瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 駒形橋の土の遊歩道
90537cdd.jpg 厩橋袂から蔵前橋を撮る
92fc0360.jpg 蔵前橋に架かった標示
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蔵前橋~総武線鉄橋
fce8e202.jpg 総武線鉄橋~両国橋
90e994a4.jpg 隅田公園を抜けると吾妻橋を渡り親水テラスへ降りる。
 駒形橋を潜ると、厩橋までは土の遊歩道となる。コンクリートの道ばかり歩いていると、この土の道は妙に心地よい。ざくざくと土の音が腹に染み渡るようだ。
 厩橋袂からまた、コンクリートの道になる。
 蔵前橋の橋桁にも昨日の白鬚橋と同じ標示が架かっている。
 蔵前橋から両国橋の間は、隅田川ギャラリーになっていて、葛飾北斎・安藤広重などの浮世絵が掲示してある。遊歩道の手摺欄干には相撲48手の決まり手がレリーフとして飾られている。今日は土曜日とあって、手摺欄干に凭れて釣りをしている人も見かけた。
 両国橋を渡ると靖国通りを江戸通りまで出ると、そのまま隅田川寄りの歩道を真っ直ぐに北上して帰宅した。

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d2df1c45.JPG 昨日、鳴尾のゆうさんからFAXが入った(左の写真)。 
 都道府県の高校野球の代表が競い合う甲子園大会は郷土愛による応援が盛んで、テレビ放送によって現在もアマチュアスポーツ屈指の人気を誇っているようじゃが、甲子園大会への出場と優勝を目的にした「甲子園至上主義」の過熱はさまざまな弊害をもたらしているようじゃ。中学選手のスカウトや野球留学が横行し、不祥事による出場辞退、不祥事の密告などがおこなわれているというじゃないか。肩、肘(ひじ)などの酷使によるスポーツ障害も問題化してようじゃのう。もっとも、こんなこたぁ、今に始まったことじゃなく、昔からあったことじゃがのう。 
花火大会のための掲示
39ba3043.jpg 白鬚からの遊歩道
2338f4a1.jpg 今朝の徘徊は桜橋を渡り、明治通りを横切って東白鬚公園を抜けて、水神大橋を渡り、汐入公園を通って帰宅した。
 白鬚橋の橋桁に7月26日の花火大会の周航禁止の掲示がでかでかと掲げられた。
 汐入公園の遊歩道への人出が多くなったようである。瑞光橋の上から白鬚方面への遊歩道をカメラに収めた。

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991d713f.jpg 何となく、石浜神社の境内に入り、あたりを探索した。
 ご祭神は、 
 天照大御神(あまてらすおおみかみ): 「天(あめ)の下(した)すべての根源をなし、天地四方を照らす太陽神で、わが国ご祖神としてまつられ、この世と万物の秩序安泰をお守りくださいます(伊勢の内宮のご祭神)」。 
 豊受姫神(とようけひめのかみ): 「天の下のすべてに必要な作物・食物を産み出され、お守り下さる神としてまつられます(伊勢の外宮のご祭神)」。
 
であるとのことじゃ。





 福寿院
03d91205.jpg 安藤東野墓の説明板
e2fb005b.jpg 江戸通りに続く石浜河岸を北上すると、今戸と橋場の境に「今吉柳通り」がある。今戸と吉野町(現在は東浅草)を結ぶ柳通りということであろう。ここから2つ目の路地を左に入った所に福寿院というお寺がある。朝早いので固く締められた門扉から覗くと本堂の両脇には対の狛犬が置かれていた。これも本地垂迹によるものなのだろうか。
 門の横に安藤東野という人の墓についての説明板があった。この爺はこの人についての知識は皆無であったが、荻生徂徠の門弟にして、犬公方様に講義をしたというのだから大した学者であったのだろう。早朝とて墓地に入ることは出来なかった。
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2d7f3fd0.jpg舛田山靖仁
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 この福寿院の隣は元は小錦全盛時代の高砂部屋であったが、今は千賀ノ浦部屋になっている。おそらく千賀の浦部屋が高砂部屋から買い取ったものだろう。
 千賀ノ浦部屋は、出羽海一門に属する相撲部屋で、平成16年に、元関脇舛田山靖仁が春日野部屋より独立して(一時中絶していたものを)再創設したものであるという。
 そんなこんなで、デジカメに福寿院と千賀ノ浦部屋を収めた。アリャリャ、またしてもバッテリー切れの警告。昨日、デジカメの映像をマイピクチャに取り込む際、デジカメとパソコンを接続したままカメラの電源を切らずに朝飯を食らい、カメラが熱くなっていたのを思い出した。この間にバッテリの充電が消費されたものと思われる。まあ、半呆けの爺じゃ、しょんあるめえ。
 白鬚橋を渡り、桜橋手前のところで、後(うしろ)から「お早うございます」と声を掛けられる。ふと見ると、横にワンさん夫妻が、追いついている。しばらく並んで歩きながら2・3言葉を交わすが、爺の足に付き合っていたのではまだるっこいだろうと思い、お先に行って頂く。後を追いかけるように急いでみたが、いつの間にか見失ってしまった。駒形橋を渡り、本日は何時もの逆周りで徘徊してみた。
サーモンピンクに熟れる
96120126.JPG色く熟れるのもある
ba2bc4bc.JPG 夕刻、シアトルママのブログを開くと7/10(木)はハイキングに行ったらしい。曰く
 …途中、サーモンベリーという、木の実をとって食べたり、池のほとりでスナックを食べたりと、とっても楽しいハイキングだった。
とある。サーモンベリーというのは始めて聞くベリーの名前なので、ちょっくら調べてみた。
サーモンベリー(Salmon berry)
アメリカの野生ベリー。ラズベリーの仲間で実の色がサーモンピンクになるから、または実がイクラに似ているからこの名前が付けられたとか。生食、パイやジャムにして食するそうだ。

