瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 本日は昨日に続いて曇り空。風は静まったようだが気温が下がったようだ。
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1e7ad617.jpg 桜橋を渡ると、墨堤通りに出て、白鬚神社の前を通ると、明治通りを横切り、そのまま墨堤通りを北上してみた。明治通りから鐘ヶ淵辺りまで、墨堤通りは上り線と下り線が植木地帯で仕切られている。隅田川神社の一の鳥居は墨堤通りに面しており、防災住宅を潜って東白鬚公園に桜並木の参道が続いている。
 ここから、防災住宅に沿って梅若橋へと抜けてみた。梅若橋の脇の水神大橋への出口の所に3・4本の桃の木? が植えてあるが、ピンク色の花をびっしりと付けている。
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aec5b8c6.jpg 水神大橋を渡っていると今日は白鬚橋の方から引き船が上ってくるところであった。南千住のガスタンク辺りから、水神大橋の真下を潜るまで見とれていた。橋の上から北の方を望むと汐入公園のヨウコウザクラの並木が若木ながらピンクの色の花を付けているのが遠目でも見て取れた。
e02fba99.jpg 汐入公園を南下して、白鬚橋西詰めから川沿いの遊歩道を通って帰宅した。野球場の脇の桜並木の花の様子を毎朝のように撮っているが、ここ2・3日の花冷えの天候で、あまり変わり映えしない。
 本日のomronは9878歩・6.4kmを示していた。
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11b881a1.jpg 今朝の東の空は朝焼けで、晴天であるらしいが、風は並ではなく凄い強風で、向かい風では特に歩きにくい。何度か帽子を吹き飛ばされそうになり、頭を抑えながら、前屈みになって歩いた。これは春に特有の温帯低気圧による春の嵐らしいが、風はそんなに冷たいというわけではない。ソメイヨシノはまだ開花というほどではないが、枝垂桜がきれいな花を咲かせていた。
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59719cf3.jpg 吾妻橋を渡り、勝海舟の銅像の前に立つ。周りの花壇にはいろいろな種類の草花が植えられており、どれも可憐な花を咲かせていた。枕橋を渡ると昨日写真に撮った2本のミヤビザクラの間には、桜まつりに備えて特別警戒の詰め所がつくられている。川っ縁の遊歩道に出ると、北からの風が吹き付けて進むのも困難。
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acc3b2f4.jpg 桜橋を渡ってそのまま帰宅しようかとも思ったが、時刻もまだ朝早いので、白鬚橋まで足を伸ばした。白鬚橋の手前、リバーサイド隅田のビルの広場の前でワンさんと出会ったので、白鬚橋をバックに写真を撮らせてもらった。白鬚橋の上で、橋を潜り抜けた引き船が土砂を積み上げた浮き桟橋を川を下るのが見えた。真上から見ると引き船に比べて桟橋は縦も横も随分大きなものだということが良く判る。引き船というのは随分の力持ちなのだなぁと改めて実感した。
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c13e4037.jpg 件の落書き遊歩道に入ると西側がビルに遮(さえぎ)られている所為(せい)か、随分歩きやすく感じる。2・3日前に下のブロック塀まで垂れ下がって雄花・雌花を見せていた柳の新枝は無惨にもいつの間にか切り取られていた。野球場の傍らのソメイヨシノはほんの僅かではあるが、やっと開いた花を見せていた。
d04c4101.jpg いままで、気がつかなかったが、リバーサイドスポーツセンター脇の山谷堀水門広場に、白いスモモの花が満開なのに気付いた。今までは白木蓮の白さに引かれて気付かなかったが、白木蓮が殆んど散ってしまったので余計に目立ったのであろう。
0145a25c.JPG 朝のテレビ報道によると、中国・広州から成田空港に到着したフェデックスの定期貨物便が、強風にあおられて着陸に失敗したらしい。機体を囲むように、10台以上の消防車が出動して消火活動にあたり、機体は消火剤で白く染まったという。成田空港事務所の男性職員は、「横風にあおられて炎上するなんて、こんな事故は過去に例がない。大変な事態だ」と驚いた様子で話していたが、今朝ほどのあの強風では無理からぬことだろう。
