瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
南千住のLaLaテラスで、chikaちゃんの愛嬢honomiちゃんがフラダンスをおどるというので、見物に出かけた。フィナーレで踊られた「想い出の渚」を聞きながら写真をご覧下され。Honomiちゃんは来年4月から小学一年生。
想い出の渚
島塚繁樹作詞・加瀬邦彦作曲
(1) 君を見つけた この渚に
ひとりたたずみ 想い出す
小麦色した 可愛いい頬(ほほ)
忘れはしない いつまでも
水面(みなも)はしる 白い船
長い黒髪 風になびかせ
波に向かって 叫んでみても
もう帰らない あの夏の日
(2) 長いまつげの 大きな瞳が
僕を見つめて うるんでた
このまま二人で 空の果てまで
飛んでゆきたい 夜だった
波に向かって 叫んでみても
もう帰らない あの夏の日
あの夏の日
あの夏の日 ウー ウー
http://blogs.yahoo.co.jp/alohakumiko1/51669747.html
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想い出の渚
島塚繁樹作詞・加瀬邦彦作曲
(1) 君を見つけた この渚に
ひとりたたずみ 想い出す
小麦色した 可愛いい頬(ほほ)
忘れはしない いつまでも
水面(みなも)はしる 白い船
長い黒髪 風になびかせ
波に向かって 叫んでみても
もう帰らない あの夏の日
(2) 長いまつげの 大きな瞳が
僕を見つめて うるんでた
このまま二人で 空の果てまで
飛んでゆきたい 夜だった
波に向かって 叫んでみても
もう帰らない あの夏の日
あの夏の日
あの夏の日 ウー ウー
http://blogs.yahoo.co.jp/alohakumiko1/51669747.html
今朝のウェブニュースより
3次補正要求、9日までに提出するよう首相が指示=藤村官房長官 ―― [東京 2日 ロイター] 藤村修官房長官は2日、野田佳彦内閣の初閣議後に会見し、野田首相が各大臣に対し、7月29日の復興基本方針を踏まえ、2011年度予算の第3次補正予算の要求をとりまとめ、9日までに安住淳財務相に提出するよう要請したことを明らかにした。/さらに、首相は、8月29日にまとめた円高への総合的対応策への考え方と検討課題も踏まえ、円高対応策を経済財政担当相が取りまとめるよう指示した。円高対応策については、財政措置を伴う施策については第3次補正の要求とりまとめの方針にそって対応する。/藤村官房長官は3次補正予算の編成時期について「9日までに要求が出た後は与野党協議をしていく。この時点でいつまでに編成できるか、国会に提出できるかは答えられない」とした。/藤村官房長官によると、野田首相の臨時代理は、第1順位が藤村官房長官、第2順位が鹿野道彦農林水産相 第3順位が川端達夫総務相となった。 (2011年 09月 2日 19:50 JST)
台風12号はどうやら四国のほうへ上陸するらしい。東京は朝から秋晴れのよい天気。
落葉
Paul Verlaine
上田敏 『海潮音』より
秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
ひたぶるに
身にしみて
うら悲し。
鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。
げにわれは
うらぶれて
ここかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。
秋思 張籍
洛陽城裏見秋風 洛陽城裏 秋風を見る
欲作家書意万重 家書を作らんと欲して 意(おもい)万重
復恐怱怱説不尽 復た恐る 怱怱にして説き尽くさざるを
行人臨発又開封 行人 発するに望んで 又封を開く
〈訳〉洛陽の町に秋風が立った
家へ便りを書こうと思えば わき起こる思いの数々
心せいては書き漏らしも出ようかと ふと気になって
飛脚が発つ間際に また封を開けてみる
*故事:晋の張翰は呉(江蘇省)の人であった。洛陽に上って役人となった。〈晋書-文苑伝・張翰〉に「翰因見秋風起,乃思呉中菰菜、蓴羮、鱸魚膾。《晋の張翰(ちょうかん)は、秋風に逢って、故郷の蓴菜(じゅんさい)の羹(あつもの)と鱸(すずき)の膾(なます)の味を思い出し、辞職して帰郷した。》」とある。
登筑波山歌一首并短歌 (万葉集 巻九 1757)
草枕 客之憂乎 名草漏 事毛有哉跡 筑波嶺尓 登而見者
尾花落 師付之田井尓 鴈泣毛寒来喧奴
新治乃 鳥羽能淡海毛 秋風尓 白浪立奴
筑波嶺乃 吉久乎見者 長氣尓 念積来之 憂者息沼
〈反歌〉 筑波嶺乃 須蘇廻乃田井尓 秋田苅 妹許将遺 黄葉手折奈(1778)
草枕 旅の憂へを 慰もる こともありやと 筑波嶺に 登りて見れば
尾花散る 師付(しつく)の田居に 雁がねも 寒く来鳴きぬ
新治の 鳥羽の淡(あふ)海(み)も 秋風に 白波立ちぬ
筑波嶺の よけくを見れば 長き日(け)に思ひ積み来し 憂へは止みぬ
〈反歌〉筑波嶺の裾廻(すそみ)の田居に秋田刈る妹がり遣らむ黄葉(もみち)手(た)折(を)らな
〈訳〉旅の悲しみを慰めることもあろうかと、筑波山に登って見ると、
芒が散る師付の田に、雁も寒々と飛んで来て鳴いている
新治の鳥羽の湖も、秋風に白波が立っている。
筑波山の美しい景色を見ていると、長い間思い悩んできた憂えも止んだことである。
〈反歌〉筑波山の麓の廻りの田で秋田を刈る、あの乙女にやろうと思う黄葉を手折ろう
落葉
Paul Verlaine
上田敏 『海潮音』より
秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
ひたぶるに
身にしみて
うら悲し。
鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。
げにわれは
うらぶれて
ここかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。
秋思 張籍
洛陽城裏見秋風 洛陽城裏 秋風を見る
欲作家書意万重 家書を作らんと欲して 意(おもい)万重
復恐怱怱説不尽 復た恐る 怱怱にして説き尽くさざるを
行人臨発又開封 行人 発するに望んで 又封を開く
〈訳〉洛陽の町に秋風が立った
家へ便りを書こうと思えば わき起こる思いの数々
心せいては書き漏らしも出ようかと ふと気になって
飛脚が発つ間際に また封を開けてみる
*故事:晋の張翰は呉(江蘇省)の人であった。洛陽に上って役人となった。〈晋書-文苑伝・張翰〉に「翰因見秋風起,乃思呉中菰菜、蓴羮、鱸魚膾。《晋の張翰(ちょうかん)は、秋風に逢って、故郷の蓴菜(じゅんさい)の羹(あつもの)と鱸(すずき)の膾(なます)の味を思い出し、辞職して帰郷した。》」とある。
登筑波山歌一首并短歌 (万葉集 巻九 1757)
草枕 客之憂乎 名草漏 事毛有哉跡 筑波嶺尓 登而見者
尾花落 師付之田井尓 鴈泣毛寒来喧奴
新治乃 鳥羽能淡海毛 秋風尓 白浪立奴
筑波嶺乃 吉久乎見者 長氣尓 念積来之 憂者息沼
〈反歌〉 筑波嶺乃 須蘇廻乃田井尓 秋田苅 妹許将遺 黄葉手折奈(1778)
草枕 旅の憂へを 慰もる こともありやと 筑波嶺に 登りて見れば
尾花散る 師付(しつく)の田居に 雁がねも 寒く来鳴きぬ
新治の 鳥羽の淡(あふ)海(み)も 秋風に 白波立ちぬ
