瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
To Autumn
John Keats
Season of mists and mellow fruitfulness,
Close bosom-friend of the maturing sun;
Conspiring with him how to load and bless
With fruit the vines that round the thatch-eves run;
To bend with apples the moss'd cottage-trees,
And fill all fruit with ripeness to the core;
To swell the gourd, and plump the hazel shells
With a sweet kernel; to set budding more,
And still more, later flowers for the bees,
Until they think warm days will never cease,
For summer has o'er-brimm'd their clammy cells.
Who hath not seen thee oft amid thy store?
Sometimes whoever seeks abroad may find
Thee sitting careless on a granary floor,
Thy hair soft-lifted by the winnowing wind;
Or on a half-reap'd furrow sound asleep,
Drows'd with the fume of poppies, while thy hook
Spares the next swath and all its twined flowers:
And sometimes like a gleaner thou dost keep
Steady thy laden head across a brook;
Or by a cyder-press, with patient look,
Thou watchest the last oozings hours by hours.
Where are the songs of spring? Ay, where are they?
Think not of them, thou hast thy music too, -
While barred clouds bloom the soft-dying day,
And touch the stubble-plains with rosy hue;
Then in a wailful choir the small gnats mourn
Among the river sallows, borne aloft
Or sinking as the light wind lives or dies;
And full-grown lambs loud bleat from hilly bourn;
Hedge-crickets sing; and now with treble soft
The red-breat whistles from a garden-croft;
And gathering swallows twitter in the skies.
クリックして、原語での朗読を聴かれたし。
http://benwhishaw.blog131.fc2.com/blog-entry-115.html
〈訳〉 秋に寄せるうた
出口 保夫
霧と熟れたる豊穣(ほうじょう)の季節よ
恵みあふれる太陽の親しい友だちよ。
葉のひさしに捲(ま)き付いた葡萄(ぶどう)づるには重い房を
どんなに垂れ下げようかと、おまえは太陽と語らいたくらむ
苔むした納屋の古木(こぼく)には林檎(りんご)をたわわに実らせ、
すべての果物をその芯にまで熟れさせようとする、
またひょうたんを膨らまし、そして蜜蜂たちには
遅れ咲きの花をもっともっと開かせようとする。
夏が蜜蜂の巣の蜜房にねばねばと満ちていて、
暖かい日々の終わることがないだろうと思うまで。
誰が収穫のときにしばしばおまえを見かけなかったであろう。
ときおりおまえをあちこち捜したものなら、
おまえが穀倉の床のうえで吹き過ぎる
風に髪をゆるやかになぶらせて、
ただぼんやりと坐っているのを見かけたものだ。
あるいは半ば刈りとられた畝(うね)で
芥子(けし)の匂いに眠気を催し、
いっぽうおまえの鎌は、次の麦株と絡まる
花々を惜しんでぐっすりと寝入っている。
またときおりおまえは落穂(おちぼ)拾いの人のように
花をのせた頭を辛抱づよい目差し(まなざし)で
果物搾りから落ちる
春の歌ごとはどこに行ったのであろう。
ああ、いまはどこに。
そのことを思うてはならぬ、おまえには
おまえの歌がある-
たなびく雲は紅(あか)く沈まんとする夕陽(ゆうひ)に映(は)え、
薔薇色に切株の畑を染めるとき、
ちいさな羽虫のむれはかわやなぎの枝のなかで
かろやかな風が立ちまたやんだりするままに
高く運ばれあるいは低く降りたりしながら
哀しげにうたう、
生長した仔羊(こひつじ)がむこうの丘から啼(な)きつつやってくる。
垣根のこおろぎが鳴く、そしていま菜園に駒鳥が美しいソプラノで囀(さえず)る。
また空には。南に帰る燕のむれが囀っている。
ジョン・キーツ (John Keats, 1795~1821年)
ロンドンで貸馬車屋を経営する父親の下に生まれたロマン派詩人。幼い頃に両親と死別し、親交の深かった貴族出身のシェリー(P. B. Shelley)やバイロン(George Gordon Byron)とは違い、大学教育を受けることはできなかった。しかし、Aeneid の翻訳やスペンサー(Edmund Spenser)の作品など多くの本に夢中になり、1817年には最初の詩集を発表した。その4年後1821年、25歳という若さで結核のために生涯を閉じた。
訳者の 出口 保夫(でぐち やすお、1929年~ )は、英文学者、英国文化研究家、早稲田大学名誉教授。
John Keats
Season of mists and mellow fruitfulness,
Close bosom-friend of the maturing sun;
Conspiring with him how to load and bless
With fruit the vines that round the thatch-eves run;
To bend with apples the moss'd cottage-trees,
And fill all fruit with ripeness to the core;
To swell the gourd, and plump the hazel shells
With a sweet kernel; to set budding more,
And still more, later flowers for the bees,
Until they think warm days will never cease,
For summer has o'er-brimm'd their clammy cells.
Who hath not seen thee oft amid thy store?
Sometimes whoever seeks abroad may find
Thee sitting careless on a granary floor,
Thy hair soft-lifted by the winnowing wind;
Or on a half-reap'd furrow sound asleep,
Drows'd with the fume of poppies, while thy hook
Spares the next swath and all its twined flowers:
And sometimes like a gleaner thou dost keep
Steady thy laden head across a brook;
Or by a cyder-press, with patient look,
Thou watchest the last oozings hours by hours.
Where are the songs of spring? Ay, where are they?
Think not of them, thou hast thy music too, -
While barred clouds bloom the soft-dying day,
And touch the stubble-plains with rosy hue;
Then in a wailful choir the small gnats mourn
Among the river sallows, borne aloft
Or sinking as the light wind lives or dies;
And full-grown lambs loud bleat from hilly bourn;
Hedge-crickets sing; and now with treble soft
The red-breat whistles from a garden-croft;
And gathering swallows twitter in the skies.
