)なす 思ひ惑(まと)はひ 射(い)ゆ鹿(しし)の 心(こころ)を痛み 葦垣の 思ひ乱れて 春鳥の 哭(ね)のみ泣(な)きつつ あぢさはふ 夜昼(よるひる)知らず かぎろひの 心(こころ)燃(も)えつつ 悲しび別る
意訳:父さん母さんが生んで下さった順序のままに、箸のように揃って育ったたいせつな私の弟は、消えやすい朝露のようにはかない寿命で、神の思し召しに背くこともできなくて、この葦原の瑞穂の国に我が家がないとでも思うのか、息閉じたまま二度と帰って来ない。遠い遠い黄泉の地に、勝手に顔を向けて、天雲のように別れて行くというものだから、残される私は闇夜に紛れるように途方に暮れ、悲しみに心が痛むままに、あれこれ取り乱し、春鳥のように声張りあげて泣いたりもし、夜と昼のけじめもわからないほど狂おしい心をたぎらせてたりもし、途方もない悲しみに暮れながら野辺の送りに別れを告げるのだ。
左注:右七首田邊福麻呂之歌集出
注訓:右の七首は田邊福麻呂の歌集に出でたり。
巻10-2134:葦辺なる荻の葉さやぎ秋風の吹き来るなへに雁鳴き渡る
巻10-2135:おしてる難波堀江の葦辺には雁寝たるかも霜の降らくに
ウェブニュースより
香港紙元主筆、渡英直前に逮捕 国家安全法違反容疑 ―― 香港警察は27日夜、24日付で廃刊した香港紙・蘋果日報(アップル・デイリー)の元主筆の一人、馮偉光氏を香港国家安全維持法違反容疑で逮捕した。馮氏は英国に渡るため、香港国際空港にいるところを逮捕された。主要な香港メディアが報じた。
馮氏は「盧峯」のペンネームで社説執筆を担当していた。英文版アップル・デイリーの執行編集長も務めていた。外国勢力と結託して、国家安全に危害を加えた疑いが持たれている。社説の内容が問題視された可能性がある。
同紙をめぐっては今月、発行会社の張剣虹・最高経営責任者(CEO)や羅偉光・編集長、関連法人3社が国家安全法違反罪で起訴された。当局から法人の資産を凍結されたため、運営が立ちゆかなくなり、24日付で廃刊に追い込まれた。すでに別の主筆も逮捕されており、逮捕者はこの2週間足らずで7人になった。 【日本經濟新聞 2021年6月28日 10:04】
藤井聡太王位、29日から防衛戦 「盤上に集中する」 ―― 藤井聡太王位(18)=棋聖と合わせ二冠=に豊島将之竜王(31)=叡王と合わせ二冠=が挑戦する将棋の第62期王位戦七番勝負(新聞三社連合主催)が29日、名古屋市で開幕する。藤井王位は進行中の第92期棋聖戦に続き、二つ目のタイトル防衛戦に臨む。
藤井王位は昨年の棋聖戦五番勝負で、当時棋聖の渡辺明名人(37)=棋王・王将と合わせ三冠=を3勝1敗で破り、史上最年少で初タイトルを獲得。続いて王位戦七番勝負で木村一基九段(48)から4連勝で王位を奪い、二冠に。タイトル通算2期獲得で八段に昇段した。今年、棋聖か王位のいずれかを防衛するか、新たなタイトルを獲得すれば、タイトル通算3期獲得となり、最年少で九段に昇段する。渡辺名人の挑戦を受けている棋聖戦五番勝負では、開幕から2連勝し、初防衛にあと1勝と迫っている。
王位戦の挑戦者の豊島竜王は、藤井王位がこれまで公式戦で1勝6敗と最も負けている相手。7月に始まる叡王戦五番勝負では、藤井王位が豊島竜王に挑むことが決まっており、棋界トップ2人の勝負としても注目される。
藤井王位と豊島竜王は28日、それぞれ記者会見に臨んだ。藤井王位は「過去の対戦成績で大きく負け越している、非常に手ごわい相手だが、そういうことを考えずに盤上に集中する気持ちで戦いたい」。豊島竜王は「藤井さんは特別な才能を持った方。若くてどんどん強くなられている。なんとかいい勝負ができるように頑張りたい」と話した。
王位戦七番勝負は持ち時間が各8時間の2日制。第1局は名古屋市中区の名古屋能楽堂で29日午前9時に始まり、夕方に封じ手を行う。30日午前9時に再開し、同日夜に決着する見込み。 (朝日新聞DIGITAL 2021年6月28日 18時49分)
葦を詠める歌3
巻6-0961:湯の原に鳴く葦鶴は我がごとく妹に恋ふれや時わかず鳴く
◎大伴旅人は神亀5年(728)から天平2年(730)の大宰府の長官としての在任中に妻大伴郎女を亡くしますが、その悲しみを次田の湯の原に鳴く鶴の姿に重ねて詠んだものです。
次田は現在の二日市温泉で、柳並木の温泉街の真ん中あたりに歌碑があります。
巻6-1062:やすみしし我が大君のあり通ふ難波の宮は.......(長歌)
標題:難波宮作謌一首并短謌
標訓:難波宮にして作れる謌一首并せて短謌
原文:安見知之 吾大王乃 在通 名庭乃宮者 不知魚取 海片就而 玉拾 濱邊乎近見 朝羽振 浪之聲参 夕薙丹 櫂合之聲所聆 暁之 寐覺尓聞者 海石之 塩干乃共 納渚尓波 千鳥妻呼 葭部尓波 鶴鳴動 視人乃 語丹為者 聞人之 視巻欲為 御食向 味原宮者 雖見不飽香聞 (参は足+参の当字)
万葉集 巻6-1062
作者:田辺福麻呂
よみ:やすみしし 我が大君(おほきみ)の あり通ふ 難波の宮は 鯨魚(いさな)取り 海(うみ)片付きて 玉(たま)拾(ひり)ふ 浜辺を近み 朝羽(あさは)振る 波の音(おと)騒ぎ 夕なぎに 楫の音(おん)聞こゆ 暁(あかとき)の 寝覚(ねざめ)に聞けば 海石(いくり)の 潮干(しほひ)の共(むた) 浦洲(うらす)には 千鳥妻呼び 葦辺(あしへ)には 鶴(たづ)が音(ね)響(とよ)む 見る人の 語りにすれば 聞く人の 見まく欲(ほ)りする 御食(みけ)向(むか)ふ 味原(あぢふ)の宮は 見れど飽かぬかも
