ここからは当てずっぽうに路地を通って、水戸街道に出ると、そこは鳩の街の入口であった。雨が落ちてきたようなので、桜橋通りに出ると、桜橋を渡って帰宅した。
彼岸花を眺めているとつくづく摩訶不思議な形をしているなあと思う。造りは、天界の花「曼殊沙華」にふさわしくこの世の花とは思えないほどに巧妙で、全体として計算ずくめの造形美を感じさせる。数個の花のそれぞれは、六枚の花弁と雄蕊、長く伸びた雌蕊を持ち、花弁は外側に弧を描いて反り返っている。集まって空間に浮かぶ球体は、宇宙的な広がりを連想させるのである。仏教で、彼岸とは遙か彼方のことを意味するが、古人はよくぞこの花を「彼岸花」と名付けたものだ。
曼殊沙華とは天界に咲くとされる想像上の花で、色は白く鮮やかで、諸天はこれを自在に雨〔ふら)らせ、見る者を強剛の三悪業から離れさせるとされるが、この世の彼岸花は真紅の花ではあるがこれを「曼殊沙華」と呼んだのも成程とうなづけるのである。
昨夜は十五夜、午後5時半、我が家の屋上から月の出を撮影。夕食後、暗くなって、山谷堀水門に出て、モードダイヤルを夜景にセットして、タワーと十五夜を何枚か撮影したが、何れもぶれて失敗作ばかり。今朝の朝日新聞にツリーを過ぎる十五夜月が掲載されていたので、スキャンした。
今朝は昨日の猛暑が一転して、体感温度は肌寒いくらい。何となく徘徊に出そびれた。
ここのところ、検察のFD改竄事件で騒がしい。今朝のウェブニュースより。
検事総長にも責任=国民新代表-与野党、徹底究明求める ―― 郵便料金不正事件で大阪地検特捜部の主任検事が証拠隠滅容疑で逮捕されたことに関し、与野党からは22日、検察トップの責任論に言及する意見や、事実関係の徹底究明を求める声が噴出した。/警察官僚出身の亀井静香国民新党代表は記者会見で、「こんなことが警察で起きたら、現場の課長や署長が責任を取るだけでは終わらない。立派な検事総長であれば当然、自分で分かっているのではないか」と述べ、大林宏検事総長の責任は避けられないとの認識を示した。/民主党の川内博史衆院議員は、自身が会長を務める同党有志の「取り調べの全面可視化を実現する議員連盟」総会で、「検察機構全体に問題点があるなら、国会に特別委員会を設置して議論しなければならない」と強調。石井一副代表は、事件に関連して主任検事の前田恒彦容疑者から聴取を受けたことを明かした上で、「まじめ過ぎる検事だった。目的のために手段を選ばないという心理ではなかったか」と語った。/自民党の小池百合子総務会長は会見で「検察の信頼性にかかわる大きな問題だ。信頼回復のために検察が何をなすべきなのか考えてほしい」と指摘。共産党の穀田恵二国対委員長も、記者団に「組織的関与(の有無)も含めて真相の徹底した究明が大切だ」と述べた。(jiicom. 2010/09/22-22:15)
水神大橋を渡ると、昨日と同じく汐入公園内のさくら橋を渡り、バーベキュー広場に出る。瑞光トンネル上の展望台を越えて遊歩道に出るとすぐにテラスに通じる道をとって、瑞光橋の入江に入る。
「少府 (しょうふ) 」とは県尉のことで、宋県尉の赴任を送る送別の宴で、「白鷺鷥 (はくろし) 」という詩題が当たって作った詩だろうという。詩の中の三峡とは中国の長江本流にある三つの峡谷の総称。重慶市奉節県の白帝城から湖北省宜昌市の南津関までの193kmの間に、上流から瞿塘峡(くとうきょう、8km)、巫峡(ふきょう、45km)、西陵峡(せいりょうきょう、66km)が連続する景勝地される。「使君灘(しくんたん)」というのは長江の早瀬の名で、「使君」(州刺史)の乗った舟が、そこで難破したことがあったことからつけられた名だそうだ。李白は宋少府に、人生には使君灘のような危険な個所がいくらでもあるので、注意して行けよと暗示している詩なのであろう。
訳)「片足で立つ白い鷺/月は明るく 秋の川の流れは冷たい/人影に驚き 白鷺は遠くへ飛び去り/まっすぐに 使君灘へ向かっていく」
最近は方々の都市でムクドリが大量に増殖して、鳴き声による騒音や糞害などが、しばしば問題になっているが、もともとは、農作物に害を及ぼす虫を食べる、益鳥とされていた。平均的なムクドリの家族(親2羽、雛6羽)が1年間に補食する虫の数は1百万匹以上と研究されている。当時害虫を1匹駆除するのに1円かかると言われていたため、ムクドリ1家族で年間に1百万円以上の利益を国家にもたらす「農林鳥」とたたえられたほどである。Mozart(モーツァルト、1756~1791年)には、ムクドリをペットとして飼っていたというエピソードが残されているという。彼の作曲したピアノ協奏曲第17番の第3楽章には、そのムクドリのさえずりを基にした旋律が主題として用いられていると言われている。
朝まだきの隅田川の桜橋~水神大橋を一巡する。この間までの猛暑が嘘のようである。
本日は彼岸の入り、そして敬老の日だという。
彼岸(ひがん)とは、煩悩を脱した悟りの境地のことで、煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の岸「此岸」(しがん)と言うのに対して、向う側の岸「彼岸」というのだそうだ。
先達ては谷啓が逝き、今回は小林桂樹が此岸から彼岸へ赴いたという。昨日は水門会からメンバー2人の訃報が入った。
All I know is that I must soon die, but what I know least is this very death which I can not escape.