クリックして、原語での朗読を聴かれたし。
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〈訳〉 秋に寄せるうた
出口 保夫
霧と熟れたる豊穣(ほうじょう)の季節よ
恵みあふれる太陽の親しい友だちよ。
葉のひさしに捲(ま)き付いた葡萄(ぶどう)づるには重い房を
どんなに垂れ下げようかと、おまえは太陽と語らいたくらむ
苔むした納屋の古木(こぼく)には林檎(りんご)をたわわに実らせ、
すべての果物をその芯にまで熟れさせようとする、
またひょうたんを膨らまし、そして蜜蜂たちには
遅れ咲きの花をもっともっと開かせようとする。
夏が蜜蜂の巣の蜜房にねばねばと満ちていて、
暖かい日々の終わることがないだろうと思うまで。
誰が収穫のときにしばしばおまえを見かけなかったであろう。
ときおりおまえをあちこち捜したものなら、
おまえが穀倉の床のうえで吹き過ぎる
風に髪をゆるやかになぶらせて、
ただぼんやりと坐っているのを見かけたものだ。
あるいは半ば刈りとられた畝(うね)で
芥子(けし)の匂いに眠気を催し、
いっぽうおまえの鎌は、次の麦株と絡まる
花々を惜しんでぐっすりと寝入っている。
またときおりおまえは落穂(おちぼ)拾いの人のように
花をのせた頭を辛抱づよい目差し(まなざし)で
果物搾りから落ちる
春の歌ごとはどこに行ったのであろう。
ああ、いまはどこに。
そのことを思うてはならぬ、おまえには
おまえの歌がある-
たなびく雲は紅(あか)く沈まんとする夕陽(ゆうひ)に映(は)え、
薔薇色に切株の畑を染めるとき、
ちいさな羽虫のむれはかわやなぎの枝のなかで
かろやかな風が立ちまたやんだりするままに
高く運ばれあるいは低く降りたりしながら
哀しげにうたう、
生長した仔羊(こひつじ)がむこうの丘から啼(な)きつつやってくる。
垣根のこおろぎが鳴く、そしていま菜園に駒鳥が美しいソプラノで囀(さえず)る。
また空には。南に帰る燕のむれが囀っている。
ジョン・キーツ (John Keats, 1795~1821年)
訳者の 出口 保夫(でぐち やすお、1929年~ )は、英文学者、英国文化研究家、早稲田大学名誉教授。
Chant d'Automne〈秋の歌〉
Charles Baudelaire 詩
永井 荷風 訳
一 吾等忽ちに寒さの闇に陥らん、
夢の間なりき、強き光の夏よ、さらば。
われ既に聞いて驚く、中庭の敷石に、
落つる木片のかなしき響。
冬の凡ては ー 憤怒と憎悪、戦慄と恐怖や、
又強ひられし苦役はわが身の中に帰り来る。
北極の地獄の日にもたとえなん、
わが心は凍りて赤き鐵の破片よ。
をののぎてわれ聞く木片の落つる響は、
断頭台を人築く音なき音にも増(まさ)りたり。
わが心は重くして疲れざる
戦士の槌の一撃に崩れ倒るる観楼かな。
かかる惰き音に揺られ、何処にか、
いとも忙しく柩の釘を打つ如き・・・・そは、
昨日と逝きし夏の為め。秋來ぬと云ふ
この怪しき聲は宛(さなが)らに、死せる者送出す鐘と聞かずや。
二 長き君が眼の緑の光のなつかしし。
いと甘かりし君が姿など今日の我には苦き。
君が情も、暖かき火の辺や化粧の室も、
今の我には海に輝く日に如かず。
さりながら我を憐れめ、やさしき人よ。
母の如かれ、忘恩の輩、ねぢけしものに。
恋人か将た妹か。うるはしき秋の栄や、
又沈む日の如、束の間の優しさ忘れそ。
定業は早し。貪る墳墓はかしこに待つ。
ああ君が膝にわが額を押し当てて、
暑くして白き夏の昔を嘆き、
軟くして黄き晩秋の光を味はしめよ。
永井荷風著『珊瑚集より』
Charles Baudelaire(シャルル・ボードレール1821~1867) は19世紀フランス文学を代表する詩人たるに留まらず、その影響は19世紀後半以降のフランス文学を超えて、世界中に及んだという。とりわけ19世紀末の世界の詩人たちをひきつけたデカダンスの文学はことごとく、ボードレールの落とし子だったという。
20世紀にはいっても、ボードレールの影響はいっそう力を発揮した。彼の作品を彩る退廃への嗜好が、殺戮に明け暮れた時代の雰囲気にマッチしたためだという。ボードレールは特異な現象ではなく、世界が堕落して人間が腐敗するとき、その死臭の中からボードレールの物憂き声が聞こえてくるのである。
永井 荷風(ながい かふう、1879~1959年)は、1910年、森鴎外と上田敏の推薦で慶應義塾大学文学部の主任教授となり、このころ八面六臂の活躍を見せ、木下杢太郎らのパンの会に参加して谷崎潤一郎を見出だしたり、訳詩集『珊瑚集』の発表、雑誌『三田文学』を創刊し谷崎や泉鏡花の創作の紹介などを行っている。
『珊瑚集』は,フランス詩の翻訳38篇とフランス文学関係の翻訳や諸文章9篇を集めて、大正2年4月に出版された,荷風のフランス関係の書物としては最初のまとまった作品であるという。上田敏の『海潮音』と並んで当時の人々に、遠くフランスの息吹を伝える清新な書物として、強い印象と大きな影響を与えたものである。当時のフランス詩壇の概観を日本に伝えようとして企てられた訳詩集ではなく、荷風が深く自分の琴線に触れた作品を選んでは、折にふれ訳出したのがこの訳詩集だったのだという。
Charles Baudelaire 詩
永井 荷風 訳
一 吾等忽ちに寒さの闇に陥らん、
夢の間なりき、強き光の夏よ、さらば。
われ既に聞いて驚く、中庭の敷石に、
落つる木片のかなしき響。
冬の凡ては ー 憤怒と憎悪、戦慄と恐怖や、
又強ひられし苦役はわが身の中に帰り来る。
北極の地獄の日にもたとえなん、
わが心は凍りて赤き鐵の破片よ。
をののぎてわれ聞く木片の落つる響は、
断頭台を人築く音なき音にも増(まさ)りたり。
わが心は重くして疲れざる
戦士の槌の一撃に崩れ倒るる観楼かな。
かかる惰き音に揺られ、何処にか、
いとも忙しく柩の釘を打つ如き・・・・そは、
昨日と逝きし夏の為め。秋來ぬと云ふ
この怪しき聲は宛(さなが)らに、死せる者送出す鐘と聞かずや。
二 長き君が眼の緑の光のなつかしし。
いと甘かりし君が姿など今日の我には苦き。
君が情も、暖かき火の辺や化粧の室も、
今の我には海に輝く日に如かず。
さりながら我を憐れめ、やさしき人よ。
母の如かれ、忘恩の輩、ねぢけしものに。
恋人か将た妹か。うるはしき秋の栄や、
又沈む日の如、束の間の優しさ忘れそ。
定業は早し。貪る墳墓はかしこに待つ。
ああ君が膝にわが額を押し当てて、
暑くして白き夏の昔を嘆き、
軟くして黄き晩秋の光を味はしめよ。
永井荷風著『珊瑚集より』
20世紀にはいっても、ボードレールの影響はいっそう力を発揮した。彼の作品を彩る退廃への嗜好が、殺戮に明け暮れた時代の雰囲気にマッチしたためだという。ボードレールは特異な現象ではなく、世界が堕落して人間が腐敗するとき、その死臭の中からボードレールの物憂き声が聞こえてくるのである。
『珊瑚集』は,フランス詩の翻訳38篇とフランス文学関係の翻訳や諸文章9篇を集めて、大正2年4月に出版された,荷風のフランス関係の書物としては最初のまとまった作品であるという。上田敏の『海潮音』と並んで当時の人々に、遠くフランスの息吹を伝える清新な書物として、強い印象と大きな影響を与えたものである。当時のフランス詩壇の概観を日本に伝えようとして企てられた訳詩集ではなく、荷風が深く自分の琴線に触れた作品を選んでは、折にふれ訳出したのがこの訳詩集だったのだという。
秋刀魚の歌
佐藤 春夫
あはれ
秋風よ
情(こころ」あらば
伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉(ゆうげ)に
