瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 今朝は曇り空で少々風もあったが、ラジオ体操の時刻にあわせて、吾妻橋~白鬚橋を一巡するつもりで家を出た。
358e6747.jpg 吾妻橋から見ると、水上バスの新淺草ステーションがほぼ完成している。新ステーションが何時からの営業開始かは知らない。
 橋も遊歩道も防御柵が設けられ、月末31日(土)の隅田川花火大会に備えているようだ。

 高速6号向島線の下を出ると、雨が降り出した。白鬚橋は下流から吹き付ける風に煽られて横殴りの雨。西詰近くで向こうから近付いてくるワンさんに会うが、彼も俯き加減に雨を避けている所為か此方に木がついていない様子。すれ違いざま「おはよう」と声を掛けると漸く気付いて挨拶を返してくれた。
 橋場・今戸の遊歩道では前方から吹き付ける雨で帽子もシャツもズボンも靴もずぶ濡れ。桜橋に来た頃にやっと雨は小止みになったが、衣服の中まで濡れて気持ち悪く、ラジオ体操は見合わせて、急ぎ帰宅し、シャワーで水を浴びて着替える。
 ズボンのポッケに入れているカメラも、腕時計もどうやら被害は無いよう。
 今日は旧暦17日。午前5時、桜橋の上にでると、南西の空に17日の月(立待ちの月)が残り、北東の空には今しもご来光。昨日と同じく墨堤通りを北上、東白鬚公園を抜けて水神大橋をわたる。
 瑞光トンネルの上の展望台になにやら白い花を咲かせている木があるので近づいてみると、木の幹と花からサルスベリであると判った。水神大橋も瑞光橋も月末の花火大会に備えて防禦柵が設けられている。旧日光街道を南下して聖天公園へ。ラジオ体操をして帰宅した。
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 サルスベリの名は幹の肥大成長に伴って古い樹皮のコルク層が剥がれ落ち、新しいすべすべした感触の樹皮が表面に現れて更新して行くことによる(樹皮の更新様式や感触の似たナツツバキやリョウブをサルスベリと呼ぶ地方もある)。つまり、猿が登ろうとしても、滑ってしまうということで、猿滑と表記することもある(実際には猿は滑ることなく簡単に上ってしまう)。英語名Crape myrtleはギンバイカ(myrtle)の花に似て花弁がちりめん(crape)のように縮れていることから。中国では唐代長安の紫微(しび、宮廷)に多く植えられたため紫薇と呼ばれるが、比較的長い間紅色の花が咲いていることから百日紅(ひゃくにちこう)ともいう。

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 午前5時。桜橋の上で前方のビルの上にご来光。墨堤通りを北上、何時ものように水神大橋を渡って川沿いの遊歩道を南下。本日は風もなく朝日を浴びての徘徊となる。瑞光橋から見るリバーサイド隅田のビルと東京スカイツリーが競うようにその姿を川面に写している。
 明治通りを横切り、橋場のマンションの裏庭では今、木槿(むくげ)の花が盛りである。花の大きさは10~18㎝。この花は大韓民国の国花と聞く。白氏文集(白居易の詩文集)、巻十五「放言其の五」に「槿花(むくげ)」を歌った詩がある。
23a02dee.JPG 「泰山は偉大だからといって小さなものを侮る必要は無いし、/顔回は短命だからといって彭祖の長寿を羨む心は無かった。/松の木は千年の寿命があるといっても、最後には朽ち、/朝顔の花は一日の寿命であっても、それを栄華とする。/されば、どうして現世に恋着し常に死を気に病む必要があろう。/さりとてまた、我が身を嫌ってむやみに生を厭うこともない。/生れては死ぬ、これはすべて幻にすぎぬ。/幻にすぎぬ人たる我が身、哀楽などどうして心に懸けよう。」
 ここで槿花は朝顔の花と同一視され、一日花との誤解があるが、朝花が開き、夕方には凋(しぼ)んで、また翌朝開き、一重のもので2-3日。八重の長く咲くもので2週間位、一輪の花を楽しむことができる。
 日本語では古くは朝顔(あさがお)、後に無窮花(むくげ; 「無窮花」の呉音読み)、木槿花(もくげ)と呼ぶようになったが、植物学では木槿(ムクゲ)と当て字をして読むのを和名としている。江戸時代中期から後期頃にかけて、ムクゲには「木槿」の字が使われるようになり、アサガオを「朝顔・蕣」と書くようになったのであろうと考えられている。

