瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 菅首相:年頭会見「小沢切り」強めるも待ち構えるハードル ―― 菅直人首相は4日の年頭記者会見で、民主党の小沢一郎元代表が強制起訴された場合は離党や議員辞職を含む出処進退を自ら判断するよう求め、昨年末からの「小沢切り」姿勢を一層強めた。消費増税を含む社会保障と税制の一体改革を進めるには、小沢氏の問題を解決し、政権の求心力を高めて野党の協力を得ることが不可欠だからだ。だが、首相が「小沢切り」に突き進めば党内の反発も強まり、求心力がさらに低下する可能性もある。野党の協力機運も乏しく、首相の「初夢」実現までには、さまざまなハードルが待ち構えている。
fcd23b34.JPG ◇求心力、国会…課題山積 ―― 「私が初めて衆院選に立候補したのは、ロッキード選挙と呼ばれた選挙だった。政治とカネを何とかしなければ、日本の民主主義はおかしくなってしまうと立候補した」/菅首相は年頭会見で、小沢氏の政治の師である田中角栄元首相を引き合いに、小沢氏を厳しく批判した。/通常国会開会前に小沢問題にけりをつけ、野党との連携強化に進まなければ、政権維持はおぼつかない--。首相ら党執行部は、国会開会までに小沢氏の衆院政治倫理審査会(政倫審)出席を実現させ、小沢氏の強制起訴があれば離党勧告にも踏み切りたい考え。さらに、13日の党大会後、すみやかに内閣改造・党人事も行い「強力な態勢」を構築した上で、国会で野党の協力を得ながら11年度予算案の早期成立を目指す。/だが、小沢氏周辺は「国会開会前の政倫審出席まで(党が)決めたわけではない」との立場。小沢氏が出席を拒んで執行部が離党勧告に踏み切ろうとしても、勧告には小沢氏側の議員も多い常任幹事会の決定が必要で、実現は容易ではない。/小沢氏は4日のBS11の番組収録で「私自身のことは、私と国民が判断する」とけん制する一方「党内政局レベルの話ばかりになると、国民も『何をやっているんだ』という話になる」と述べ、首相の姿勢を批判した。/小沢氏側は党大会前に開かれる役員会や常任幹事会、全国幹事長会議に照準を合わせ、執行部批判を強めようともくろむ。4月の統一地方選を控えた地方議員が党内抗争の続く現状を批判することも予想され、これが小沢氏側に有利に働く可能性も否定できない。/小沢氏批判の急先鋒(せんぽう)である前原誠司外相も、4日の会見で「政治とカネの問題は大事なテーマだが、政権が信頼されるために大事なことは政策の中身ではないか」と指摘。小沢問題に集中するあまり「本論」がおろそかになっていないかとの懸念を示した。
 ◇消費税協議に野党冷ややか ―― 「全力を挙げて与党を追い込み、解散を勝ち取ることが今年の目標だ」。菅首相に先立ち伊勢神宮を参拝した自民党の谷垣禎一総裁は、会見で対決姿勢をあらわにした。問責決議を受けた仙谷由人官房長官らを首相が交代させない限り、通常国会で審議に応じない姿勢も改めて強調した。/首相は社会保障と税制の一体改革のための与野党協議を呼び掛けたが、野党側に歩み寄りの機運は乏しい。谷垣氏は会見で「政府は素案を用意して対話を呼び掛けるべきだ」と述べる一方「(農業の)戸別所得補償や子ども手当をそのままにして、どれだけ消費税率を持っていくのか展望が明らかでない」と批判。公明党の山口那津男代表も4日「社会保障のあり方の中身が示されず、消費税だけが出てくるようでは国民に違和感が生じる」と記者団に述べ、税制改正論議が先行しないようけん制した。/社会保障に関する与野党協議は、かつて自公両党も与党時代に提唱しており、谷垣、山口両氏とも門戸を閉ざしてはいない。だが、4月の統一地方選前に、求心力の衰えた菅政権に安易に手を貸せば、それぞれ党内で不満が噴出しかねない。対決姿勢は簡単には変えられないのが実情だ。/共産党の志位和夫委員長は同日、党の会合で「大企業への減税ばらまき反対と軍事費削減の旗を掲げ、消費税増税反対の戦いに取り組みたい」と力説。みんなの党の渡辺喜美代表は栃木県大田原市で「社会保障を守るには4%の(経済)成長を達成すればできる」と、社会保障財源としての消費増税に反対した。
 ◇TPP参加、首相「6月メド」言明で国内農業の強化策急ぐ ―― 環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉への参加について、菅首相は「最終判断は6月ごろが一つのメドだ」と表明した。閣僚間で意見が分かれていた判断時期を、首相が初めて明言したことで、政府はTPP参加で打撃を受ける国内農業の強化策の具体化を急ぐことになる。/参加の是非を判断する時期について、仙谷由人官房長官ら積極派は、政府の「農業改革の基本方針」がまとまる6月ごろと示唆。鹿野道彦農相ら慎重派は、米ハワイでアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の開かれる11月までとの認識を示していた。/しかし、TPP交渉に参加する米国など9カ国は、今月から関税撤廃に関する協議を始めることで合意している。「参加が遅れるほど、不利なルールをのまざるを得なくなる」(日本政府関係者)との懸念が首相の「6月発言」につながった。/ただ、6月に参加しても「協定の大枠作りに関与するには遅すぎる」(同)可能性がある。国内農業関係者の反発も強く、参加へのハードルは依然高い。    毎日新聞 2011年1月5日 0時04分(最終更新 1月5日 1時38分)

