瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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  無題 李商隠
来是空言去絶踪  来るはこれ空言(くうげん) 去って踪(あと)を絶つ
月斜楼上五更鐘  月は楼上に斜めなり 五更(ごこう)の鐘
夢為遠別啼難喚  夢は遠別をなし 啼けども喚(さけ)び難(がた)し
書被催成墨未濃  書は催(うな)が被(さ)れて成り 墨は未(いま)だ濃からず
蝋照半籠金翡翠  蝋照(ろうしょう) 半ば籠(かげ)む 金翡翠(きんひすい)
麝熏微度繍芙蓉  麝熏(じゃくん) 微(かす)かにわたる 繍芙蓉(しゅうふよう)
劉郎已恨蓬山遠  劉郎(りゅうろう)すでに恨む 蓬山の遠きを
更隔蓬山一万重  更(さら)に隔(へだ)つ 蓬山一万重
 
225d32c7.JPG〈訳〉来るというのは嘘 いってしまえばあとかたもない
   楼上に月が傾いて 五更〈夜明けに近い時刻〉を告げる鐘の声
   はるかに隔てた身ゆえ 泣いて呼んでも会えぬ夢の中
   心せくままに書く手紙の墨の色はまだ薄い
   蝋燭のあかりの半ばかげった衾に金糸の翡翠
   蘭麝の香りがかすかに流れる屏風は蓮華の模様
   劉郎さえ蓬莱山の遠さを恨んだものを
   わが思う人は蓬莱から一万の山を越えた彼方
 
 ここにいう劉郎とは、天台山に入って仙女に会ったという劉晨のこと。この詩では、天台山が蓬莱山と言い換えてある。いずれにせよ、叶えられぬ恋の嘆きを詠ったものであろう。
 
幽明録 『天台神女』  劉宋 劉義慶
漢明帝永平五年、剡縣劉晨、阮肇共入天台山取谷皮、迷不得返。經十三日、糧食乏盡、饑餒殆死。遙望山上、有一桃樹、大有子實;而絕岩邃澗、永無登路。攀援藤葛、乃得至上。各啖數枚、而饑止體充。復下山、持杯取水、欲盥漱。見蕪菁葉從山腹流出、甚鮮新、復一杯流出、有胡麻飯糝、相謂曰︰“此知去人徑不遠。”便共沒水、逆流二三里、得度山、出一大溪、溪邊有二女子、姿質妙絕、見二人持杯出、便笑曰︰“劉阮二郎、捉向所失流杯來。”晨肇既不識之、縁二女便呼其姓、如似有舊、乃相見忻喜。問︰“來何晚邪?”因邀還家。其家銅瓦屋。南壁及東壁下各有一大床、皆施絳羅帳、帳角懸鈴、金銀交錯、床頭各有十侍婢、敕云︰“劉阮二郎、經涉山、向雖得瓊實、猶尚虛弊、可速作食。”食胡麻飯、山羊脯、牛肉、甚甘美。食畢行酒、有一群女來、各持五三桃子、笑而言︰“賀汝婿來。”酒酣作樂、劉阮欣怖交並。至暮、令各就一帳宿、女往就之、言聲清婉、令人忘憂。至十日後欲求還去、女云︰“君已來是、宿福所牽、何復欲還邪?”遂停半年。氣候草木是春時、百鳥啼鳴、更懷悲思、求歸甚苦。女曰︰“罪牽君、當可如何?”遂呼前來女子、有三四十人、集會奏樂、共送劉阮、指示還路。既出、親舊零落、邑屋改異、無復相識。問訊得七世孫、傳聞上世入山、迷不得歸。至晉太元八年、忽復去、不知何所。
〈訳〉
b331e22b.JPG 漢の明帝の永平五年のことである。剡(えん)県の劉晨と阮肇は楮(こうぞ)の樹皮を採るため一緒に天台山に入ったが、迷って戻れなくなった。十三日過ぎると食料も尽き、餓死せんばかりになったが、遠くの山上に一本の桃の樹があり、多くの実がなっているのが見えた。岩は切り立ち谷川は奥深く、登るための道は全く無かったが、葛の蔓に縋りながらよじ登っていくことで、上まで辿り着くことができた。幾つか食べると空腹は収まり満足したので、山を下り戻り、椀で水を掬って手や口を濯ごうとしたが、見ると、青々とした蕪(かぶら)の葉が山腹から流れ出てくる。さらに椀も一つ流れ出てきたが、その中には胡麻と飯粒が入っていた。二人は「これは、人のいる所から遠くないと云うことだぞ」と言い合って、ともに水に入り、流れに逆らいながら二・三里ほどいくと、山を越えることができて、大きな渓流に出た。そのほとりには、たとえようもなく容姿の優れた女が二人いて、劉晨と阮肇が椀を持ってやってくるのを見るや、笑って「流してしまったお椀を、劉さんと阮さんのお二人がすぐに持って来てくれたわ」と言った。劉と阮には理由が分からなかったが、旧知の中のように二人の女は姓を呼び、そして逢えたことを大いに喜んだのである。二人の女が、「今晩いらっしゃらない?」と聞いてきたので、劉と阮は、招待に応じて女たちの家に附いて行くのだった。その家の屋根は銅葺きで、南の壁と東の壁の下には各々大きな寝床があって、それぞれの寝床には、角に鈴が付いていて金銀入交じりの縫い取りのある紅絹(もみ)の帳(とばり)が懸けてあった。枕頭には、それぞれ侍女が十人控えていたが、そのものたちに「劉さんと阮さんのお二人は、険しい山中を通って来られたのです。桃の実を食べたばかりですけれど、まだお疲れで身体が弱っておいでです。急いでお食事を作りなさい」と命じた。食事には、胡麻餅、山羊肉の干したもの、牛肉が出て、はなはだ美味であった。食事が了わると、酒が出された。各々数個の桃の実を持った女達が現われ、笑いながら言うには「貴女に御婿さんが出来ておめでとう。」酒がすすんで朗らかになり、劉と阮は、喜びと怖れとを交々味わったのである。日が暮れると、劉と阮は、それぞれ寝床に寝かされた。女も床をともにしたのだが、その言葉とその声は清らかで淑やかであり、人をして憂いを忘れしめるものだった。十日が過ぎて、帰ろうとすると、女は「貴方が此処にいらしたのは、前世からの果報が貴方を此処に引き寄せたのです。どうして帰ろうなどとするのですか?」と言うので、半年の間留まった。気候も草木も春となったことを示し、さまざまな鳥が鳴いて、望郷の想いは更に募り、帰りたいと云う気持ちがひどく苛まれるようになった。女は言った。「罪業が貴方を牽いていくのだから如何しようもないわ。」ついに女は以前来た女達を呼ぶと、三・四十人が集まって、音楽を演奏して、一緒に劉と阮とを見送り、帰り方を教えるのであった。帰ってみると、親戚友人は零落しており、町の家々は別のものに替っていて、知人もいなかった。問いたずねて、七代目の子孫が、先祖が山の中に入り、迷って返って来れなかったと云う話を伝え聞いていることを知った。晋の太元八年になって、再び忽然と姿を消したが、どこに行ったかは分からなかった。
 
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1932/02/04
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