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ab2eebc7.jpg 今朝は、少々寝坊。言問橋を渡り、隅田川沿いの遊歩道を北上、白鬚橋を渡ると、橋場・今戸のテラスに降りるとここを桜橋まで南下。墨田グランドの脇から旧日光街道にでると、今戸橋から聖天公園に入り、ラジオ体操をして帰宅した。

 7月20日から夏から秋へ変わり目の土用(どよう)。土用とは暦における雑節の一つとされているが、そもそも五行思想に基づく季節の分類の一つで、各季節の終わりの約18日間のことである。一般的には、夏の土用を指すことが多く、日本では夏の土用の丑の日には鰻を食べる習慣がある。五行思想では、春に木気、夏に火気、秋に金気、冬に水気を割り当てている。残った土気は季節の変わり目に割り当てられ、これを「土旺用事」、「土用」と呼んだ。土用の期間は、ふつう立夏・立秋・立冬・立春の前18日間としている。
 土用の丑の日に、暑い時期を乗り切る栄養をつけるために鰻を食べる習慣がある。鰻を食べる習慣についての由来には諸説あり、讃岐国出身の平賀源内が発案したという説が最もよく知られている。これは文政5年(1822年)の、当時の話題を集めた『明和誌』(青山白峰著)に収められていて、それによると、商売がうまく行かない鰻屋が、夏に売れない鰻を何とか売るため源内の所に相談に行った。源内は、「丑の日に『う』の字が附く物を食べると夏負けしない」という民間伝承からヒントを得て、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めた。すると、物知りとして有名な源内の言うことならということで、その鰻屋は大変繁盛した。その後、他の鰻屋もそれを真似るようになり、土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着したというのである。
 また、別説としては ①同じ文政年間(1818~1829年)の『江戸買物独案内』によると、土用に大量の蒲焼の注文を受けた鰻屋、春木屋善兵衛が、子の日、丑の日、寅の日の3日間で作って土甕に入れて保存しておいたところ、丑の日に作った物だけが悪くなっていなかったからという説。 ②やや時代が下がった天保10(1839)年の『天保佳話』(劉会山大辺甫篇)では、やはり鰻屋に相談をもちかけられた蜀山人こと太田南畝が、「丑の日に鰻を食べると薬になる」という内容の狂歌をキャッチコピーとして考え出したという話が載せられている。 ③平仮名で墨汁を使って毛筆で書いた「うし」と言う文字が、まるで二匹の鰻のように見えたからと言う説もある。
5a899040.JPG 日本人は古くからウナギを食していた。現存最古の和歌集『万葉集』にも、ウナギは登場する。かの大伴家持がやせすぎ男にウナギを勧める歌がある。
 ウナギを勧めるというより、石麻呂(吉田老)のやせすぎをからかった歌なのだが、どうやら当時よりウナギは非常に栄養価が高く、滋養強壮にいいということも知られていたようだ。

 今日のウェブニュースより
 数学者の森毅氏死去=京都大名誉教授、82歳-評論家、テレビでも人気 -― 数学者で評論家の森毅・京都大名誉教授が24日午後7時30分、敗血症性ショックのため、大阪府寝屋川市内の病院で死去した。82歳だった。京都大が25日、発表した。葬儀などは行わないという。/森さんは東京都出身。1950年、東京大理学部数学科を卒業後、北海道大理学部助手に就任。57年に京都大助教授、71年に同大教授となり、91年に定年退官した。/数学教育に関する多数の著作があるほか、評論家としても知られた。NHKの料理番組に出演したこともあり、関西弁のユーモラスな語り口がテレビでも人気だった。/2009年2月、一人暮らしをしていた京都府八幡市内の自宅で料理中、こんろの火が衣服に燃え移り、重傷を負った。 (jijicom. 2010/07/25-19:02)
006b3c0e.JPG 森毅さんは東京市淺草の出身と聞く。大阪府豊中市育ちで、現在は京都府八幡市在住(八幡市の広報誌「広報やわた」より)。数学・教育にとどまらず社会や文化に至るまで広い範囲で評論活動を行う。歌舞伎、三味線、宝塚歌劇団は在学中より熱中し、これらもエッセイの材料としている。数学者としての業績は論文が2本だけとほとんど無く、教授になる際に「これほど業績がない人物を教授にしてよいのか。」と問題になったが、「こういう人物がひとりくらい教授であっても良い。」ということで京都大学の教授となったというエピソードをもつ。

