松を詠める歌13
巻13⁻3258:あらたまの年は来ゆきて玉梓の使の来ねば.......(長歌)
原文:荒玉之 年者来去而 玉梓之 使之不来者 霞立 長春日乎 天地丹 思足椅 帶乳根笶 母之養蚕之 眉隠 氣衝渡 吾戀 心中少 人丹言 物西不有者 松根 松事遠 天傳 日之闇者 白木綿之 吾衣袖裳 通手沾沼
万葉集 巻13⁻3258
作者:不明
よみ:あらたまの、年は(き)来ゆきて、玉梓(たまづさ)の、使(つかひ)の来(こ)ねば、霞(かすみ)立つ、長き春日(はるひ)を、天地(あめつち)に、思ひ足(た)らはし、たらちねの、母が飼(か)ふ蚕(こ)の、繭(まよ)隠(こも)り、息(いき)づきわたり 我(あ)が恋(こ)ふる、心のうちを、人に言ふ、ものにしあらねば、松が根(ね)の 待つこと遠(とほ)み、天(あま)伝(つた)ふ、日の暮(く)れぬれば、白栲(しろたへ)の、我(わ)が衣手(ころもで)も、通(とほ)りて濡(ぬ)れぬ
意味:また新しい年がやってきても便りの使いがこないので、霞(かすみ)の立つ長い春の日に、空と地面がいっぱいになるほどにあなた様への想いをたたえて、母が飼っている蚕(かいこ)が繭(まゆ)にこもっているように息を詰まらせ、私が恋する気持ちを人に言ったりしてはいけないので、待ち遠しい気持ちで、天を渡る日が暮れてしまうと、私の衣の袖(そで)は涙で濡れてしまうのでした。
巻13⁻3324:かけまくもあやに畏し藤原の都しみみに.......(長歌)
標題:挽歌
標訓:挽歌(ばんか)
原文:挂纒毛 文恐 藤原 王都志弥美尓 人下 満雖有 君下 大座常 徃向 羊緒長 仕来 君之御門乎 如天 仰而見乍 雖畏 思憑而 何時可聞 日足座而 十五月之 多田波思家武登 吾思 皇子命者 春避者 殖槻於之 遠人 待之下道湯 登之而 國見所遊 九月之 四具礼之秋者 大殿之 砌志美弥尓 露負而 靡芽子乎 珠多次 懸而所偲 三雪零 冬朝者 刺楊 根張梓矣 御手二 所取賜而 所遊 我王矣 烟立 春日暮 喚犬追馬鏡 雖見不飽者 万歳 如是霜欲得常 大船之 憑有時尓 涙言 目鴨迷 大殿矣 振放見者 白細布 餝奉而 内日刺 宮舎人方 (一云、 者) 雪穂 麻衣服者 夢鴨 現前鴨跡 雲入夜之 迷間 朝裳吉 城於道従 角障經 石村乎見乍 神葬 々奉者 徃道之 田付叨不知 雖思 印手無見 雖歎 奥香乎無見 御袖 徃觸之松矣 言不問 木雖在 荒玉之 立月毎 天原 振放見管 珠手次 懸而思名 雖恐有
万葉集 巻13⁻3324
作者:不明
よみ:かけまくも あやに恐(かしこ)し 藤原の 王都(みやこ)しみみに 人はしも 満ちてあれども 君はしも 大(おほひ)に坐(いま)せど 行き向ふ 年の緒長く 仕(つか)へ来(こ)し 君の御門(みかど)を 天のごと 仰ぎて見つつ 畏(かしこ)けど 思ひ頼みて いつしかも 日足らしまして 望月の 満(たたは)しけむと 吾が思(も)へる 皇子の命(みこと)は 春されば 植(うゑ)槻(つき)が上の 遠つ人 松の下道ゆ 登らして 国見遊ばし 九月(ながつき)の 時雨(しぐれ)の秋は 大殿の 砌(みぎり)しみみに 露負(お)ひて 靡ける萩を 玉たすき 懸けて偲(しの)はし み雪降る 冬の朝(あした)は 刺楊(さしやなぎ) 根張り梓を 大御手(おほみて)に 取らし賜ひて 遊ばしし 我が王(おほきみ)を 烟(けぶり)立つ 春の日を暮らし 真澄鏡(まそかがみ) 見れど飽かねば 万歳(よろづよ)に かくしもがもと 