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f32ccfb3.jpg 昨日、東京では桜開花宣言が発表になった。東京の開花情報は靖国神社のソメイヨシノによってなされるという。
 今日は、朝から曇り空。少々風はあるけれど、南風で、暖かい。吾妻橋~白鬚橋間をひと回り徘徊する。吾妻橋西詰めの隅田公園入口では隅田川桜まつりのゲートが設営されていた。吾妻橋を渡り、枕橋を過ぎたところに「みやび」という桜が2本ばかり、今を盛りと咲いている。
cdb7ad84.jpg 何時もの遊歩道を通り、白鬚橋を渡って帰宅した。野球場脇のソメイヨシノは昨日より少しピンクを増したようであった。わがomronの記録によれば、8594歩・5.5㎞を示していた。
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03335692.jpg まだ明けやらぬ隅田公園に入ると大分細くなった朔(さく)に間近い月が東天にかかっている。26日(木)のお花見の頃が新月になるようだ。桜橋の西詰めにも桜まつりの雪洞(ぼんぼり)提灯が並び、幟が立った。
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 桜橋を渡り、墨堤通りを北上、明治通りを横切って、東白鬚公園に入る。公園内のコンクリートの遊歩道を離れて林の中を抜けてみると、落ち葉の上を歩く感触が気持ちよい。どこかで鶯の鳴き声が聴こえてくる。1週間ほど前までは泣き声もケキョケキョと完全ではなかったが、いまはきれいにホーホケキョと完成された泣き声になった。こんなところにももう既に春が来ていることが感じられる。公園内の所々の花壇にはスイセン・ヒヤシンス・クロッカスなどの球根類の花が今を盛りと咲き誇っている。梅若橋の脇道に多分桃の花と思えたが、これも満開で美しい。
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4c6f7107.jpg ついつい梅若橋を渡り、再び墨堤通りに出ると、眩しい朝日の中を綾瀬橋を渡り、新しく出来たイニシア曙町のマンションの前を通って、千住汐入大橋に出る。橋を渡るとそこは汐入公園。千住汐入大橋~水神大橋の間には、まだ若木ではあるが桜並木となっている。陽光という品種の桜は既に5分咲きというところ。汐入公園のソメイヨシノはこれも若木であるが、花芽は緑色の萼(がく)に包まれパンパンに膨らんでいる。もう4・5日もすれば開化しそうだ。
f6be4c6d.jpg 明治通りを横断すると、件の遊歩道を通って帰宅した。桜橋の手前の野球場の横にあるソメイヨシノはすでにピンクの蕾を見せていた。今朝は、ついつい春の雰囲気に呑まれて何時もより、長時間歩いたようだ。わがomron万歩計の表示は12272歩、7.9kmとなっていた。
986cfcd8.jpg 昨年4月に北海道に転勤で、単身赴任中のK君がこの3連休を利用して、東京の自宅に帰ってきたと、午後4時頃この爺を訪ねてくれた。彼の長男は慶応を出て、トヨタ自動車に就職したそうだ。次男は高校3年生。定年まであとひと頑張りという所か。
04019ae5.jpg 今朝も好い天気らしい。山谷堀水門から何時もの落書き遊歩道を通って、白鬚橋に出る。明治通りを横断して、白鬚橋来ると前方ででご来光。今朝は黄砂はないのか、円形の輪郭は見られなかった。

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f4b17729.jpg 何となく汐入公園の遊歩道に出て、北上。瑞光橋がまともに朝日を受けてはえている。橋下はいまだに工事中で通れないようである。この公園は新しいので、遊歩道に沿って植えられた桜はまだ若木であるが、いっちょ前に蕾を付けている。何年かのちにはこれらも見事な桜並木に変わるのだろう。
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f9d81ac3.jpg 水神大橋をわたり、東白鬚公園に入ると何やらよい香りがするので、ふと見ると、梅若橋の土手に白い沈丁花が咲いていた。時刻は6時30分なのだろう。梅若橋の入口ではラジオ体操が始まっていた。
