瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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今年の忘年会で、昭和40年生のMM氏が初めて参加してくれました。今後の連絡先が分からないので、本人から私にメールしてくれれば嬉しいと、KA氏にお願いしましたところ、今朝ほどMM氏からメールが入っていました。曰く、


日高先生へ


KA君から、連絡を受け、メールさせていただきます。


8日は、突然とおうかがいして申し訳ございませんでした。


久しぶりに先生とお会いできて、うれしかったです。


もう少し、お話したかったのですが、ああいう席だったので、それもままならず申し訳ございませんでした。


小学3年から、中3まで、本当にお世話になりました。先生の教えが私の基礎を形成しているのは間違えございません。


仁科の夏合宿にも、小4、5年、中1と3回、参加させていただきました。


夏がくるたびに、仁科の海のことを思い出します。O先輩はじめ、諸先輩方に精神的に鍛えられました。


少しばかり、私のことをお話させていただきます。


早大政経学部卒業後、産経新聞に入社しました。


夕刊フジに配属になり、報道部で事件取材をし、運動部でプロ野球を取材しました。


ちょうど、松井秀喜が入団し、長嶋茂雄氏が監督に復帰したころで、長嶋氏とは4年ほど、楽しい時間を過ごすことができました。


その後、産経新聞政治部に異動しました。


2000年ごろから、だんだん仕事がつまらなくなり、他社の中途採用試験を受けたのですが、最終面接で2社ほど落ちたとき、社内留学の話が出てきました。


もともと英語は得意な方ではないのですが、「とことんやってみよう」と思い、社内試験を受けたところ、合格し、英国のESSEX universityの大学院に留学しました。


英国は1年でマスターが取得でき、何とか、国際政治学の修士を取得しました。


振り返れば、この留学が運命の分岐点でした。


英語力がないので、家族を連れていくつもりはなかったのですが、妻が「日本にいてうちの両親といるのが嫌だ」といい、妻と2人の子供をつれての留学となりました。かなり無理をしてしまい、自律神経を患ってしまいました。


帰国後、妻が「自分の出身である関西に戻りたい」というので。大阪に転勤しました。ところが自律神経は治らず、いわゆる躁うつ病になり、何度か会社を休みました。そして妻との仲もぎくしゃくし、妻は出ていき、離婚しました。


そんな13年間の大阪時代でしたが、今年1月、ようやく東京に戻ることができました。


上の女の子は20歳になり、専門学校に通っています。下の男の子は、中学受験をし、関西大一中に入学したのですが、校風にあわず不登校になり、今は通信制高校に通い、高3となり、今は大学受験勉強中です。


毎月の仕送りと学費で、ヒーヒー言っております。


まだ躁うつ病は完治しておらず、投薬治療は続けていますが、何とか仕事はできています。


うちの両親もまだ健在です。父は昭和10年、母は昭和16年です。本日、日高先生のお話をすると、母は「先生もお元気なのね」と申しておりました。


長々と、自分のことばかり、記してしまいました。申し訳ございません。


長年、不義理をしていたのに、温かい言葉をかけていただきありがとうございます。


現在は産経新聞社広報室PRグループというところにおり、イベントの手伝いなど、総務的な雑用をしております。


来年の忘年会とはいわず、また先生や奥様とお会いする機会を与えていただければ、望外の喜びでございます。


いつまでもお元気でいてください。   MM


(住所・電話 略)


 


ウェブニュースより


紀平梨花、GPファイナル初優勝 デビューシーズンで制覇の快挙 ―― フィギュアスケートのグランプリ(GP)ファイナル第3日は8日、バンクーバーで行われ、女子フリーで150.61点、ショートプログラム(SP)との合計で233.12点の紀平梨花(関大KFSC)が、2連覇を目指す平昌冬季五輪女王のアリーナ・ザギトワ(ロシア)らを破り初優勝した。


 


 16歳の紀平は、日本女子としては2005年大会の浅田真央さん以来のGPデビューシーズン初制覇。坂本花織(シスメックス)は4位、宮原知子(関大)は6位だった。   〔毎日新聞2018129 0757(最終更新 129 0926)


 


藤井七段、公開対局で佐藤名人破る ファンの質問に苦笑 ―― 名古屋市中区で9日、将棋イベントがあり、佐藤天彦名人(30)と高校生棋士の藤井聡太七段(16)が非公式の公開対局に臨んだ。約800人のファンが見守るなか、藤井七段が120手で佐藤名人を破った。


 


2人は1月、名古屋市で指された朝日杯将棋オープン戦(公式戦)の本戦準々決勝で対戦し、藤井七段が勝利。当時はまだ中学生の四段棋士で、将棋界の頂点に立つ名人を破る「大金星」だった。藤井七段は佐藤名人に2連勝。解説を務めた斎藤慎太郎王座(25)によると、公式戦ではほとんど例がない戦型となった。藤井七段は「序盤から一手一手が難しい将棋だった」。佐藤名人は「苦しい展開が続いて差がついてしまった」と振り返った。


https://www.youtube.com/watch?v=vfWF1PxCeaI


記者会見で佐藤名人は「(群雄割拠の将棋界で)タイトルに挑戦できそうな人は多いが、藤井七段は上位にいる。タイトルに手が届く勢いがあり、10代のうちに獲得する高い可能性がある」と指摘。藤井七段は「トップ棋士との対局で感じた課題や弱さを克服できれば、その先にタイトルが見えてくる」と話した。


ログイン前の続き今年を漢字一文字で表現するよう促され、藤井七段は「進」と回答。「(朝日杯将棋オープン戦と新人王戦の)二つの棋戦に優勝できた。自分の課題を痛感させられたことも含めて、進歩、前進につながる一年だった」と振り返った。


藤井七段は対局前、トークショーにも参加。一緒に加わった師匠の杉本昌隆七段(50)は指導法について、「師匠に意見が言いやすい雰囲気を大切にしている」と話した。藤井七段は「自由に意見が言える環境だからこそ強くなれたと思う」と応じた。師匠と酒が飲めるようになったら何を話したいかを問われると、「お酒はあまり自信がない。そういう機会が訪れたら、ざっくばらんに話をしたい」。杉本七段は「ざっくばらんに将棋の話ばかりになると思う」と笑いを誘った。


会場からの質問にも答えた。師弟で互いに好きなところを聞かれ、藤井七段は「どんなときも温かく見守ってくれる」。杉本七段は「勝負に貪欲(どんよく)。棋士としての資質がすばらしい」。藤井七段は好きな女性のタイプも問われ、「一番困る質問が来た。現段階では……保留でお願いします」と苦笑しきりだった。


(朝日新聞DIGITAL 20181292110分)


 


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1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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