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29d42874.JPG 山谷掘りの水門の前は7月26日の隅田川花火大会の資材置き場に化している。
 桜橋をわたり墨堤通り沿いの堤を南下、吾妻橋の通りを横切って、親水テラスに降りる。厩橋の袂ではT氏がゴルフクラブを振っていらっしゃる。
 今日は浅草ほおずき市の日なので浅草寺を回ってみる気になった。ここで、テラスから上がり、厩橋上からT氏を撮る。
 春日通りを東進、国際通りに出る。国際通りを北上し、伝法院通りから、裏参道から浅草寺境内に入る。
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07935aa7.jpg  今日・明日は観音功徳日の四万六千日で、浅草寺境内にはほおずき市が立つ。
 この「ほおずき市」はもともと芝の愛宕神社の縁日に立っていたという。「ほおずきを水に鵜呑みにすれば、大人は癪を切り、子供は無視の気を去る」と言われるなど、薬草として評判であったからだという。
 ところが、その愛宕神社の縁日は観音功徳日にならって、四万六千日と呼んでいた事から、  四万六千日ならば、浅草寺が本家本元とされ、ほおずきの市も浅草寺境内に立つようになり、愛宕神社をしのいで盛大になったものなのであろう。 
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c068a66c.JPG ほおずきにつける風鈴の音色には、夏に流行する疫病を遠ざける由来があり、風鈴の色も厄除けとなる赤色が主であったが、今日では、様々な色が見受けられる。
 その昔、落雷のあった農家で「赤とうもろこし」を吊るしていた農家だけが無事であった事から、文化年間(1804~1818年)以後に、「雷避け」として、赤とうもろこしが売られるようになったそうだ。ところが明治初年に不作が原因で出店ができなかったことから、これに代わる「雷除け」が人々の要望により、四万六千日の縁日に浅草寺から出されるようになり、今日にいたっているのだそうだ。 
6407abc9.jpg 「釣りしのぶ」を専門に売っている店もある。芯となる竹や針金に、細い銅線を使って山苔を巻きつけ、更にその上に、「しのぶ草」の根茎を巻きつけたもの。形は「屋形船」「灯篭」「亀」など大小様々な形があり、その下に風鈴を吊り下げる場合もある。一説には、江戸時代中期、庭師が契約先の家にお中元として配ったのが始まりとされている。明治から昭和初期にかけて一般にも広まり、主に東京下町の家の軒先を飾っていたという。
 柿本人麻呂の歌に
我が宿の、軒(のき)にしだ草、生ひたれど、恋忘れ草、見れどいまずだ生ひ 万葉集巻11 2475
(私の家の軒にはしだ草は生えているけれど、恋を忘れさせてくれる忘れ草はまだ生えてはこない… )
というのがある。
 この7月の両日、浅草寺では、終日ご祈祷を行なっており、本堂の扉を開く時刻をはやめ、閉める時刻も遅らせ、普段とは違う黄色の祈祷札を授与するなど、一層の賑わいをみせるのである。
 早朝のこととて、まだ人出は少ないが、昼間から夕刻にかけて一層の賑わいが予想される。