訳:もうじき私はきっと死ぬということは、自分自身でもはっきり分かっているのだが、しかし、どんなことをしたって逃れることのできない、この死そのものに関しては、私は何一つ全然知らない。 Pascal ( パスカル、1623~1662年、フランスの数学者・物理学者・哲学者)
菅政権の人事が決まった。挙党一致というが、全くの論功行賞人事。
劉向(りゅうこう、BC76~BC5年)著「説苑」の『周の武王、太公望にたずねる』より。
武 王:「賢人を取り立てたのに、それでも国が危機に陥り滅亡するのはどうしてなのだろうか。」
太公望:「賢人を取り立てたのに役立たないというのは、賢人を取り立てたといいながら、本当に有能な人を引き出せなかったからです」
「どうしてそんなことになるのだろうか」
「その理由は、君主がとかく見掛け倒しの人を使うことになりがちで、本当の賢人を引き出そうとしないからです」
「どうして、とかく見掛け倒しの人を使うことになりがちなのだろうか」
「君主が、誉め言葉を聞くのが好きで、人を陥れる発言を許しているからです。そこで有能でないのに有能とされ、善行でないのに善行とされ、誠実でないのに誠実とされ、真実でないのに真実とされるのです。そのような君主は誉め上げることを手柄とし、非難することを罪悪としています。功績を立てたものを賞することもなければ、罪を犯したものを罰することもありません。多数派に属するものは抜擢されるが、少数派に属するものは排除されます。こうなると、仕えるものたちはぐるになって賢人を妨害し、役人達は徒党を組んで、悪事を重ねるばかりです。誠実な大臣が陥れられて排除され、悪辣な大臣が誉めことばをかわれて、功績もないのに賞を受けます。これでは、その国が危機に陥り滅亡するのは当然です」
いまから、13000年も昔のことではあるが、なんだか今の日本に似ているようだがどうだろう。
大分市在住のHM氏に、爺の愚作「川の水讃歌」を作曲してもらい、その上AY嬢に歌ってもらったので、心ばかりの粗品をHM氏に託(ことづ)けた。本日AY嬢よりメールが入った。曰く「はじめまして。/AYです。/先日は素敵な品物ありがとうございました。/先日は素敵な品物をありがとうございました。/「川の水賛歌」という歌を歌うことが出来て、とても良い経験が出来たと思っています。
こちらこそ、感謝の気持ちでいっぱいです。/ありがとうございました。」
早速、メール着信の返信を、爺のむさくるしき徘徊姿を貼付して発信した。
AY嬢のTwitter から
金賞とったよー!おめでとうって言って!言って!言って!笑
1,282,035,869,000.00 Keitai Mailから
今日は滝廉太郎コンクールでありまする(^o^)わたくし、声楽部門にでてくるでありまする(^o^)応援めーるまってまする(^o^)笑
1,282,003,357,000.00 Keitai Mailから
業平橋駅の前にある小梅鮨の店頭に鏡が備え付けてありその下に目立つ装飾で「タワーがぜんぶ写る」と添え書きがあるので、鏡の前に進み鏡の中のスカイツリーをカメラに収める。東武橋から北十間川沿いに京成橋に出る。タワーの掲示によれば現在の高さは461m。第2展望台は450mに展望回廊が出来るとのことだから、まもなくこの回廊の建設も始るだろう。
京成橋から押上商店街を通って、桜橋通りに出る。東武の踏み切りを渡るとこの週末から日曜日にかけて秋祭りが行われるという飛木稲荷神社の前に出る。
昨夜一雨降ったらしく、外気はかなり涼しかった。まだ明けやらぬ桜橋を渡って、墨堤通りを北上。東白鬚公園にはいるころ、やっと東の空が明け染めてきた。水神大橋にかかり、西の空を見上げると、水神大橋から隅田川の下流にかけて虹が大きな円弧を描いている。はてさて、この虹霓(にじ)、昨日の菅氏の勝利の吉兆を表わすのか? それとも明日からの政治の凶兆をあらわすのか? まあ、いずれにしても今までとは余り大して変わり映えしないだろう。当分、政治から眼をはずして、黙って見守ることにしよう。
