瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
[2566] [2565] [2564] [2563] [2562] [2561] [2560] [2559] [2558] [2557] [2556]

ウェブニュースより


なぜか唐津に「西郷どん」 八坂神社に明治39年奉納 陶像、経緯は不明 ―― 佐賀県唐津市石志の八坂神社境内に西郷隆盛の陶像が立つ。像や台座には11人の氏名と「明治391906)年5月18日 参宮記念」、そして「唐津焼製造所 中埜末造」と刻まれる。地区民が伊勢神社参拝を記念して奉納したとみられる。だが、なぜ唐津の地に西郷なのか。謎を秘めたまま、泰然として中空を見つめる。


 


像の高さは1.7メートル、幅55センチで、台座を含めると約3.4メートル。東京・上野公園の銅像の半分くらいの大きさで、ふくよかな表情で愛犬もかがんで寄り添う。


 


寄進者とみられる11人のうち1人は、神社を管理する区長の進藤博喜さん(69)の曽祖父で、全員地区住民の先祖という。ただ「いわれを知っている人がいないか、以前の区長が地区内に文書を配ったが、何も回答がなかった」と言う。


唐津焼で細工物を得意とする中野窯に聞くと「中埜末造は初代中野霓林(18761951年)の本名です」と三代目霓林さん(68)。30歳の時の作品になる。でも、なぜ西郷なのか。


 


明治39年は西郷が鹿児島・城山で自刃して29年。松浦史談会長の山田洋さん(82)は「(西南戦争の首謀者という)賊軍扱いから名誉は回復されていた。しかし唐津とは直接の縁はないはず」と首をかしげる。


取材を進めると前々区長の宮崎訓治さん(73)が知人から聞いたという話を明かした。「中野窯に西郷の焼き物の注文があり、予備を含め2体焼かれた。その1体がめぐりめぐって石志に来た」と。ただ中野窯にも記録はなく、もう1体の所在を含め謎が加わる。


石志地区は農村部で、神社に行くには細い集落道しかない。「人が押し寄せると困るけど、小さな村にこんな歴史があることを知ってもらうのはいいかな」と進藤さん。幕末維新の大きな渦の中で圧倒的な存在感を放ち続けた西郷隆盛。NHK大河ドラマ「西郷どん」は完結し、明治維新150年の年も間もなく終わる。   (佐賀新聞Live 12/20 7:00


この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


小冊子の紹介
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新コメント
[m.m 10/12]
[爺の姪 10/01]
[あは♡ 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[爺 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright © 瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り All Rights Reserved
/