1ea3b1b0.JPG 中国にも日本の七福神に似た「八仙」というものが有る。道教の仙人のなかでも代表的な存在であり、中華社会のいかなる階層の人にも受け入れられ、信仰は厚い。掛け軸や陶磁器に描かれるめでたい絵の題材になるなど様々な芸術のモチーフとなっている。
八仙のメンバーは時代によって異なっていたが、明の呉元泰による『八仙東遊記』成立後は、以下の八人で固定された。
① 李鉄拐(りてっかい):絵ではボロボロの服を着て足の不自由な物乞いの姿をしていることが多いが、彼はもとはがっしりとした体格の道士であった。 二十歳の頃から仙道を志すようになり、ある日、太上老君に崋山で逢うことになり、魂を遊離させ、逢いに行くことにした。 そこで、彼が帰ってくるまでの七日間の間、魂の抜けた身体を見守るよう弟子に言いつけ、もし七日経っても帰ってこなければ身体を焼くように言った。 しかし、六日目に弟子の母が危篤との知らせを受けて、弟子は鉄拐の身体を焼き、母の元に行ってしまった。 鉄拐が戻ってきてみると、自分の身体が既に焼かれており、近くに足の不自由な物乞いの死体を見つけ、その身体を借りて蘇った。(葫蘆〈瓢箪〉)
② 漢鍾離(かんしょうり)または鍾離権(しょうりけん):姓を鍾離といい、名は権である。漢鍾離は「漢の人、鍾離権」の意味である。字は寂道。号は雲房先生。正陽真人とも呼ばれる。自称「天下都散漢(天下一の暇人)鍾離(鍾離権)」。五代の隠者とされるが、生没年も含め、確かなことは不明である。師は東華帝君とされ、終南山で秘法を授かり、仙人となったとされる。その姿は頭に二つのあげまきを結い、太った腹を晒したものとして描かれる。(芭蕉扇)
③ 呂洞賓(りょどうひん):名を巌といい、洞賓は字である。号は純陽子。純陽真人とも呼び、或いは単に呂祖(りょそ)とも呼ばれる。 唐の貞元中(785年 - 805年)に、蒲州の蒲坂県(陝西省米脂県)で生まれたとする資料もあるが、各資料によって年代・出生地等が統一されず、生没年も含め、確かなことは不明である。師は鍾離権であり、終南山で秘法を授かり、道士となったとされる。その姿は背に剣を負った書生で、青年あるいは中年男性として描かれる。(剣)
④ 藍采和(らんさいわ):八仙の中でも謎の多い人物。そもそも男なのか女なのか、それすら明確ではない。藍采和というのも、本名ではないようである。。一応、唐の頃の人らしいが。伝承によれば、ホームレス風のいでたちで、片方に靴を履いて、片方が裸足だったりする。手に拍子木を取って歌い、それで銭を得ていたといい、その歌は、実は全部予言の歌だったという。後から聞いた日都が悟ることになったという。(花籃〈花かご〉)
cd5950f4.JPG⑤ 韓湘子(かんしょうし):名は湘、字は清夫といい、唐代の文豪・韓愈の甥であり、子供の頃から韓愈に養われていたが、韓愈の子弟たちが学問に励む一方、彼は酒ばかり呑みぶらぶらしている放蕩者だった。 二十歳の頃、突然行方不明になったかと思うと、しばらくしてぼろを身につけて帰ってきた。 韓愈が学問をするようにすすめると、「私が学んでいることはあなたのものとは違います」と言い、草の花をすぐに咲かせることができる、と言った。 彼が盆に土を盛り、牡丹を植えると、彼が言ったとおりすぐに花が咲いた。 よく見ると、花びらに「雲は秦嶺に横たわりて家いずくにかある。雪は藍関を擁して馬進まず」と書いてあった。意味を尋ねると、月日が経てばわかるという。819年、帝の怒りに触れた韓愈は潮州(今の広東省潮安県)へ流され、その途中大雪に遭うが、そこに韓湘子が現れ、以前自分が咲かせた花びらに書かれていた一句が的中したのだと言う。 韓愈が地名を尋ねてみると、そこははたして藍関だった。 そこで韓愈はその句に語句を付け足して、詩にして韓湘子に贈った。 やがて宿場に着くと、韓湘子は韓愈に一粒の薬を渡し、「瘴気の立ち込める地方では健康を保ちにくいでしょう。これを一粒飲めば、瘴気を防ぐことができます」と言い、しばらくして去っていった。 その後、韓湘子の言ったことはすべて的中したという。師は呂洞賓と漢鍾離。洪涯先生という説もある。(笛)