筑波嶺の よけくを見れば 長き日(け)に思ひ積み来し 憂へは止みぬ
〈反歌〉筑波嶺の裾廻(すそみ)の田居に秋田刈る妹がり遣らむ黄葉(もみち)手(た)折(を)らな
〈訳〉旅の悲しみを慰めることもあろうかと、筑波山に登って見ると、
芒が散る師付の田に、雁も寒々と飛んで来て鳴いている
新治の鳥羽の湖も、秋風に白波が立っている。
筑波山の美しい景色を見ていると、長い間思い悩んできた憂えも止んだことである。
〈反歌〉筑波山の麓の廻りの田で秋田を刈る、あの乙女にやろうと思う黄葉を手折ろう
早朝、雨。日中はどうやら晴れ。蒸し暑い。台風12号の本土上陸は確実らしい。
千葉県選出の野田佳彦氏の「どぜう内閣」が発足したらしい。まあ、お手並み拝見と参りたい。
今日のウェブニュースより。
台風12号:東海地方、今夜暴風域に入る恐れ ―― 大型で強い台風12号は2日正午現在、室戸岬の南約 280キロの海上を時速約15キロの速さで北に進んでいる。強い勢力を保ちながら比較的ゆっくりと北上、2日夜から3日にかけて四国から近畿に上陸する可能性が高く、東海地方は2日夜に暴風域に入る恐れがある。/気象庁によると、中心気圧は965ヘクトパスカル、最大瞬間風速は50メートル。中心から半径220キロ以内は風速25メートル以上の暴風域となっている。/三重県名張市美旗町の県立特別支援学校・伊賀つばさ学園で1日夜、がけ崩れが発生、通路約70メートルが崩落した。県教委によると、2日、公立小学校39校、中学校17校などが休校となった。県災害対策本部によると、津市美杉町と松阪市飯南町では計1120戸が一時停電。尾鷲、津市などで10世帯14人が公民館などに自主避難している。/JRは紀勢線の特急「ワイドビュー南紀」が上下計4本運休、名松線は雨量規制で運転を見合わせた。伊賀鉄道(伊賀市)も強風が原因とみられる信号故障で運転を見合わせ。鳥羽市営定期船、伊勢湾フェリー、津エアポートラインも欠航などが相次いだ。中部国際空港発着便にも欠航が出ている。/3日正午までに予想される雨量は、多いところで三重県800ミリ▽愛知県250mm▽岐阜県200mm▽四国、関東甲信500mm。三重県では1時間に80㎜の猛烈な雨が降るおそれもある。名古屋地方気象台は河川の増水や氾濫、高潮などへの警戒を呼びかけている。/愛知県の岡崎市民球場で予定されていた2日の第82回都市対抗野球大会東海地区2次予選の2試合は、5日に順延された。
(毎日新聞 2011年9月2日 14時13分、最終更新 9月2日 15時30分)
野田内閣発足:財務相に安住氏、外相に玄葉氏、鹿野、平野、細野氏は再任 ―― 民主、国民両党による野田連立内閣が2日午後、発足する。野田佳彦新首相は同日午前、首相官邸に組閣本部を設置、官房長官に内定した藤村修氏が閣僚名簿を発表した。外相には玄葉光一郎国家戦略担当相を横滑りさせ、財務相には民主党の安住淳国対委員長の起用が決まった。安住氏は初入閣。
野田内閣の顔ぶれは次の通り。総理
▽野田佳彦(衆院)/▽総務相 川端達夫(衆院)/▽法相 平岡秀夫(衆院)/▽外相 玄葉光一郎(衆院)/▽財務相 安住淳(衆院)/▽文部科学相 中川正春(衆院)/▽厚生労働相 小宮山洋子(衆院)/▽農林水産相 鹿野道彦(衆院)/▽経済産業相 鉢呂吉雄(衆院)/▽国土交通相前田武志(参院)/▽環境相 原発事故担当 細野豪志(衆院)/▽防衛相 一川保夫(参院)/▽官房長官 藤村修(衆院)/▽国家公安委員長 拉致問題担当 消費者担当 山岡賢次(衆院)/▽金融・郵政担当相 自見庄三郎(参院・国民新)/▽復興担当相 平野達男(参院)/▽行政刷新・国家公務員制度改革担当 蓮舫(参院) (毎日新聞、2011年9月2日)
午後、kanamiちゃんがご機嫌伺いに来てくれた。今度の日曜日にには妹のchikaちゃんの愛嬢(6歳)が南千住でフラダンスを披露するとのこと。
千葉県選出の野田佳彦氏の「どぜう内閣」が発足したらしい。まあ、お手並み拝見と参りたい。
今日のウェブニュースより。
(毎日新聞 2011年9月2日 14時13分、最終更新 9月2日 15時30分)
野田内閣の顔ぶれは次の通り。総理
▽野田佳彦(衆院)/▽総務相 川端達夫(衆院)/▽法相 平岡秀夫(衆院)/▽外相 玄葉光一郎(衆院)/▽財務相 安住淳(衆院)/▽文部科学相 中川正春(衆院)/▽厚生労働相 小宮山洋子(衆院)/▽農林水産相 鹿野道彦(衆院)/▽経済産業相 鉢呂吉雄(衆院)/▽国土交通相前田武志(参院)/▽環境相 原発事故担当 細野豪志(衆院)/▽防衛相 一川保夫(参院)/▽官房長官 藤村修(衆院)/▽国家公安委員長 拉致問題担当 消費者担当 山岡賢次(衆院)/▽金融・郵政担当相 自見庄三郎(参院・国民新)/▽復興担当相 平野達男(参院)/▽行政刷新・国家公務員制度改革担当 蓮舫(参院) (毎日新聞、2011年9月2日)
昨夜は夜半過ぎに雷鳴をともなった驟雨で目が覚め、朝まで眠れず。大型台風12号が北上中とのこと。
今日から9月。本日は関東大震災が起きて、88年目。ひところ、震災60年周期説なるものがいわれたが、災害というものは気まぐれで、いつ起きるかは予測もできない。台風12号と大震災が重ならないともいえない。いやはや、これは瘋癲爺の杞憂か?
今朝のウェブニュースから
台風12号 非常に激しい雨に ―― 大型で強い台風12号は日本の南の海上を北西へ進んでいます。2日にかけて西日本と東日本の太平洋側では非常に激しい雨が降るおそれがあり、太平洋沿岸の広い範囲で大しけが続く見込みです。/気象庁の観測によりますと、大型で強い台風12号は、1日午前3時には日本の南の海上をゆっくりとした速さで北西へ進んでいます。中心の気圧は965ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は35メートル、最大瞬間風速は50メートルで、中心から半径190キロ以内では、風速25メートル以上の暴風が吹いています。台風の周辺を回る湿った空気が流れ込んでいるため、近畿から関東甲信にかけての山沿いを中心に雨雲が発達しています。午前4時までの1時間に神奈川県小田原市で36ミリの激しい雨を観測したほか、午前1時までの1時間には、山梨県山中湖村で65ミリの非常に激しい雨が降りました。これまでの雨で、山梨県と静岡県では土砂災害の危険性が高くなっている地域があります。台風は強い勢力を保ったまま、比較的ゆっくりとした速度で北上し、3日にかけて西日本と東日本に接近する見込みです。台風の北上に伴い、2日にかけて近畿や東海、それに関東甲信を中心に雷を伴って1時間に50ミリから70ミリの非常に激しい雨が降るおそれがあります。2日の朝までに降る雨の量は、いずれも多いところで▽東海と近畿で400ミリ、▽関東甲信で250ミリ、▽四国で100ミリと予想され、3日にかけて、さらに雨量が多くなる見込みです。西日本と東日本の太平洋沿岸では、1日は大しけが続き、2日は暴風が吹いて猛烈なしけとなる見込みです。2日にかけての波の高さは▽東日本と西日本の太平洋沿岸で9メートル、▽伊豆諸島で8メートル、▽小笠原諸島で6メートルと予想されています。気象庁は、土砂災害や低い土地の浸水、川の増水、竜巻などの突風に十分注意するよう呼びかけています。(NHKニュース9月1日 4時1分)
「巷に雨の降るごとく」
ヴェルレーヌ(堀口 大学 訳)
巷に雨の降るごとく
われの心に涙ふる。
かくも心ににじみ入る
この悲しみは何やらん?