意訳:安らかに天下を支配されるわれらの大君の、いつもお通いになる難波の宮は、海に接していて玉を拾う浜辺が近いので、朝に揺れ立つ波がざわめき、夕なぎに舟を漕ぐ櫓の音が聞こえる。明け方の寝覚めに耳を澄ませると、暗礁のあたりまで引き潮になるにつれて、浜の洲では千鳥が妻を呼び求めて鳴き、葦辺には鶴が鳴き立てている。見る人が語りぐさにすると、聞く人もぜひ見たいと思うこの味経の宮は、見ても見ても見飽きることがない。
左注:右廿一首田邊福麻呂之歌集中出也
注訓:右の二十一首は、田邊福麻呂の歌集の中に出でたり
※田邊福麻呂(たなべ/たのべ の さきまろ、生没年不詳)
奈良時代の下級官人です。万葉歌人。姓は史(ふひと)です。
田辺氏(田辺史)は百済系渡来氏族で、西文氏のもとで文筆・記録の職掌についた史部の一族と想定されます。
天平20年(748年)、造酒司の令史のとき、橘諸兄の使者として越中守・大伴家持のもとを訪れ、ここに新しき歌を作り、幷せて便ち古詠を誦(よ)み、各(おのもおのも)心緒(おもひ)を延ぶ」とあります。また、越中掾の久米広縄の館でも饗宴を受け、歌を詠んだともあります。福麻呂の和歌作品は『万葉集』に44首が収められています。巻18に短歌13首があり、巻6・巻9にある長歌10首とその反歌21首は「田辺福麻呂の歌集に出づ」とあります。それらの歌は用字・作風などから福麻呂の作と見られています。
巻6-1064:潮干れば葦辺に騒く白鶴の妻呼ぶ声は宮もとどろに
巻7-1288:港の葦の末葉を誰れか手折りし我が背子が振る手を見むと我れぞ手折りし
巻7-1324:葦の根のねもころ思ひて結びてし玉の緒といはば人解かめやも
葦を詠める歌2
巻3-0352:葦辺には鶴がね鳴きて港風寒く吹くらむ津乎の崎はも
※若湯座王(わかゆえのおおきみ、生没年未詳)
伝不詳。万葉集巻三に一首掲載。巻三の排列からすると、天平初年頃生存か。
◎「津乎の崎」は所在未詳。難波津付近、琵琶湖沿岸などの説があります。かつて旅した地を思い出しての詠でしょう。
巻4-0617:葦辺より満ち来る潮のいや増しに思へか君が忘れかねつる
※山口女王(やまぐちのおおきみ、生没年未詳)
伝不詳。万葉集巻四に五首、巻八に一首、大伴家持に贈った歌があります。勅撰集では新古今集に二首、続後撰集に一首、玉葉集に一首入集しています。
巻6-0919:若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る
巻6-0928:おしてる難波の国は葦垣の古りにし里と人皆の.......(長歌)
標題:冬十月幸于難波宮時笠朝臣金村作歌一首[并短歌]
標訓:冬十月、難波(なには)の宮に幸しし時に、笠朝臣金村の作れる歌一首并せて短歌
原文:忍照 難波乃國者 葦垣乃 古郷跡 人皆之 念息而 都礼母無 有之間尓 續麻成 長柄之宮尓 真木柱 太高敷而 食國乎 治賜者 奥鳥 味經乃原尓 物部乃 八十伴雄者 廬為而 都成有 旅者安礼十方
万葉集 巻6-0928
作者:笠朝臣金村
よみ:押(お)し照(て)る 難波の国は 葦垣(あしかき)の 古(ふ)りにし郷(さと)と 人皆の 思(おも)ひ息(やす)みて つれも無く ありし間(あひだ)に積麻(うみを)なす 長柄(ながら)の宮に 真木柱(まきばしら) 太高(ふとたか)敷きて 食国(をすくに)を 治めたまへば 沖つ鳥 味経(あぢふ)の原に もののふの 八十伴(やそとも)の緒(を)は 廬(いほり)して 都(みやこ)なしたり 旅にはあれども
意訳:一面に日が輝く難波の国は、葦垣が枯れたような古い都と人々が皆忘れてしまって、見向きもしなかったが、積んだ麻糸のように長い長柄の宮に、立派な柱を太く高く天皇が君臨なさりご領地をお治めになると、沖を飛ぶ鳥の味経の原に、もののふのたくさんの廷臣たちは仮の宿りを作ってさながら京のように作り上げたことだ。旅ではあるのだけれど
※笠金村(かさのかなむら、生没年不詳)
奈良時代の歌人です。微官であったらしく経歴も不明です。『万葉集』によってのみ知られ、霊亀1~天平5(715~733)年までの作歌が明らかです。長歌11首、短歌34首(「笠朝臣金村歌集に出づ」などとして掲げられる作を含む)が残り、元正・聖武天皇の行幸に供奉したときの歌が半数を占めます。同様に宮廷を中心として活躍した車持千年、山部赤人と並ぶ際には、その作が先に配されるところから、あるいは両者より重きをなしていたかともみられます。霊亀1年(2年説も)の施基(志貴)親王のための挽歌は、対話による劇的な構成をとり、異色ある風をのぞかせていますが、行幸従駕歌は、おおむね平板で独創味に乏しい。ただし、その行幸従駕歌は、当時の宮廷人一般の享楽的な態度と嗜好を敏感に反映しており、総じて、『万葉集』において宮廷的な風雅をいちはやく体現した歌人として位置づけられましょう。
ウェブニュースより
藤井聡太2冠が豊島叡王への挑戦権獲得、3冠かけ最大12番の頂上対決 ―― 藤井聡太2冠(棋聖・王位=18)が豊島将之叡王(竜王=31)への挑戦権を獲得した。26日午前10時から都内で始まった将棋の第6期叡王戦挑戦者決定戦で、斎藤慎太郎八段(28)を午後5時2分、114手で下した。
藤井は叡王戦初登場。豊島の挑戦を受けて、掛け持ちとなる王位戦7番勝負とは立場が入れ替わる。注目の5番勝負第1局は7月25日、東京都千代田区「江戸総鎮守神田明神」で開幕する。
◇ ◇ ◇