⑥ 何仙姑(かせんこ):何仙姑(かせんこ)は中国の女仙で、八仙の一人。名は瓊で、「仙姑」とは女仙という意味である。八仙中唯一の女仙。暗八仙は荷花(蓮の花)。 『仙仏奇踪』によると、彼女は唐代の武則天の時に、広州の増城県にある雲母渓にいた何秦の娘で、生まれたときには六本の髪の毛が生えていた。十四、五歳のときに、夢に現れた神人のお告げに従って雲母の粉を食べ、仙人になった。 八仙を扱った明代小説『東遊記』にも同じような内容がある。 また、北宋の仁宗の時、永州に生まれ、十三歳の時お供と共に山に入って茶を採っていた際、お供を失い迷っていたところ、呂洞賓に出会い、仙桃を与えられ仙人となったと言う説もある。(蓮の花)
⑦ 張果老(ちょうかろう):恒州の条山にこもり、近隣を歩き回り、数百歳と自称していた。則天武后に招かれ、山を降りた時に死に、死体が腐敗していたにもかかわらず、後日、その姿は発見された。
張果は白い驢馬に乗り、一日に数千里を移動した。休むときに驢馬を紙のように折り畳んで箱にしまい、乗る時には水を吹きかけて驢馬に変えたという。開元22年(734年)、玄宗は通事舎人・裴晤を使わして張果を迎えようとしたが、また死んでしまった。裴晤は死体に向かって玄宗の意を伝え、張果は息を吹き返した。玄宗は改めて中書舍人・徐嶠を送り、張果は朝廷に出仕することになった。張果は、玄宗に老いていることを問われ、髪を抜き、歯をたたき割った。すぐに黒髪、白い歯が生えてきたという。また、玄宗が娘の玉真公主を自分に嫁がせようとしているのを予言したこと、酒樽を童子に変えたことなどさまざまな方術を行った。食事は酒と丸薬だけしかとらず、方術について問われると、いつもでたらめな回答をしたと言われる。師夜光や邢和璞という方術を行うものたちにも正体を見定めることはできなかった。玄宗は高力士に相談し、張果に毒酒を飲ませ、本当の仙人か見定めることにした。張果は「うまい酒ではない」といい、焦げた歯をたたき落とし、膏薬を歯茎に貼って眠った。目を覚ました時には歯は生えそろっていたという。そのため、玄宗は真の仙人と認め、銀青光祿大夫と通玄先生の号を与えた。玄宗は道士の葉法善に張果の正体を問うた。葉法善は「正体を話すと、言った瞬間に殺されるので、その後で張果に命乞いを行って欲しい」と約束をとりつけた上で、張果の正体が混沌が生まれた時に現れた白蝙蝠の精であると話した。言い終わると、葉法善は体中の穴から血を流して死んだ。玄宗は張果に冠を脱ぎ、裸足になって命乞いをした。張果が葉法善の顔に水を吹きかけるとすぐに蘇生したという。張果は恒州に帰ることを願ったため、詔により許された。天宝元年 (742年)、玄宗は再び召し出したが、張果は急死してしまった。葬儀の後、棺桶を開くと死体は消えており、尸解仙になったと噂された。玄宗はこれを機に神仙を信じるようになったと言われる。また、同時代の道士・羅公遠との術比べでは、及ばなかったという説話も伝わっている。(魚鼓〈楽器の一種〉)
⑧ 曹国舅(そうこっきゅう):曹玘(そうき)字は景休(けいきゅう)。 北宋の仁宗の后(曹皇后)の弟であるため、国舅(天子の外戚の呼称)と呼ばれる。「神仙通鑑」によると、彼は弟の曹景植が姉の権力を笠に着て悪事を働くのを見かねて、山中に隠遁し修行をし始めた。 それを見た呂洞賓と漢鍾離がやってきて、「何の修行をしているのか」と訊かれ、道の修行だと言った。 「では、その道はどこにあるのか」と笑いながら訊かれると、黙って天を指した。 「その天はどこにあるのか」と畳み掛けられると、自分の心を指した。 すると、二人は大いに笑って、「心はすなわち天、天はすなわち道である。お前は既に道が何であるかを知っている」と言い、彼に還真の秘旨を授け、神仙の仲間に加えたという。(玉板〈玉製の板〉)
5760ae84.JPG なお、八仙はそれぞれが神通力を発揮する法器を所持しており、それらは暗八仙と呼ばれて八仙を象徴するものとして図案化されている。





