塾長のスピーチに続いて乾杯。
写真のIkuoちゃんは、Kouちゃんの弟君です。星野義一君のお姉さんの恵子女史と結ばれ、私が媒酌を務めさせていただきました。
乾杯が終わる頃には全員がそろったようで、それぞれグループごとに雑談です。
女性陣グループの説明に入ります。
1枚目のカラー写真の賀来・山岸の両女史は大洗からの臨海参加者です。因みに大洗時代のモノクロ写真を添付します。
Akemiさんは高学年になってからは、医務の手伝いで代々の医務部長のお手伝で、とうとう慈恵大の看護学校に入り、看護師になりました。
Kayoさんは、指導員になってからは鈴木道代(武藤、愛称はChabo)女史と親しく臨海が終わってからも、塾によく話に来てくれました。
Chabo女史は平瀬勝久氏の紹介で臨海の指導員として手伝ってもらいました。今年も忘年会参加する予定でしたが、母上のご逝去で急遽取止めになりました。
Chieko女史は、木島氏の妹の福嶋操子女史の紹介で、臨海の指導員として手伝ってもらうことになりました。小学W生が熱を出したときなどはNabeちゃんと寝ずの看病をしてくれたこともありました。しかし、二人が紅い紐で結ばれ、私が媒酌の労を取ることなど夢にも思っていませんでした。
カラー写真の2枚目は永田光広夫人の三千代さん(旧姓、瀬古 愛称はミッチー)・岡本智子さん(旧姓は小櫃 愛称はオビッちゃん)・成島典子さん(Naruちゃんの夫人)で、昭和40年生まれ組です。
ミッチーは聖天町の頭の娘さん、臨海でいつの間にかMitsuhiro氏と睦まじくなり、私が媒酌を務めました。Kazuhiro君は二人の次男坊です。
オビッちゃんは、久しぶりの忘年会参加です。昔から色が白く、海の肌焼けで苦労していたようです。
典子女史は成島淳一氏の夫人です。旦那に美味いものばかり食べさせ、私が写真で見間違えるほど太らせてしまったようです(昨日のブログ参照)。
上の2枚目の写真のShingo氏については、先のブログで説明しましたが、私事ではありますが、付け足していただきます。
私が42歳の厄年の事ですから、今から40年以上も昔になりますが、私の母が九州から上京して、元旦を国分寺にいた叔父(母の実弟)の家で過ごすことになりました。母はそこで旅の疲れが出たのか風邪をこじらせたのか、とにかく具合悪くなり、私に引き取ってくれとの連絡が入りました。この時Shingo氏が車を出してくれて、浅草~国分寺を往復してくれました。国分寺から浅草までの母と私を乗せて、とても気を使った安全運転で走行してくれました。浅草の塾舎から二階の我が家に着いて、母は突然発作を起こしたのですが、その日は休日でどこの病院もやっていませんでした。Shingo氏は友人に頼み込んで友人の父であるK医師に来診してもらうことができました。K医師は診断の結果救急車を呼んでくださり、千束の聖愛病院に入院することができました。母入りました。それから3か月もち、春休みの4月の初めに息子達に看取られて聖愛病院で旅立ちました。今でも母の話が出ると、あの時のShigo氏を思い出し心の中で「ありがとう」と手を合わせています。
3枚目の写真のIkuo君の両脇にいる池上尋之氏(愛称はIkeさん)と柏木一朗氏(愛称Nenpai)は同期?です。
Ikeさんは小学4年から参加、確か青山から北大に進学したと思います。
柏木氏は小学5年から参加、父上は大相撲の那智ノ山で、当時の峰崎親方です。
全然泳げなかった彼が初めての参加で遠泳をして帰ったということでご両親の喜び一方ならぬものでした。専大を卒業後さらに法大に入学、Kouちゃんと並んで指導員として最も長く務めてくれました。なぜか女子生徒からはNenpaiと呼ばれていました。少し老けて見えたのかな?
sechin@nethome.ne.jp です。
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