昨日はシアトルママが来日しているというので、ひさご通りの「TAKEYA」で、20数年前兼愛塾最後の臨海学校に指導員として参加した面々15・6名が集まった。
当時大学生だった彼らも、既に40歳を過ぎたと言う。
爺は調子に乗って少々飲みすぎで、徘徊は中止。
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 夜明け方に雨が降ったらしく、道が濡れている。空は曇り空であるが、今戸橋をわたり、明治通りを横切って、荒川区の隅田川右岸の遊歩道に出る。
0bbaa608.JPG 今戸といえば、広津柳浪(1861~1928年)は「今戸心中」(1896年刊)を著した。吉原の娼婦と小商人のせつない恋の結末の場所である。永井荷風の「すみだ川」でも、ここにあった竹屋の渡しをつかって、俳諧師羅月(らげつ)が小梅から今戸に住む妹のお豊を訪ねて来る。お豊の子長吉は、今戸橋でお糸を待ちわびるのである。今戸橋を越える通りは旧奥州街道で、浅草御門から蔵前、浅草を通り宇都宮までは日光街道と同じ道(現江戸通り)であった。しかし、文禄3(1594)年千住大橋が架設され、道筋は今までの浅草追分(言問橋西詰め交差点)から橋場に至り、橋場の渡しを使って大川を渡り常陸国へ出ていたのが、浅草追分.小塚原.千住と変更になった。
51dd7df9.jpg 遊歩道を北上していると右前方から雨雲を割ってのご来光。朝日が川面を赤く染めて美しい。水神大橋を渡り、東白鬚公園を抜けて墨堤通りを南下して、桜橋を渡ると、野球場の脇を通り、今戸橋に帰り着く。今日も聖天公園に立ちより、ラジオ体操をして帰宅した。ラジオ体操の参加者は子ども連れの家族が多い。

1cc5b170.JPG 爺の小学生時代は日支事変・太平洋戦争と戦時中であったが、軍国教育の一環としてラジオ体操に参加させられた。当時のラジオ体操の歌、不思議に曲も覚えている。


 20日(火)は土用の入り。今週に入って猛暑が続いている。昨日は猛暑の中横浜在住のK氏と船橋在住のN氏に誘われて品川で会う約束をした。品川駅前の第一京浜国道に面したグリル「つばめ」で正午に待ち合わせた。家を11時に出たが、家から都営淺草駅まで、20分。都営淺草線で品川まで21分。店に着いたのは11時45分。ジャスト正午に2人揃って現れる。
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 まず、ソーセージ盛り合わせを摘みにしてビール、飲むほどに喰うほどに話も弾む。いやはや、高校時代の生徒会のエースであった、お二人、高校時代の友人の下世話話が多い。K氏に拠れば付き合っていた友人がみんな破滅型人間にさせられてしまう。はてさて、破滅型人間とは? 
 ある結婚相談所のいうところでは、 ●平気で嘘をつく、誠実でない ●約束を破る・できない  ●善悪の判断力に欠けている  ●優柔不断、流されやすい  ●自己否定発言が多い  ●社会のルールを守らない  ●計画性がない  ●無気力、怠け者、働くのが嫌い  ●異性にだらしがない・浮気者  ●将来の希望・目標がない  ●夢を語るが努力しない  ●問題解決能力がない  ●依存症  ●アルコール・ドラッグ中毒  ●他者への甘えが強い  ●(無茶な)借金をする  ●暴力を振るう  ●破滅的生き方を昇華させるタイプの芸術家  ●同性の友人が殆どいない  ●自殺が最終手段だと思っている
のうち3つ以上に該当したら破滅型の危険性があり、恋人や結婚相手にはしない方がよいという。
 まあ、爺の若い頃を振り返ってみると、このうちのどれにも当てはまっているようで、こんなことで破滅型の人間が判定できるとは思えない。まあ大体が、人間の性格なんて表裏があるのは当然で、こんな判断基準で人間を色分けするのはよした方が良いと思う。
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c5e0a9ee.jpg 食事は3人ともK氏ご推奨のハンブルグステーキを食った。「つばめ」を出ると、外は茹だるような暑さ。落ち着いて話の出来る所ということで、喫茶店を探すが、結局品川プリンスホテルの喫茶室でコーヒーを飲んだ。3時ごろ品川駅で別れた。