ひとりさんまを食(くら)ひて
思ひにふけると。
さんま、さんま、
そが上に青き蜜柑(みかん)の酸(す」を したたらせて
さんまを食ふはその男がふる里の ならひなり。
そのならひを あやしみ なつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎ来て 夕げにむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする 人妻と
妻にそむかれたる男と食卓に むかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男に さんまの 腸はらをくれむと 言ふにあらずや。
あはれ
秋風よ
汝(なれ)こそは 見つらめ
世のつねならぬ団欒(まどゐ)を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証(あかし)せよ かの一ときの団欒(まどゐ) ゆめに非ずと。
あはれ
秋風よ
情(こころ)あらば 伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児(をさなご)とに伝へてよ
―男ありて
今日の夕げに ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。
さんま、さんま、
さんま苦いか 塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて さんまを食ふは
いづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは 問はまほしくをかし。
「秋刀魚の歌」は大正デモクラシーから昭和初期、当時の文壇の寵児、谷崎潤一郎の妻千代と佐藤春夫の不倫に始まり、ついには兄弟同様の付き合いであった潤一郎と佐藤春夫が絶交してしまうというどろどろとした関係が背景になっている。詩中「あはれ、人に捨てられんとする人妻」とはその頃 夫、潤一郎に疎んじられていた妻千代の事を指し、「妻に背かれたる男と食卓にむかへば」は以前に妻と離婚していた佐藤春夫を指している。後日両者は和解し、昭和5(1930)年8月18日3人連名で声明文を出し、「…我ら3人はこの度合議をもって千代は潤一郎と離別いたし、春夫と結婚することと相成り、潤一郎娘鮎子は母と同居いたすべく…」となるわけであるが、明治からまだ間もない大正時代の出来事としては当時の人々の耳目をあつめ、「細君譲渡事件」として余りにも有名な話である。
10日(土)に大分のM氏より、カボスが届いた。毎年この時期に郷土の味覚として送ってくださる。今年はまた一段と粒の揃った立派なものであった。
本日は仲秋の十五夜の日、旧暦では8月15日。六曜は月の数と日の数の和を6で割り、その余りによって決まる。割り切れる場合は「大安」、余りが1なら「赤口」、2なら「先勝」、3なら「友引」、4なら「先負」、5なら「仏滅」となる。従って旧暦8月15日は (8+15)÷6=3余り5 となって、「仏滅」なのである。「仏滅名月」といわれている由縁である。
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中秋月 中秋の月
蘇軾
暮雲収盡溢清寒 暮雲 収め尽くして清寒溢れ
銀漢無聲轉玉盤 銀漢 声無く 玉盤を転ず
此生此夜不長好 此の生 此の夜 長くは好からず
明月明年何處看 明月 明年 何れ(いずれ)の処にて看ん
〈訳〉日暮れ時、雲はすっかり無くなり、心地よい涼風が吹いている。
銀河には音も無く玉の盆のような月があらわれた。
こんな楽しい人生、楽しい夜、しかし永遠に続くものでは無い。
来月は、来年は、どこでこの中秋の月を見ているだろう。
Dem aufgehenden Vollmonde (満月上昇)
詩:Johann Wolfgang von Goethe
訳:大山 定一
Willst du mich sogleich verlassen!
Warst im Augenblick so nah!
Dich umfinstern Wolkenmassen,
Und nun bist du gar nicht da.
Doch du fühlst, wie ich betrübt bin,
Blickt dein Rand herauf als Stern!
Zeugest mir, daß ich geliebt bin,
Sei das Liebchen noch so fern.
So hinan denn! hell und heller,
Reiner Bahn, in voller Pracht!
Schlägt mein Herz auch schmerzlich schneller,
Überselig ist die Nacht.
満月に
おまえはすげなく僕を見すてるのか
ほのぼのとさし出た明るい顔に
ふと白雲の一団がかかるとみるまに
お前の姿はもうきえている
おまえはしかし僕の心の切なさを感じるらしい
ふたたび雲間からそっとおまえの顔が星影のようにさしのぞく
とおく離れた恋人が
ひそやかに僕を思うあかしのように
さやかにふたたび押し照らす
玲瓏の月のひかり
僕の胸は切なさに波立ちながら
ひとり天心にさしのぼった満月をながめている
1828年8月25日、ドルンブルクでの作。ゲーテはこの詩を清書してマリアンネ・フォン・ウィレマー(1784~1860年)に贈った。満月の夜には、たとえ遠く離れていても、互いに思いを込めて相手を偲ぼうというのが、愛する二人の固い誓約であった。
本日は仲秋の十五夜の日、旧暦では8月15日。六曜は月の数と日の数の和を6で割り、その余りによって決まる。割り切れる場合は「大安」、余りが1なら「赤口」、2なら「先勝」、3なら「友引」、4なら「先負」、5なら「仏滅」となる。従って旧暦8月15日は (8+15)÷6=3余り5 となって、「仏滅」なのである。「仏滅名月」といわれている由縁である。
中秋月 中秋の月
蘇軾
暮雲収盡溢清寒 暮雲 収め尽くして清寒溢れ
銀漢無聲轉玉盤 銀漢 声無く 玉盤を転ず
此生此夜不長好 此の生 此の夜 長くは好からず
明月明年何處看 明月 明年 何れ(いずれ)の処にて看ん
銀河には音も無く玉の盆のような月があらわれた。
こんな楽しい人生、楽しい夜、しかし永遠に続くものでは無い。
来月は、来年は、どこでこの中秋の月を見ているだろう。
Dem aufgehenden Vollmonde (満月上昇)
詩:Johann Wolfgang von Goethe
訳:大山 定一
Willst du mich sogleich verlassen!
Warst im Augenblick so nah!
Dich umfinstern Wolkenmassen,
Und nun bist du gar nicht da.
Doch du fühlst, wie ich betrübt bin,
Blickt dein Rand herauf als Stern!
Zeugest mir, daß ich geliebt bin,
Sei das Liebchen noch so fern.
So hinan denn! hell und heller,
Reiner Bahn, in voller Pracht!
Schlägt mein Herz auch schmerzlich schneller,
Überselig ist die Nacht.
