橋も遊歩道も防御柵が設けられ、月末31日(土)の隅田川花火大会に備えているようだ。
高速6号向島線の下を出ると、雨が降り出した。白鬚橋は下流から吹き付ける風に煽られて横殴りの雨。西詰近くで向こうから近付いてくるワンさんに会うが、彼も俯き加減に雨を避けている所為か此方に木がついていない様子。すれ違いざま「おはよう」と声を掛けると漸く気付いて挨拶を返してくれた。
橋場・今戸の遊歩道では前方から吹き付ける雨で帽子もシャツもズボンも靴もずぶ濡れ。桜橋に来た頃にやっと雨は小止みになったが、衣服の中まで濡れて気持ち悪く、ラジオ体操は見合わせて、急ぎ帰宅し、シャワーで水を浴びて着替える。
ズボンのポッケに入れているカメラも、腕時計もどうやら被害は無いよう。
瑞光トンネルの上の展望台になにやら白い花を咲かせている木があるので近づいてみると、木の幹と花からサルスベリであると判った。水神大橋も瑞光橋も月末の花火大会に備えて防禦柵が設けられている。旧日光街道を南下して聖天公園へ。ラジオ体操をして帰宅した。
サルスベリの名は幹の肥大成長に伴って古い樹皮のコルク層が剥がれ落ち、新しいすべすべした感触の樹皮が表面に現れて更新して行くことによる(樹皮の更新様式や感触の似たナツツバキやリョウブをサルスベリと呼ぶ地方もある)。つまり、猿が登ろうとしても、滑ってしまうということで、猿滑と表記することもある(実際には猿は滑ることなく簡単に上ってしまう)。英語名Crape myrtleはギンバイカ(myrtle)の花に似て花弁がちりめん(crape)のように縮れていることから。中国では唐代長安の紫微(しび、宮廷)に多く植えられたため紫薇と呼ばれるが、比較的長い間紅色の花が咲いていることから百日紅(ひゃくにちこう)ともいう。
午前5時。桜橋の上で前方のビルの上にご来光。墨堤通りを北上、何時ものように水神大橋を渡って川沿いの遊歩道を南下。本日は風もなく朝日を浴びての徘徊となる。瑞光橋から見るリバーサイド隅田のビルと東京スカイツリーが競うようにその姿を川面に写している。
明治通りを横切り、橋場のマンションの裏庭では今、木槿(むくげ)の花が盛りである。花の大きさは10~18㎝。この花は大韓民国の国花と聞く。白氏文集(白居易の詩文集)、巻十五「放言其の五」に「槿花(むくげ)」を歌った詩がある。
ここで槿花は朝顔の花と同一視され、一日花との誤解があるが、朝花が開き、夕方には凋(しぼ)んで、また翌朝開き、一重のもので2-3日。八重の長く咲くもので2週間位、一輪の花を楽しむことができる。
日本語では古くは朝顔(あさがお)、後に無窮花(むくげ; 「無窮花」の呉音読み)、木槿花(もくげ)と呼ぶようになったが、植物学では木槿(ムクゲ)と当て字をして読むのを和名としている。江戸時代中期から後期頃にかけて、ムクゲには「木槿」の字が使われるようになり、アサガオを「朝顔・蕣」と書くようになったのであろうと考えられている。
7月20日から夏から秋へ変わり目の土用(どよう)。土用とは暦における雑節の一つとされているが、そもそも五行思想に基づく季節の分類の一つで、各季節の終わりの約18日間のことである。一般的には、夏の土用を指すことが多く、日本では夏の土用の丑の日には鰻を食べる習慣がある。五行思想では、春に木気、夏に火気、秋に金気、冬に水気を割り当てている。残った土気は季節の変わり目に割り当てられ、これを「土旺用事」、「土用」と呼んだ。土用の期間は、ふつう立夏・立秋・立冬・立春の前18日間としている。
