ウェブニュースより
なぜか唐津に「西郷どん」 八坂神社に明治39年奉納 陶像、経緯は不明 ―― 佐賀県唐津市石志の八坂神社境内に西郷隆盛の陶像が立つ。像や台座には11人の氏名と「明治39(1906)年5月18日 参宮記念」、そして「唐津焼製造所 中埜末造」と刻まれる。地区民が伊勢神社参拝を記念して奉納したとみられる。だが、なぜ唐津の地に西郷なのか。謎を秘めたまま、泰然として中空を見つめる。
像の高さは1.7メートル、幅55センチで、台座を含めると約3.4メートル。東京・上野公園の銅像の半分くらいの大きさで、ふくよかな表情で愛犬もかがんで寄り添う。
寄進者とみられる11人のうち1人は、神社を管理する区長の進藤博喜さん(69)の曽祖父で、全員地区住民の先祖という。ただ「いわれを知っている人がいないか、以前の区長が地区内に文書を配ったが、何も回答がなかった」と言う。
唐津焼で細工物を得意とする中野窯に聞くと「中埜末造は初代中野霓林(1876~1951年)の本名です」と三代目霓林さん(68)。30歳の時の作品になる。でも、なぜ西郷なのか。
明治39年は西郷が鹿児島・城山で自刃して29年。松浦史談会長の山田洋さん(82)は「(西南戦争の首謀者という)賊軍扱いから名誉は回復されていた。しかし唐津とは直接の縁はないはず」と首をかしげる。
取材を進めると前々区長の宮崎訓治さん(73)が知人から聞いたという話を明かした。「中野窯に西郷の焼き物の注文があり、予備を含め2体焼かれた。その1体がめぐりめぐって石志に来た」と。ただ中野窯にも記録はなく、もう1体の所在を含め謎が加わる。
石志地区は農村部で、神社に行くには細い集落道しかない。「人が押し寄せると困るけど、小さな村にこんな歴史があることを知ってもらうのはいいかな」と進藤さん。幕末維新の大きな渦の中で圧倒的な存在感を放ち続けた西郷隆盛。NHK大河ドラマ「西郷どん」は完結し、明治維新150年の年も間もなく終わる。 (佐賀新聞Live 12/20 7:00)
ウェブニュースより
藤井聡太七段、クリスマス勝利!棋聖戦本戦出場へあと1勝 次局はタイトルホルダーと/将棋・棋聖戦二次予選 ―― 最年少棋士・藤井聡太七段(16)が12月25日、大石直嗣七段(29)と棋聖戦二次予選で対局し、120手で勝利した。
自身に贈るクリスマスプレゼントの1勝で、決勝トーナメント出場まであと1勝と迫った。
https://www.youtube.com/watch?v=ldcS8MZLdC4
次局は久保利明王将(43)と斎藤慎太郎王座(25)の勝者という、どちらが勝ってもタイトルホルダーとの対局となる。藤井七段の通算成績は102勝18敗。
2年前の2016年12月24日に、加藤一二三九段(78)とプロ初対局を行った藤井七段は、デビュー直後の29連勝を皮切りに、その後も数々の最年少記録を樹立。今年も2月に一般棋戦初優勝を果たすと、10月には若手棋士の登竜門でもある新人王戦でも優勝し、一般棋戦で2度目の優勝を果たした。来年は最年少タイトルホルダー誕生という周囲の期待からの期待も受ける中で、現在唯一の複数冠を持つ豊島将之二冠が持つ、棋聖位への挑戦に向けて、一歩前進した。対局後には「序盤は自然に指していたつもりでした。最後まで気が抜けませんでした。(次局について)いずれにしてもタイトルホルダーとの対戦ということで、そういった対戦の機会が得られるのはうれしいことなので、全力でぶつかっていければと思います」と語った。 (Abema TIMES 2018.12.25 18:19)
今日はクリスマスです。サンタクロースの起源について調べてみました。