藤井が斎藤の先制攻撃をうまくいなして、かわしたかと思うとガッチリ受け止める。攻め手が緩んだ瞬間を見逃さず、反撃に転じる。あとはリードを広げる一方。5月まで名人戦7番勝負に挑戦していた斎藤を投了に追い込み、叡王戦初登場を決めた。「序盤に軽率なところがあった。うまく攻め込まれて苦しい時間が長い将棋だった」と冷静に振り返った。
https://www.youtube.com/watch?v=JKNEAOt5XNM
叡王戦は相性が良くなかった。17年は本戦入りしたが、深浦康市九段に大逆転負けした。翌18年も斎藤に本戦初戦で敗れている。19年は七段予選の初戦で村山慈明に黒星を喫した。タイトル保持者として臨んだ今期、長沼洋、師匠の杉本昌隆、広瀬章人を下して八段予選を突破。16人による本戦でも行方尚史九段、永瀬拓矢王座、丸山忠久九段、斎藤とタイトル戦登場経験のある先輩棋士を撃破して、挑戦権を得た。
現在、渡辺明名人の挑戦を受ける棋聖戦5番勝負は連勝し、防衛まであと1勝としている。来週29日からは豊島の挑戦を受ける王位戦7番勝負が始まる。それに掛け持ちで叡王戦5番勝負が加わった。
豊島との対戦成績は、1勝6敗と分が悪い。デビュー1年目の17年8月、棋王戦挑戦者決定トーナメントで敗れて以来、昨年10月の王将戦挑戦者決定リーグ戦まで6連敗だった。今年1月の朝日杯準々決勝でようやく初勝利を挙げた。「かなり手ごわい相手。こちらも頑張って盛り上げられるようにしたい」と話す。
1年前、史上最年少で初タイトルとなる棋聖を獲得した3日後に18歳となった。誕生日前日会見で、「強くなりたい」と抱負を語った。たくわえた力を試すにはまたとない相手。王位戦も合わせた最大12番にも及ぶ頂上対決で、今後の将棋界の勢力分布図が明らかになる。 [日刊スポーツ 2021年6月26日20時11分]
葦(あし/よし)を詠める歌1
池や沼などに生えるイネ科の多年草です。かなり大きくなり、3メートル近くまでにもなります。茎は硬く、中空で節があります。
葦(あし)という呼び名は、「悪(あ)し」を思い起こさせるので、後にヨシ(良し)に変えられました。植物分類学では「ヨシ」を標準和名としているそうです。
万葉集には50首ほどに登場します。雁や、港などといっしょに詠まれた歌も多いようです。
巻1-0064:葦辺行く鴨の羽交ひに霜降りて寒き夕は大和し思ほゆ
◎この歌は文武天皇が難波宮に行幸された時に従駕した志貴皇子(しきのみこ)が詠んだ一首です。志貴皇子は天智天皇の皇子でしたが、壬申の乱のときにはまだ幼かったために命を奪われずにすみました。
難波宮は現在の大阪市中央区にあり孝徳天皇のころに京のあった場所です。志貴皇子たちが訪れたこの時期にはすでに京は大和の明日香を経て藤原京に遷っており、難波宮の宮室も686年の火災で全焼したあとでしたがかつての宮としての機能そのものはまだ残っていたのでしょうね。そんな難波宮での寒き夕べに大和を思い出して詠まれた一首ですが、この歌も大和の土地そのものというよりはそこに残してきた妻を想っての歌のように思えます。遠き難波の地での夕刻に、心も身体も凍えて消えてしまいそうな不安を大和の妻を一心に想うことで鎮めようとしたのでしょう。
巻2-0128:我が聞きし耳によく似る葦の末の足ひく我が背つとめ給ぶべし
◎『万葉集』の歌人。集中、石川郎女(女郎)と表記される人物が多く、それぞれ同一かどうか古来論議の的となってきましたが、
(1)天智(てんじ)朝(661~671)に久米禅師(くめのぜんじ)と贈答した人、
(2)持統(じとう)朝(686~697)に大津(おおつ)皇子、草壁皇子と贈答した人、
(3)文武(もんむ)朝(697~707)に大伴田主(おおとものたぬし)、大伴宿奈麻呂(すくなまろ)と贈答した人、
の3人に分ける説が穏当でしょう。(1)には恋の掛け合いの巧みさがみられ、(2)には政治的な抗争を背景とする両皇子への恋物語的な興味が寄せられ、(3)には歌のやりとり自体の社交的なおもしろみが込められています。(1)(2)(3)はそれぞれの時代の恋歌表現の典型を示しているとみられます。
※大伴田主(おおとものたぬし、生没年不詳)
奈良時代の歌人。大伴安麻呂(やすまろ)・巨勢郎女(こせの-いらつめ)の子です。大伴旅人(たびと)の弟になります。「万葉集」巻2に「容姿佳艶(かえん)にして風流秀絶なり」とあり、石川郎女との贈答歌が1首のこされています。字(あざな)は仲(中)郎(ちゅうろう)とあります。
巻2-0167:天地の初めの時ひさかたの天の河原に.......(長歌)
標題:日並皇子尊殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首[并短歌]
標訓:日並皇子尊(ひなめしのみこのみこと)の殯宮(あらきのみや)の時に、柿本朝臣人麿の作れる歌一首并せて短歌
原文:天地之 <初時> 久堅之 天河原尓 八百萬 千萬神之 神集 々座而 神分 々之時尓 天照 日女之命 [一云 指上 日女之命] 天乎婆 所知食登 葦原乃 水穂之國乎 天地之 依相之極 所知行 神之命等 天雲之 八重掻別而 [一云 天雲之 八重雲別而] 神下 座奉之 高照 日之皇子波 飛鳥之 浄之宮尓 神随 太布座而 天皇之 敷座國等 天原 石門乎開 神上 々座奴 [一云 神登 座尓之可婆] 吾王 皇子之命乃 天下 所知食世者 春花之 貴在等 望月乃 満波之計武跡 天下 [一云 食國] 四方之人乃 大船之 思憑而 天水 仰而待尓 何方尓 御念食可 由縁母無 真弓乃岡尓 宮柱 太布座 御在香乎 高知座而 明言尓 御言不御問 日月之 數多成塗 其故 皇子之宮人 行方不知毛 [一云 刺竹之 皇子宮人 歸邊不知尓為]