満月に
おまえはすげなく僕を見すてるのか
ほのぼのとさし出た明るい顔に
ふと白雲の一団がかかるとみるまに
お前の姿はもうきえている
おまえはしかし僕の心の切なさを感じるらしい
ふたたび雲間からそっとおまえの顔が星影のようにさしのぞく
とおく離れた恋人が
ひそやかに僕を思うあかしのように
さやかにふたたび押し照らす
玲瓏の月のひかり
僕の胸は切なさに波立ちながら
ひとり天心にさしのぼった満月をながめている
東日本大震災から今日は丁度半年目、期せずしてアメリカ同時多発テロから10年目だという。新聞には愚かな大臣の不用意発言で辞任した記事が大きく扱われている。いやはや現在の世の中何処かしら狂っているのではなかろうか?
昨日のshinさんのコメント「教師の日」を見て、中国での教師の日の実情をウェブニュースで調べてみた。
過熱する教師への贈り物合戦、旅行で親密作戦も ―― 2011年8月28日、新民晩報によると、近年、中国の多くの家庭では教育の質を重視しており、子供を名門小学校に入学させるだけでなく、教師から特別な関心や重点的な指導を受けさせるため、保護者の中には競って教師に高価な贈り物をする現象が起きている。中国新聞社が伝えた。/昨今、子供を特別扱いして欲しい保護者から教師への贈り物合戦が激化している。一部では入学前から、担任する教師に500~2000元(約6000~2万4000円)相当のギフトカードや交通カード、現金などを準備している家庭もあるという。/以前は贈り物の多くが花や年賀状、カレンダーなどささやかな物だったが、近年ではその内容も高価で多種多様になっている。中秋節や9月10日の教師節(教師の日)など季節の行事に合わせた、高級月餅、ギフト券、交通カードなどのほか、女性教師には高級化粧品やハンドバッグなども贈られるという。/一部の保護者は万策を講じて教師と親しくなろうと必死だ。中間、期末テストの前になると国語、数学、外国語科目の教師をレストランに招待し、食後に贈り物をしたり、裕福な家庭は夏休みの度に担任教師のために海南島、香港、シンガポール、マレーシア、タイなどへの旅行を計画する者もいる。/教育界の有識者は、高価な贈り物を受け取る行為は教師のモラルが低下していることの表れであり、手本となる教育者のイメージを壊すことになり、生徒の教育にとって不利だとの見解を示した。教育主管部門や学校の指導者もこの問題を重視しており、教師のモラル教育は重要課題となっている。(翻訳・編集/若林亜希) 2011-08-30 13:37:52 配
クリックして次の動画ニュースもご覧あれ。
http://www.youtube.com/watch?v=0s09IYvAdSk
不尚賢,使民不爭;不貴難得之貨,使民不為盜;不見可欲,使心不亂。是以聖人之治,虛其心,實其腹,弱其志,強其骨。常使民無知無欲。使夫1知者不敢為也。為無為,則無不治。 (老子第三章)
賢(けん)を尚(たっと)ばざれば、民をして争(あらそ)わざらしむ。得難(がた)きの貨を貴(たっと)ばざれば、民をして盗(とう)をなさざらしむ。欲(ほっ)すべきを見(しめ)さざれば、民の心(こころ)をして乱(みだ)れざらしむ。ここをもって聖人(せいじん)の治は、その心(こころ)を虚(むな)しくし、その腹を実(み)たし、その志(こころざし)を弱くし、その骨を強くす。常(つね)に民をして無知無欲ならしめ、かの知者(ちしゃ)をしてあえてなさざらしむ。無為をなせば、すなわち治(おさ)まらざるなし。
(訳)才能すぐれた者を抜擢するということをやめるなら人民の間で競争はなくなるであろう。手に入りにくい珍しい品を貴重とすることをやめるなら、人民の間で盗みを働く者はなくなるであろう。欲望を刺激する物が目に入らないようにすれば人民の心は乱されなくなるであろう。それ故、聖人の政治では、人民の心をむなしくして、その腹を満たしてやり、人民の志望を弱くして、その筋骨を強固にしてやり、いつも人民を知識もなく欲望もない状態にならせて、あの知恵者たちもどうしようもないようにさせるのである。「無為」の(すなわち、ことさら何もしない)政治をしておれば、万事うまく治まるのだ。
イギリスの詩人John Donne(ジョン・ダン)の蚤と題する詩は、1635年版の冒頭におかれた。蚤を介して二人の血が結ばれたことを材料に、本物の肉の結びつきを迫る恋の歌である。相手の女性が誰であるかははっきりしないが、生涯唯一の妻、アン・モアだった可能性は高い。John DonneがAnne More(アン・モア)と出会ったのは、がまだ十六・七歳の頃であり、Anneには厳格な父親がいた。だからJohn Donneはそう簡単にはAnneと結ばれることは出来なかった。そこでこんなトリックを使って、アンを誘ったことと考えられるのである。
THE FLEA.
by John Donne
MARK but this flea, and mark in this,
How little that which thou deniest me is ;
It suck'd me first, and now sucks thee,
And in this flea our two bloods mingled be.
Thou know'st that this cannot be said
A sin, nor shame, nor loss of maidenhead ;
Yet this enjoys before it woo,
And pamper'd swells with one blood made of two ;
And this, alas ! is more than we would do.
O stay, three lives in one flea spare,
Where we almost, yea, more than married are.
This flea is you and I, and this
Our marriage bed, and marriage temple is.
Though parents grudge, and you, we're met,
And cloister'd in these living walls of jet.
Though use make you apt to kill me,
Let not to that self-murder added be,
And sacrilege, three sins in killing three.
Cruel and sudden, hast thou since
Purpled thy nail in blood of innocence?
Wherein could this flea guilty be,
Except in that drop which it suck'd from thee?
Yet thou triumph'st, and say'st that thou
Find'st not thyself nor me the weaker now.
'Tis true ; then learn how false fears be ;
Just so much honour, when thou yield'st to me,
Will waste, as this flea's death took life from thee.
〈訳〉
この蚤を見てごらん こいつにとっては
君が僕を拒絶したことなど 何の意味もないのだ
こいつはまず僕の血を吸い ついで君の血を吸った
こいつの中で僕らの血は混ざり合ったのだ
わかるだろうこれは 別に罪でもなく
恥でもなく 貞操が失われたわけでもない
こいつは求愛もしないうちからお楽しみ
僕ら二人の血を吸って丸々と太っている
僕らができないことをまんまとしでかして!