大船の 頼める時に 泣く吾(わ)れ 目かも迷へる 大殿を 振り放け見れば 白栲に 飾りまつりて うち日さす 宮の舎人(とねり)も (一云 はく、は) 栲(たへ)の穂(ほ)の 麻衣(あさぎぬ)着れば 夢かも 現(うつつ)かもと 曇り夜の 迷(まと)へる間(ほと)に 麻裳(あさも)よし 城上(きのへ)の道ゆ 角(つの)さはふ 磐余(いはれ)を見つつ 神葬(かみはふ)り 葬(はふ)り奉(まつ)れば 行く道の たづきを知らに 思へども 験(しるし)を無(な)み 嘆けども 奥処(おくか)をなみ 大御袖(おほみそで) 行き触れし松を 言問(ことと)はぬ 木にはありとも あらたまの 立つ月ごとに 天(あま)の原 振り放け見つつ 玉(たま)襷(たすき) 懸けて偲(しの)はな 畏(かしこ)くあれども
意訳:言葉に表すのもとても恐れ多い藤原の宮は王都として多くの人々で満ちていて、貴い御方はたくさんいらっしゃるが、去り来る年月を長くお仕えして来た、貴い貴方の宮殿を天空を見るように仰ぎ見ながら、恐れ多いことではありますが、貴い貴方を思いお頼り申し上げて、いつごろには成長なされて満月のように満ちたりなされるのでしょうと私が思っていた皇子の尊は、春になると植槻のほとりの、遠くに出かけた人を待つ松の下道を通って山にお登りになって国見をなされて、九月の時雨の秋には御殿の砌に一面に露が着いて、風に靡く萩の花を玉のたすきのように紐に貫いて飾って秋をお楽しみになり、美しい雪が降る冬の朝には挿し木の楊の根が張るように弦を張った梓弓を御手にお持ちになられて的当てを為された我々の王を、民のかまどに煙が立ち、春霞の春の一日を穏やかに過ごし、願うものを見せると云う真澄鏡を見ていても飽きることがないと、万代にまでこのようにあるでしょうと、大船のように頼もしく思っていた時に、泣いている私。その私の目も間違ったのでしょうか、御殿を振り返って見ると、葬送の白栲に飾り付けられて、日の射し込む御殿に仕える舎人も栲の立派な麻衣を着ているので、夢でしょうか、現実でしょうかと、曇った夜に道を迷うように戸惑っている間に、麻の裳が良い城上の道を通って、でこぼこ道の磐余の里を横に見ながら、貴い貴方を神として葬送を行い申し上げると、今後の生き方を知らないので、貴方を思ってみてもどうしようもなく、それを嘆いてみても、御姿はない。貴方の立派な御袖が行き触れた松を名残として、言葉を語らぬ木ではあるが、あら魂の月が代わるたびに、貴方が登られた天の原を仰ぎ見上げて、玉のたすきを懸けて偲びましょう。恐れ多くはあるが。
◎亡くなられたのは、どの皇子でいらしたのでしょうか。草壁皇子でも、高市皇子でもありません。一説に弓削皇子説もありますが、歌で「何時可聞 日足座而(いつしかも 日足らしまして)」と詠うように年若い皇子でなければならない条件から、現在まで該当する皇子は不明です。また、万葉集の歌が示す藤原京時代に大嘗祭を迎える前の皇太子が亡くなられているとする歴史と日本書紀や続日本紀が示す歴史とが違うため、実に不思議な挽歌となります。
巻13⁻3346:見欲しきは雲居に見ゆるうるはしき鳥羽の松原.......(長歌)
原文:欲見者 雲居所見 愛 十羽能松原 小子等 率和出将見 琴酒者 國丹放甞 別避者 宅仁離南 乾坤之 神志恨之 草枕 此羈之氣尓 妻應離哉
万葉集 巻13⁻3346
作者:不明