土用の丑の日に、暑い時期を乗り切る栄養をつけるために鰻を食べる習慣がある。鰻を食べる習慣についての由来には諸説あり、讃岐国出身の平賀源内が発案したという説が最もよく知られている。これは文政5年(1822年)の、当時の話題を集めた『明和誌』(青山白峰著)に収められていて、それによると、商売がうまく行かない鰻屋が、夏に売れない鰻を何とか売るため源内の所に相談に行った。源内は、「丑の日に『う』の字が附く物を食べると夏負けしない」という民間伝承からヒントを得て、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めた。すると、物知りとして有名な源内の言うことならということで、その鰻屋は大変繁盛した。その後、他の鰻屋もそれを真似るようになり、土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着したというのである。
また、別説としては ①同じ文政年間(1818~1829年)の『江戸買物独案内』によると、土用に大量の蒲焼の注文を受けた鰻屋、春木屋善兵衛が、子の日、丑の日、寅の日の3日間で作って土甕に入れて保存しておいたところ、丑の日に作った物だけが悪くなっていなかったからという説。 ②やや時代が下がった天保10(1839)年の『天保佳話』(劉会山大辺甫篇)では、やはり鰻屋に相談をもちかけられた蜀山人こと太田南畝が、「丑の日に鰻を食べると薬になる」という内容の狂歌をキャッチコピーとして考え出したという話が載せられている。 ③平仮名で墨汁を使って毛筆で書いた「うし」と言う文字が、まるで二匹の鰻のように見えたからと言う説もある。
ウナギを勧めるというより、石麻呂(吉田老)のやせすぎをからかった歌なのだが、どうやら当時よりウナギは非常に栄養価が高く、滋養強壮にいいということも知られていたようだ。
今日のウェブニュースより
数学者の森毅氏死去=京都大名誉教授、82歳-評論家、テレビでも人気 -― 数学者で評論家の森毅・京都大名誉教授が24日午後7時30分、敗血症性ショックのため、大阪府寝屋川市内の病院で死去した。82歳だった。京都大が25日、発表した。葬儀などは行わないという。/森さんは東京都出身。1950年、東京大理学部数学科を卒業後、北海道大理学部助手に就任。57年に京都大助教授、71年に同大教授となり、91年に定年退官した。/数学教育に関する多数の著作があるほか、評論家としても知られた。NHKの料理番組に出演したこともあり、関西弁のユーモラスな語り口がテレビでも人気だった。/2009年2月、一人暮らしをしていた京都府八幡市内の自宅で料理中、こんろの火が衣服に燃え移り、重傷を負った。 (jijicom. 2010/07/25-19:02)
20日(火)は土用の入り。今週に入って猛暑が続いている。昨日は猛暑の中横浜在住のK氏と船橋在住のN氏に誘われて品川で会う約束をした。品川駅前の第一京浜国道に面したグリル「つばめ」で正午に待ち合わせた。家を11時に出たが、家から都営淺草駅まで、20分。都営淺草線で品川まで21分。店に着いたのは11時45分。ジャスト正午に2人揃って現れる。
まず、ソーセージ盛り合わせを摘みにしてビール、飲むほどに喰うほどに話も弾む。いやはや、高校時代の生徒会のエースであった、お二人、高校時代の友人の下世話話が多い。K氏に拠れば付き合っていた友人がみんな破滅型人間にさせられてしまう。はてさて、破滅型人間とは?