 昨日は午後から、オーストラリアから婚約者のMr.Mattを連れてMihoちゃんが、両親共々訪ねてくれた。
 色々とオーストラリアでの話を聞かせてもらった後、みんなを連れて、言問橋を渡り、北七間川までスカイツリー見物に出掛けた。
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 本日は朝食後、ひとりで深川七福神めぐりをした。蔵前駅から都営大江戸線で門前仲町まで行き、
富岡八幡(恵比須天)→冬木弁天堂(弁才天)→心行寺(福禄寿)→円珠院(大黒天)→龍光院(毘沙門天)→深川稲荷神社(布袋尊)→深川神明宮(寿老神) と巡り、森下駅から大江戸線で蔵前駅に出ると、此処から江戸通り沿いに歩いて帰宅した。
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 全国的に荒れ模様の天気だというが、東京は穏やかな3元日であった。今年はそれこそ良いニュースが聞けるように望みたい。

1a968526.JPG イギリスのロマン派を代表する詩人シェリーPercy Bysshe Shelley(パーシー・ビッシュ・シェリー)の「Ode to the West Wind(西風の賦、1819年)」という長詩の最後の句に「If Winter comes, can Spring be far behind? (冬来たりなば、春遠からじ)」とある。


 易における「復」の卦は積もった陰気のうちに初めて陽気が兆した様を示しており、一年で言えば、厳寒の後に一陽来復するときであって、陰暦十一月の卦であり冬至に当たるという。内卦は☳(震)で活動することを、外卦は☷(坤)で従順・順調を象徴し、合わせて活動が順調に進展することを物語るものという。人間現象で言えば長い苦難の果てに、再び幸運が巡ってきて、次第に栄進の路を辿る様であるという。そこで「復」と名付けられたのだという。

1cacf2e6.JPG 訳:復(ふく)は亨(とお)る。出るにも入るにも疾(さわり)がない。朋は来るが咎(とがめ)はない。その道を反復して、七日で来復する。遠くへ行くのに利(よろ)しい。
 彖伝(たんでん)「『復は亨(とお)る』とは、剛が反ってくるからである。その剛が動いて順当さをもって進む。されば、『出るにも入るにも疾がない。朋が来るが咎はない』のである。『その道を反復して七日で来復する』とは、天の行(めぐり)である。『遠くに往くのによろしい』とは、剛が長ずるからである。復によってそれ天地の心をしることができるであろうよ」
 象伝「雷が地の中にあるさまが、復である。先王はこれに則って、冬至の日には関所を閉ざし、商人や旅人は行かず、君主は四方を巡視しないようにしたのである」
 明けましておめでとうございます。本年も爺のブログをよろしく。
 朝食前に、婆様と一緒に初日の出を見に隅田川の川べりに出た。今年はスカイツリーの見学者が増えた所為か、遊歩道に沿って多くの人出。言問橋と東武線隅田川橋梁の間に陣取って、スカイツリーの後方から出てきた初日を撮った。
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71cb52a8.jpg 梅園で綻びかけた梅の下で写真を撮っていると、2人連れの娘さんが親切にも「お二人でお撮りしましょう」と、爺婆の姿をカメラに入れてくれた。
 昨年はわが兼愛塾の1期生が還暦を迎え、S寺のT・Y氏は早々に退職し後は息子に譲り、悠々自適の生活に入った。いやはやなかなか出来ることではないと感心したものである。
dd3c332f.JPG 老子にも謂う、「(器の水を)いつまでも満たし続けようとするのはやめたほうが良い。(刃先を)鍛えに鍛えて鋭くしたものは、長い間そのままで続くわけがない。黄金や宝玉が家中いっぱいになれば、それを守りきれるものではない。富貴になって驕り高ぶると、自然に破滅を齎すことになる。/仕事が完成したら引退するというのが、天の道(――すなわち自然の運び方である)」と。
 今年の年賀状にM・I女史は「マイ定年と決めていた五十五歳を少し過ぎてしまいましたが、退職いたしました。これからは宮澤賢治「雨ニモ負ケズ」の心意気、李白「月下独酌」の風流でいきていくつもりです」とあって、ますます感心してしまった。

5c664e68.JPG 訳) 花の中で一壷の酒を飲み/一人飲んで相手はいない。/杯を挙げて明月を迎え/私と私の影とで三人になった。/月はもとより酒が分からず/影はただ私の身体についているだけ。/でもちょっと月と影を連れて/春季に乗じてたのしもう。/私が謡えば月はいざよい/私が舞うと影はふるえみだれる。/醒めている時はともに喜び合い/酔うた後はそれぞれ分かれ散る。/いつまても無情の交際をしようと/はるかに天の川での再会を約束する」
 今日は1年の最終日、大晦日である。
 旧暦では毎月の最終日を晦日(みそか)といった。晦日のうち、年内で最後の晦日、つまり12月(または閏12月)の晦日を大晦日といったものだ。もともと“みそ”は“三十”であり、“みそか”は30日の意味だったという。ただし、月の大小が年によって変動するので、実際には29日のこともあった。現在は、新暦の12月31日を指す。
 大晦日を大つごもりともいった。「つごもり」は、晦日の別名であり、「月隠り(つきごもり)」が転じたものであるという。
 年越しの夜のことを除夜(じょや)とも言う。かつては、除夜は年神を迎えるために一晩中起きている習わしがあり、この夜に早く寝ると白髪になるとか、皴が寄るとかいった俗信があった。
54b4e371.JPG 昨日は、宝塚市のS氏から、大阪は「瓢亭」の蕎麦が送られてきた。今までも何回か送っていただいたが、柚子の香りをちらした珍品である。
 年越し蕎麦の由来は「細く長く達者に暮らせることを願う」というものがもっとも一般的である。 他に「蕎麦が切れやすいことから、一年間の苦労を切り捨て翌年に持ち越さないよう願った」という説や、年末に家族そろって食べることが多いことから、「末長く、そばにいたいから」という説もあるが、後付けの説とも言われている。 また、金銀細工師が金粉を集める為にそば粉の団子を使用した事から「金を集める」縁起物ともされる。薬味のネギは、「ねぎらい祈る」また神職の「祢宜」の言葉に掛けて使う人もいる。また、蕎麦は風雨に叩かれてもその後の晴天で日光を浴びると元気になる事から縁起を担ぐ人もいる。
 除夜の鐘を108回衝くのは108の煩悩を滅するためというのが通説である。
a5ff93c6.JPG 108の約数1,2,3,4,6,9,12,18,27,36,54と108で、120以下の自然数で最も多くの約数を持つ整数の1つである。平安の陰陽師、安倍晴明が用いた晴明紋の基調をなす正五角形の内角は108度である。その所為か、古くから不可思議な数とされ、数珠の玉の個数も正式には108個だといい、硬式野球のボールの縫い目の数も108になるように作られているという。