 
 今朝も、起き抜けのメールは皆無。
 お化け地蔵
df894acd.jpgお化け地蔵説明板
8e9428a4.JPG 昨日は夕刻の徘徊であったので、今朝は歩く距離を減らすべく、吾妻橋を渡り、白鬚橋まで真っ直ぐに北上。橋を渡り、何となく明治通りに沿って東進。3つ目のの路地を南へ、今吉柳通りにでる手前にお化け地蔵かある。
 真偽の程は判らねど、白井権八がこの地蔵の陰に隠れて辻斬りをやり、地蔵に向かって「知らんふりをしろ」といったら「お前こそ人に言うではないぞ」と地蔵が答えたというので、さずがの権八も度肝を抜かれたという伝説もあるという。
 今吉柳通りを渡り石浜図書館の裏辺り当たるところに妙亀塚がある
妙亀塚
4ba2b0ef.jpg 妙亀塚の説明板
0d911ed6.JPG オッカン 昨年上京
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 妙亀塚公園は小さな公園であるが、今朝は宿無しの集会所になっていて、4・5名の親父どもが朝から酒をくらって大声で喋っていた。「ちょっと、お邪魔します」、そそくさと塚をカメラに収めると、辺りを見回し説明板を探した。公園の入口の木の陰にしかも高い場所に備え付けてあったので、アップを効かせなんとかカメラに収めた。今日は久方ぶりにMr.Checkをお供にしたが、9370歩を記録していた。
 正午前に大阪のオカッカンから電話があった。みなと外誌が付いたという知らせだった。彼はパソコンを持っているのだか、息子の手助けに無しには扱えないらしい。 ブログについて、一応はメールしておいた。はてさて、この爺のブログを読めるようになってくれるのだろうか?
サミット反対デモ 新宿
fef1dd74.JPG輪島塗酒盃作り
4cc314f1.JPG 今日から洞爺湖サミットが始るという。まあ、爺にはあんまり関係なさそうだが…
 各首脳は専用のジェット機でいらっしゃる。お供の方々は高級車で会場まで行ったり来たり、それに金魚のウンコのプレス関係者は何台もの車を連ねてご同行。テメエの懐が痛むわけじゃない、総て公用なんですって。ガソリン代かかかろうが、CO₂を撒き散らそうが知ったことじゃござんせん。何のために? 温暖化対策、石油高騰問題について討論するためなんだそうだ。
 各首脳には日本の一流ホテルのコックの料理が振舞われ、桐の箱入りの特注輪島塗酒盃(直径8.2㎝、高さ8cm、首脳夫妻のイニシャル入り)で乾杯されるそうな。何のための宴会騒ぎなの? 世界的食糧危機問題を話し合うためなんですって。
 サミットには一体全体いくらの銭がかかるんだろう。これはみんな善良なる日本国民の血税でっせ。一体どれだけの経済効果が望めるんじゃい。爺の血圧が増進する効果しかあるまい。
 新宿ではサミットを前に反対デモがあったそうな。参加者の気持ちが判らぬものでもない。 
 徘徊できぬハライセに書いたわけじゃありません。
 今日は五節句の1つ七夕(しちせき)である。朝の起き抜けに、メールを開くが、皆無。
 六朝(りくちょう)・梁代の殷芸(いんうん)が著した『小説』に、「天の河の東に織女有り、天帝の子なり。年々に機を動かす労役につき、雲錦の天衣を織り、容貌を整える暇なし。天帝その独居を憐れみて、河西の牽牛郎に嫁すことを許す。嫁してのち機織りを廃すれば、天帝怒りて、河東に帰る命をくだし、一年一度会うことを許す」(『月令廣義』七月令にある逸文)という一節があり、これが現在知られている七夕のストーリーとほぼ同じ型となったという。 
 日本語「たなばた」の語源は『古事記』で天若日子(フメノワカヒコ)が死に阿遅鉏高日子根神(アヂスキタカヒコネ)が来た折に詠まれた歌にある「淤登多那婆多」(オトタナバタ=弟棚機)、又は『日本書紀』葦原中国平定の1書第1にある「乙登多奈婆多」に因む。日本では奈良時代に節気の行事として宮中にて行われていた。
 『万葉集』卷10春雜歌2080にある「織女之 今夜相奈婆 如常 明日乎阻而 年者将長」(たなばたの 今夜あひなば つねのごと 明日をへだてて 年は長けむ) など七夕に纏わる歌が存在する
Wikipedia百科より抜粋)
 今朝の徘徊は、七夕の飾り付けか終ったという合羽橋方面にでも行ってみるか。 只今4時50分。
  ありゃりゃ、出掛ける準備をして玄関まで降りると、外は雨。しばらく待ってみたが、本降りに。

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a726a638.JPG 今日は検診日。朝食後、雨の中をA医院へ。午後どうやら雨も止んだようなので、夕刻合羽橋までひと回りしてきた。
 江戸通りを南下、浅草小学校と花川戸公園の間を抜けて、馬道通りへ、さらに南下、伝法院通りを通り抜けて、国際通りへ。
 川ぷちの道と違って、道の熱気が凄い。それに夕刻とあって仲見世や伝法院通りは人が多く、とても歩きにくい。
 只今改装中の今半の所から合羽橋商店街に入る。こんなに飾り付けがしてある割には人出が少ない。昼間かなり降った所為かな。
 台東区の学習センターの前を通って言問通りに出ると、そのまま東進。猿若町を通って帰宅した。