やるせなの心のために
おお、雨の歌よ!
やさしき雨の響きは
地上にも屋上にも!
消えも入りなん心の奥に
ゆえなきに雨は涙す。
何事ぞ! 裏切りもなきにあらずや?
この喪そのゆえの知られず。
ゆえしれぬかなしみぞ
げにこよなくも堪えがたし。
恋もなく恨みもなきに
わが心かくもかなし。
Paul Verlaine (ポール・ヴェルレーヌ、1844~1896年) は、19世紀後半のフランスを代表する詩人である。この時代のフランスには、ボードレールという巨大な塔を囲むようにして、多くの詩人が綺羅星のように現れたが、Verlaineはひときわ明るい光を放っている。日本人にもなじみが深い。
Verlaineは詩人としては優れていたが、一人の人間としてはできそこないというべき生涯を送った。それは少年時代から見られた甘ったれた性格と同性愛の性向に起因すると思われる。Arthur Rimbaud(アルチュール・ランボー、1854~1891年)との共同生活はあまりにも有名である。
堀口大学(1892~1981年)は外交官堀口九萬一(ほりぐちくまいち、1865~1945年)の子息。父に従って欧米各地に転住、その間詩作と翻訳に専念。訳詩集<月下の一群>は日本の近代詩に多大な影響を与えた。
今日から9月。本日は関東大震災が起きて、88年目。ひところ、震災60年周期説なるものがいわれたが、災害というものは気まぐれで、いつ起きるかは予測もできない。台風12号と大震災が重ならないともいえない。いやはや、これは瘋癲爺の杞憂か?
今朝のウェブニュースから
「巷に雨の降るごとく」
ヴェルレーヌ(堀口 大学 訳)
巷に雨の降るごとく
われの心に涙ふる。
かくも心ににじみ入る
この悲しみは何やらん?
やるせなの心のために
おお、雨の歌よ!
やさしき雨の響きは
地上にも屋上にも!
消えも入りなん心の奥に
ゆえなきに雨は涙す。
何事ぞ! 裏切りもなきにあらずや?
この喪そのゆえの知られず。
ゆえしれぬかなしみぞ
げにこよなくも堪えがたし。
恋もなく恨みもなきに
わが心かくもかなし。
Verlaineは詩人としては優れていたが、一人の人間としてはできそこないというべき生涯を送った。それは少年時代から見られた甘ったれた性格と同性愛の性向に起因すると思われる。Arthur Rimbaud(アルチュール・ランボー、1854~1891年)との共同生活はあまりにも有名である。
8月も後2日。隅田川の川風にもどこか秋を感じる。今日は民主党の代表選。まあ、誰が選ばれてもあまり変わりないようだ。今朝のウェブニュースより
海江田氏優位…決選投票なら前原・野田氏連携へ ―― 民主党は29日に代表選の投開票を行い、菅首相(党代表)の後継となる新代表を決める。/党内最大勢力の小沢一郎元代表グループ(約120人)の支持を受けた海江田万里経済産業相(62)が先行し、前原誠司前外相〈49〉、野田佳彦財務相(54)、鹿野道彦農相〈69〉が追う展開が続いている。ただ、海江田氏が1回目の投票で過半数を取れるかどうかは微妙で、上位2人の決選投票にもつれ込む可能性が濃厚になっている。小沢元代表と距離を置く前原、野田氏の両陣営は28日、決選投票では連携する方針を固めた。/海江田氏陣営は28日、都内のホテルに設けた選挙対策本部に小沢元代表や鳩山前首相らが集まり、元代表が電話をかけるなど態度未定の議員へ要請を続けた。/前原氏は都内で記者団に「固まった数(を得たか)という意味ではかなり厳しい。あと1日精いっぱい頑張りたい」と強調。野田氏は記者団に「手応えはそれなりに感じているが、投票箱が閉まるまで何が起きるかわからない」と述べた。複数の野田陣営幹部は28日夜、「決選投票での前原氏との連携はあうんの呼吸で固まっている」と語った。/鹿野氏は記者団に「代表選に出る者としてふさわしい考え方を示すことに全力を尽くす」と訴え、馬淵澄夫前国土交通相〈51〉は記者団に「結果を恐れずにぶつかっていく」と語った。/一方、菅首相グループ〈約40人〉は28日、都内ホテルで幹部が協議し、1回目は自主投票とし、決選投票では海江田氏以外に投票する方針を決めた。旧民社党系グループ〈約30人〉は28日の会合で、自主投票を決定。このほか、羽田元首相グループ〈約20人〉はすでに自主投票の方針を決めており、樽床伸二衆院国家基本政策委員長グループ〈約20人〉と旧社会党系グループ〈約20人〉も自主投票となる見通し。党内では態度を明確にしていない議員は約120人に上る。 (2011年8月29日03時06分 読売新聞)
秋風引 劉禹錫
何処秋風至 何処よりか秋風至る
蕭蕭送雁群 蕭蕭として雁群を送る
朝来入庭樹 朝来 庭樹に至る
孤客最先聞 孤客 最も先に聞く
〈訳〉何処よりか秋風が吹いてくる
物寂しい音を響かせ雁の群を送っている
今朝ほど庭の木々を吹き抜けたのを
一人ぼっちの旅人が真っ先に聞きつたよ
劉禹錫:中山(河北省定県)、一説には彭城(江蘇省銅山)の人。字は夢得(ぼうとく)。793年の進士。監察御史となり、柳宗元(773~819年)と共に王叔文〈753~806年、政治家〉の一派に属したため、叔文失脚後は朗州(湖南省常徳)司馬に流された。その時に作ったしが権官の怒りに触れ、播州(貴州省遵義の西)へ追われるところをとりなす人がいて連州(広東省連県)刺史に任じられた。その後は虁州(四川省奉節)・和州(安徽省和県)刺史から都へ帰り主客郎中・太子賓客などを歴任、検校礼部尚書に至った。
昼前から、午後3時近くまで、テレビの民主党の代表選を見呆けた。ウェブニュースより
【民主代表選】