万葉集 巻2-0167
作者:柿本人麻呂
よみ:天地の 初めの時 ひさかたの 天の河原に 八百万 千万神の 神集ひ 集ひいまして 神分り 分りし時に 天照らす 日女の命 [一云 さしのぼる 日女の命] 天をば 知らしめすと 葦原の 瑞穂の国を 天地の 寄り合ひの極み 知らしめす 神の命と 天雲の 八重かき別きて [一云 天雲の八重雲別きて] 神下し いませまつりし 高照らす 日の御子は 飛ぶ鳥の 清御原の宮に 神ながら 太敷きまして すめろきの 敷きます国と 天の原 岩戸を開き 神上り 上りいましぬ [一云 神登り いましにしかば] 我が大君 皇子の命の 天の下 知らしめしせば 春花の 貴くあらむと 望月の 満しけむと 天の下 食す国 四方の人の 大船の 思ひ頼みて 天つ水 仰ぎて待つに いかさまに 思ほしめせか つれもなき 真弓の岡に 宮柱 太敷きいまし みあらかを 高知りまして 朝言に 御言問はさぬ 日月の 数多くなりぬれ そこ故に 皇子の宮人 ゆくへ知らずも [一云 さす竹の 皇子の宮人 ゆくへ知らにす]
意訳:天地創造のはじめのときに遥か彼方の天の河原に、八百万、一千万の神々がお集まりになって、神々をそれぞれの支配すべき国々に神としてお分かちになったとき、天照大神は天を支配されるというので、その下の葦原の中つ国を天地の接する果てまで統治なさる神の命として、天雲の八重に重なる雲をかき分けて神々しくお下りになった天高く輝く日の皇子は、明日香の浄御原の宮に神として御統治なさり、やがて天上を天皇のお治めになる永生の国として天の石門を開いて神としてお登りになった。その後わが大君たる皇子の尊が天下を御統治なさったなら、春の花のように貴いことだろうと、満月のようにみち足りることだろうと、天下のあちらこちらの人々がまるで大船のような大きな期待をもって、天からの慈雨を待ち仰ぐようであったのに、どうしたことか、ゆかりもない真弓の岡に宮殿の柱をりっぱにお建てになり宮殿を高々とお作りになって、毎朝の奉仕にもおことばを賜らぬ月日が多くなったことだ。そのために皇子の宮にお仕えした人々は、どうしたらよいか途方にくれているのです。
◎この歌は草壁皇子が亡くなったのを悼み柿本人麿が詠んだ長歌です。
大津皇子謀殺の原因としてこの草壁皇子との皇位争いがあったこともあり、あまりよい印象をもたれている方は少ないかも知れません。
しかし、これ以後紹介する草壁皇子に仕えた柿本人麿や舎人(宮殿などに出仕し仕える人々)が草壁皇子の死を悲しんで詠んだ挽歌を読んでいただければ、この皇子もまた多くの人々に慕われていたことを実感していただけるかと思います。もちろん、宮廷歌人や舎人たちが支配階級である草壁皇子の死を悼んで詠んだわけですから、多少大げさな表現になってしまうのは仕方のないことですし、歌の内容をそのまま彼らの心と解釈してしまうのも危険ですが、それでもそこから読み解ける真実の想いがあるように思います。
生まれながらにして病弱だったために皇位争いでは不利な立場に居た草壁皇子。しかし、その人柄はやはり舎人たちの歌に詠われるように、人々に愛され慕われるものだったのではないでしょうか。
秋の香(か)を詠める歌
万葉歌に詠まれている「秋の香(か)」は松茸(まつたけ)のことと考えられています。松茸(まつたけ)は、キシメジ科のキノコで、日本原産といわれています。日本では、古代から秋の香りをたのしめるキノコとして親しまれてきました。万葉集には1首だけに詠まれています。
巻10-2233:高松のこの峰も狭に笠立てて満ち盛りたる秋の香のよさ
◎この歌は『万葉集』で唯一「芳(か)を詠める」と題された歌です。「笠立てて」と表現されていることから、とくに山に生えたきのこの芳香を詠んだ歌とみられます。きのこ狩りを楽しんだことがある人には、実感としてご理解いただけるかもしれません。
山に生えるきのこと言っても、その種類は豊富です。おなじみのシイタケやシメジやマイタケなどにも特有の香りがありますが、最も香り高いきのこといえばマツタケだ、という意見で一致するのではないでしょうか。
マツタケは現代日本で特に珍重され、高値で取引されるのが秋の風物詩となっています。焼き物や土瓶蒸しとして食卓にのぼるだけでなく、食用の合成香料まであることから、その独特の香りがいかに日本人に好まれているかがわかります。
「高松のこの峯」とは、奈良市の高円(たかまど)山を指すと考えられています。同じ用字は『万葉集』中に複数例みられるので、この歌だけが特別ではありません。しかし、「松」「笠」「香」と漢字が並べられているのを見ると、マツタケを示そうとしたのでは、と考えたくなります。
高円山は、平城京の郊外にあたり、聖武天皇の離宮も営まれました。万葉歌では秋萩の名所というイメージがありますが、この歌ではあえて秋のきのこを詠んでいるところに面白味を感じます。
ウェブニュースより
ワクチン接種1日100万回超え 6月、政府目標達成 高齢者の半数、1回目終える ―― 政府は24日、新型コロナウイルスワクチンの接種実績に関し、6月9日や15~17日に1日あたりの接種回数が政府目標の100万回を超えたと発表した。少なくとも1回目の接種を終えた65歳以上の高齢者の割合も51%と半数を超えた。
