昨夜一雨降ったらしく、外気はかなり涼しかった。まだ明けやらぬ桜橋を渡って、墨堤通りを北上。東白鬚公園にはいるころ、やっと東の空が明け染めてきた。水神大橋にかかり、西の空を見上げると、水神大橋から隅田川の下流にかけて虹が大きな円弧を描いている。はてさて、この虹霓(にじ)、昨日の菅氏の勝利の吉兆を表わすのか? それとも明日からの政治の凶兆をあらわすのか? まあ、いずれにしても今までとは余り大して変わり映えしないだろう。当分、政治から眼をはずして、黙って見守ることにしよう。
振り返ると、全体的に曇り空ではあるが、東の方には陽炎(かぎろい)が立っている。
遊歩道を南下し、明治通りをすぎると橋場・今戸のテラスを南下して帰宅した。
「にじ」と云ふ讀みで漢和大辞典引くと【虹】【霓】【蜺】【蝃】【蝀】の漢字が擧がつている。
【虹】とは雄、【霓】【蜺】とは雌の「にじ」であるという。「にじ」に雄も雌もあるかと思はれるのだが、これは古代中國人が「にじ」を龍と捉えた事に拠るという。
【虹霓‥コウゲイ】となるとこれも「にじ」の意味を表す。【虹霓】のやうに雄雌を表す漢字を組合はせた言葉は他にも【麒麟‥キリン】 【鳳凰‥ホウオウ】など【虹霓】のやうな傳説の生物もあるし、【鴛鴦‥エンオウ、おしどり】【翡翠‥ヒスイ、かわせみ】【鯨鯢‥ケイゲイ、くじら】など實在の動物にもある。どの言葉も前が雄で後ろが雌である。
伊香保呂能 夜左可能為提尓 多都努自能 安良波路萬代母 佐祢乎佐祢弖婆(万葉集巻14、3414)/読み:伊香保ろの八尺(やさか)のゐでに立つ虹(ぬじ)の顕(あらは)ろまでもさ寝(ね)をさ寝てば/訳:「伊香保の高い堰(せき)の上に立つ虹の美しいこと。まるで可愛いあの子のようだね。あの虹のように周りの人に目に付いても良いから、あの子と一晩中寝て、寝通すことができたら あとは もう どうなってもかまいはしない」
万葉集には虹の歌はこの東歌し一首しかないという。日本語における虹の語源には諸説があるようであるが、「万葉集」では虹は「ヌジ」とあり、池や沼にいる主(ぬし)の語源と一緒だという説があるそうだ。古人は虹を恐ろしい霊物に例えていたのであろう。また、「ヌジ」という言葉は、蛇類を表す古語ナギ(ナジ)に通じるという説もある。この「虹=蛇」という考え方は、全国のみならず全世界的に見られる考え方でもあるという。
沖縄では、虹は雨呑み者(アミヌミヤー)と呼ばれる赤まだらの蛇だとされていた。このアミヌミヤーが天の泉の水を飲んでしまうため、下界に雨が降らなくなると言い伝えられていて、虹は干ばつの先触れと思われてきたという。そこで、虹は決して指さしてはいけない不吉なものとされてきた。
中国では蛇よりももっとダイナミックになり、虹霓(こうげい)と呼ばれる雌雄の龍だとされたのである。虹が雄で、霓が雌。雨によって天地が結ばれ、竜が水を飲みにくるときに虹ができるのだと考えた。虹が出ると戦乱が起きるなどの凶兆ともされたが、一方で竜(虹)に感じて聖王を孕むといった吉兆を示すこともあり、吉凶両方の言い伝えが残っている。
ギリシア神話の虹の神Irisは、伝令の神Hermesより以前に神々の使者として盛んに活動し、『イーリアス』ではしばしば重要な役割を務めている。七色の虹の橋が何処とも知れぬ遠くへ瞬く間にかけわたされるのを見ておもいついた空想であろう。彼女のHómēros(BC8世紀末の吟遊詩人)における形容は「足の迅い」「風の足をもつ」「金色の翼をもった」などでゼウスやへーラーの使者として方々に赴くとされた。彼女はまたBC6世紀初の叙情詩人Alkaiosによって、恋の神Erosの母と呼ばれている。
「とりわけて 畏れかしこい おおん神、/軽鞋(あさぐつ)の美(よ)い虹神(イーリス)が 設けた御子、/黄金の神の西風(Zephyros)とまぐわいまして。」(呉茂一「ギリシア神話」より)
Erosに捧げられた讃歌の一部というが、詩人の一時的な幻想で、ギリシア民族全般の神話とはされえないであろう。
sechin@nethome.ne.jp です。
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