 今朝は墨堤を北上、東白鬚公園をぬけて千住汐入大橋を渡った。隅田川沿いの遊歩道を南下、今日から聖天公園でラジオ体操が始まるというのを思い出し、山谷堀公園の脇道を通って、かつて兼愛塾があった場所(現在は駐車場)から公園に入る。すで、数人の人がラジオ体操に集まっていた。
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 元塾舎の前には百日紅のピンクの花が開いていた。
 

76153fdc.JPG 昨日18日塾友のN君が、「明日の巨人~ヤクルト戦のチケットがあるので、行きませんか?」と、ネット裏の好い席の入場券を持参してくれた。今朝は徘徊にも出掛けず、早昼をすませて、東京ドームに出掛けた。
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468af552.jpg 久し振りに野球観戦を楽しんだ。外は35℃の猛暑であったが、まあドームの中は冷房も利き、かつての爺の若い頃の野外での野球観戦に比べれば天国々々。ただ、打棒(バット」やボールの改良が進んだのか打高投低の大味な野球になったように思った。出てくるピッチャーがどれも気の毒なくらいによく打たれていた。
 帰宅後、ウェブニュースを見て試合を反芻した。
b1e10eda.JPG 長野(ちょうの)4の3、5打点! 打線爆発14点でG首位死守 ―― ◆巨人14―8ヤクルト(19日・東京ドーム) 本拠地東京ドームに戻った巨人が4位ヤクルトに打ち勝った。負ければこの日ナイターの阪神に暫定で首位を明け渡す重要な一戦を、4の3猛打賞、5打点の長野ら打撃陣の奮起で乗り切った。先発のゴンザレスは4回途中5失点も、3番手のMICHEALが今季初勝利を挙げた。/長野の右越え15号3ランで先制した巨人は、先発ゴンザレスが安定せず、ヤクルトにいったん逆転を許した。しかし3―7で迎えた5回、先頭の長野が左中間二塁打でチャンスを作り1点を返し、連打と四死球で無死満塁とした6回には長野がヤクルト3番手押本の代わりばなをとらえ、センターへ2点タイムリーを放ち逆転に成功。さらに脇谷、代打・谷も連続適時打で続き、この回7点を挙げ11―7と4点にリードを広げた。/巨人は7回にも高橋の10号3ランでさらに3点を加えた。投手陣はマイケルから山口、久保とつなぎ、9回は育成選手出身で1軍初登板のロメロが3者凡退に抑え逃げ切った。

 桜橋を渡り、墨堤通りを北上する。
3c06a474.jpg 浅草通りと接続する墨田区吾妻橋1丁目の交差点を起点に、隅田川沿いを北上し、足立区千住桜木の千住桜木町交差点で尾竹橋通りに接続し、すぐ先で荒川堤に接続する道路が墨堤通りで、全長13000メートル余という。沿道に墨田区役所、墨田公園や牛嶋神社、東白髭公園や隅田川神社・木母寺などがある。隅田公園から高速6号向島線 の向島入口までは、上を首都高速が走る。言問橋を渡る国道6号水戸街道と立体交差するが、接続はされていない。自動車では行き来できないが、歩行者用の階段が存在する。向島第一・向島第二の出入口で高速6号向島線 に接続する。途中、白鬚橋東詰交差点で明治通り、千住宮元町で国道4号(日光街道)と接続する。また東武伊勢崎線や京成本線がこの墨堤通りと併走する。因みに、この道路が走る墨田区は、江戸時代から名高いかの「墨堤」の『墨』と、「隅田川」の『田』から名前が付けられたという。このため墨田区は、川の名前とは異なり隅田区ではなく墨田区なのである。
da59f144.jpg 鐘ヶ淵陸橋の交差点で左折すると、梅若橋をくぐり、水神大橋に出て、しばし隅田川下流を見渡す。明治の詩人たちは昔の江戸を懐かしんで、隅田川の流れをセーヌの流れに見立てたりした。だが、関東大震災のルポルタージュのために上京した作家・夢野久作が、隅田川についてこんなことを書いている。『隅田川は昔から身投げが絶えぬ。都会生活に揉まれて、一種の神経衰弱に陥った人間が、かの広い、寂しい、淀みなく流るる水を見ると、吸い込まれるような気持ちになるのは無理もないであろう。しかし、江戸の人口に差し支えるほど身投げがあったら大変で、隅田川が江戸を呪っていると云うのはそんなわけではない。もっと深刻な意味があるのである。隅田川は昔から水っ子の始まった処であった。水っ子と云っても、その中には堕胎した児、生まれてから殺した子、または捨て子(これも結局はおなじことであるが)が含まれている。しかもその数は統計にも何にも取られたものでないが、江戸っ子の人口減少の一端を引き受けたと認めているのだから恐ろしい。隅田川はこんな残忍な冷たい流れなのである。』(夢野久作:「街頭から見た新東京の裏面」)
 観世十郎元雅作の謡曲「隅田川」では狂女の姿になって登場する斑女の前は渡しの舟に乗って隅田川東岸に着いてそこで梅若丸の死を知るという筋になっている。まあ、これは平安時代の話ではあるが、江戸の世にあっては、隅田川の向こう岸(東岸)は他界(あの世)として意識されていて、他界として意識されていたからこそ、そこに回向院が建てられたという話を聞いたことがある。「隅田川」の流れに、江戸の人々はそこに「生と死の境」を感じたのかも知れない。梅若丸もその母である斑女の前もこの冷徹な隅田の流れに呑まれてしまったのであろうか。
4796c7d9.jpg 現在の水神大橋の下流にも「水神の渡し」があったという。真崎稲荷(現、石濱神社)と隅田川神社を結んでいた渡しで、名は隅田川神社が水神を祀っていることによるが、付近の俗称が「水神」でもあったことにもよるという。