首相官邸のホームページで24日に公表されたデータによると、6月9日と15日の接種回数は100万回、16日は103万回、17日は102万回だった。データでは14日も103万回だが、同日は月曜日で、集計の仕組み上、土日に接種した医療従事者分も含む。
政府は接種実績の把握にワクチン接種記録システム(VRS)を使う。専用タブレットで接種券を読み取り、接種した人の氏名やワクチンの種類などを記録している。接種後1~2週間分をまとめて入力する自治体もあり、日数がたつにつれて接種回数のデータが積み増されていく傾向にある。
河野太郎規制改革相は24日のフジテレビ番組で「これから職場接種が立ち上がると1日150万回近くになる。ワクチンの供給を考えると限界に近い」と述べ、1日あたりの接種回数の上限を150万回程度とみていると明かした。
菅義偉首相は5月28日の記者会見で1日100万回体制が「6月中旬以降にはできてくる」との見通しを示していた。加藤勝信官房長官は24日の記者会見で「接種が順調に進んでいると考える」と述べた。
ワクチン接種は4月12日に65歳以上の高齢者向けに開始し、6月21日には対象を64歳以下に広げた企業や大学での職場接種も本格的に始まった。政府は7月末までに高齢者3600万人が2回の接種を、10~11月までには希望するすべての人への接種を、それぞれ終える目標を掲げる。
職場接種は申請が殺到したため、企業からの新規の受け付けを25日午後5時で一時休止する。 【日本経済新聞 2021年6月24日 14:00 (2021年6月24日 19:15更新)】
朝顔(あさがほ)を詠める歌
万葉集に登場する「朝顔(あさがほ)」は、私たちが良く知っているあのヒルガオ科のあさがおとは違います。当時は、朝に咲くきれいな花を「朝顔(あさがほ)」と呼んだようです。桔梗(ききょう)、木槿(むくげ)などとする説がありますが、現在では、桔梗(ききょう)であるとする説が有力とされています。写真は、桔梗(ききょう)と木槿(むくげ)です。
私たちが知っている「朝顔」は、奈良時代末期~平安時代(はっきりとはしていません)に遣唐使が持ち込んだのが最初だとされています。
万葉集には、5首に詠まれています。
巻8‐1538:萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花
巻10-2104:朝顔は朝露負ひて咲くといへど夕影にこそ咲きまさりけり
巻10-2274:臥いまろび恋ひは死ぬともいちしろく色には出でじ朝顔の花
巻10-2275:言に出でて云はばゆゆしみ朝顔の穂には咲き出ぬ恋もするかも
巻14-3502:我が目妻人は放くれど朝顔のとしさへこごと我は離るがへ
ウェブニュースより
立花隆さん死去 ジャーナリスト、評論家 ベストセラー「田中角栄研究」政治、科学など幅広く 80歳 ―― 田中角栄元首相の金脈問題を雑誌で追及して退陣に追い込むなど、戦後ジャーナリズムに大きな足跡を残した評論家、ジャーナリストの立花隆(たちばな・たかし、本名橘隆志)さんが4月30日午後11時38分、急性冠症候群のため死去していたことが23日分かった。80歳。長崎市出身。葬儀は家族で「樹木葬」として行った。
宇宙や脳死からサル学、歴史まで多彩な著作を手掛け「知の巨人」として知られた。遺族によると、糖尿病や心臓病などの持病があり、入退院を繰り返していた。新型コロナウイルスには感染していなかったという。
1974年10月、田中首相を巡る資金の流れと蓄財を綿密に調べ、月刊誌「文芸春秋」に「田中角栄研究」を発表。田中金脈問題に斬り込んだ。田中内閣は2カ月後に総辞職。76年に発覚したロッキード事件でも批判を展開し、裁判の傍聴記を発表し続けた。
「日本共産党の研究」「宇宙からの帰還」「サル学の現在」「臨死体験」「天皇と東大」など多数の著作がある。1983年に菊池寛賞、98年には司馬遼太郎賞。「脳死」で毎日出版文化賞、「武満徹・音楽創造への旅」で吉田秀和賞も受けた。(共同) (東京新聞 2021年6月23日 11時16分)
双子!シンシン出産、上野動物園でパンダの子どもが4年ぶりに誕生 ―― 上野動物園は23日、公式サイトで、ジャイアントパンダの雌シンシン(真真=15)が2頭の子供を出産したことを報告した。同所でのパンダ誕生は、17年6月12日以来でシンシンがシャンシャン(香香)を出産して以来、4年ぶりとなる。
2頭はそれぞれ、同日の1時3分と2時32分に生まれたと報告された。性別はまだ2頭とも不明。体重は1頭が124グラム、もう1頭は不明としている。
シンシンは2005年7月3日、中国・臥龍保護センターで生まれ、11年に雄のリーリー(力力=15)とともに上野動物園に来た。同所では6月4日から出産のためシンシンの展示が中止されていた。
出産前日の22日には、シンシンについて「健康状態は以前と変わらず良好です」とした上で、「食欲が5月31日ごろに通常の4分の1程度まで減少し、その後も採食量の少ない状態が続いています」「休息時間は、6月2日ごろに通常の2倍程度に増加し、その後も休息時間の多い状態が続いています。また、前肢や後肢、床、陰部を舐める行動が現れています」などと公式サイトに掲載。6月10日に乳頭が大きくなったことや、尿中の妊娠を示すホルモン代謝物が妊娠時に特徴的な値を示していることも報告されていた。
今回の出産を受け、上野動物園の公式サイトでは「現在、職員一丸となってジャイアントパンダ母子の観察と保護に万全を尽くしています。みなさまにおかれましては、このような園の状況をご考慮いただき、パンダの状況に関する電話などでのお問合せはご遠慮くださいますようお願いいたします」と告知している。 [日刊スポーツ 2021年6月23日9時22分]