振り返ると、全体的に曇り空ではあるが、東の方には陽炎(かぎろい)が立っている。
遊歩道を南下し、明治通りをすぎると橋場・今戸のテラスを南下して帰宅した。
「にじ」と云ふ讀みで漢和大辞典引くと【虹】【霓】【蜺】【蝃】【蝀】の漢字が擧がつている。
【虹】とは雄、【霓】【蜺】とは雌の「にじ」であるという。「にじ」に雄も雌もあるかと思はれるのだが、これは古代中國人が「にじ」を龍と捉えた事に拠るという。
【虹霓‥コウゲイ】となるとこれも「にじ」の意味を表す。【虹霓】のやうに雄雌を表す漢字を組合はせた言葉は他にも【麒麟‥キリン】 【鳳凰‥ホウオウ】など【虹霓】のやうな傳説の生物もあるし、【鴛鴦‥エンオウ、おしどり】【翡翠‥ヒスイ、かわせみ】【鯨鯢‥ケイゲイ、くじら】など實在の動物にもある。どの言葉も前が雄で後ろが雌である。
伊香保呂能 夜左可能為提尓 多都努自能 安良波路萬代母 佐祢乎佐祢弖婆(万葉集巻14、3414)/読み:伊香保ろの八尺(やさか)のゐでに立つ虹(ぬじ)の顕(あらは)ろまでもさ寝(ね)をさ寝てば/訳:「伊香保の高い堰(せき)の上に立つ虹の美しいこと。まるで可愛いあの子のようだね。あの虹のように周りの人に目に付いても良いから、あの子と一晩中寝て、寝通すことができたら あとは もう どうなってもかまいはしない」
万葉集には虹の歌はこの東歌し一首しかないという。日本語における虹の語源には諸説があるようであるが、「万葉集」では虹は「ヌジ」とあり、池や沼にいる主(ぬし)の語源と一緒だという説があるそうだ。古人は虹を恐ろしい霊物に例えていたのであろう。また、「ヌジ」という言葉は、蛇類を表す古語ナギ(ナジ)に通じるという説もある。この「虹=蛇」という考え方は、全国のみならず全世界的に見られる考え方でもあるという。
沖縄では、虹は雨呑み者(アミヌミヤー)と呼ばれる赤まだらの蛇だとされていた。このアミヌミヤーが天の泉の水を飲んでしまうため、下界に雨が降らなくなると言い伝えられていて、虹は干ばつの先触れと思われてきたという。そこで、虹は決して指さしてはいけない不吉なものとされてきた。
中国では蛇よりももっとダイナミックになり、虹霓(こうげい)と呼ばれる雌雄の龍だとされたのである。虹が雄で、霓が雌。雨によって天地が結ばれ、竜が水を飲みにくるときに虹ができるのだと考えた。虹が出ると戦乱が起きるなどの凶兆ともされたが、一方で竜(虹)に感じて聖王を孕むといった吉兆を示すこともあり、吉凶両方の言い伝えが残っている。
ギリシア神話の虹の神Irisは、伝令の神Hermesより以前に神々の使者として盛んに活動し、『イーリアス』ではしばしば重要な役割を務めている。七色の虹の橋が何処とも知れぬ遠くへ瞬く間にかけわたされるのを見ておもいついた空想であろう。彼女のHómēros(BC8世紀末の吟遊詩人)における形容は「足の迅い」「風の足をもつ」「金色の翼をもった」などでゼウスやへーラーの使者として方々に赴くとされた。彼女はまたBC6世紀初の叙情詩人Alkaiosによって、恋の神Erosの母と呼ばれている。
「とりわけて 畏れかしこい おおん神、/軽鞋(あさぐつ)の美(よ)い虹神(イーリス)が 設けた御子、/黄金の神の西風(Zephyros)とまぐわいまして。」(呉茂一「ギリシア神話」より)
Erosに捧げられた讃歌の一部というが、詩人の一時的な幻想で、ギリシア民族全般の神話とはされえないであろう。
sechin@nethome.ne.jp です。
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