サンタクロースは、4世紀ごろ、小アジア(現在のトルコ)のミュラの司教であった、聖ニコラスだと言われています。
聖ニコラス(271~343年ごろ)は、現在のトルコのデムレ、かつてのギリシアの町ミュラの司教でした。彼は、日ごろから、困っている人や貧しい人を助け、自分の持ち物を惜しまず与えていた心のやさしい人でした。
あるとき、ニコラスの近所に3人の娘のいる家族が住んでいました。たいへん貧しくて、娘を売らなければならないほど、お金に困っていました。そのことを知ったニコラスは、その夜、その家の煙突から金貨を投げ入れました。ちょうどその金貨は、暖炉のそばに干してあった靴下の中に入って、そのお金で娘は救われ、後に結婚することができたのです。聖ニコラスは、同じことを下の2人の娘のときも繰り返し、その家庭を救ったと言われています。
クリスマスに靴下を下げておくと、サンタクロースが煙突から入って贈り物を入れてくれるという習慣は、ここから生まれたようです。
ニコラスにまつわる伝説や奇跡は、この他にたくさん残ってます。船乗りを嵐から救ったり、殺された子どもを生き返らせたという話も伝えられています。彼は、つねに子どもたちや貧しい人、弱い立場にある人と共に生きていたので、「子どもの守護の聖人」とされています。
彼は亡くなった後、聖人とされ、ヨーロッパでは彼の命日の12月6日に、聖ニコラス祭がはじまりました。この日、オランダやベルギーなどでは、子どもたちへのプレゼントを贈るようになりました。
聖ニコラスの伝説は、18世紀に北米に移住したオランダ人に伝えられ、子どもたちへのプレゼントの習慣が、オランダと同じ12月6日に引き継がれていきました。やがて、生まれたばかりのキリストに三賢者が贈り物をもって、ベトレヘムを訪れたという出来事と結びつき、アメリカ全土で「クリスマスにサンタクロースがプレゼントを贈る」という習慣が広がったと言われています。
聖ニコラスはオランダ語で、「ジンタークラース」と言い、それがなまって「サンタクロース」になったと言われています。
サンタクロースの着ている赤い服は、聖ニコラスが生きたころの、司教の儀式のときの服がもとになったと言われています。司教の赤い色は、自分の命をかけても、他の人を助けることを意味していて、血を流しても人々のために尽くすしるしでした。
しかし、今のサンタクロースの赤い衣装を考え出し有名にしたのは、1931年、アメリカのコカ・コーラ社が冬のキャンペーン広告のキャラクターとして、サンタクロースを起用したことから、サンタクロースの名前が急に、世界中に知られるようになりました。
この広告のモデルは、1800年代後半に活躍した、アメリカの風刺漫画家トマス・ナスト(1842年~1902年)によって描かれたサンタクロースです。子どもたちのために、たくさんのおもちゃをかかえた、やさしそうなサンタクロース。白いふさふさしたひげをはやし、太った体形というアイデアは、彼によって生み出されました。
それまでの絵本や絵画の中に、サンタクロースは青い服を着たり、さまざまな色の衣装を着ていたそうです。今とはずいぶんイメージが違います。
日本では、いつごろサンタクロースが登場したのでしょうか。それは、1870年代です。日本でサンタクロースは、キャラクターとして、商業ペースに利用され、コマーシャル化され、歯磨き粉や醤油の広告などにも使われることになってしまいました。
商品の絵柄の広告には、恵比寿や大黒天、七福神のサンタクロースも表れ、親しまれたと伝えられています。