綿(わた)を詠める歌
古代日本で「綿」というと今の木綿(もめん)とは違って、くず繭(まゆ)などを煮て引き伸ばして作った綿、いわゆる真綿(まわた)とされています。なお、真綿を紡いで絹糸(紬や生糸)が作られます。
万葉集には綿の暖かさが詠まれています。主な歌に詠まれているのは真綿(まわた)だと考えられていますが、しらぬひ筑紫の綿……は、当時九州に渡ってきたばかりの綿(茶綿:ちゃめん)ではないかとも考えられます。(否定的な意見もあります。)
巻3‐0336:しらぬひ筑紫の綿は身に付けていまだは着ねど暖けく見ゆ
※沙弥満誓(さみのまんせい、生没年不詳)
万葉歌人。俗名笠朝臣麻呂。和銅年間美濃守として政績を賞せられ、また木曾道を開き、養老年間按察使(あぜち)として尾張・三河・信濃3国を管し、右大弁を経て、元明上皇病臥に際して出家、723年(養老7)造筑紫観世音寺別当として西下、大宰帥大伴旅人らと交わり、人間味豊かな短歌7首を《万葉集》にとどめました。寺婢に子を生ませていたことが死後露顕したとのことです。
巻5‐0892: 風交り雨降る夜の雨交り雪降る夜はすべもなく寒くしあれば.......(長歌)
標題:貧窮問答歌一首[并短歌]
標訓:貧窮問答の歌一首、また短歌
原文:原文: 風雜 雨布流欲乃 雨雜 雪布流欲波 為部母奈久 寒之安礼婆 堅塩乎 取都豆之呂比 糟湯酒 宇知須々呂比弖 之叵夫可比 鼻毗之毗之尓 志可登阿良農 比宜可伎撫而 安礼乎於伎弖 人者安良自等 富己呂倍騰 寒之安礼婆 麻被 引可賀布利 布可多衣 安里能許等其等 伎曽倍騰毛 寒夜須良乎 和礼欲利母 貧人乃 父母波 飢寒良牟 妻子等波 乞々泣良牟 此時者 伊可尓之都々可 汝代者和多流
天地者 比呂之等伊倍杼 安我多米波 狭也奈里奴流 日月波 安可之等伊倍騰 安我多米波 照哉多麻波奴 人皆可 吾耳也之可流 和久良婆尓 比等々波安流乎 比等奈美尓 安礼母作乎 綿毛奈伎 布可多衣乃 美留乃其等 和々氣佐我礼流 可々布能尾 肩尓打懸 布勢伊保能 麻宜伊保乃内尓 直土尓 藁解敷而 父母波 枕乃可多尓 妻子等母波 足乃方尓 圍居而 憂吟 可麻度柔播 火氣布伎多弖受 許之伎尓波 久毛能須可伎弖 飯炊 事毛和須礼提 奴延鳥乃 能杼与比居尓 伊等乃伎提 短物乎 端伎流等 云之如 楚取 五十戸良我許恵波 寝屋度麻■(人偏にテ) 来立呼比奴 可久婆可里 須部奈伎物能可 世間乃道
万葉集 巻5-0892
作者:山上憶良
よみ:風雑(まじ)り雨降る夜の雨雑(まじ)り雪降る夜は、すべもなく、寒くしあれば堅塩(かたしほ)をとりつづしろひ、糟湯酒(かすゆざけ)うちすすろひて、しはぶかひ、鼻びしびしに、しかとあらぬ、ひげ掻(か)き撫でて、我れをおきて人はあらじと誇ろへど、寒くしあれば麻衾(あさぶすま)引き被り、布肩衣(ぬのかたぎぬ)ありのことごと着襲(きそ)へども、寒き夜すらを、我れよりも貧しき人の父母は、飢ゑ凍ゆらむ、妻子どもは乞ふ乞ふ泣くらむ、この時はいかにしつつか、汝が世は渡る
天地は広しといへど、我がためは狭くやなりぬる、日月は明しといへど、我がためは照りやたまはぬ、人皆か我のみやしかる、わくらばに人とはあるを、人並に我れも作るを、綿もなき、布肩衣(ぬのかたぎぬ)の海松(みる)のごと、わわけさがれる、かかふのみ肩にうち掛け伏廬(ふせいほ)の曲廬(まげいほ)の内に、直土(ひたつち)に藁(わら)解き敷きて、父母は枕の方に、妻子どもは足の方に、囲み居て憂へさまよひかまどには火気吹き立てず、甑(こしき)には蜘蛛の巣かきて、飯炊くことも忘れてぬえ鳥の、のどよひ居るに、いとのきて、短き物を端切ると、いへるがごとく、しもと取る、里長(さとおさ)が声は寝屋処(ねやど)まで、来立ち呼ばひぬ、かくばかり、すべなきものか、世間の道
意訳:風交じりの雨が降る夜の、雨交じりの雪が降る夜は、どうしようもなく寒いので、塩をかじりながら糟湯酒(かすゆざけ)をすすって、咳をしながら、鼻をぐずぐずさせて、少しばかりのヒゲをなでて、私以上の能の有る人はいないだろうと、うぬぼれてはいても、寒くて仕方ないので、麻衾(あさぶすま)をひっかぶり、あるだけの衣を着重ねしても寒い夜を私よりも貧しい人の父母は、お腹を空かせて凍えているだろうに、妻や子供たちは泣いているだろうに。
こういう時は、あなたはどんな風に暮らしているのですか。
天地は広いというけれど、自分には狭いものだ、陽や月は明るいというけれど、自分を照らしてはくれないものだ、みんなそうなんだろうか、自分だけがこのようなのだろうか、人並みには私も汗水流しているのに、綿も入っていないし、海藻のようにぼろぼろになった衣を肩に引っかけて壊れかかって曲った家の中に、地べたにわらをひいて父と母は枕の方に、妻や子どもは足の方に、取り囲むようにして嘆き悲しむ。かまどには火が入ることはなく、蒸し器にはクモの巣が張って、もうご飯を炊くことも忘れてしまったぬえ鳥の様にうめき声をあげていると、これ以上短くはならない物のはしっこを切るとでも言うように、鞭を持った里長(さとおさ)が、寝床にまでやってきてわめき散らす、こんなにもどうしようもないものなのか、世の中というものは。。。。。。
巻5‐0900:富人の家の子どもの着る身なみ腐し捨つらむ絹綿らはも
巻14-3354:伎倍人のまだら衾に綿さはだ入りなましもの妹が小床に
