瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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12月8日(土)に、例年のように塾友の忘年会がありました。今年は私のカメラで、K女史が会の様子を写していたようですが、後から急遽参加してくれたMayumi女史の写真が入っていませんでした。Maumi女史より10年ほども後輩のK女史ですから、気づかずにいたのも無理からぬことです。


というわけで、Mayumi女史について「社会貢献ジャーナル」の記事を紹介します。


国境なき医師団(Medecins Sans Frontieres:以下MSF)は、中立・独立・公平な立場で医療・人道援助活動を行う、民間・非営利の国際団体である。1971年にフランスで設立され、1992年に日本事務局が発足。現在は、世界各地に28の事務局を設置している。(中略)


MSFのプログラムの大半は開発途上国で展開されている。その舞台のひとつ、南スーダンでは紛争が長引き、マラリア流行などの問題が深刻化している。MSFが全国10州のうち9州で活動している25件のプログラム(201411月時点)のうち、20146月~12月の期間、西エクアトリア州・ヤンビオのプログラムに参加したMSF日本の小児科医、岩川眞由美さん(61歳)は次のように語っている。


 


「入院ベッド70床、外来患者が1100人程いるキャンプで活動を行いました。その地域ではマラリア感染での死亡者が多いため、MSFはマラリアに非常に有効な薬を用意しています。チームのロジスティシャン(物資調達などを行う)が迅速に輸送してくれたおかげで、感染した子どもでも、早期に注射をすれば助けることができました。


その逆に、受診するのが遅れた子どもは助けてあげることができず、毎日大きな喜びを感じられるとともに同じだけの悲しみがありました。私たち医師と看護師が治療にあたるのと同時に、教育担当のメンバーが村々を回り、保健知識の教育をしながら蚊帳を寄付し、感染予防の周知にも努めました。自分たちが帰った後のことを考えながら、物資や薬の支援を行う別の支援団体に引き継ぎを行うなど、地域のベースが下がらないように支援活動を行うのがMSFの基本です」。


医学部時代から、「医療の足りない国や地域で働く医師になる」という将来像をイメージしていた岩川さんだったが、大学病院での勤務は多忙を極め、なかなか夢には届かなかったという。しかし、MSF日本が医師、看護師の募集を開始したことを知ると、1997年よりMSFの活動に参加し、1998年に中国・広西チワン族自治区へ派遣された。2013年には大学病院を早期退職。20132014年、イラクへ派遣。3回目の活動参加で南スーダンに派遣された。今後も半年間のスパンを空けて、自分のペースでMSFの活動に専念していきたいと考えている。


 


 岩川さんに、MSFの海外派遣スタッフとして参加することの意義を聞いた。


「怪我に対処することをよく『手当』と言いますが、まさに現地での医療は手当です。画像診断などの機器はなく、本当に聴診器と手だけで診察していきます。患者さんを正面から見て、そして健康状態を診る。これが医療の原点だと思い起こさせてくれました。本当の意味で、自分が手に職としてつけた医療技術が誰かの役に立つことを自覚させてもらえる。そして患者さんから多くのことを学び、成長させてもらいながら、たくさんの喜びをもらうことができました」。(後略)


 


会が始まって間もなく隣席にいたNabeちゃんに「前野が逝って何年になる?」と尋ねると「去年7回忌でした」との答えであった。いやはや、小学・中学を通して健康優良児であり、いつも明るくみんな(花の二八組)の中心だった前野祐二君が皆に先がけて逝ってしまうとはね…… 涙をこらえてぐっと唾を飲み込ます。


 


「岩川さんは今も海外にいるのかな?」「いや、今は日本にいるはずですよ」とNabeちゃんが携帯で電話してくれます。というわけで、今回の参加になった次第です。


Mayumi女史の母上(門司高女28回生)は私と同郷で私の姉(門司高女34回生)の先輩でもあります。昨年97歳の高齢で亡くなられたとのことです。


Mayume女史の話によると、海外出張中で母上の死に目には会えなかったのことですが、兄上・姉上・お孫さんに看取られての大往生だったそうです。


久しぶりの再会だったので何から話してよいやら、あっという間に会は終わってしまいました。


 


昨夕刻郵便受けに、夕刊と一緒にKanami女史からの封書が入っていました。中に3枚の写真が入っていました。私がKanami女史に借用を依頼したものです。


忘年会の日に私に見せてくれた30年前の写真3枚が入っていました。村井先生とNabeちゃん・私の3人で暫し見入った写真です。


 


早速パソコンでスキャンしました。







ウェブニュースより



藤井聡太七段が最速100勝 最年少で最高勝率 ―― 将棋の藤井聡太七段(16)は12日、東京都渋谷区の将棋会館で指された第27期銀河戦(囲碁・将棋チャンネル主催)で阿部健治郎七段(29)を破り、史上最速、最年少、最高勝率で公式戦通算100勝目(18敗)を挙げた。



 



201610月にプロとなって22カ月、164カ月、847厘での到達で、最年少記録を次々と塗り替える高校生棋士が、並み居る歴代のトップ棋士を抜いた。



 



日本将棋連盟によると、中学生の時にプロ入りした棋士、永世称号獲得者の中でこれまでの最速、最年少は羽生善治竜王(48)の23カ月、176カ月で、最高勝率は中原誠十六世名人(71)の826厘(10021敗)。



対局を終えた藤井七段は「一つの区切りに達し、感慨深く、うれしく思う。勝率などこれまでの成績は自分でも驚いている」と話した。



藤井七段は、最年少の142カ月でプロ棋士の四段に昇段。17年、デビューから無敗で最多の29連勝を樹立。182月には全棋士が参加する棋戦で最年少優勝を飾った。17年度は記録全4部門(対局数、勝率、勝利数、連勝)で1位となり、抜群の成績を残した。



今年春、高校進学後も目覚ましい活躍を見せて、5月、最年少で七段に昇段。10月には若手プロ棋士らが対象の新人王戦で初優勝を果たした。


本局の模様は、囲碁・将棋チャンネルで来年35日に放送される。   〔共同 2018/12/12 18:40 (2018/12/12 19:53更新)

 




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