その後、だんだんと都会の中流家庭に広がって、おもちゃをもってやってくるサンタクロースとして描かれるようになりました。1951年ごろからは、デパートが一斉にサンタクロースを採用し、街はサンタクロースであふれるようになりました。
呼び方も、「サンタ」とか「サンタさん」などと親しみを込めて、呼ばれるようになり、サンタクロースは、すっかり日本の文化の中で、クリスマスにはなくてはならない存在となっていきました。
12月21日、塾友の成島氏から訃報が入りました。曰く、
日高先生
三村くんから、浦野潤也くんのお母様がお亡くなりになったと連絡がありました。 成島淳一
昨夕、今戸にある廣楽寺まで、浦野家の通夜に出かけました。塾友の馬場英一氏・矢作佳奈美女史・三村訓久氏と一緒に焼香しました。急な階段になっているので、上がるのに3人に両脇と後ろから支えてもらう次第でした。
帰りは、馬場氏と佳奈美女史が家まで送ってくれました。
ウェブニュースより
伊調馨が復活V 五輪金の川井梨破る レスリング全日本 ―― レスリングの全日本選手権は23日、来年9月の世界選手権代表選考会を兼ねて、東京・駒沢体育館で最終日があり、女子57キロ級決勝で3年ぶりに出場した五輪4連覇の伊調馨(かおり)(ALSOK)が、リオデジャネイロ五輪63キロ級金メダルの川井梨紗子(ジャパンビバレッジ)を3―2で破って優勝した。伊調は22日の予選リーグ初戦で川井梨に国内大会で17年ぶりの敗戦を喫していた。同50キロ級は入江ゆき(自衛隊)が2連覇した。同53キロ級は今秋の世界選手権55キロ級王者の向田真優(至学館大)が優勝。
男子フリー65キロ級は、今秋の世界選手権で日本男子最年少優勝を果たした乙黒拓斗(山梨学院大)が初優勝。男子グレコローマンスタイル60キロ級は、昨年の世界選手権59キロ級王者の文田健一郎(ミキハウス)が制した。 (朝日新聞DIGITAL 2018年12月23日16時59分)
坂本花織が逆転で初優勝、紀平トリプルアクセル2本着氷も2位 宮原は3位 ―― 「フィギュアスケート・全日本選手権」(23日、東和薬品ラクタブドーム)
女子フリーが行われ、SP2位の坂本花織(18)=シスメックス=がフリー152.36点、合計228.01点を記録し初優勝をはたした。世界選手権代表にも内定した。SP5位の紀平梨花(16)は2本のトリプルアクセルを着氷させる圧巻の演技でフリー155.01点を出したが、合計223.76点で2位。SP首位で、5連覇を目指した宮原知子(20)=関大=はフリー146.58点、合計223.34点で3位だった。
紀平の圧巻の演技の前に、自己ベストの142.61点を超える148.12点が逆転に必要という状況でリンクに入った。冒頭の3回転フリップ-3回転トーループ、2回転アクセルと着実に得点を積み重ねた。後半の2回転アクセルからの3連続ジャンプ、3回転フリップ-2回転トーループ、3回転ループもすべて着氷。目立ったミスはないほぼ完ぺきな演技を披露した。
右手を振り下ろすガッツポーズで喜びを爆発させた坂本に、会場のファンは総立ちで拍手を送った。得点が発表されると同時に「あ~、うあ~」と絶叫し、初優勝に喜びとともに、驚きを見せていた。SPとフリーの両方でミスのない演技を出したことが優勝に結びついた。
直後のフジテレビによるテレビインタビューに「全然今は実感がなくて、いろんなジャンプがいつもの勢いがなかったので」と反省も口にしながら「点数的には満足です」と笑顔で振り返った。「鼓動が聞こえるぐらい緊張していたんですけど」という緊迫感の中、結果を出した。 (ディリ―スポーツ 2018.12.23.)