c43a77c5.JPG 除夜の鐘を108回衝く理由は?
1. 煩悩の数を表す:眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)の六根のそれぞれに好(こう:気持ちが好い)・悪(あく:気持ちが悪い)・平(へい:どうでもよい)があって18類、この18類それぞれに浄(じょう)・染(せん:きたない)の2類があって36類、この36類を前世・今世・来世の三世に配当して108となり、人間の煩悩の数を表す。
  6(根)×3(好・悪・平)=18(類) 18(類)×2(浄・染)=36(類)
 36(類)×3(世)=108(煩悩)
2. 一年間を表す
月の数の12、二十四節気の数の24、七十二候の数の72を足した数が108となり、1年間を表す。
3. 四苦八苦を表す
四苦八苦を取り払うということで、4×9+8×9=108をかけたとも言われている。

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7c79b580.jpg 夕刻、K、C姉妹が、「お正月に訪問する塾友にふるまってくれ」と割烹「むらた」の豪華なお節を届けてくけた。







 ウェブニュースより。
3dc8212a.JPG 海老蔵、示談成立か 主張に無理生じ弁護士通じ「すり合わせ」―― 人気歌舞伎俳優の市川海老蔵〈33〉が殴打され全治2カ月の重傷を負った事件が急展開だ。海老蔵が警視庁に傷害容疑で逮捕された伊藤リオン容疑者〈27〉との間で示談を済ませていた可能性が高いというのだ。急転直下の裏では何があったのか。/示談はクリスマス明けの26日までに固まった模様。先週から、代理人同士の話し合いにより交渉が進められ、双方とも大筋で合意したという。一部スポーツ紙では現在、最終的な詰めの作業だけが残っている状態と報じている。/海老蔵はこれまで、代理人にカリスマ・ミンボー弁護士の深澤直之弁護士を起用し、会見で自身の暴行疑惑を全面否認。リオン容疑者ら不良グループ側との対決姿勢を鮮明にしていた。なぜここにきて事態は動いたのか。/「事件当時、海老蔵は泥酔状態で記憶があいまいだった。警察からの聴取にも『よく思いだせない』と証言することが多く、『複数に殴られた』との内容なども主張し続けることが難しくなってきた。そのため、代理人も『事件を長期化させるよりは示談に応じるほうが賢明』と判断したのではないか」(捜査関係者)/こうした動きと連動するように、不良グループ側も海老蔵からの暴行を訴えてきた暴走族の元リーダー〈29〉が被害届の提出を断念。25日には、リオン容疑者が海老蔵からの暴行を否定する供述を始めた。/「代理人の弁護士を通じて何らかのすり合わせが行われたのだろう。このままいくと、伊藤容疑者は近日中に釈放され、刑事処分も軽いもので済みそうだ。事件は収束に向かう」(同)/越年も危惧された今回の事件。海老蔵にとっては何よりの朗報となりそうだ。 (zakzak、2010.12.27)

 まあ、なんと初めから示談にしておけばよいものを何と馬鹿騒ぎをしたものか。荘子先生も仰っている。
c4521bd9.JPG 「われわれの生命は有限であるが、心の働きは無限である。有限の身で無限のことを追い求めるのは危ういことだ。それでいてなおあくせくと心を働かせる者は、身の破滅が有るばかりだ。善いことにつとめれば名誉に近付くであろうし、悪いことにつとめれば刑罰に近付くであろう。(名誉も刑罰も吾が身を滅ぼすもとである。だから善悪に捉われない)中の立場に従ってそれを一定の拠り所としていくなら、吾が身を安全に守ることができ、わが生涯を無事に過すことができ、吾が肉体を養うことができ、吾が一生をじゅうぶん長生きできるであろう」(養生主篇第三より)と。

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63ac8b95.jpg 昼食後、昨日と同じコースを徘徊した。隅田公園内の梅園では「八重寒紅(やえかんこう)」という品種は花が綻び始めている。隅田川を上下する船の数も早朝よりもはるかに多い。