よみ:見欲(ほ)しきは 雲居に見ゆる うるはしき 鳥羽(とば)の松原 小子(こども)ども いざわ出で見む 琴(こと)酒(さけ)は 国に放(さ)けなむ こと避(さ)けは 家に離(さ)けなむ 天地の 神し恨めし 草枕 この旅の日(け)に 妻離(さ)くべしや
意訳:見たいと思うのは雲の彼方に見える愛しい鳥羽の松原よ。供の者たちを率いて出て見よう。琴を奏でるような風雅な宴会は故郷で開こう、もの忌みならば家でお籠りしよう。天と地の神が恨めしい。草を枕とするこの旅路の中での、この日に妻と死出の離別をするべきでしょうか。
◎この歌は「さけ、さく」の音の言葉を集めた歌ですが、宴会を示す「琴酒(ことさけ)」、物忌みを示す「別避(ことさ)け」、宴会を開催する「放(さ)け」、塗り籠に籠り隔離する意味の「離(さ)く」、死出の離別である「離(さ)く」等と、それそれで意味が違います。このように歌の表現に非常に技巧を凝らしていますが、その分だけ自分の妻の死去に対する挽歌の歌としてはどうでしょうか。少し、不思議に感じます。
およそ、作歌者の想いは色々な「さく」で表現される動作を伴う物事は旅の途中ではしない(物忌む)から、天神地祁は一族郎党を率いてのこの旅の途中で、私と妻とを「離(さ)く」ことをするべきでないとするのでしょう。それで、「妻の死」を直接に表す言葉が、一つも長歌や反歌にもない理由なのでしょう。もし、そうですと、この歌は二重に難解です。
ところが、この物忌みの言霊の世界の難解さを感じる前に、普段の解説では歌の内容への不思議さが先に来ます。そして、この歌の内容への不思議さを避けるために、普段の解説では「さけ、さく」の音の言葉をすべて異字同義語としていて、別れる意味合いで「離(さ)く」の意味を取ります。その結果、筋の通った和歌としての現代語訳には苦労します。
ウェブニュースより
藤井聡太竜王のA級持ち越し 首位キープも2位が勝利「自力で昇級できるのでしっかり」最終局へ ―― 将棋の史上最年少4冠、藤井聡太竜王(王位・叡王・棋聖=19)が3日、東京・千駄ケ谷「将棋会館」で行われた第80期順位戦B級1組、阿久津主税八段(39)戦で快勝し、対戦成績9勝2敗とトップをキープした。
午前10時から藤井の先手で始まった対局は、横歩取りから飛車角を交換して打ち合う展開になった。「構想の立て方が難しかった」と振り返ったが、午後8時52分に81手で勝利した。
https://www.youtube.com/watch?v=ohat5tfJBwU
同日、大阪市「関西将棋会館」で行われた松尾歩八段(41)対稲葉陽八段(33)は午後10時35分、2位追走の稲葉が松尾に94手で勝ち、8勝3敗とした。
このため、藤井のA級昇級は、3月9日に行われる最終局の佐々木勇気七段(27)戦に持ち越された。佐々木を下せば、初のA級入りが決まる。「(あと1勝で)自力で昇級できるので、しっかり集中して臨みたい」と話していた。
A級は10人総当たりで22年6月あたりから23年3月まで、ほぼ月1局ペースで行うリーグ戦。成績最上位者は23年4~6月開催予定の名人戦7番勝負の挑戦者となる。藤井がここに登場して来年、名人を獲得すれば、遅くとも20歳11カ月。谷川浩司現九段(59)が1983年(昭58)に達成した21歳2カ月の史上最年少記録を上回る。 [日刊スポーツ 2022年2月3日23時8分]
sechin@nethome.ne.jp です。
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