忘年会の記事を続けます。
村田雅裕氏の忘年会参加は今年が初めてです。産経新聞社に入社、今まで、13年間大阪勤務でしたが、今年の1月ようやく東京に戻ることができたそうです。
現在は産経新聞社広報室PRグループに所属しているそうです。赤石和彦氏の誘いで今回の忘年会参加となりました。
赤石和彦氏は一時バイクを乗り回していましたが、昨今は自転車レースに凝っているようです。
最後になりましたが、矢作佳奈美女史は私とは3周り違いの昭和43年生まれです。同期の塾生の忘年会参加者が少ないながら、昨年は忘年会のアルバム配り、本年は私のカメラで忘年会の様子を撮影と、陰ながらよく動いてくれました。そんな訳で、色々探してみましたが、まともな彼女の写真は殆どありませんでした。ごめんなさいね。これに懲りずにこれからも毎年参加してくださいね。
以上を持ちまして、忘年会の記事を終わりますが、毎年このような会を企画して開くについては、大森夫妻に大変ご苦労を掛けています。なんといっても、お二人はこの会のまとめ役でもあります。本当に有難うございます。
来年もここTAKEYAさんで、同じ時期に生きていれば皆さんにお会いできると思います。それを楽しみに頑張ってみます。
昨夜はテレビで「古賀政男没後40年名曲ドキュメント」を見ました。今年4月に放映されたものの再放送でした。これについては今年の4月8日のブログに記載しました。
http://sechin.blog.shinobi.jp/日記/雲のふるさと
ウェブニュースより
羽生善治竜王、27年ぶりの無冠に 竜王戦第7局敗れる/将棋 ―― 将棋の第31期竜王戦七番勝負の第7局が20、21の両日、山口県下関市で指され、後手の羽生善治(はぶ・よしはる)竜王(48)が挑戦者の広瀬章人(あきひと)八段(31)に敗れ、対戦成績3勝4敗で竜王を失冠した。27年ぶりに無冠となり、今回はタイトル獲得通算100期の大記録達成はならなかった。勝った広瀬八段は初の竜王を獲得した。
https://www.youtube.com/watch?v=CxOq34b4weU
羽生前竜王は、平成元年に初タイトルの竜王を当時最年少の19歳で獲得。翌年11月に失冠するが、約4カ月後の3年3月に棋王を獲得して以来、現在までタイトルを保持し続けてきた。8年には、将棋界初の七冠独占を達成。24年に棋聖戦で5連覇し、タイトル獲得通算81期で歴代単独1位となった。以来、自身の記録を更新し続けてきた。
羽生前竜王は昨年12月の竜王戦で復位し、タイトル獲得通算99期に更新。さらに、叡王(えいおう)以外の7つのタイトルの永世称号を全てそろえた「永世七冠」を達成した。今年2月には将棋界初の国民栄誉賞を受賞した。棋聖、竜王の2冠だったが、棋聖戦を防衛できず、失冠。竜王のみの1冠となっていた。
広瀬新竜王は札幌市出身。平成22年に王位を1期獲得、トップ棋士の証しでもある名人戦順位戦A級(原則定員10人)に4期在籍している。今月、棋王戦五番勝負の挑戦者に決まった。(産経新聞2018.12.21 19:01)
忘年会の記事は次回に続きます。
ここに写っている面々の説明はあらかた終わったと思いますが、永田雅章氏・木島敬夫氏と貝崎弘和氏についての追加記事を記します。
永田Chakiちゃんは慶応の医学部に在学中は、演劇部に所属し、芸達者で鳴らしました。兼愛塾の飲み会でも「高原列車は行く」を歌いながら踊るなど、芸達者を披露して、拍手喝さいを浴びていました。
https://www.youtube.com/watch?v=a-3SBR3287k
家内の道子が骨粗鬆症と、色々と相談にのってもらったり、リハビリの先生を紹介してもらったり一方ならぬお世話になりました。
木島敬夫氏は、学生時代から浅草寺のボーイスカウト台東第7団で奉仕活動、コアラスイミングクラブ(村井先生経営)の手伝いと熱心に地域活動をやっていました。大手の不動産会社に勤めていましたが、定年が近づくや否やサッサと退職し、ボーイスカウト台東第7団の奉仕活動や町会の仕事で忙しい毎日を過ごしているようです。
一橋中学で木島氏の一年後輩の貝崎弘和氏は私が紹介した桝本豊明氏が家庭教師をしていましたので、彼に誘われて臨海に参加するようになりました。