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bbb8d4be.jpg まだ、明けきらないうちから隅田川右岸を北上、水神大橋を渡ると、左岸のテラスに降りてみた。ここは、青シートの御殿も多く、滅多に散策する人はいない。白鬚橋の東詰めでテラスから上がると明治通りを東に取り、墨堤通りを南下して帰宅した。
 今朝のウェブニュースより
30b36835.JPG 陸山会事件:小沢氏「不起訴不当」 「厳正な再捜査を」 識者指摘、検察側は慎重発言 ―― 「市民」は再び、小沢一郎・民主党前幹事長を不起訴とした検察の捜査に疑問を投げ掛けた。陸山会の政治資金規正法違反事件で、東京第1検察審査会が15日公表した「不起訴不当」議決は、小沢氏について「更なる追及が必要」と指摘した。検察側は議決を冷静に受け止め、結論は変えない見通しだが、有識者からは議決を評価する声が出た。/東京地検の大鶴基成次席検事は同日、毎週木曜日の定例会見の場で「議決の内容を十分に検討し適切に対処したい」とするコメントを発表した。再捜査については「まだ捜査を行う必要があるか検討する」と慎重な発言に終始した。/東京地検特捜部は小沢氏を過去3回聴取している。第1審査会は「秘書に任せていた」との小沢氏の供述に関し、「元秘書が独断ではできない」と捜査の不十分さを指摘したが、検察当局には「物証もなく、これ以上追及しても新しい話は出ない」との見方が強い。/ある検察幹部は「議決の指摘を尊重し、批判に耐えうる捜査をする」と話したが、別の幹部は「既に3回も聴取をしており、今の調書で審査会の指摘に答えられないか考えるべきだ」と語る。/一方、元特捜検事の高井康行弁護士は「(4月に『起訴相当』とした)第5審査会の議決書と比べ、証拠と論理に従って再捜査すべき内容を明示している点は評価したい」と話す。上脇博之・神戸学院大大学院教授(憲法学)は「市民感覚に基づき丁寧に判断している。捜査は尽くされている感もあるが、検察は指摘を真摯(しんし)に受け止め、厳正な再捜査をする必要がある」と語った。
 ◇審査員4人以上が「起訴相当」不賛成
 第1審査会はA4判6枚の議決要旨を公表したが、関係者によると、実際の議決書は十数枚あったという。/審査会事務局によると、第1審査会は男性4人、女性7人で構成され、平均年齢49.81歳。4月に全員一致で起訴相当と議決した第5審査会は男性7人、女性4人で、同34.27歳。不起訴不当は11人中6人以上の賛成で議決されるが、起訴相当は8人以上の賛成が必要で、今回は4人以上が起訴相当に賛成しなかったことになる。    (毎日新聞 2010年7月16日 東京朝刊)
 

プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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