◎浜松の浜北区(旧浜北市)に伎倍という地名があり、浜北区内で詠まれた万葉集の歌は四首あります。当時、東国と呼ばれていた地域では、四首も詠まれるのは珍しいらしい。伎倍という地名は伎倍小学校などに名前に残っており、この辺は現在は貴布祢(きふね)と呼ばれているけど、伎倍から貴布祢(布という字が入っている)に変わったっぽい。また、昔は麁玉(あらたま)群という地名があったようで、あらたまの伎倍という言葉が入った句が二首あり、あらたまというのは、坂上田村麻呂ゆかりの白山神社(岩水寺)や椎ケ脇神社(浜松市天竜区)、有玉神社(浜松市東区)の天竜川の赤大蛇伝説に由来すると思われます。
ウェブニュースより
藤井聡太2冠が87手快勝、叡王戦で初の挑決進出 丸山九段に雪辱 ―― 豊島将之叡王(竜王=31)への挑戦権を争う、将棋の第6期叡王戦本戦トーナメント準決勝、藤井聡太棋聖・王位(18)対丸山忠久九段(50)戦が22日、都内で行われた。
午前10時に始まり、午後4時7分、87手で先手藤井が快勝。26日に同所で行われる斎藤慎太郎八段(28)との挑戦者決定戦に進出した。叡王戦での藤井の挑決進出は初めて。
対局は、丸山の得意戦法である一手損角換わりに対し、積極的に踏み込んだ。鮮やかな指し回しでリードを広げ、丸山を投了に追い込んだ。両者は昨年7月の竜王戦決勝トーナメントで初めて対戦し、丸山が勝っている。大事な一番で雪辱した。
https://www.youtube.com/watch?v=hWGQvoG8ueE
叡王戦は17年の第3期、18年の第4期は本戦入りしているが、初戦で姿を消している。19年の第5期は七段予選初戦で村山慈明に敗れた。
藤井は今期、八段予選で長沼洋、師匠の杉本昌隆、広瀬章人を撃破。2期ぶりに16人による本戦(内訳は四・五段予選は各1人、・六・七段は各2人、八・九段各3人の計12人と、シードで前期ベスト4の渡辺明名人、佐々木大地五段、青嶋未来六段に、前期叡王の永瀬拓矢王座)へと勝ち上がった。こちらはは行方尚史九段、永瀬王座を倒してベスト4に勝ち上がった。
現在、棋聖戦5番勝負で挑戦者の渡辺明名人(棋王・王将)相手に2連勝。第3局(7月3日、静岡県沼津市「沼津御用邸」)に勝てばタイトル初防衛を果たすと同時に、最年少での九段昇段となる。来週29日には王位戦7番勝負第1局(30日までの2日制として名古屋市「名古屋能楽堂」で開催)で豊島の挑戦を受ける。このほか、竜王戦の決勝トーナメント入りし、初戦で山崎隆之八段とぶつかるなど、多忙な日々が続く。
挑決で待ち受ける斎藤は、先月まで名人戦に挑戦していた。藤井は18年の叡王戦本戦1回戦で黒星を喫している。今度こそ倒して、豊島への挑戦権を獲得するとともに、3冠を目指したい。 [日刊スポーツ 2021年6月22日16時29分]
忘れ草を詠める歌
忘れ草は、ユリ科ワスレグサ属の多年草のカンゾウです。カンゾウにはキスゲ、ノカンゾウ、ヤブカンゾウなどの種類があります。夏に1メートル程度のすらっとした茎の先に、ユリのような花を咲かせます。この花を持っていると、辛いことを忘れることができると信じられていました。
巻3-0334:忘れ草我が紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため
巻4-0727:忘れ草我が下紐に付けたれど醜の醜草言にしありけり
巻11-2475:我が宿の軒にしだ草生ひたれど恋忘れ草見れどいまだ生ひず
巻12-3060:忘れ草我が紐に付く時となく思ひわたれば生けりともなし
巻12-3062:忘れ草垣もしみみに植ゑたれど醜の醜草なほ恋ひにけり
ウェブニュースより
五輪貴族とスポンサー“悪目立ち”隠し 開会式観客2万人の裏 ―― やはり「上限1万人」では済まなかった。あと32日後に迫った東京五輪の開会式に限り、大会組織委員会などが観客上限「2万人」への引き上げを検討中だ。一気に上限倍増の横紙破りが許されれば「安心安全」もクソもありゃしない。
菅政権や組織委がとことん「有観客」にこだわるのは「客がいないとコロナに負けた気がする」(首相側近)との子供じみた理由だけではない。IOCのバッハ会長ら五輪貴族やスポンサー対策というオトナの事情もありそうだ。
20日の日本テレビの報道によると、開会式の観客数は従来▼一般チケット販売分9300人▼スポンサーなど大会関係者への販売分1万500人▼IOCや国会議員など貴賓客7300人――計2万7100人と計画。スポンサー枠がやたらと多い。
感染対策のため、一般販売以外を縮小しても2万4000人に抑えるのが、やっと。最終的にはスポンサー枠のうちパッケージツアーの客など5000人を「一般に近い関係者」とみなし、一般販売分と合わせて再抽選。合計で1万人以内に減らし、総数で2万人以内に絞り込むという。
一般客は貴族とスポンサーの隠れみの
一般客をふるい落とすぐらいなら「無観客」の方がよっぽど公平性を保てるが、菅政権も組織委もIOCとスポンサー「様様」。機嫌を損ねるわけにはいかないのだ。
「会場となるメインスタジアムの国立競技場のVIPルームは約1400席。VIPよりも格上で国賓らを招く『VVIPルーム』は約270席と、合わせても1700席足らず。当然、招待客の多くがあふれ、メインスタンドの特等席に陣取ることになりますが、一般客を入れない『無観客』だと彼らが悪目立ちしてしまう。ゆったり優雅に開会式を眺める姿が批判の的となれば、IOCもスポンサーもおかんむりです」(組織委関係者)