 東白鬚公園を抜けると、墨堤通りを南下し、桜橋を渡って、帰宅した。Omronの表示は9967歩、6.4kmを示していた。
 黄砂に関する全般気象情報によれば、「16日15時現在、西日本の広い範囲と東日本の一部で黄砂が観測されており、視程が10キロメートル未満となっている所があります。 黄砂は、18日に掛けて東日本、北日本にも広がり、視程は10キロメートル未満となる所がある見込みです。この黄砂により、屋外では所により黄砂が付着するなどの影響が予想されます。また、視程が5キロメートル未満となった場合、交通への障害が発生するおそれがありますので、注意して下さい。」とある。
bd9ad155.jpg 今朝ほどの桜橋で見たご来光は、太陽が一際でかく真っ赤な円形に見えた。これも黄砂による影響かもしれない。中天には上弦の月が輝き、一点の雲も無いので快晴には違いないが、何となく薄靄がかかった感じである。白鬚橋にかかるあたりで、ワンさんと出会う。
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5ca6eedf.JPG 白鬚を渡り、件の柳の木の下で立ち止まり、風にそよぐ柳をよく見ると沢山の花穂を付けている。しだれ柳は早春葉が伸びきらないうちに黄緑色の花が開くという。花穂は弓状に曲がり、長さ15~30mmぐらいまで伸びる。雌雄異株である。雄花には2本の雄蕊があり、雌花には雌蕊に柄は無く柱頭は2裂するという。
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c72455af.jpg 遊歩道に面するマンションや民家の裏庭には、いろいろな庭木や草花が植えられていて歩行者の目を楽しませてくれる。燃えるような赤に純白の混じった珍しい椿の花をカメラに収めた。ソメイヨシノの蕾は2日前に写した時よりもいっそう膨らんだように思えた。

 今日は彼岸の入り。彼岸(ひがん)とは、煩悩を脱した悟りの境地のことで、煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の岸「此岸」(しがん)と言うのに対して、向う側の岸「彼岸」という。浄土思想で信じられている極楽浄土(阿弥陀如来が治める浄土の一種)は西方の遙か彼方にあると考えられている(西方浄土ともいう)。春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりであるという。
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74baab91.jpg 昨日の朝と同じコースを歩いたが、橋場から親水テラス降りてみた。昨日写真に撮った柳の木の下辺りに給油船が停泊しており、給油作業中であった。陸のタンクから船の給油槽への給油か、それとも船から陸のタンクへの給油かは不明。
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a7fd213a.jpg 今日は、薄曇の天気であったが、下から見上げる柳もまた一興。戯れに数を数えてみると10本はある。浸水テラスの手摺欄干にユリカモメが止まっているので、カメラを向けると餌が貰えるものと勘違いしたらしく、カメラを近づけても逃げようとはしない。
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1faf9feb.jpg 夕飯前に、言問橋を渡り、水戸邸庭園を回って枕橋茶やまで行ってみたが、本日は臨時休業となっていた。
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 今日は旧暦の2月20日。隅田公園の桜並木の間に下弦の月がかかっている。吾妻橋の上に立つと、上流から釣り船が東京湾を目指して下ってくる。そういえば昨日の日曜日は千葉県の富津海岸では潮干狩りの人出で賑わったとか。墨田区役所裏の広場に来ると遊歩道には、気の早い「墨堤さくらまつり」の幟がずらりと立ち並んでいる。遊歩道の所々には売店兼や休み処となる葭簀張りの仮小屋が建てられている。肌に当たる川風はまだ冷たいが、周りの雰囲気はもうすっかり春である。
