瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
まだ明けきらぬ墨堤通りを北上。本日は東白鬚公園には入らずに、鐘ヶ淵隧道まで北上。
水神大橋に掛かるところの信号で、ふと振り返ると木母寺・リバーサイド墨田・スカイツリー・防災団地が一望に見渡され、それらに囲まれるようにいつも通り抜ける東白鬚公園が見える。
水神大橋を渡ると、昨日と同じく汐入公園内のさくら橋を渡り、バーベキュー広場に出る。瑞光トンネル上の展望台を越えて遊歩道に出るとすぐにテラスに通じる道をとって、瑞光橋の入江に入る。
岩の上で白鷺が遊んでいる。白鷺には大鷺・中鷺・小鷺・唐白鷺などがあるらしいが、嘴が黒いのは小鷺であるらしい。何でも李白の詩に白鷺を歌ったものがあったような気がする。帰宅したら調べてみよう。
芒原越しに水神大橋の向こうに大きな円弧を描いたお日様が見えるが、写真に撮ると昨日と同じで光が散って円弧がはっきりしない。今夜は十五夜というが、このあたりで見る芒原越しの月の出の月見で一杯はいいだろうなあ。
明治通りを越えると、橋場・今戸の遊歩道を南下。橋場のマンション裏の)ムクゲの花は寿命が長い。朝顔の蔓が、ムクゲの木に絡みついて、咲き競っているようだ。今戸から山谷堀水門広場を抜けて、帰宅した。
帰宅後、李白の白鷺の詩を探し出してみた。
「少府 (しょうふ) 」とは県尉のことで、宋県尉の赴任を送る送別の宴で、「白鷺鷥 (はくろし) 」という詩題が当たって作った詩だろうという。詩の中の三峡とは中国の長江本流にある三つの峡谷の総称。重慶市奉節県の白帝城から湖北省宜昌市の南津関までの193kmの間に、上流から瞿塘峡(くとうきょう、8km)、巫峡(ふきょう、45km)、西陵峡(せいりょうきょう、66km)が連続する景勝地される。「使君灘(しくんたん)」というのは長江の早瀬の名で、「使君」(州刺史)の乗った舟が、そこで難破したことがあったことからつけられた名だそうだ。李白は宋少府に、人生には使君灘のような危険な個所がいくらでもあるので、注意して行けよと暗示している詩なのであろう。
訳)「片足で立つ白い鷺/月は明るく 秋の川の流れは冷たい/人影に驚き 白鷺は遠くへ飛び去り/まっすぐに 使君灘へ向かっていく」
水神大橋を渡ると、昨日と同じく汐入公園内のさくら橋を渡り、バーベキュー広場に出る。瑞光トンネル上の展望台を越えて遊歩道に出るとすぐにテラスに通じる道をとって、瑞光橋の入江に入る。
「少府 (しょうふ) 」とは県尉のことで、宋県尉の赴任を送る送別の宴で、「白鷺鷥 (はくろし) 」という詩題が当たって作った詩だろうという。詩の中の三峡とは中国の長江本流にある三つの峡谷の総称。重慶市奉節県の白帝城から湖北省宜昌市の南津関までの193kmの間に、上流から瞿塘峡(くとうきょう、8km)、巫峡(ふきょう、45km)、西陵峡(せいりょうきょう、66km)が連続する景勝地される。「使君灘(しくんたん)」というのは長江の早瀬の名で、「使君」(州刺史)の乗った舟が、そこで難破したことがあったことからつけられた名だそうだ。李白は宋少府に、人生には使君灘のような危険な個所がいくらでもあるので、注意して行けよと暗示している詩なのであろう。
訳)「片足で立つ白い鷺/月は明るく 秋の川の流れは冷たい/人影に驚き 白鷺は遠くへ飛び去り/まっすぐに 使君灘へ向かっていく」
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目高 拙痴无
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93
誕生日:
1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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