 今日は日曜日、本来ならば、「うろつきどんたく」の日なのであるが、入谷鬼子母神の朝顔市は、世界のお偉いさんが日本にお国入りとのことで、この大東京にテロでもあってはと、警戒のお廻りさんがそちらの方に廻され、おじゃん。2週間ほど日延べになった。昨夜の天気予報に拠れば、明日は本年度では最高気温を示すだろということである。というわけで、遠出する気にもならず、うろつきはあきらめてしまった。
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8b482f87.jpg すると、家内の婆様が明日の朝の徘徊に、付いていくという。というわけで、今朝は5時に家を出た。
 吾妻橋をわたり、何時ものコースで白鬚橋の袂の隅田川リバーサイドなんとやらのデカビルの広場の前で、婆様体操を始めだした。その間爺は下の親水テラスに降りて、一休み。
  婆様に爺の写真を撮ってもらうが、シャッタプッシュが下手糞で写っていない。まあ、これとても映像確認をしなかった爺が悪いというわけ。
 やおら、これから白鬚橋を渡って帰途に着こうかと橋の渡り口に通じる坂道を降りようとしたとき、この坂道を登ってくるワンさんに出会う。2・3会話を交わす。
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aabe6fa4.jpg 桜橋にかかろうかという所で、爺婆の横をジョギングで駆け抜けた若者がいた。婆様が
「あれKちゃんじゃない?」というので、爺も駆け足で追いかけてみると、婆様の言うとおり、前のお家(うち)の旦那さまであった。朝、出会うことなど滅多にないことなので、デジカメに納めた。
 おやおやカメラのバッテリーが充電切れの警告を発している。
 今日は日曜日、言問橋 脇のテラスで釣りを楽しんでいる人がいる。爺が浅草に来た頃はこの辺りは溝(どぶ)川にもまさる、悪臭が漂っていたのに、何が釣れるのかは知らないが、釣り糸を下げる人で賑わっている。なんとも不思議に思えるのであった。

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25a837a9.jpg 本日は土曜日、昨日は夕刻の徘徊であったので、コースを変えてみた。
 隅田公園を抜けると吾妻橋を渡り、親水テラスには降りずに厩橋まで南下。厩橋を渡ると江戸通りを北上。駒形の示現堂から並木通りを抜け、雷門から仲見世通りを北上。宝蔵門をくぐって本堂前で、トールちゃんが愛犬ココアをつれて、ご婦人と話しているのに出会う。おそらく犬談義に花を咲かせていたのであろう。
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1c8086c1.jpg そこへ、ワンさんの母上が愛犬を連れて合流され、ほんの少しの会話で、何時もの隅田公園の太極拳の会場へ向われた。
 観音裏から言問通りを付ききり、柳通りに入る。この辺りは秋田本庄藩の六郷の殿様の下屋敷のあった所で、本庄藩の名勝地「象潟」に因んで、浅草象潟町と呼ばれていた。
 そんなこんなで、平成5年からこの地は秋田県象潟町と姉妹都市提携を結び、いまではこの秋田の名勝地を訪れいたく感動した芭蕉の奥の細道の句が、町並みの街灯の袂に記されている。
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dc358ee7.jpg 平成15年この柳通りの料亭「ふじた」の脇に芭蕉が名勝地象潟で詠ったと言う句を刻んだ句碑が建てられた。
 秋田象潟町からめんこい秋田おばこが来て、見番前の仮舞台で、西施の舞を踊って見せたのは、まだ記憶に新しい。

  今朝方は雨。9時半頃になって暑い陽射しの夏日和。夕刻、桜橋から白鬚橋、吉野通りと1巡。
 今戸1丁目の称福寺の墓地は通りに面している。亀田鵬斎の墓が見えたので、デジカメに納める。
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ac533d7d.jpg八百膳での会食
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 吉野橋の近くには、江戸中に名のとどろいた八百善があった。瓜となすの粕漬けに煎茶で一両二分もとったという高級料亭で、文化九(1812)年三月末に初かつお17本が入荷したとき、八百善は二両一分ずつで3本を買ったという。太田蜀山人も「詩は五山、書は鵬斎に、狂歌われ、芸者おかつに料理八百善」と詠っている。
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 昨日、今戸神社についてひと言書いたので、今戸神社の説明板もデジカメに納めてきた。なお、ここ今戸神社は新撰組のハンサムボーイ沖田総司の終焉の地であるというが、真偽の程は判らない。
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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