 徘徊から帰宅して、3時のNHKニュースによると、東京地検は28日、傷害罪で、伊藤リオン容疑者〈27〉を起訴したという。はてさて、これが海老蔵にとって禍いとならねば良いが。再び、ウェブニュースより。
伊藤リオン容疑者を起訴=海老蔵さん傷害-東京地検 ―― 歌舞伎俳優の市川海老蔵さん〈33〉が暴行されて重傷を負った事件で、東京地検は28日、傷害罪で、職業不詳の伊藤リオン容疑者〈27〉=東京都杉並区=を起訴した。市川さんが重傷を負っており、暴行の態様も悪質と判断し、略式起訴ではなく公判請求に踏み切った。/起訴状によると、伊藤容疑者は先月25日午前5時過ぎ、東京・西麻布の雑居ビル内で、市川さんの顔や頭、腹などを、それぞれ数回にわたり殴る蹴るなどして、2カ月の重傷を負わせたとされる。/捜査関係者によると、市川さんは雑居ビル11階の飲食店で元暴走族リーダーの男性〈29〉と会い、6階に移動して飲酒。再び11階に戻った後、伊藤容疑者ら3人と合流し、トラブルになって暴行されたとみられる。/伊藤容疑者は警視庁捜査1課の事情聴取に、容疑を認めた上で、「一方的に因縁を付けてはいない」と供述し、市川さんに暴行のきっかけがあったと示唆。市川さんは聴取に対し、自身の暴行や挑発行為を否定している。/一方、元リーダーは聴取に「(市川さんから)乱暴な介抱を受けた」と説明したが、市川さんの暴力や飲酒強要については話していないという。(jijicom. 2010/12/28-15:37)

 朝の気温がかなり低くなり、出掛けるのが億劫になり始めた。
 昼食後白鬚橋~吾妻橋の隅田川を一巡する。出掛けは気温はかなり低く感じたが、風もなく日向を歩いていると背中が汗ばんでくる。テラスの日溜まりでは早くも菜の花が咲いている。ユリカモメやカルガモが日向ぼっこをしている傍(かたわら)で何人かの殿方が気持ち良さそうにお昼寝をしていらっしゃる。
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 さざんか さざんか さいたみち. /たきびだ たきびだ おちばたき./ あたろうか あたろうよ./ しもやけ おててが もうかゆい.
 口をついて思わず歌が出てくるが、昨今は焚き火など滅多に見られない。サザンカが盛りである。漢字表記の山茶花は中国語でツバキ類一般を指す山茶(さんさ)に由来し、サザンカの名は山茶花の本来の読みである「サンサカ」が訛ったものといわれる。ツバキ(椿) と似ており、見分け方が難しいが、ツバキは花弁が纏まって散るが、サザンカは花弁がバラバラに散るので、地面に落ちた花で確認できる。
 

 昨日はクリスマス。クリスマスには何故七面鳥を食うのだろう?
68fa8c73.JPG 1620年にイギリスからアメリカへ移り住んだピューリタン(清教徒)の半数は最初の年の冬を越せずに死んでしまった。彼らを全滅から救ったのがインディアンだという。先住民は進んだメキシコ高原の農業文化の影響を受けて、当時すでにトーモロコシ、かぼちゃ、豆などを栽培してた。先住民は白人に当面の食料を贈るとともに食料の作り方を教えたという。同じ時に北米原産の七面鳥も贈ったので白人は生き延びることが出来たといわれている。翌年、教えられたとおり栽培したトーモロコシやかぼちゃを収穫したとき、白人は恩人の先住民を招待し収穫を神に感謝する祭りを行った。それ以来、七面鳥はお祝いの席に欠かせない肉になったのだという。感謝祭、クリスマス、結婚式など大勢が集まるパーティには七面鳥が用意される。この習慣がヨーロッパへ伝わり、クリスマスのメニューとして定着し世界中へ広まったといわれている。七面鳥が人数に対し大きすぎたり、入手困難なときは鶏の肉で代用されるのである。

1ec1dfff.JPG 斉の国の田氏が邸の広場で餞別の会を開いた。集まった賓客は千人。会の半ばに魚と鴈(あひる)を献上する者がいた。田氏はそれを視ると嘆息して言った。「天の人間に対する恵みは厚い。五穀を生長させ魚や鳥を生育させ、それらを人間にやくだたせている」/田氏の言葉に多くの賓客達は皆声に応ずる響きのように相槌を打った。ところが鮑氏(ほうし)の息子で当年十二歳になる子供が、その席に加わっていたが、進み出ていった。「殿のお言葉はまちがっています。天地万物は我々人間と同じく生き物の仲間です。その仲間に貴賎の差別はありません。ただ小大の差、頭脳腕力の違いによって、相手を抑え付けあい、互いに食い合いをしているに過ぎません。他のものに役立つために生まれてきたのではないのです。人間は食べられるものを獲って食べているのであって、天はもともと人間のためにこれらを生じたということなどありません。(列子 説符篇 第八 より)