ある結婚相談所のいうところでは、 ●平気で嘘をつく、誠実でない ●約束を破る・できない ●善悪の判断力に欠けている ●優柔不断、流されやすい ●自己否定発言が多い ●社会のルールを守らない ●計画性がない ●無気力、怠け者、働くのが嫌い ●異性にだらしがない・浮気者 ●将来の希望・目標がない ●夢を語るが努力しない ●問題解決能力がない ●依存症 ●アルコール・ドラッグ中毒 ●他者への甘えが強い ●(無茶な)借金をする ●暴力を振るう ●破滅的生き方を昇華させるタイプの芸術家 ●同性の友人が殆どいない ●自殺が最終手段だと思っている
のうち3つ以上に該当したら破滅型の危険性があり、恋人や結婚相手にはしない方がよいという。
まあ、爺の若い頃を振り返ってみると、このうちのどれにも当てはまっているようで、こんなことで破滅型の人間が判定できるとは思えない。まあ大体が、人間の性格なんて表裏があるのは当然で、こんな判断基準で人間を色分けするのはよした方が良いと思う。
食事は3人ともK氏ご推奨のハンブルグステーキを食った。「つばめ」を出ると、外は茹だるような暑さ。落ち着いて話の出来る所ということで、喫茶店を探すが、結局品川プリンスホテルの喫茶室でコーヒーを飲んだ。3時ごろ品川駅で別れた。
今朝は墨堤を北上、東白鬚公園をぬけて千住汐入大橋を渡った。隅田川沿いの遊歩道を南下、今日から聖天公園でラジオ体操が始まるというのを思い出し、山谷堀公園の脇道を通って、かつて兼愛塾があった場所(現在は駐車場)から公園に入る。すで、数人の人がラジオ体操に集まっていた。
元塾舎の前には百日紅のピンクの花が開いていた。
帰宅後、ウェブニュースを見て試合を反芻した。
観世十郎元雅作の謡曲「隅田川」では狂女の姿になって登場する斑女の前は渡しの舟に乗って隅田川東岸に着いてそこで梅若丸の死を知るという筋になっている。まあ、これは平安時代の話ではあるが、江戸の世にあっては、隅田川の向こう岸(東岸)は他界(あの世)として意識されていて、他界として意識されていたからこそ、そこに回向院が建てられたという話を聞いたことがある。「隅田川」の流れに、江戸の人々はそこに「生と死の境」を感じたのかも知れない。梅若丸もその母である斑女の前もこの冷徹な隅田の流れに呑まれてしまったのであろうか。
まだ、明けきらないうちから隅田川右岸を北上、水神大橋を渡ると、左岸のテラスに降りてみた。ここは、青シートの御殿も多く、滅多に散策する人はいない。白鬚橋の東詰めでテラスから上がると明治通りを東に取り、墨堤通りを南下して帰宅した。
今朝のウェブニュースより
陸山会事件:小沢氏「不起訴不当」 「厳正な再捜査を」 識者指摘、検察側は慎重発言 ―― 「市民」は再び、小沢一郎・民主党前幹事長を不起訴とした検察の捜査に疑問を投げ掛けた。陸山会の政治資金規正法違反事件で、東京第1検察審査会が15日公表した「不起訴不当」議決は、小沢氏について「更なる追及が必要」と指摘した。検察側は議決を冷静に受け止め、結論は変えない見通しだが、有識者からは議決を評価する声が出た。/東京地検の大鶴基成次席検事は同日、毎週木曜日の定例会見の場で「議決の内容を十分に検討し適切に対処したい」とするコメントを発表した。再捜査については「まだ捜査を行う必要があるか検討する」と慎重な発言に終始した。/東京地検特捜部は小沢氏を過去3回聴取している。第1審査会は「秘書に任せていた」との小沢氏の供述に関し、「元秘書が独断ではできない」と捜査の不十分さを指摘したが、検察当局には「物証もなく、これ以上追及しても新しい話は出ない」との見方が強い。/ある検察幹部は「議決の指摘を尊重し、批判に耐えうる捜査をする」と話したが、別の幹部は「既に3回も聴取をしており、今の調書で審査会の指摘に答えられないか考えるべきだ」と語る。/一方、元特捜検事の高井康行弁護士は「(4月に『起訴相当』とした)第5審査会の議決書と比べ、証拠と論理に従って再捜査すべき内容を明示している点は評価したい」と話す。上脇博之・神戸学院大大学院教授(憲法学)は「市民感覚に基づき丁寧に判断している。捜査は尽くされている感もあるが、検察は指摘を真摯(しんし)に受け止め、厳正な再捜査をする必要がある」と語った。
◇審査員4人以上が「起訴相当」不賛成
第1審査会はA4判6枚の議決要旨を公表したが、関係者によると、実際の議決書は十数枚あったという。/審査会事務局によると、第1審査会は男性4人、女性7人で構成され、平均年齢49.81歳。4月に全員一致で起訴相当と議決した第5審査会は男性7人、女性4人で、同34.27歳。不起訴不当は11人中6人以上の賛成で議決されるが、起訴相当は8人以上の賛成が必要で、今回は4人以上が起訴相当に賛成しなかったことになる。 (毎日新聞 2010年7月16日 東京朝刊)
sechin@nethome.ne.jp です。
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