新代表に野田氏 第95代首相に選出へ 決選で海江田氏破る ――菅直人首相(民主党代表)の後継を選ぶ民主党代表選は29日、東京・紀尾井町の「ホテルニューオータニ」で投開票が行われ、決選投票で、野田佳彦財務相〈54〉が、海江田万里経済産業相(62)を破り、新代表に就任した。/野田氏は30日にも行われる衆参両院での首相指名選挙で第95代、62人目の首相に指名される。民主党では3人目の首相となる。東日本大震災からの復旧・復興、東京電力福島第1原発事故の収束にあたる。/震災復興の平成23年土台3次補正予算案成立に向け、参院で多数を占める野党と協力関係を築けるかが焦点。野田氏は自民、公明両党との大連立を視野に両党に協力を呼びかける。民主党との対決姿勢を強める自民党の理解が得られるかは不透明だ。野田氏の代表任期は24年9月末まで。/投票は、党員資格停止の小沢一郎元代表らを除く党所属国会議員で実施した。/1回目はどの候補も過半数に達せず、1位の海江田、2位の野田両氏が決選投票を行った。鹿野道彦農林水産相陣営が野田氏支援に傾いたことなどから、野田氏が過半数の197馮を上回る215票を獲得し、177票の海江田氏を逆転した。/1回目は海江田氏143票、野田氏102票、前原誠司前外相74票、鹿野氏52票、馬淵澄夫前国土交通相24票だった。/野田氏は「反小沢票」を集めており、小沢氏の処遇を含め、内閣・党役員人事で挙党態勢が構築できるか注目される。/野田佳彦氏(のだ・よしひこ)早大卒。松下政経塾、千葉県議2期を経て平成5年に衆院初当選。民主党国対委員長、財務相。54歳。千葉4区、衆院当選5回(野田G) (産経ニュース、2011.8.29 14:34)
秋風引 劉禹錫
何処秋風至 何処よりか秋風至る
蕭蕭送雁群 蕭蕭として雁群を送る
朝来入庭樹 朝来 庭樹に至る
孤客最先聞 孤客 最も先に聞く
物寂しい音を響かせ雁の群を送っている
今朝ほど庭の木々を吹き抜けたのを
一人ぼっちの旅人が真っ先に聞きつたよ
昼前から、午後3時近くまで、テレビの民主党の代表選を見呆けた。ウェブニュースより
【民主代表選】
無題 李商隠
来是空言去絶踪 来るはこれ空言(くうげん) 去って踪(あと)を絶つ
月斜楼上五更鐘 月は楼上に斜めなり 五更(ごこう)の鐘
夢為遠別啼難喚 夢は遠別をなし 啼けども喚(さけ)び難(がた)し
書被催成墨未濃 書は催(うな)が被(さ)れて成り 墨は未(いま)だ濃からず
蝋照半籠金翡翠 蝋照(ろうしょう) 半ば籠(かげ)む 金翡翠(きんひすい)
麝熏微度繍芙蓉 麝熏(じゃくん) 微(かす)かにわたる 繍芙蓉(しゅうふよう)
劉郎已恨蓬山遠 劉郎(りゅうろう)すでに恨む 蓬山の遠きを
更隔蓬山一万重 更(さら)に隔(へだ)つ 蓬山一万重
〈訳〉来るというのは嘘 いってしまえばあとかたもない
楼上に月が傾いて 五更〈夜明けに近い時刻〉を告げる鐘の声
はるかに隔てた身ゆえ 泣いて呼んでも会えぬ夢の中
心せくままに書く手紙の墨の色はまだ薄い
蝋燭のあかりの半ばかげった衾に金糸の翡翠
蘭麝の香りがかすかに流れる屏風は蓮華の模様
劉郎さえ蓬莱山の遠さを恨んだものを
わが思う人は蓬莱から一万の山を越えた彼方
ここにいう劉郎とは、天台山に入って仙女に会ったという劉晨のこと。この詩では、天台山が蓬莱山と言い換えてある。いずれにせよ、叶えられぬ恋の嘆きを詠ったものであろう。
幽明録 『天台神女』 劉宋 劉義慶
漢明帝永平五年、剡縣劉晨、阮肇共入天台山取谷皮、迷不得返。經十三日、糧食乏盡、饑餒殆死。遙望山上、有一桃樹、大有子實;而絕岩邃澗、永無登路。攀援藤葛、乃得至上。各啖數枚、而饑止體充。復下山、持杯取水、欲盥漱。見蕪菁葉從山腹流出、甚鮮新、復一杯流出、有胡麻飯糝、相謂曰︰“此知去人徑不遠。”便共沒水、逆流二三里、得度山、出一大溪、溪邊有二女子、姿質妙絕、見二人持杯出、便笑曰︰“劉阮二郎、捉向所失流杯來。”晨肇既不識之、縁二女便呼其姓、如似有舊、乃相見忻喜。問︰“來何晚邪?”因邀還家。其家銅瓦屋。南壁及東壁下各有一大床、皆施絳羅帳、帳角懸鈴、金銀交錯、床頭各有十侍婢、敕云︰“劉阮二郎、經涉山、向雖得瓊實、猶尚虛弊、可速作食。”食胡麻飯、山羊脯、牛肉、甚甘美。食畢行酒、有一群女來、各持五三桃子、笑而言︰“賀汝婿來。”酒酣作樂、劉阮欣怖交並。至暮、令各就一帳宿、女往就之、言聲清婉、令人忘憂。至十日後欲求還去、女云︰“君已來是、宿福所牽、何復欲還邪?”遂停半年。氣候草木是春時、百鳥啼鳴、更懷悲思、求歸甚苦。女曰︰“罪牽君、當可如何?”遂呼前來女子、有三四十人、集會奏樂、共送劉阮、指示還路。既出、親舊零落、邑屋改異、無復相識。問訊得七世孫、傳聞上世入山、迷不得歸。至晉太元八年、忽復去、不知何所。
〈訳〉
漢の明帝の永平五年のことである。剡(えん)県の劉晨と阮肇は楮(こうぞ)の樹皮を採るため一緒に天台山に入ったが、迷って戻れなくなった。十三日過ぎると食料も尽き、餓死せんばかりになったが、遠くの山上に一本の桃の樹があり、多くの実がなっているのが見えた。岩は切り立ち谷川は奥深く、登るための道は全く無かったが、葛の蔓に縋りながらよじ登っていくことで、上まで辿り着くことができた。幾つか食べると空腹は収まり満足したので、山を下り戻り、椀で水を掬って手や口を濯ごうとしたが、見ると、青々とした蕪(かぶら)の葉が山腹から流れ出てくる。さらに椀も一つ流れ出てきたが、その中には胡麻と飯粒が入っていた。二人は「これは、人のいる所から遠くないと云うことだぞ」と言い合って、ともに水に入り、流れに逆らいながら二・三里ほどいくと、山を越えることができて、大きな渓流に出た。そのほとりには、たとえようもなく容姿の優れた女が二人いて、劉晨と阮肇が椀を持ってやってくるのを見るや、笑って「流してしまったお椀を、劉さんと阮さんのお二人がすぐに持って来てくれたわ」と言った。劉と阮には理由が分からなかったが、旧知の中のように二人の女は姓を呼び、そして逢えたことを大いに喜んだのである。二人の女が、「今晩いらっしゃらない?」と聞いてきたので、劉と阮は、招待に応じて女たちの家に附いて行くのだった。その家の屋根は銅葺きで、南の壁と東の壁の下には各々大きな寝床があって、それぞれの寝床には、角に鈴が付いていて金銀入交じりの縫い取りのある紅絹(もみ)の帳(とばり)が懸けてあった。枕頭には、それぞれ侍女が十人控えていたが、そのものたちに「劉さんと阮さんのお二人は、険しい山中を通って来られたのです。桃の実を食べたばかりですけれど、まだお疲れで身体が弱っておいでです。急いでお食事を作りなさい」と命じた。食事には、胡麻餅、山羊肉の干したもの、牛肉が出て、はなはだ美味であった。食事が了わると、酒が出された。各々数個の桃の実を持った女達が現われ、笑いながら言うには「貴女に御婿さんが出来ておめでとう。」酒がすすんで朗らかになり、劉と阮は、喜びと怖れとを交々味わったのである。日が暮れると、劉と阮は、それぞれ寝床に寝かされた。