助けておやりよ 蚤には三つの命があるのだから
蚤のおかげで僕らは結びついたんじゃないか
こいつは君でもあるし 僕でもある
こいつは僕らの新床でかつ 教会だ
親たちがなんと言おうと 君が嫌がろうと
こいつの黒い体の中で僕らは結ばれたんだ
こいつを殺すのは僕を殺すこと
また君自身を殺すことでもある
こいつを殺せば三つの罪を犯すのだよ
ああなんということだ 君はもう
こいつの血で爪を赤く染めてしまったのか
この蚤に何の罪があるというのだ
君の血をちょっぴり吸っただけではないか
なのに気味は誇らしげに笑っていう
私もあなたも大したことはなかったのよと
そうかもね でもそれなら恐れることはない
君が僕に身を任せても こいつが君から
奪った命ほど 名誉が損なわれることもないのだから
ジョン・ダン (John Donne) 1572-1631
熱心なカトリックの家に生まれる。12歳でオクスフォード大学に入学、後にケンブリッジ大学に学ぶ。これは宗教上の理由からであり、その同じ理由で学位をとらず、ロンドンの法学院に移る。この頃「御婦人達や劇場をさかんに訪れた」といわれている。またおそらくは弟の獄死などから宗教的な危機をも経験したと思われる。ヨーロッパ各地を旅行し、エセックス伯のカディス遠征にも参加したらしい。1598年国璽尚書サー・トマス・エジャートンの秘書となり、輝かしい未来が期待されていたが、エジャートンの親戚のアン・モアと恋に落ち、密かに結婚する(1601)。これが父親のサー・ジョージ・モアの怒りを買い、その訴えで一時投獄までされる。このため職を失い、ダンの輝かしい未来は瓦解する。以後しばらく友人の庇護に頼る失意の生活を送る。この間貴族のパトロンを求め、彼らによって猟官運動をするが実らず。しかしジェイムズ1世がダンの聖職者としての能力を認め、その意向で15年英国国教会の聖職者となる。21年セント・ポール寺院の主席司祭(dean)となり、当時のもっとも有名な説教者となる。伝記作家のウオルトンによれば、死を予感したダンは棺の中に立ち死装束に身を包んだ自らの姿を描かせた、という。
昨日のshinさんのコメント「教師の日」を見て、中国での教師の日の実情をウェブニュースで調べてみた。
クリックして次の動画ニュースもご覧あれ。
http://www.youtube.com/watch?v=0s09IYvAdSk
不尚賢,使民不爭;不貴難得之貨,使民不為盜;不見可欲,使心不亂。是以聖人之治,虛其心,實其腹,弱其志,強其骨。常使民無知無欲。使夫1知者不敢為也。為無為,則無不治。 (老子第三章)
賢(けん)を尚(たっと)ばざれば、民をして争(あらそ)わざらしむ。得難(がた)きの貨を貴(たっと)ばざれば、民をして盗(とう)をなさざらしむ。欲(ほっ)すべきを見(しめ)さざれば、民の心(こころ)をして乱(みだ)れざらしむ。ここをもって聖人(せいじん)の治は、その心(こころ)を虚(むな)しくし、その腹を実(み)たし、その志(こころざし)を弱くし、その骨を強くす。常(つね)に民をして無知無欲ならしめ、かの知者(ちしゃ)をしてあえてなさざらしむ。無為をなせば、すなわち治(おさ)まらざるなし。
(訳)才能すぐれた者を抜擢するということをやめるなら人民の間で競争はなくなるであろう。手に入りにくい珍しい品を貴重とすることをやめるなら、人民の間で盗みを働く者はなくなるであろう。欲望を刺激する物が目に入らないようにすれば人民の心は乱されなくなるであろう。それ故、聖人の政治では、人民の心をむなしくして、その腹を満たしてやり、人民の志望を弱くして、その筋骨を強固にしてやり、いつも人民を知識もなく欲望もない状態にならせて、あの知恵者たちもどうしようもないようにさせるのである。「無為」の(すなわち、ことさら何もしない)政治をしておれば、万事うまく治まるのだ。
THE FLEA.
by John Donne
MARK but this flea, and mark in this,
How little that which thou deniest me is ;
It suck'd me first, and now sucks thee,
And in this flea our two bloods mingled be.
Thou know'st that this cannot be said
A sin, nor shame, nor loss of maidenhead ;
Yet this enjoys before it woo,
And pamper'd swells with one blood made of two ;
And this, alas ! is more than we would do.
O stay, three lives in one flea spare,
Where we almost, yea, more than married are.
This flea is you and I, and this
Our marriage bed, and marriage temple is.
Though parents grudge, and you, we're met,
And cloister'd in these living walls of jet.
Though use make you apt to kill me,
Let not to that self-murder added be,
And sacrilege, three sins in killing three.
Cruel and sudden, hast thou since
Purpled thy nail in blood of innocence?
Wherein could this flea guilty be,
Except in that drop which it suck'd from thee?
Yet thou triumph'st, and say'st that thou
Find'st not thyself nor me the weaker now.
'Tis true ; then learn how false fears be ;
Just so much honour, when thou yield'st to me,
Will waste, as this flea's death took life from thee.
〈訳〉
君が僕を拒絶したことなど 何の意味もないのだ
こいつはまず僕の血を吸い ついで君の血を吸った
こいつの中で僕らの血は混ざり合ったのだ
わかるだろうこれは 別に罪でもなく
恥でもなく 貞操が失われたわけでもない
こいつは求愛もしないうちからお楽しみ
僕ら二人の血を吸って丸々と太っている
僕らができないことをまんまとしでかして!
