昨日は寝過ごしてしまい、徘徊を取り止めた。起き抜けにベッドから立ち上がると左足の裏に違和感。歩いてみると少々痛い。右ひざの上に足首を載せて手の指で押さえてみると痛い。知らぬ間に肉刺(まめ)が出来たらしい。まあ、2・3日放っておけば何とか癒るだろう。
今日は日曜日。起き上がって歩いて見ると肉刺の部分が少し痛む。玄関へ降りる階段で前のめりに躓きそうになる。何時だったか西宮のK氏が訪ねてくれたとき、この階段を昇りながら「ここには手摺がいるなあ?」と言っていたのを思い出す。郵便受けから新聞を取り出し、1面をザッと目を通して、一番後の社会面を開くと、谷啓の訃報。また一人爺と同じ世代の人が逝くか。自宅の階段で転び頭を打って脳挫傷で亡くなったという。
今朝のウェブニュースから。
谷啓さん急死…階段から転落し顔面を強打 ―― 7人組「クレージーキャッツ」のメンバーとして活躍し、「ガチョ~ン」などのギャグを流行させたタレントで俳優の谷啓(たに・けい、本名・渡部泰雄=わたべ・やすお)さんが11日午前5時7分、脳挫傷のため東京都三鷹市の杏林大病院で死去した。78歳。東京都出身。自宅の階段で転落し、頭などを強く打ち搬送されていた。葬儀・告別式は密葬で行い、後日お別れの会を開く。クレージーのメンバーは、07年3月の植木等さんに続き5人が鬼籍に入った。/警視庁三鷹署によると、谷さんは10日午後5時50分ごろ、自宅の階段で転倒。1階から2階に上がる際につまずき、前のめりに倒れた。その際、受け身を取ることができず顔面を強打した。/「バタン」という大きな音に気づいた妻の和子さんが119番通報。谷さんは病院に緊急搬送されたが、11日早朝、家族に看取られ息を引き取った。病院には早朝から関係者が駆けつけ、遺体は同日午後、自宅に戻った。/昨年3月、進行役を務めていたNHK教育の美術教養番組「美の壺」を降板。紙屋聡プロデューサーは「1日がかりの収録になるので、負担を考えての交代でした。最後の収録の後、肩の荷が下りたようなホッとした顔をしていたのが印象的です。大スターと一緒に仕事ができて光栄でした」と振り返った。/レギュラー出演していた映画「釣りバカ日誌」シリーズの最終作「釣りバカ日誌20 ファイナル」《同12月公開》が遺作となった。/最近の様子について親しい関係者は「同じことを繰り返し話して、“セリフを覚えるのがつらい”とも話していた」と説明。別の知人は「体調は悪そうではなかったが、やせたという印象はあった」と話した。/谷さんは昨年から「ずっと仕事一筋の人生だったので、今後はのんびりと暮らしたい」と希望し、自宅で和子さんと一緒にテレビドラマを観賞したり、孫の面倒を見て過ごす時間が多くなっていたという。/ジャズにあこがれ、高校時代からトロンボーンを始め、ハナ肇さん率いるクレージーに参加したのは1956年。クレージーの中でも、よくしゃべる陽性のキャラクターで売った植木さんに対し、口数は少ないながら急所で笑いを取る役どころで“クレージーの第三の男”として存在感を発揮した。/「おとなの漫画」「シャボン玉ホリデー」などのテレビ番組に出演すると、「ガチョ~ン」の声とともに、開いた右手を閉じながら手前に引くギャグは流行語に。温厚そうな丸顔で愛され、「ビローン」「あんた誰」「谷だぁ!」などのギャグで一世風びした。米国のコメディー映画が好きで、芸名は米喜劇俳優ダニー・ケイをもじって決めた。/俳優としても映画「ニッポン無責任時代」など“無責任シリーズ”のほか、「図々しい奴」では主演。森繁久弥さんの主演ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」などで名脇役としても活躍した。
◆谷 啓(たに・けい)本名渡部泰雄(わたべ・康雄)1932年《昭7》2月22日、東京都出身。中大在学中に「原信夫とシャープス&フラッツ」の一員となり、大学は中退。その後「フランキー堺とシティ・スリッカーズ」を経て、56年にクレージーキャッツに移籍。64年、「図々しい奴」で映画初主演。70年代以降は「寺内貫太郎一家」「浮浪雲」などテレビドラマにも多数出演した。
(Sponichi Annex 2010年09月12日)
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