桝本氏は、私がS塾で中学を通して教えた生徒で、兼愛塾の臨海に指導員としてお願いした方です。第一生命に就職しましたが、残念ながら若くしてスキルス性胃がんで亡くなりました。貝崎氏もまた桝本氏に倣ってか?第一生命に就職しました。私の胃癌手術の際は保険の事で大変お世話になりました。
携帯に岩川真由美女史からメールが入りました。曰く、
日高先生
岩川真由美です。
私も先生にお目にかかれて、本当に嬉しかったです。
先生のおかげさまで、勉強の楽しさを一生を通じて持ち続けています。
くれぐれも道子先生によろしくお伝え下さい。
兄姉からも先生によろしくとの事です。先生、御元気で! 真由美
忘年会の写真と説明を続けます。
馬場英一氏はIkuoちゃんの紹介で指導員として参加してもらうようになりました。二人は浅草寺が活動母体のボーイスカウト第7団で奉仕活動している知り合いでした。
星野義和氏は荒井正夫氏・永田光広氏と同期の昭和35年生まれの同期生です。Ikuoちゃんの夫人の恵子女史の弟さんに当たります。
荒井正夫氏の親御さんに英語の家庭教師を頼まれTakaya氏を紹介しました。まあTakaya氏は「兼愛塾の臨海にはN嬢といういい娘がいるんだよ」と荒井氏をN嬢を餌に臨海に誘ったのだそうです。――嘘か真か実のところは不明です。
参加1年目にして、海岸でガラス片を踏んづけて大怪我。それでも、大学を出るまで指導員として永田・星野両氏と共に参加してくれました。水泳は他者と比べて抜群、水泳部長を務めてくれました。夫人のMino女史(旧姓 籾井)も臨海参加者で私が2人の媒酌を務めさせていただきました。
永田光広氏はChakiちゃんの末弟で一時「Mini Chaki」なんて呼ばれたこともありました。パソコンのハードにはかなり詳しく、私のパソコンが不調の時はすぐに駆け付けてくれて直してくれます。つい先だっても私のパソコンがパンクした時も連日連夜通い詰めで直してくれました。こうして、皆さんにブログを送れるのも光広氏のお陰です。私が媒酌の労を取らせていただいた夫人については、先のブログで説明した説明した通りです。
前田嘉雄氏・小川治範氏は出身中学は異なりますが、昭和33年生まれの同期生です。
前田氏は就職してからも広島の「もみじ饅頭」をお土産に臨海に訪ねてくれました。毎日ウォーキングに励んでいるそうで、総計4万キロメール(地球一周)を目指しているそうです。北関東三大100キロウォーク(しおや100キロ・ぐんま100キロ・つくば100キロ)の制覇は叶いましたか?
小川氏は荒井氏・永田氏と同じ雷門町会で2人の兄貴格でした。まあ3人ともに生粋の浅草っ子で三社祭が大好きのようです。
菊地珠子女史は昭和40年生まれで、永田三千代・岡本智子女史等と同期ですが、時々行方をくらますので何をしているのか判らなくなります。
直井加織女史はNew CaledoniaのIle-des-Pins(イル=デ=パン)に在住していますが、彼女も浅草っ子、毎年三社祭には必ず帰朝して、神輿を担ぎます。私の所にも顔を見せに来てくれます。これからは、三社様と塾の忘年会には毎年帰朝するといっていました。
三村訓久氏は愛称 Gegeさん と呼ばれています。愛称の由来は聞いていません。臨海は小学4年生からと決めていましたが、Gegeさんの祖母様から頼みこまれて小学3年から参加しました。昭和40年生まれの同期生の中では一番の古株です。千束小学校のすぐそばで「三村はり灸整骨院」を開業しています。
2018年12月17日(月)から12月19日(水)までの3日間、東京台東区の浅草寺(せんそうじ)境内で「浅草 羽子板市」が行われます。東京・浅草の年の瀬を華やかに彩る、冬の風物詩となっています。
その年の最後の「観音さまのご縁日(納めの観音)」に正月用品や縁起物の品を売る「歳の市」がたったことから始まり、江戸時代の末期頃、羽子板に流行の歌舞伎役者の舞台姿の似顔絵を貼りつけたことから女性に人気を集め、徐々に『歳の市』から『羽子板の市』に重点が移っていきました。
明治時代以降、年末の風物詩「羽子板市」が縁起物として定着、現在でも、浅草寺の羽子板市は毎年多くの人で賑わいます。