助けておやりよ 蚤には三つの命があるのだから
蚤のおかげで僕らは結びついたんじゃないか
こいつは君でもあるし 僕でもある
こいつは僕らの新床でかつ 教会だ
親たちがなんと言おうと 君が嫌がろうと
こいつの黒い体の中で僕らは結ばれたんだ
こいつを殺すのは僕を殺すこと
また君自身を殺すことでもある
こいつを殺せば三つの罪を犯すのだよ
ああなんということだ 君はもう
こいつの血で爪を赤く染めてしまったのか
この蚤に何の罪があるというのだ
君の血をちょっぴり吸っただけではないか
なのに気味は誇らしげに笑っていう
私もあなたも大したことはなかったのよと
そうかもね でもそれなら恐れることはない
君が僕に身を任せても こいつが君から
奪った命ほど 名誉が損なわれることもないのだから
熱心なカトリックの家に生まれる。12歳でオクスフォード大学に入学、後にケンブリッジ大学に学ぶ。これは宗教上の理由からであり、その同じ理由で学位をとらず、ロンドンの法学院に移る。この頃「御婦人達や劇場をさかんに訪れた」といわれている。またおそらくは弟の獄死などから宗教的な危機をも経験したと思われる。ヨーロッパ各地を旅行し、エセックス伯のカディス遠征にも参加したらしい。1598年国璽尚書サー・トマス・エジャートンの秘書となり、輝かしい未来が期待されていたが、エジャートンの親戚のアン・モアと恋に落ち、密かに結婚する(1601)。これが父親のサー・ジョージ・モアの怒りを買い、その訴えで一時投獄までされる。このため職を失い、ダンの輝かしい未来は瓦解する。以後しばらく友人の庇護に頼る失意の生活を送る。この間貴族のパトロンを求め、彼らによって猟官運動をするが実らず。しかしジェイムズ1世がダンの聖職者としての能力を認め、その意向で15年英国国教会の聖職者となる。21年セント・ポール寺院の主席司祭(dean)となり、当時のもっとも有名な説教者となる。伝記作家のウオルトンによれば、死を予感したダンは棺の中に立ち死装束に身を包んだ自らの姿を描かせた、という。
朝起きると腰周りや足が無性に痒い場合がある。その多くは蚤に刺されたものであるらしい。何処で貰ってくるのかはわからないが、こんな時は部屋を閉め切ってバルサンを焚くことにしている。
日本語名の「のみ」は、人間の血を飲むことから「飲む」の訛りから付いたそうだ。漢字の「蚤」は、「掻きたくなる痒い虫」という意味だという。
のみしらみ 馬の尿する 枕もと(松尾芭蕉)
蚤虱 音に鳴く秋の 虫ならば わが懐は 武蔵野の原(良寛)
蚤焼いて 日和占う 山家かな(小林一茶)
よい日やら 蚤が跳ねるぞ 踊るぞや(小林一茶)
俳句や和歌に歌われるほど昔から、蚤や虱は日常生活に身近なものだったのだろう。
『蚤の歌』はゲーテの戯曲「ファウスト」にある詩(ファウスト第一部、ライプチヒのアウエルバッハの酒場でメフィストフェレスが歌う)に展覧会の絵でおなじみのムソルグスキーが曲をつけたものである。まずは、Ctrlキーを押しながら
http://www.youtube.com/watch?v=zRZH4TXO62c
をクリック、インターネットエクスプロラーから、再度このブログを呼び出して、曲を聴きながら詩を味わっていただこう。
蚤の歌
堀内 敬三 訳詩
MUSORGSKI(ムソルグスキー)作曲
小川一鬼 独唱
昔 王様蚤を飼い 蚤 蚤
王子のように可愛がる
蚤 ハハハハハ 蚤 ハハハハハ 蚤
仕立て屋を召し 言わるる
余の蚤の外套を立派に作れ
蚤に外套 ハハハハハ
蚤 ハハハハハ 外套 ハハハハ
ハハハハハハ 蚤に外套
ビロードの服を蚤に着せて
御殿の中でいばりかえらす ハハ
ハハハハハ 蚤 ハハハハ
ハハハハハハ 蚤
蚤は大臣になりすまして
仲間の蚤ども連れて歩く ハハ
妃も女官も恐れをなし
うかつに手出しするものなくハハ
さされてたとえ痒かろうとも
つぶすことさえまかりならぬ
ハハハハハハ …
詞は、ゲーテの『ファウスト』をアレクサンドル・ストルゴフシチコフ(1808~1878年)がロシア語訳したものが使われているという。メフィストフェレスは、王様に寵愛されたノミにまつわる歌を歌い、権力者に媚びへつらう姿勢をファウストの取り巻き連中に見立てて揶揄するのである。曲の随所に挿入された「ハハハ、ヘヘヘ」というメフィストフェレスの笑い声はムソルグスキーの発案によるものであり、訳詞のロシア語イントネーションを旋律に密接に関連させるなど、完成度の高い作品に仕上がっているという。
日本語名の「のみ」は、人間の血を飲むことから「飲む」の訛りから付いたそうだ。漢字の「蚤」は、「掻きたくなる痒い虫」という意味だという。
のみしらみ 馬の尿する 枕もと(松尾芭蕉)
蚤虱 音に鳴く秋の 虫ならば わが懐は 武蔵野の原(良寛)
蚤焼いて 日和占う 山家かな(小林一茶)
よい日やら 蚤が跳ねるぞ 踊るぞや(小林一茶)
俳句や和歌に歌われるほど昔から、蚤や虱は日常生活に身近なものだったのだろう。
http://www.youtube.com/watch?v=zRZH4TXO62c
をクリック、インターネットエクスプロラーから、再度このブログを呼び出して、曲を聴きながら詩を味わっていただこう。
蚤の歌
堀内 敬三 訳詩
MUSORGSKI(ムソルグスキー)作曲
小川一鬼 独唱
昔 王様蚤を飼い 蚤 蚤
王子のように可愛がる
蚤 ハハハハハ 蚤 ハハハハハ 蚤
仕立て屋を召し 言わるる
余の蚤の外套を立派に作れ
蚤に外套 ハハハハハ
蚤 ハハハハハ 外套 ハハハハ
ハハハハハハ 蚤に外套
ビロードの服を蚤に着せて
御殿の中でいばりかえらす ハハ
ハハハハハ 蚤 ハハハハ
ハハハハハハ 蚤
蚤は大臣になりすまして
仲間の蚤ども連れて歩く ハハ
妃も女官も恐れをなし
うかつに手出しするものなくハハ
さされてたとえ痒かろうとも
つぶすことさえまかりならぬ
ハハハハハハ …
本日は新暦ではあるが、9月9日。重陽の節句である。
陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれる。奇数 本日は新暦ではあるが、9月9日。重陽の節句である。
陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれる。奇数の重なる月日は陽の気が強すぎるため不吉とされ、それを払う行事として節句が行なわれていたが、九は一桁の数のうち最大の「陽」であり、特に負担の大きい節句と考えられていた。後、陽の重なりを吉祥とする考えに転じ、祝い事となったものである。邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝ったりしていた。また前夜、菊に綿をおいて、露を染ませ、身体をぬぐうなどの習慣があった。さらに、茱萸(グミではなくカワハジカミ)の実を入れた袋を肘に下げたり、郊外の丘など高い場所へピクニックに出掛け遠くを見る(これを登高と呼ぶ)ことが行われた。中国で重陽が正式な節句として認められたのは漢代であるというが、現在では、他の節句と比べてあまり実施されていないようである。
九日藍田崔氏荘 九日 藍田の崔氏の荘
杜甫
老去悲愁強自寛 老い去(ゆ)きて悲愁(ひしゅう)に強(し)いて自ら寛(ゆる)うし
興来今日尽君歓 興(きょう)来たりて今日(こんにち)ぞ君の歓(よろこ)びを尽くす
羞将短髪環吹帽 羞(は)ずらくは短髪を将(もっ)て環(な)お帽(ぼう)を吹かるるを
笑倩旁人為正冠 笑いて旁人(ぼうじん)を倩(やと)いて為に冠(かんむり)を正さしむ
藍水遠従千澗落 藍水(らんすい)は遠く 千澗(せんかん)従(よ)り落ち