女も床をともにしたのだが、その言葉とその声は清らかで淑やかであり、人をして憂いを忘れしめるものだった。十日が過ぎて、帰ろうとすると、女は「貴方が此処にいらしたのは、前世からの果報が貴方を此処に引き寄せたのです。どうして帰ろうなどとするのですか?」と言うので、半年の間留まった。気候も草木も春となったことを示し、さまざまな鳥が鳴いて、望郷の想いは更に募り、帰りたいと云う気持ちがひどく苛まれるようになった。女は言った。「罪業が貴方を牽いていくのだから如何しようもないわ。」ついに女は以前来た女達を呼ぶと、三・四十人が集まって、音楽を演奏して、一緒に劉と阮とを見送り、帰り方を教えるのであった。帰ってみると、親戚友人は零落しており、町の家々は別のものに替っていて、知人もいなかった。問いたずねて、七代目の子孫が、先祖が山の中に入り、迷って返って来れなかったと云う話を伝え聞いていることを知った。晋の太元八年になって、再び忽然と姿を消したが、どこに行ったかは分からなかった。
来是空言去絶踪 来るはこれ空言(くうげん) 去って踪(あと)を絶つ
月斜楼上五更鐘 月は楼上に斜めなり 五更(ごこう)の鐘
夢為遠別啼難喚 夢は遠別をなし 啼けども喚(さけ)び難(がた)し
書被催成墨未濃 書は催(うな)が被(さ)れて成り 墨は未(いま)だ濃からず
蝋照半籠金翡翠 蝋照(ろうしょう) 半ば籠(かげ)む 金翡翠(きんひすい)
麝熏微度繍芙蓉 麝熏(じゃくん) 微(かす)かにわたる 繍芙蓉(しゅうふよう)
劉郎已恨蓬山遠 劉郎(りゅうろう)すでに恨む 蓬山の遠きを
更隔蓬山一万重 更(さら)に隔(へだ)つ 蓬山一万重
楼上に月が傾いて 五更〈夜明けに近い時刻〉を告げる鐘の声
はるかに隔てた身ゆえ 泣いて呼んでも会えぬ夢の中
心せくままに書く手紙の墨の色はまだ薄い
蝋燭のあかりの半ばかげった衾に金糸の翡翠
蘭麝の香りがかすかに流れる屏風は蓮華の模様
劉郎さえ蓬莱山の遠さを恨んだものを
わが思う人は蓬莱から一万の山を越えた彼方
ここにいう劉郎とは、天台山に入って仙女に会ったという劉晨のこと。この詩では、天台山が蓬莱山と言い換えてある。いずれにせよ、叶えられぬ恋の嘆きを詠ったものであろう。
幽明録 『天台神女』 劉宋 劉義慶
漢明帝永平五年、剡縣劉晨、阮肇共入天台山取谷皮、迷不得返。經十三日、糧食乏盡、饑餒殆死。遙望山上、有一桃樹、大有子實;而絕岩邃澗、永無登路。攀援藤葛、乃得至上。各啖數枚、而饑止體充。復下山、持杯取水、欲盥漱。見蕪菁葉從山腹流出、甚鮮新、復一杯流出、有胡麻飯糝、相謂曰︰“此知去人徑不遠。”便共沒水、逆流二三里、得度山、出一大溪、溪邊有二女子、姿質妙絕、見二人持杯出、便笑曰︰“劉阮二郎、捉向所失流杯來。”晨肇既不識之、縁二女便呼其姓、如似有舊、乃相見忻喜。問︰“來何晚邪?”因邀還家。其家銅瓦屋。南壁及東壁下各有一大床、皆施絳羅帳、帳角懸鈴、金銀交錯、床頭各有十侍婢、敕云︰“劉阮二郎、經涉山、向雖得瓊實、猶尚虛弊、可速作食。”食胡麻飯、山羊脯、牛肉、甚甘美。食畢行酒、有一群女來、各持五三桃子、笑而言︰“賀汝婿來。”酒酣作樂、劉阮欣怖交並。至暮、令各就一帳宿、女往就之、言聲清婉、令人忘憂。至十日後欲求還去、女云︰“君已來是、宿福所牽、何復欲還邪?”遂停半年。氣候草木是春時、百鳥啼鳴、更懷悲思、求歸甚苦。女曰︰“罪牽君、當可如何?”遂呼前來女子、有三四十人、集會奏樂、共送劉阮、指示還路。既出、親舊零落、邑屋改異、無復相識。問訊得七世孫、傳聞上世入山、迷不得歸。至晉太元八年、忽復去、不知何所。
〈訳〉
無題 李商隠
昨夜星辰昨夜風、 昨夜の星辰(せいしん) 昨夜の風、
畫樓西畔桂堂東。 画楼〈かくろう〉の西畔 桂堂の東。
身無綵鳳雙飛翼、 身に綵鳳双飛の翼無きも、
心有靈犀一點通。 心に霊犀一点の通う有り。
隔座送鉤春酒暖、 座を隔てて送鉤すれば春酒暖かく、
分曹射覆蠟燈紅。 曹を分けて射覆すれば蝋燈紅なり。
嗟余聽鼓應官去、 嗟〈ああ〉 余が鼓を聴き官に応じて去り、
走馬蘭台類轉蓬。 馬を蘭台に走らせて転蓬に類(にる)を。
〈訳〉昨夜の星空 昨夜の風
花やぐ楼の西の端に 大広間の東に
わが身は並び飛ぶ鳳凰の翼を持たないが
心はわずかに一筋 通いあうところがあった
春の酒のぬくもりに 席を隔てて送る蔵鉤の遊び
紅の蝋燭の燈かげで 組を分けて射覆脳でくらべ
だが私は朝を告げる太鼓とともに 役所へ行かねばならぬ
蘭台に馬を走らせるわが心は 風に吹かれる蓬に似ていた
最後の句「走馬蘭台類轉蓬」の『転蓬』とは、風に吹かれ、根を離れてころがる蓬(よもぎ)のことで、流浪することや旅人の身にたとえる。
曹植に「吁嗟篇」という詩がある。『魏志』本伝に「十一年中に三度都を徒り、常に汲々として歓びなし。遂に疾を発して薧じぬ。時に四十一なり」とあるように、流転の吾が身を嘆じたものである。
吁嗟篇 曹植
吁嗟此転蓬 吁嗟 此の転蓬
居世何独然 世に居る何ぞ独り然るや
長去本根逝 長く本根を去りて逝き
夙夜無休間 夙夜(しゅくや)に休間無し
東西経七陌 東西 七陌を経て
南北越九阡 南北 九阡を越ゆる
卒遇回風起 卒(にわか)に回風の起こるに遇い
吹我入雲間 我を吹きて雲間に入る
自謂終天路 自ら天路を終えんと謂(おも)わば
忽然下沈淵 忽然として沈淵(しんえん)に下る
驚飆接我出 驚飆(きょうひょう)は我を接えて出し
故帰彼中田 故(ことさら)に彼の中田に帰る
当南而更北 当に南し、しかして更に北し
謂東而反西 東せんと謂わば、しかして西に反す
宕宕当何依 宕宕(とうとう)として当に何に依るべき
忽亡而復存 忽にして亡び、しかして復た存す
飄颻周八沢 飄颻(ひょうよう)として八沢(はったく)を周り
連翩五山歴 連翩(れんほん)として五山を歴(めぐ)る
流転無恒処 流転して恒の処に無き
誰知吾苦艱 誰か吾が苦艱を知るや
願為中林草 願わくば中林の草と為り
秋随野火燔 秋の野火に随い燔(や)かれん
糜滅豈不痛 糜滅(びめつ)は豈に痛ましからざらんや
願与株荄連 願わくば株荄(しゅがい)と連らん
〈訳〉ああ、転び行く この蓬よ
世の中で 何故お前だけがかくも転ぶ
もとの根より 遥かに離れ去り
日夜 休みなく 浮かび漂う
東西の間 七つのあぜを飛び