つまり有観客開催は「木を隠すなら森の中」で、一般客は貴族とスポンサーの隠れみの。ちなみに、豪勢なVVIPルームはあくまで「仮設施設」で大会終了後は解体する予定だ。つくづく国民感情逆なでのムダな “おもてなし” 五輪である。 【日刊ゲンダイ 公開日:2021/06/21 13:50 更新日:2021/06/21 13:50】
蓬(よもぎ)を詠める歌
蓬(よもぎ)はキク科の多年草です。若葉を草餅に使いますね。また、乾燥させたものはモグサとしてお灸に使われます。
万葉集には、大伴家持(おおとものやかもち)の長歌にだけ詠まれています。
巻18-4116:大君の任きのまにまに取り持ちて仕ふる国の.......(長歌)
標題:國掾久米朝臣廣縄、以天平廿年、附朝集使入京、其事畢而、天平感寶元年閏五月廿七日還到本任。仍長官之舘設詩酒宴樂飲。於時主人守大伴宿祢家持作謌一首并短謌
標訓:國の掾久米朝臣廣縄、天平廿年を以ちて、朝集使(てうしふし)に附(つ)きて京(みやこ)に入り、其の事畢(をは)りて、天平感寶元年閏五月廿七日に本任(ほんにん)に還(かへ)り到る。仍(よ)りて長官の舘に詩酒の宴(うたげ)を設けて樂飲す。その時に主人(あるじ)守大伴宿祢家持の作れる謌一首并せて短謌
原文:於保支見能 末支能末尓々々 等里毛知氏 都可布流久尓能 年内能 許登可多祢母知 多末保許能 美知尓伊天多知 伊波祢布美 也末古衣野由支 弥夜故敝尓 末為之和我世乎 安良多末乃 等之由吉我弊理 月可佐祢 美奴日佐末祢美 故敷流曽良 夜須久之安良祢波 保止々支須 支奈久五月能 安夜女具佐 余母疑可豆良伎 左加美都伎 安蘇比奈具礼止 射水河 雪消溢而 逝水能 伊夜末思尓乃未 多豆我奈久 奈呉江能須氣能 根毛己呂尓 於母比牟須保礼 奈介伎都々 安我末河君我 許登乎波里 可敝利末可利天 夏野能 佐由里能波奈能 花咲尓 々布夫尓恵美天 阿波之多流 今日乎波自米氏 鏡奈須 可久之都祢見牟 於毛我波利世須
万葉集 巻18-4116
作者:大伴家持
よみ:大王(おほきみ)の 任(ま)きのまにまに 執り持ちて 仕(つか)ふる国の 年の内の 事かたね持ち 玉桙の 道に出で立ち 岩根踏み 山越え野行き 京辺(みやこへ)に 参(ま)ゐし吾(わ)が背を あらたまの 年往(ゆ)き還(かえ)り 月重ね 見ぬ日さまねみ 恋ふるそら 安くしあらねば 霍公鳥(ほととぎす) 来鳴く五月(さつき)の 菖蒲草(あやめくさ) 蓬(よもぎ)蘰(かつら)き 酒宴(さかみづき) 遊び慰(な)ぐれど 射水川(いづみかは) 雪消(ゆきげ)溢(はふ)りて 逝(い)く水の いや増しにのみ 鶴(たづ)が鳴く 奈呉江の菅の ねもころに 思ひ結ぼれ 嘆きつつ 我が待つ君が 事終り 帰り罷(まか)りて 夏の野の さ百合の花の 花咲(はなゑみ)に にふぶに笑(ゑ)みて 会はしたる 今日を始めて 鏡なす かくし常見む 面(おも)変りせず
意訳:大王の任命のままに職務を執り持って仕える国の、一年間の事務を総括して、立派な鉾を立てる官道に出で立ち、岩根を踏み、山を越え、野を行き、都に参上した私の大切な貴方を、年の気が改まる、一年が行き還り、月を重ね、貴方に会えない日が多くなり、恋しいと思う身は気が休まらないので、ホトトギスが飛び来て鳴く五月の、菖蒲草や蓬を蘰として、酒宴に遊び、気持ちを慰めるのだが、射水川の雪解の水が溢れて、流れ逝く水が、一層に増していくだけで、鶴が鳴く奈呉江の菅の、その言葉のように、ねもころに、思いを結んで、嘆きながら、私が待つ貴方は、都での事が終わって、こちらに帰るために都を罷り、夏の野の美しい百合の花が花咲くように、にこやかにほほ笑んで、姿を私に会わせます、その今日を始めとして、鏡を眺めるように、このようにいつも会いましょう。面変わりをすることなく。
◎この歌は、昨日のブログと重複しています。
ウェブニュースより
米、イランのライシ新政権と対話意欲 核合意の再建促す ―― 米国務省の報道担当者は19日、イラン大統領選でライシ司法府代表が当選したことを受け、イラン新政権との対話に意欲を示した。4月に始まったイラン核合意の再建に向けたイランとの間接交渉について「最新の協議で果たした意義のある進展を足がかりにしたい」と強調した。
国務省は「誰が権力を握っても我々の対イラン政策は米国の利益を追求するものになる」と指摘。米国は2018年に核合意を一方的に破棄し、米国に対抗してイランも核合意の義務履行を相次いで停止した。国務省は「双方の核合意の再履行について同盟国やパートナー国と協議を続ける」とした。ライシ師は対米強硬派で知られ、バイデン政権の対話姿勢にどのように応じるのかが今後の焦点になる。
国務省は「イラン国民は自由かつ公平な選挙プロセスを通じてリーダーを選ぶ権利を否定された」とも指摘した。イランの最高指導者ハメネイ師の影響力が強い護憲評議会が事前審査で改革派や穏健派の有力対抗馬を失格としたことに懸念を示すものだ。
ホワイトハウスは19日、イスラエルのリブリン大統領が28日にホワイトハウスを訪れると発表した。ホワイトハウスは声明で「地域の多くの課題と機会について議論する」と説明した。イスラエルはイランを敵視しており、イラン大統領選を踏まえて今後の対応についても意見を交わすとみられる。イスラエルメディアによると、リブリン氏は7月7日に任期切れを迎える。 【日本經濟新聞 2021年6月20日 7:46】
sechin@nethome.ne.jp です。
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