 今朝のウェブニュースより。
6f5b15ea.JPG 招致問題進展せず 小沢氏と首相会談 ―― 【東京支社】民主党の小沢一郎元代表の国会招致問題で、菅直人首相と小沢氏を含む党内有力者が25日、党最大の支援組織である連合の呼び掛けで東京都内のホテルで会談した。だが、招致問題について踏み込んだ協議はなく、連合の仲介は不調に終わった。岡田克也幹事長は27日の党役員会で招致問題の決着を目指す姿勢で、解決の糸口が見えぬまま党内対立の解消は一層困難になった。/岡田氏、鳩山由紀夫前首相、輿石東参院議員会長が次々に都心のホテルに集合。午前11時過ぎ菅首相が到着し、もう一人の主役の小沢氏は3分ほど遅れて姿を見せた。連合側からは古賀伸明会長ら約10人が出席した。/会談は約1時間で終了。菅首相は口を真一文字に結んだままホテルを後にし、小沢氏も無言で立ち去った。/会談後の岡田氏の説明によると、連合側から対立が激化する党の一致結束を求める声が相次いだという。/これに対して小沢氏は「国民の期待に応えていないことに不徳を恥じている」と陳謝。「昨年の総選挙は改革に向けて気持ちが一つになった。来年の通常国会、統一地方選に向けて力を合わせ、菅首相を筆頭に頑張らなければならない」と述べ、これまでの政権批判一辺倒から軟化した態度も見せた。/ただ、注目された衆院政治倫理審査会については鳩山氏が「小沢氏は政権交代の功労者だ。政倫審を乗り越える知恵が必要だ」と発言しただけ。小沢氏と菅首相の直接のやりとりもなかったという。/仲介した古賀会長は「民主党政権に対する国民の目線や視線は非常に厳しく、そのことを自覚する必要がある」と指摘した上で、「党の幹部5人で腹を割って意見交換してほしい」と注文を付けた。/その後、岡田氏は三重県内で記者会見し、小沢氏の政治資金問題について「説明が足りないときは、自ら出てきて説明してもらうことが必要だ」と述べ、招致方針に変わりがないことを強調した。/解決の道筋が見えない小沢氏の国会招致問題。「ここまで問題がこじれれば(来月13日の)党大会までもつれるのでは」(中堅議員)との見方も出ており27日の党役員会が年内最後のヤマ場となりそうだ。   (岩手日報、2010/12/26)

 淮南子に曰く、「生を重んずるものは、利のためにおのれを害(そこな)わぬし、節を立てんとする者は、難に面すればとて逃げんとはせぬ。だが、禄を貪るものは、利のためには吾が身をかえりみぬし、名を好むものは、義にかなわねば手を下さぬ。もし互いに論議させれば、氷炭・曲直の如く、何時までまとうと一致はしまい。かりに、聖人を中に立ててもそれぞれを兼ね合わせは出来ても、是非を断じたことにはならぬ」(斉俗訓 第十一)
 今朝のウェブニュースより
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57dcaa9b.JPG 検事総長:大林総長、きょう辞任決定 検察改革、ツートップで 苦心の布陣 <追跡>
 ◇たたき上げ+法務省本流 ―― 検察トップの大林宏・検事総長〈63〉の辞任が24日午前、閣議で正式決定される。任期を1年半残した異例の人事で、後任は東京地検特捜部長経験者としては17年ぶりとなる笠間治雄・東京高検検事長〈62〉。同日午後には最高検が、郵便不正と証拠改ざん・隠蔽(いんぺい)事件の検証結果と再発防止策を公表する。未曽有の危機に検察が直面する中、総長はなぜ辞任を決断し、特捜OBを抜てきしたのか。水面下の動きを追った。/師走の東京・霞が関。大林総長は笠間検事長を検察庁舎19階の総長室に呼び、決意を告げた。「総長をやってくれ。君が適任だ」/検察官の定年は63歳だが、総長だけは65歳。来月2日に定年を迎えるはずだった笠間検事長は、突然の申し出に「勘弁してください」と固辞する姿勢を見せたという。大林総長はたたみかけた。「組織としての決定事項だ」/「改革策を講じ、失われた信頼を取り戻すことが私の責務」。10月21日、大阪地検特捜部の元主任検事による証拠改ざんを隠蔽したとして、前大阪地検特捜部長らを起訴した際の会見で、大林総長は語っていた。/だが、大林総長は会見時から「どうすれば改革がスムーズにいくか」と考えていた。その答えがトップ交代だった。「改革案をまとめた上で身を引く方がいい」。水面下で周到に準備を進めた。/11月に入ると「片手で足りるほどの幹部」に、ひそかに打ち明けた。「小手先の手直しでは立ち直れないことを職員に知らせたい」。検証結果の公表と同時に「辞任カード」を切ることで組織内部に検察の危機を訴える――。それが狙いだった。/総長ポストには法務省勤務の長い「赤レンガ派」(旧法務省庁舎に由来する呼称)の検事が就くことが多い。大林総長の後任として本命視されていたのも、事務次官など法務省の本流を歩んできた小津博司・札幌高検検事長〈61〉だった。/だが、逆風の中、最高検の検証がまとまらないうちに、法相の私的諮問機関「検察の在り方検討会議」が発足。取り調べの全面可視化など、現場が強く反発するテーマが議論されることも予想された。/かじ取りに失敗すれば、法務省の「虎の子」である小津検事長が傷つくことにもなりかねない。「火消し役は誰か」。特捜部経験が10年を超す笠間検事長しかいなかった。法務省勤務経験がない、たたき上げの「現場派」だ。/17年まえ、ロッキード事件などを手掛けた吉永祐介氏が総長になったのも、5億円の闇献金を受領した金丸信・元自民党副総裁を略式起訴ですませ、検察への信頼が失墜したことを受けた流れだった。/赤レンガ派と現場派は捜査方針を巡り時に対立してきた。しかし、ある検察OBは「今回の人事はワンセット。最高検を最強布陣にするにはどうしたらいいか考えた結果だ」と解説した。現場の信頼も厚い笠間検事長をトップに据える一方、本命の小津検事長を本省と検察のパイプ役として最高検の次長検事に起用する。行政手腕が未知数の新総長を経験豊富な次長が支え、ツートップで危機を乗り切ろうという体制だ。/笠間検事長を総長にするには年内の閣議決定が必要だった。12月に入ると法務省幹部は官邸に足を運び、法相兼務の仙谷由人官房長官らに「笠間・小津新体制」を提案、了承された。ある検察関係者は「官邸の圧力で総長のクビを差し出すわけにはいかなかった。それが検察のプライドだった」と振り返る。(毎日新聞 2010年12月24日 北海道朝刊)