南北の間 九つのあぜを越える
にわかに つむじ風に巻き込まれ
雲の間に 吹き上げられた
天路の終点まで 行けるぞと思ったが
突如 沈淵めざし まっしぐら
あやうく 竜巻に助け出されたが
どうして 畑のなかに帰してくれようか
南へ行くかと思えば かえって北に向かい
東へ行くかと思えば 西に流される
ふらふらと まるで寄る辺なく
消え去っては また生きのび
ひらひらと 八沢をまわり飛び
ふわふわと 五山をあまねく巡る
流転を続けて 落ちつかぬ
この苦しみを 誰がしってくれよう
秋には 野火に焼かれようとも
林の中の草に なりたいものだ
焼けただれるのは 如何にも辛いが
株や根と 運命をともにできれば 幸いだ
昨夜星辰昨夜風、 昨夜の星辰(せいしん) 昨夜の風、
畫樓西畔桂堂東。 画楼〈かくろう〉の西畔 桂堂の東。
身無綵鳳雙飛翼、 身に綵鳳双飛の翼無きも、
心有靈犀一點通。 心に霊犀一点の通う有り。
隔座送鉤春酒暖、 座を隔てて送鉤すれば春酒暖かく、
分曹射覆蠟燈紅。 曹を分けて射覆すれば蝋燈紅なり。
嗟余聽鼓應官去、 嗟〈ああ〉 余が鼓を聴き官に応じて去り、
走馬蘭台類轉蓬。 馬を蘭台に走らせて転蓬に類(にる)を。
花やぐ楼の西の端に 大広間の東に
わが身は並び飛ぶ鳳凰の翼を持たないが
心はわずかに一筋 通いあうところがあった
春の酒のぬくもりに 席を隔てて送る蔵鉤の遊び
紅の蝋燭の燈かげで 組を分けて射覆脳でくらべ
だが私は朝を告げる太鼓とともに 役所へ行かねばならぬ
蘭台に馬を走らせるわが心は 風に吹かれる蓬に似ていた
曹植に「吁嗟篇」という詩がある。『魏志』本伝に「十一年中に三度都を徒り、常に汲々として歓びなし。遂に疾を発して薧じぬ。時に四十一なり」とあるように、流転の吾が身を嘆じたものである。
吁嗟篇 曹植
吁嗟此転蓬 吁嗟 此の転蓬
居世何独然 世に居る何ぞ独り然るや
長去本根逝 長く本根を去りて逝き
夙夜無休間 夙夜(しゅくや)に休間無し
東西経七陌 東西 七陌を経て
南北越九阡 南北 九阡を越ゆる
卒遇回風起 卒(にわか)に回風の起こるに遇い
吹我入雲間 我を吹きて雲間に入る
自謂終天路 自ら天路を終えんと謂(おも)わば
忽然下沈淵 忽然として沈淵(しんえん)に下る
驚飆接我出 驚飆(きょうひょう)は我を接えて出し
故帰彼中田 故(ことさら)に彼の中田に帰る
当南而更北 当に南し、しかして更に北し
謂東而反西 東せんと謂わば、しかして西に反す
宕宕当何依 宕宕(とうとう)として当に何に依るべき
忽亡而復存 忽にして亡び、しかして復た存す
飄颻周八沢 飄颻(ひょうよう)として八沢(はったく)を周り
連翩五山歴 連翩(れんほん)として五山を歴(めぐ)る
流転無恒処 流転して恒の処に無き
誰知吾苦艱 誰か吾が苦艱を知るや
願為中林草 願わくば中林の草と為り
秋随野火燔 秋の野火に随い燔(や)かれん
糜滅豈不痛 糜滅(びめつ)は豈に痛ましからざらんや
願与株荄連 願わくば株荄(しゅがい)と連らん
〈訳〉ああ、転び行く この蓬よ
世の中で 何故お前だけがかくも転ぶ
もとの根より 遥かに離れ去り
日夜 休みなく 浮かび漂う
東西の間 七つのあぜを飛び
南北の間 九つのあぜを越える
にわかに つむじ風に巻き込まれ
雲の間に 吹き上げられた
天路の終点まで 行けるぞと思ったが
突如 沈淵めざし まっしぐら
あやうく 竜巻に助け出されたが
どうして 畑のなかに帰してくれようか
南へ行くかと思えば かえって北に向かい
東へ行くかと思えば 西に流される
ふらふらと まるで寄る辺なく
消え去っては また生きのび
ひらひらと 八沢をまわり飛び
ふわふわと 五山をあまねく巡る
流転を続けて 落ちつかぬ
この苦しみを 誰がしってくれよう
秋には 野火に焼かれようとも
林の中の草に なりたいものだ
焼けただれるのは 如何にも辛いが
株や根と 運命をともにできれば 幸いだ
無題 李商隠
重幃深下莫愁堂 重幃(ちょうい)深く下(おろ)す 莫愁(ばくしゅう)の堂
臥後清宵細細長 臥後(がご) 清宵(せいしょう)細々(さいさい)として長し
神女生涯原是夢 神女(しんにょ)の生涯(しょうがい) 原(も)と是(こ)れ夢
小姑居處本無郎 小姑(しょうこ)の居処(きょしょ)本(も)郎(ろう)無し
風波不信菱枝弱 風波(ふうは)は信んぜず 菱枝(りょうし)の弱きを
月露誰敎桂葉香 月露(げつろ)誰れか桂葉(けいよう)をして香(かん)ばしからしめん
直道相思了無益 直(たと)え相思(そうし)了(つい)に益(えき)無しと道(い)うも
未妨惆悵是淸狂 未(いま)だ妨(さまた)げず惆悵(ちゅうちょう)は是(こ)れ清狂(せいきょう)なるを
〈訳〉幾重にも深く帳を下した莫愁の部屋
あるじが寝たあとは澄んだ秋の夜が細々と そして長く
神女との暮らし あれは夢の中のことだったのだ
小姑の住居にはもともと夫がいなかった
風波は弱い菱の蔓を いつまでも漂わせておいてはくれまい
だが桂を香をのせた月の露は 誰が降らせてくれるのだろう
かなわぬ恋と 知ってはいるものの
思い焦がれて世の拗ね者となる それもよかろうではないか
莫愁は女性の名。六朝以来の樂府(がふ)に「莫愁曲」というのがあり、その女主人公であるという。元々伝説的な人物で、ここでは愛する女性を莫愁に見立てている。
神女生涯(神女との暮し)とは、楚王が巫山の神女と契った故事をふまえる。「小姑」は正しくは「青渓小姑」といい、神女の名である。この神は独身だったという伝説があるという。
文選卷十九 高唐賦(序)より
昔者楚襄王、與宋玉遊於雲夢之臺、望高唐之觀、其上獨有雲氣、崪兮直上、忽兮改容、須臾之閒、變化無窮。王問玉曰、此何氣也、玉對曰、所謂朝雲者也。王曰、何謂朝雲、玉曰、昔者先王嘗遊高唐、怠而晝寢、夢見一婦人、曰、妾巫山之女也、爲高唐之客、聞君遊高唐、願薦枕席、王因幸之、去而辭曰、妾在巫山之陽高丘之阻、旦爲朝雲、暮爲行雨、朝朝暮暮、陽臺之下、旦朝視之如言、故爲立廟、號曰朝雲。