ace7ad0d.jpg 桜橋を過ぎたところで川上から小さな曳舟が、春の陽射しを浴びながら土木資材や機材を沢山載せこんだ浮き桟橋を引いて下ってくる。両国橋、蔵前橋、言問橋と橋桁の補強工事が盛んなようであるが、道路工事にかぎらず三月の決算期になると予算消化のための土木工事が盛んになるのは昔も今も同じこと。こんな光景を目にしていると、爺には景気が好いのか悪いのか本当の所は良く判らない。
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25b24469.jpg 白鬚橋の手前で久し振りにワンさんと出会う。しばらく立ち話をしたが、爺のブログも読んでくれているらしい。写真を撮らせてもらい、爺の野暮天姿もカメラに入れてもらった。
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     白鬚橋を渡り、件の落書き遊歩道を川に沿って下るところに、2・3本の大きな柳の木があるが、朝日を浴びて緑がいっそう映えて、春を呼び込んでいるようだ。野球場の前のソメイヨシノは大きく膨らんで、間もなく色づきつき末には花を開くだろう。スポーツセンターのプール脇の今を盛りと咲き誇っている白木蓮を眺めながら帰途に着いた。
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46ffe228.jpg 昨日は1日中雨と風で荒れ模様。
 今日は日曜日で、久し振りの好天気。朝のテレビの報道特集を観呆けて徘徊に出そびれた。昼食後、隅田公園を一巡り。何処も彼処も人人人… 1時間ほどの散策で帰宅した。
 一昨日の夕食に食ったしめ鯖が当たったのか、7時過ぎ頃から、急に首筋が痒くなり、そのうちに肘の関節の内側や、腹の下の方に蕁麻疹が出てきた。こんなときは寝るに限ると、そそくさと布団に入ったが、鳩尾(みぞおち)の辺りが重苦しくて眠れない。翌朝には蕁麻疹は引いたものの、少し吐き気がして気持ち悪かったので徘徊は休んで、一日がかりで水門会の花見会のコース概説を作成してみた。
 今朝は昨日のうちにプリントしておいた、花見コースとその概説を封筒につめ、参加者に送ることにした。朝食後9時近くになって、文書メールで発送すべく、クロネコに立ち寄った。そのまま、江戸通りを南下蔵前通りから、榊神社に立ち寄った。

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3b9e674f.jpg 社伝によればここは景行天皇の御代、日本武尊が皇祖二柱の神を祀ったことにはじまるという。もとは浅草鳥越の岡にあり、鳥越神社・熱田神社とともに鳥越三所明神と呼ばれていた。しかし、徳川家康の江戸入府以来、鳥越の岡は造成のために順次取り崩され、正保2年(1645)鳥越三所明神に移転が命じられた。この時、鳥越明神だけが旧地に残り、熱田神社は山谷に、第六天社は堀田原に遷座した。明治6年(1873)社号を榊神社と改めたという。境内に浅草文庫碑と蔵前興業学園の碑がある。浅草文庫は明治7年、御蔵8番米倉に湯島聖堂から図書を移し閲覧・書庫を設けた。明治10年に上野図書館に移管されるまで開業。蔵前工業学園は東京工業大学の前身。関東大震災の後、この地から目黒区大岡山に移転した。
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 柳橋を渡って、両国橋に出る。東詰めから親水テラスに降りて、吾妻橋まで歩く。両国橋は耐震補強工事が行われ、橋桁の傍に浮き桟橋がもうけられ、工事の真っ最中。今日は隅田川を上り下りする船がひっきりなしに往来している。水上バス(観光船)だけでも5・6艘が上り下りしていた。
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0d4163a4.jpg 吾妻橋を渡って帰宅しようかとも思ったが気が変わり、枕橋を渡って桜橋まで遊歩道を北上した。桜の花芽はかなり膨らんで、中にはピンク色を見せているものも診られた。桜橋を渡って、山谷堀水門の広場に来ると、柳の緑がいっそう色を増したのが目に入った。辺り一面、もうすっかり春が来た。
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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