9c605750.JPG 淮南子に曰く、「乱世の法では、標準は高く、これにおよばぬ者を罰する。責任は重く、その任に堪えぬ者を罰する。艱難の事多く、これをなし遂げぬ者を誅する。民この三(みっつ)に苦しむときは、巧智をめぐらして上を詐(いつわ)り、邪を犯して誅罰を免れんとする。故に峻法(しゅんぽう)・厳刑あるも、民の姦邪を禁じ得ず。何となれば、力およばねばこそ。諺にいう。『鳥窮すれば噣(つつ)き、獣窮すれば角突き、人窮すれば詐る』とはこのこと」(中国古典文学大系6、淮南子 斉俗訓第十一より)

 昼食後、言問橋を渡り、東武橋から北十間川沿いに京成橋に出て、桜橋通りから桜橋に出る。向島のテラスを南下して、枕橋から吾妻橋を渡って、テラスを北上。言問橋東詰めでテラスを上がり、帰宅した。
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 天気は上々であるが、風が強く冷たい。何度も鼻水を拭きながら吹き飛ばされそうになる帽子を抑え抑え歩いた。スカイツリーは現在549m。東武橋~京成橋は撮影者でごった返している。
 向島のテラスでは寒木瓜が咲き始めていた。実が瓜に似ており、木になる瓜で「木瓜(もけ)」とよばれたものが「ぼけ」に転訛(てんか)したとも、「木瓜(ぼっくわ)」から「ぼけ」に転訛したも言われる。木瓜は平安時代に中国から来た帰化植物であるという。
 昨日は冬至、朝になっても雨が止まず、徘徊は見合わせる。
92e26670.JPG 冬至には、世界各地で冬至祭が祝われているそうだ。太陽の力が最も弱まった日を無事過ぎ去ったことを祝う日であるのだという。クリスマスも起源は冬至祭(Yule、ユール)にあるという。
 中国北方では餃子を、南方では湯圓(タンユエン、餡の入った団子をゆでたもの)を食べる習慣があるそうな。 また、この日は家族団欒で過ごすという風習もあるそうな。
 日本では、この日はゆず湯に入り、冬至がゆ(小豆がゆ)やカボチャを食うと風邪をひかないと言われている。
 定期健診の日で朝食後たっぷり2時間以上を過ぎた午前10時半ごろA医院に行く。尿検査で糖値が高いということで、採血の結果175と出た。別にそれほど糖分を取ったとは思われないが、ここ暫く朝の徘徊をしたりしなかったりであったのが原因か? まあ、別段自覚症状があるわけではないし、余り気にしても致し方ないことだ。 夕食後ゆず湯に入り、午後9時に就寝。

 本日は天皇誕生日。西の空高くには旧暦18日の月が輝いている。桜橋を渡り、白鬚橋まで北上。白鬚橋を渡ると水辺テラスに降りて、吾妻橋まで南下。満潮時と見えて、テラスの上にまで水が来ているところがある。現在耐地震工事中の桜橋の下では昇降のための階段の間際まで水が来ている。
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 吾妻橋をわたると、向島遊歩道を北上、桜橋を渡って帰宅する。

 水門会からの電話で同期のTN兄の訃報が入った。今年の水門会総会で彼が肺の病に冒され酸素ボンベとの同伴の生活であることは聞いていたが、こんなに早くお呼びがかかるとは。なんともせつなく悲しくなる。

71bca044.JPG 訳) 季路(子路ともいう。BC543~BC481年)さんが先祖の霊や神々をお祭りする意義について質問した。/先生「まだ人間{である父兄や君師}にも充分お仕え出来ない身では、どうして亡きご先祖様の霊に充分な奉仕ができよぞ」/{また或る時}言った。「どうか死についてお教えください」/{先生}「生の何たるかを知らぬものが、どうして死について知ることがあろう」

プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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