昔者(むかし)楚の襄王(じやうわう)、宋玉(そうぎよく)と雲夢(うんぼう)の台(うてな)に遊ぶ。高唐(かうたう)の観(くわん)を望むに、其の上に独り雲気(うんき)有り。崪(しゆつ)として直ちに上(のぼ)り、忽(こつ)として容(かたち)を改む。須臾(しゆゆ)の間(かん)に変化窮(きは)まり無し。王、玉(ぎよく)に問ひて曰(のたまは)く、「此れ何の気ぞ」と。玉対(こた)へて曰(まうさ)く、「所謂(いはゆる)朝雲(てううん)なる者なり」と。王曰(のたまは)く、「何を朝雲と謂(い)ふ」と。玉曰(まうさ)く、「昔者(むかし)先王(せんわう)嘗(かつ)て高唐に遊び、怠(おこた)りて昼寝し、夢に一婦人を見るに、曰(まうさ)く、『妾(せふ)は巫山(ふざん)の女(ぢよ)なり。高唐の客(かく)為(た)り。君の高唐に遊ぶを聞き、願はくは枕席(ちんせき)を薦(すす)めんと』。王因りて之(これ)を幸(かう)す。去りて辞して曰(まうさ)く、『妾(せふ)は巫山の陽(やう)、高丘(かうきう)の阻(そ)に在り。旦(あした)には朝雲(てううん)と為(な)り、暮(ゆふべ)には行雨(かうう)と為(な)りて、朝朝(てうてう)暮暮(ぼぼ)、陽台(やうだい)の下(もと)にあり』と。旦朝(たんてう)之(これ)を視(み)るに言(げん)の如し。故(ゆゑ)に為に廟(べう)を立て、号して朝雲(てううん)と曰(い)ふ」と。
〈訳〉昔、其の襄王は宋玉と共に雲夢沢の楼台に遊んだ。高唐の楼観を望むと、その上にだけ雲が湧いていた。高々とまっすぐに立ちのぼり、突然形を変えた。短い時間のうちに変化すること甚だしい。襄王が宋玉(BC290~233年)に「これは如何なる気か」と問うと、宋玉は「朝雲と呼ばれるものです」と答えた。王がまた「何を朝雲と言うか」と問うと、宋玉は答えた。「昔、先王が高唐に遊ばれました時、一休みされて昼寝をなさり、夢に一人の婦人を御覧になりました。その婦人が申すことには、『私は巫山の女でございます。いま高唐に滞在しております。王様が高唐に遊ばれると伺い、寝所に侍りたいと存じます』。そこで王はこの女を愛されました。辞去する時に女が申しますことには、『私は巫山の南、高い丘陵の険阻な地におります。夜が明ければ朝雲となり、日が沈めば通り雨となって、毎朝毎夕、あなた様の楼台のもとに参りましょう』と。翌朝、巫山の方を御覧になると、言葉通り雲が湧いておりました。そこでこの神女を祭る廟を建てられ、朝雲と名付けられたのです」と。
重幃深下莫愁堂 重幃(ちょうい)深く下(おろ)す 莫愁(ばくしゅう)の堂
臥後清宵細細長 臥後(がご) 清宵(せいしょう)細々(さいさい)として長し
神女生涯原是夢 神女(しんにょ)の生涯(しょうがい) 原(も)と是(こ)れ夢
小姑居處本無郎 小姑(しょうこ)の居処(きょしょ)本(も)郎(ろう)無し
風波不信菱枝弱 風波(ふうは)は信んぜず 菱枝(りょうし)の弱きを
月露誰敎桂葉香 月露(げつろ)誰れか桂葉(けいよう)をして香(かん)ばしからしめん
直道相思了無益 直(たと)え相思(そうし)了(つい)に益(えき)無しと道(い)うも
未妨惆悵是淸狂 未(いま)だ妨(さまた)げず惆悵(ちゅうちょう)は是(こ)れ清狂(せいきょう)なるを
あるじが寝たあとは澄んだ秋の夜が細々と そして長く
神女との暮らし あれは夢の中のことだったのだ
小姑の住居にはもともと夫がいなかった
風波は弱い菱の蔓を いつまでも漂わせておいてはくれまい
だが桂を香をのせた月の露は 誰が降らせてくれるのだろう
かなわぬ恋と 知ってはいるものの
思い焦がれて世の拗ね者となる それもよかろうではないか
莫愁は女性の名。六朝以来の樂府(がふ)に「莫愁曲」というのがあり、その女主人公であるという。元々伝説的な人物で、ここでは愛する女性を莫愁に見立てている。
神女生涯(神女との暮し)とは、楚王が巫山の神女と契った故事をふまえる。「小姑」は正しくは「青渓小姑」といい、神女の名である。この神は独身だったという伝説があるという。
文選卷十九 高唐賦(序)より
昔者楚襄王、與宋玉遊於雲夢之臺、望高唐之觀、其上獨有雲氣、崪兮直上、忽兮改容、須臾之閒、變化無窮。王問玉曰、此何氣也、玉對曰、所謂朝雲者也。王曰、何謂朝雲、玉曰、昔者先王嘗遊高唐、怠而晝寢、夢見一婦人、曰、妾巫山之女也、爲高唐之客、聞君遊高唐、願薦枕席、王因幸之、去而辭曰、妾在巫山之陽高丘之阻、旦爲朝雲、暮爲行雨、朝朝暮暮、陽臺之下、旦朝視之如言、故爲立廟、號曰朝雲。
昔者(むかし)楚の襄王(じやうわう)、宋玉(そうぎよく)と雲夢(うんぼう)の台(うてな)に遊ぶ。高唐(かうたう)の観(くわん)を望むに、其の上に独り雲気(うんき)有り。崪(しゆつ)として直ちに上(のぼ)り、忽(こつ)として容(かたち)を改む。須臾(しゆゆ)の間(かん)に変化窮(きは)まり無し。王、玉(ぎよく)に問ひて曰(のたまは)く、「此れ何の気ぞ」と。玉対(こた)へて曰(まうさ)く、「所謂(いはゆる)朝雲(てううん)なる者なり」と。王曰(のたまは)く、「何を朝雲と謂(い)ふ」と。玉曰(まうさ)く、「昔者(むかし)先王(せんわう)嘗(かつ)て高唐に遊び、怠(おこた)りて昼寝し、夢に一婦人を見るに、曰(まうさ)く、『妾(せふ)は巫山(ふざん)の女(ぢよ)なり。高唐の客(かく)為(た)り。君の高唐に遊ぶを聞き、願はくは枕席(ちんせき)を薦(すす)めんと』。王因りて之(これ)を幸(かう)す。去りて辞して曰(まうさ)く、『妾(せふ)は巫山の陽(やう)、高丘(かうきう)の阻(そ)に在り。旦(あした)には朝雲(てううん)と為(な)り、暮(ゆふべ)には行雨(かうう)と為(な)りて、朝朝(てうてう)暮暮(ぼぼ)、陽台(やうだい)の下(もと)にあり』と。旦朝(たんてう)之(これ)を視(み)るに言(げん)の如し。故(ゆゑ)に為に廟(べう)を立て、号して朝雲(てううん)と曰(い)ふ」と。
颯颯たる東風 細雨来る
芙蓉塘外 軽雷有り
金蟾(きんせん) 鎖を齧(か)み香を焼きて入り
玉虎 糸を牽き井を汲みて回る
賈氏 簾を窺いて 韓掾(かんえん)は少(わか)く
宓妃 枕を留めて 魏王は才あり
春心 花と共に発(ひら)くを争うこと莫かれ
一寸の相思 一寸の灰
(訳)
「疾風(はやて)」のようにふく風が春風となり、小糠雨を連れてきた。
蓮の花が咲き乱れる庭の池のむこうの方でかろやかな雷が鳴っている。
ここ貴族の館では、誰を喜ばそうとするのか、新たに香が入れかえられ、黄金の香炉全体に浮彫りされた魔よけの蛙が、あたかも口をかみ合わしたかのように、錠前が閉ざされ、やがて薫り高い香煙が客間の方に広がってくる。