浅草寺・羽子板市の当日は、30軒ほどの羽子板の露店のほか、数多くの屋台・露店が仲見世を抜けたあたりから境内にかけて軒を連ね、威勢のよい三本締めの声が響きわたります。
定番の歌舞伎の絵柄や、その年に活躍した芸能人・政治家・スポーツ選手・キャラクターなどの「世相羽子板」も名物となっています。
写真整理中です。今回は忘年会の記事をお休みにします。次回のブログから続きを掲載します。
ウェブニュースより
藤井七段が順位戦17連勝、名人の最多記録にあと1 ―― 将棋の最年少プロ、藤井聡太七段(16)が18日、関西将棋会館で行われた第77期順位戦C級1組で門倉啓太五段(31)を下し、無敗の7連勝とした。
これで前期から参加の順位戦は17連勝。同棋戦のデビュー以来の連勝記録で単独2位に浮上し、1位の中原誠16世名人(71=引退)の18連勝にあと1勝に迫った。通算成績は101勝18敗。
終盤の激しい攻め合いを制した藤井は「あまり経験のない形になった。序盤、中盤は確信を持って進めることができずに時間を使ってしまった」と反省し「常に不安定な形だった。最後まで際どかった。負けでもおかしくなかった」と振り返った。
https://www.youtube.com/watch?v=SvhI84FBp98
12日に記録ずくめの史上最速の通算100勝を達成したばかり。100勝達成時の勝率8割4分8厘は、中原の8割2分6厘(100勝21敗)を上回った。この日は順位戦での中原の記録に肉薄した。順位戦でのデビュー以来の歴代1位のレジェンドの連勝記録まで1勝にも「記録は意識していません」と淡々と話した。
順位戦は最上位のA級からC級2組までの5クラスに分かれて戦い、A級の優勝者が名人挑戦者となる。1年1期で各組のリーグ戦10回戦を行い、成績によってそれぞれ上位2人が昇級する。「飛び級」はない。
藤井は残り3局をすべて勝てば、B級2組への昇級が見えてくる。大きな目標は、順位戦での2期連続一期抜けとなる。「ここから3局は1局1局が非常に重いものになる。次戦も気を引き締めていきたい」と意気込んだ。 [日刊スポーツ 2018年12月18日23時19分]
ウェブニュースより
卓球、15歳張本が史上最年少V 女子ダブルスも、東京五輪に弾み ―― 【仁川共同】卓球男子で世界ランキング5位の張本智和(15)が16日、韓国の仁川で行われたワールドツアー上位選手によるグランドファイナル男子シングルスで、世界4位の林高遠(中国)を4―1で破って初優勝を果たした。15歳172日での優勝は男女のシングルスを通じて史上最年少。
日本選手の同種目制覇は水谷隼が2014年に勝って以来3度目。
女子ダブルスでは、ともに18歳の早田ひな、伊藤美誠組が中国ペアを退けて初優勝。
世界トップ選手が集う今年最後の国際大会で若手日本勢が2種目を制し、2年後の東京五輪に向けて弾みをつけた。 (東京新聞 2018年12月16日 21時25分)
12月8日(土)忘年会の記事を続けます。
大森夫人は弟の健太郎氏(花の二八組)が大洗から参加していたこと、小学生時代にS塾で私のクラスの生徒であったことで、指導員として参加して頂きました。Wanさんと結ばれ、九段のホテルグランドパレスで披露宴が行われました。金大中がこのホテルから拉致された1973年の翌年の事でした。
森本夫人は、新婚の頃英義氏と一緒に仁科の臨海に陣中見舞いに来てくださいました。
工藤美幸女史も「花の二八組」のメンバーです。久し振りの忘年会出席なので初めは誰か分かりませんでした。とても上品なお婆ちゃんになられましたね。
森本氏のご両親からの家庭教師の依頼で今は亡き「二八組」のMaichiを紹介しました。彼は蔵前中学で清水由貴子と同級?だったと見えて、由貴子の初恋の人としてテレビに出演したこともあります。
木島敬夫、窪田公一、佐藤隆哉の諸氏は昭和39年生まれの同期です。
昨日のブログに私の姪(上野千里、旧姓中村)のこめんとがはっています。併せて読んでやってください。
sechin@nethome.ne.jp です。
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