玉山高並両峰寒 玉山(ぎょくざん)は高く 両峰(りょうほう)を並べて寒し
明年此会知誰健 明年(みょうねん) 此の会 知んぬ 誰か健(けん)なるを
酔把茱萸子細看 酔うて茱萸(しゅゆ)を把(と)りて子細(しさい)に看(み)る
〈訳〉年は取っても私は 悲しい秋に、無理にでも気持ちをゆったりもちたい
面白い。今日はあなたのもてなしをじっくり受けるとしよう
短くなった髪 風が帽子を吹き飛ばしりしたら恥ずかしい
そばの人に頼んで冠をしっかりつけてもらうのもご愛嬌
藍水は遠く千々の谷間の水を集めて流れ落ちてくる
玉山は高く二つの峰と竝んで寒々とそびえている
明年のこの日の集まりには誰がはたして達者でいるのやら
私は酔い 茱萸を手にしてつくづくそれを見つめる
九月九日憶山東兄弟 九月九日山東の兄弟を憶う
王維
獨在異鄕爲異客 独り異郷に在って異客と為り
毎逢佳節倍思親 佳節に逢う毎に倍(ます)ます親を思う
遙知兄弟登高處 遥かに知る兄弟高きに登る処
徧插茱萸少一人 遍(あまね)く茱萸(しゅゆ
作者王維が17歳で長安に留学した時の作。山東は函谷関以東の地で、作者王維の故郷を指す。9月9日の重陽の節句は重要な行事の一つで、人々は山や岡、または楼に登り菊花を浮かべた酒を飲み、茱萸の実の付いた枝を髪に挿して、厄除けをするのが例であった。
「日本書紀」に、菊理媛という神名を通してキクの名が表れる。しかし、万葉集に菊は一首も詠まれていない。万葉集には166種類の植物が歌われ、インドの古典「ベーダ」や中国の「詩経」に載る植物数よりも多いという。重陽の節会の初見は日本書紀にある「(天武天皇14年)九月の甲辰の朔壬子(みずのえねのひ、九日)に天皇、舊宮の安殿の庭に宴(とよのあかりきこしめ)す」であるが、万葉集に菊が詠まれていないというのは大いに謎である。菊は詠まれていなくても、柿本人麻呂の「うはぎ」や「防人の歌」の百代草は野菊のことではないかと思われる。
妻毛有者 採而多宜麻之作美乃山 野上乃宇波疑 過去計良受也
柿本人麻呂
妻もあらば、摘みて食(た)げまし、沙弥(さみ)の山、野の上(へ)の、うはぎ過ぎにけらずや
〈訳〉もし妻といっしょだったらうはぎを摘んで食べただろうに。沙弥(さみ)の野にうはぎが空しく伸びてしまっています。
父母我 等能ゝ志利弊乃 母ゝ余具佐 母ゝ与伊弖麻勢 和我伎流麻弖
右一首、同郡の生玉部足國 万葉集 巻20 4326
父母が 殿の後方の 百代草 百代いでませ わが来るまで
右の一首は、同じ郡の生玉部足国のなり
〈訳〉今日まで私のことを大事に育てて下さったお父さんお母さん、これから先どうか百代の後の世までも健やかに長生きして下さい。私が無事に生きて帰って来るその日まで。
陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれる。奇数の重なる月日は陽の気が強すぎるため不吉とされ、それを払う行事として節句が行なわれていたが、九は一桁の数のうち最大の「陽」であり、特に負担の大きい節句と考えられていた。後、陽の重なりを吉祥とする考えに転じ、祝い事となったものである。邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝ったりしていた。また前夜、菊に綿をおいて、露を染ませ、身体をぬぐうなどの習慣があった。さらに、茱萸(グミではなくカワハジカミ)の実を入れた袋を肘に下げたり、郊外の丘など高い場所へピクニックに出掛け遠くを見る(これを登高と呼ぶ)ことが行われた。中国で重陽が正式な節句として認められたのは漢代であるというが、現在では、他の節句と比べてあまり実施されていないようである。
九日藍田崔氏荘 九日 藍田の崔氏の荘
杜甫
老去悲愁強自寛 老い去(ゆ)きて悲愁(ひしゅう)に強(し)いて自ら寛(ゆる)うし
興来今日尽君歓 興(きょう)来たりて今日(こんにち)ぞ君の歓(よろこ)びを尽くす
羞将短髪環吹帽 羞(は)ずらくは短髪を将(もっ)て環(な)お帽(ぼう)を吹かるるを
笑倩旁人為正冠 笑いて旁人(ぼうじん)を倩(やと)いて為に冠(かんむり)を正さしむ
藍水遠従千澗落 藍水(らんすい)は遠く 千澗(せんかん)従(よ)り落ち
玉山高並両峰寒 玉山(ぎょくざん)は高く 両峰(りょうほう)を並べて寒し
明年此会知誰健 明年(みょうねん) 此の会 知んぬ 誰か健(けん)なるを
酔把茱萸子細看 酔うて茱萸(しゅゆ)を把(と)りて子細(しさい)に看(み)る
〈訳〉年は取っても私は 悲しい秋に、無理にでも気持ちをゆったりもちたい
面白い。今日はあなたのもてなしをじっくり受けるとしよう
短くなった髪 風が帽子を吹き飛ばしりしたら恥ずかしい
そばの人に頼んで冠をしっかりつけてもらうのもご愛嬌
藍水は遠く千々の谷間の水を集めて流れ落ちてくる
玉山は高く二つの峰と竝んで寒々とそびえている
明年のこの日の集まりには誰がはたして達者でいるのやら
私は酔い 茱萸を手にしてつくづくそれを見つめる
九月九日憶山東兄弟 九月九日山東の兄弟を憶う
王維
獨在異鄕爲異客 独り異郷に在って異客と為り
毎逢佳節倍思親 佳節に逢う毎に倍(ます)ます親を思う
遙知兄弟登高處 遥かに知る兄弟高きに登る処
徧插茱萸少一人 遍(あまね)く茱萸(しゅゆ
「日本書紀」に、菊理媛という神名を通してキクの名が表れる。しかし、万葉集に菊は一首も詠まれていない。万葉集には166種類の植物が歌われ、インドの古典「ベーダ」や中国の「詩経」に載る植物数よりも多いという。重陽の節会の初見は日本書紀にある「(天武天皇14年)九月の甲辰の朔壬子(みずのえねのひ、九日)に天皇、舊宮の安殿の庭に宴(とよのあかりきこしめ)す」であるが、万葉集に菊が詠まれていないというのは大いに謎である。菊は詠まれていなくても、柿本人麻呂の「うはぎ」や「防人の歌」の百代草は野菊のことではないかと思われる。
柿本人麻呂
妻もあらば、摘みて食(た)げまし、沙弥(さみ)の山、野の上(へ)の、うはぎ過ぎにけらずや
〈訳〉もし妻といっしょだったらうはぎを摘んで食べただろうに。沙弥(さみ)の野にうはぎが空しく伸びてしまっています。
右一首、同郡の生玉部足國 万葉集 巻20 4326
父母が 殿の後方の 百代草 百代いでませ わが来るまで
右の一首は、同じ郡の生玉部足国のなり
〈訳〉今日まで私のことを大事に育てて下さったお父さんお母さん、これから先どうか百代の後の世までも健やかに長生きして下さい。私が無事に生きて帰って来るその日まで。
Herbstgefühl(秋思)
詩:Johann Wolfgang von Goethe
訳:大山 定一
窓近く
棚に生いし
緑濃き葡萄葉
垂り房の
むらさきの実の
つぶらなる
日ごとに熟れて
初秋の
陽に輝き ――
さやさやと
涼かぜにゆらぎ ――
宵月の
ほのかなるひかりに濡れ ――
されど あわれ
あさごとの
冷たき白露は
かなしきわが恋がやどす
ひそかなる涙にかあらん
ウェブニュースから、平成中村座のニュースを拾ってみた。
"THE WORLD IS TOO MUCH WITH US; LATE AND SOON"
William Wordsworth
The world is too much with us; late and soon,
Getting and spending, we lay waste our powers:
Little we see in Nature that is ours;
We have given our hearts away, a sordid boon!