そして井戸では、虎のかたちを刻んだ宝玉で飾ったの釣瓶の滑車が綱を引き井戸水が汲みあげられるにつれて回転する。
このように、この家の娘(令嬢)が、香をたかせ、化粧の水を汲ませるのは、晋の時代の大臣、賈充(かじゆう)の娘が、父の宴を簾(すだれ)越しに見たとき、韓掾〈かんえん〉という若い書記官を見初めた、その話の様に、この娘は誰か心に慕う人あってのことだろう。しかし、魏の甄后(しんこう)が、文才に秀でた弟の曹植に心寄せながらも、兄の曹丕に嫁がせられたように、いずれは死後のかたみに贈る枕でしか、思いを遂げることのできない非運に泣かぬようにせねばならのではあるまいか。
萌えたぎる若き春の心は、花同志が競いあうことはない、その心にあるひと時の愛の燃えるたかまりはひと時後には灰となり、一寸の相思はやがて一寸の死灰となっておわる。
吹く風は雨を伴い/池の面に軽き雷
香を焚き粧いを凝らし/誰を待つや若き乙女よ
春と咲く花に競いて/ひとを思い恋する勿れ
ひとときの恋の焔は/燃え尽きて灰となるのみ
世説新語 惑溺篇 第三十五 より
韓壽美姿容,賈充辟以為掾。充每聚會,賈女於青璅中看,見壽,說之。恆懷存想,發於吟詠。後婢往壽家,具述如此,并言女光麗。壽聞之心動,遂請婢潛修音問。及期往宿。壽蹻捷絕人,踰牆而入,家中莫知。自是充覺女盛自拂拭,說暢有異於常。後會諸吏,聞壽有奇香之氣,是外國所貢,一箸人,則歷月不歇。充計武帝唯賜己及陳騫,餘家無此香,疑壽與女通,而垣牆重密,門閤急峻,何由得爾?乃託言有盜,令人修牆。使反曰:“其餘無異,唯東北角如有人跡。而牆高,非人所踰。”充乃取女左右婢考問,即以狀對。充秘之,以女妻壽。
そののち侍女が韓壽の家に出かけ、詳しく事情を打ち明け、ついでに娘がただならぬ美しさの持ち主であると話した。韓壽もこれを聞いて心を動かし、かくて侍女にたのんでひそかに文通することにした。約束の日になり、出かけて一夜を過すことになったが、韓壽は人並みはずれて敏捷であるため、牆〈かき〉を乗越えて入っても、家中誰も気づくものはいなかった。
それからというものは、賈充の娘もひどくおめかしをし、ひどくうきうきしている様子に気付くようになった。のち、属官たちを集めた席上で、韓壽がただならぬ香気を帯びているのに気付いた。この香は外国からの献上品で、いちど身体につけると何ヶ月も消えぬといったものである。賈充は思案した。
「これは武帝(司馬炎)が、ただ自分と陳騫(?~281年、西晋の政治家)とだけに賜ったもので、そのほかの家にはこの香はないはずだ。ひょっとすると、韓壽とわしの娘とは密通しているのかも知れぬ。だが、それにしても垣や塀は何十にもしてあるし、門は高く険しく構えてあるのだから、どうしてそんなことができるのであろう」
そこで、泥棒が入ったという触れ込みで、牆の修繕をやらせてみたところ、使いの者が帰ってきて言った。
「そのほかには何にも変わったことはありませんが、ただ東南の隅に人の足跡らしいものがあります。それも牆が高いために、とても人の越えられる所ではありません」
それで賈充は娘の左右に仕えている侍女を呼んでこさせて取り調べた所、あっさり事実を答えた。賈充はこのことを秘密にしておき、娘を韓壽の妻にしてやった。
無題 李商隠
相見時難別亦難、 相見る時難く別(わか)れるも亦難し、
東風無力百花残。 東風は力無く百花 残(そこ) なう。
春蚕到死絲方盡、 春蚕 死に到たりて、糸方に尽き、
蝋炬成灰涙始乾。 蝋炬 灰と成り、涙 始めて乾く。
暁鏡但愁雲鬢改、 暁鏡に 但 愁 雲鬢を改め、
夜吟應覚月光寒。 夜に吟ず 応に覚える、月光の寒
蓬山此去無多路、 蓬山 此より去ること多路無し、
青鳥殷勤為探看。 青鳥 殷勤 探り看ることう為さん。
〈訳〉 顔をあわせる機会も容易にもつことのできない間柄、会えば別れが一層つらい。だけど、どんなに別れ難くても、やはり別れることになる。春の風は力無く、けだるく吹き、どの花すべてが、盛りを過ぎて来て、形骸をとどめるだけだ。恋の終末にふさわしい風景なのだろう。
春の蚕が死ぬその時まで細く美しい絹糸を吐き続けるように、私の思いはいつまでも細細と続いている、
たらたらと雫を垂れる蝋燭が、燃え尽きてすっかり灰になりきるまで、蝋の涙を流しつづけるように、別れの悲しみはこの身の果てるまで続けてく。
あなたはどうしているのか? 朝の化粧をしようとして、鏡に姿をうつしながら、雲鬢の黒髪をきちんと整える。
夜には、私の贈った詩を吟じながら、月光の寒々とした景色に、秋を感じて悲しむことだろう。
蓬莱山の仙人の住む至楽の園は、私のいまいる所から、何ほどの距離もない。別れねばならぬとはいえ、
あなたは同じ都の中にいる。
恋の使いをするという青い鳥よ。せめて彼女と情を交わしたい、どうか誰にもきづかれず看さだめてきてくれないか。
相見時難別亦難、 相見る時難く別(わか)れるも亦難し、
東風無力百花残。 東風は力無く百花 残(そこ) なう。
春蚕到死絲方盡、 春蚕 死に到たりて、糸方に尽き、
蝋炬成灰涙始乾。 蝋炬 灰と成り、涙 始めて乾く。
暁鏡但愁雲鬢改、 暁鏡に 但 愁 雲鬢を改め、
夜吟應覚月光寒。 夜に吟ず 応に覚える、月光の寒
蓬山此去無多路、 蓬山 此より去ること多路無し、
青鳥殷勤為探看。 青鳥 殷勤 探り看ることう為さん。
春の蚕が死ぬその時まで細く美しい絹糸を吐き続けるように、私の思いはいつまでも細細と続いている、
たらたらと雫を垂れる蝋燭が、燃え尽きてすっかり灰になりきるまで、蝋の涙を流しつづけるように、別れの悲しみはこの身の果てるまで続けてく。
あなたはどうしているのか? 朝の化粧をしようとして、鏡に姿をうつしながら、雲鬢の黒髪をきちんと整える。
夜には、私の贈った詩を吟じながら、月光の寒々とした景色に、秋を感じて悲しむことだろう。
蓬莱山の仙人の住む至楽の園は、私のいまいる所から、何ほどの距離もない。別れねばならぬとはいえ、
あなたは同じ都の中にいる。
恋の使いをするという青い鳥よ。せめて彼女と情を交わしたい、どうか誰にもきづかれず看さだめてきてくれないか。
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