The Sea that bares her bosom to the moon;
The winds that will be howling at all hours,
And are up-gathered now like sleeping flowers;
For this, for everything, we are out of tune;
It moves us not.--Great God! I'd rather be
A Pagan suckled in a creed outworn;
So might I, standing on this pleasant lea,
Have glimpses that would make me less forlorn;
Have sight of Proteus rising from the sea;
Or hear old Triton blow his wreathed horn.
1806.
〈訳〉 浮世のこと
ウィリアム・ワーズワース
我らの頭は浮世のことでいっぱいだ
朝から晩まで 金儲けのことばかり
目の前の自然を見ようともしない
そんな余裕は持てないとばかりに
海は月を抱いて輝き
始終うなり声をあげる風も
いまは眠れる花のように静かなのに
そんな眺めも眼中にない
こんなことならいっそ自分は
異教徒にでもなったがましだ
そうすれば草原にひとりたたずみ
自然をすなおに見れるだろう
海から立ち上がるプロテウスを見たり
トリトンのほら貝も聞こえてこよう
William Wordsworth(ウイィリアム・ワーズワース、1770~1850年) はイギリス・ロマンティシズムを代表する詩人であり、Samuel Coleridge(サミュエル・コールリッジ、 1772~1834年)と共作で1798年に発表した詩集Lyrical Ballads(リリカル・バラッズ)はロマン主義運動の先鞭を果たしたという。また、 Wordsworthはイギリスが生んだ偉大な自然詩人であり、自然を唯一の友として歌い続けた者は、彼のほかにはいないといえるほどで。彼にとっては人間もまた自然の一部であり、自然のざわめきや人間の感情が一体となって、独特の詩的世界を作り上げている。
山中問答 李白
問余何意棲碧山 余に問ふ 何の意ありて碧山に棲むと
笑而不答心自閑 笑ひて答へず 心 自づから閑(しづ)かなり
桃花流水窅然去 桃花流水 窅然(えうぜん)として去る
別有天地非人間 別に天地の人間(じんかん)にあらざる有り
(訳)君に私に問う「なにゆえ青い山の中に住んでいるのか」と
私は笑って答えず心も自然とのどかだ
桃の花と流れる水とは遠くへ去っていく
俗世とはまた別の天地があるようだ
李白成仙: 韓愈(かんゆ)によれば、李白は仙人となって俗世から姿を消したのだという。元和年間(806~820)初め、北海(現山東省)から来た人が、李白の姿を見た。李白は一人の道士とともに高山の上で談笑していた。しばらくして道士は碧霧の中から現れた赤いみずちに乗って飛び去ると、李白は空に身を躍らせ、大股でその後を追いかけた。そして、共にみずちに乗って東へ向かって飛び去った。(唐『龍城録』)
横浜のN氏より、メールが入った。曰く、
日高 節夫 様
「草原の風」の連載では、大兄には大変お世話になりました。厚く御礼申しあげます。/連載が終わって、すっかり新聞を読まなくなりました。だから今日も朝刊を夕食後、この時間に読んでいる始末です。/今日の朝刊に、宮城谷さんの「連載を終わって」というエッセイが載っているのに気がつきました。/スキャンしたものを添付ファイルでお目にかけます。/なお単行本は上中下の3巻セット、それぞれ10月、11月、12月の各10日に中央公論新社(読売新聞の資本系列)より刊行されると下欄に記してあります。/お知らせまで…。
William Wordsworth
The world is too much with us; late and soon,
Getting and spending, we lay waste our powers:
Little we see in Nature that is ours;
We have given our hearts away, a sordid boon!
The Sea that bares her bosom to the moon;
The winds that will be howling at all hours,
And are up-gathered now like sleeping flowers;
For this, for everything, we are out of tune;
It moves us not.--Great God! I'd rather be
A Pagan suckled in a creed outworn;
So might I, standing on this pleasant lea,
Have glimpses that would make me less forlorn;
Have sight of Proteus rising from the sea;
Or hear old Triton blow his wreathed horn.
1806.
〈訳〉 浮世のこと
ウィリアム・ワーズワース
我らの頭は浮世のことでいっぱいだ
朝から晩まで 金儲けのことばかり
目の前の自然を見ようともしない
そんな余裕は持てないとばかりに
海は月を抱いて輝き
始終うなり声をあげる風も
いまは眠れる花のように静かなのに
そんな眺めも眼中にない
こんなことならいっそ自分は
異教徒にでもなったがましだ
そうすれば草原にひとりたたずみ
自然をすなおに見れるだろう
海から立ち上がるプロテウスを見たり
トリトンのほら貝も聞こえてこよう
山中問答 李白
問余何意棲碧山 余に問ふ 何の意ありて碧山に棲むと
笑而不答心自閑 笑ひて答へず 心 自づから閑(しづ)かなり
桃花流水窅然去 桃花流水 窅然(えうぜん)として去る
別有天地非人間 別に天地の人間(じんかん)にあらざる有り
(訳)君に私に問う「なにゆえ青い山の中に住んでいるのか」と
私は笑って答えず心も自然とのどかだ
桃の花と流れる水とは遠くへ去っていく
俗世とはまた別の天地があるようだ
日高 節夫 様
「草原の風」の連載では、大兄には大変お世話になりました。厚く御礼申しあげます。/連載が終わって、すっかり新聞を読まなくなりました。だから今日も朝刊を夕食後、この時間に読んでいる始末です。/今日の朝刊に、宮城谷さんの「連載を終わって」というエッセイが載っているのに気がつきました。/スキャンしたものを添付ファイルでお目にかけます。/なお単行本は上中下の3巻セット、それぞれ10月、11月、12月の各10日に中央公論新社(読売新聞の資本系列)より刊行されると下欄に記してあります。/お知らせまで…。
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
sechin@nethome.ne.jp です。
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