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ウェブニュースより
  鳩山邦夫氏死去 荒波の政治人生 友愛掲げ「兄と仕事を」 ―― 鳩山邦夫氏は田中角栄元首相の秘書を務めた後に政界入りし、ホープと期待された。しかし、一九九三年に自民党を離党した後の半生は、激動の政界再編の荒波にもまれ続けた人生だった。


 祖父は元首相、父は元外相、曽祖父も衆院議長を務め、「鳩山ファミリー」と呼ばれる政治家一家だったことは知られている。兄の由紀夫氏も政権交代を果たし、首相まで上り詰めた。
 華麗な系譜の中で、邦夫氏は浮沈の激しい政治人生を歩んだ。九〇年代以降に激動した政界の中、時として自ら火中に身を投じていった。九三年の自民党離党では、政治改革の先導役を目指した。いまの民進党につながる九六年秋の民主党結党は、邦夫氏の存在を抜きには語れない。
 「兄が『友愛』の旗をしっかり立てるなら、一緒の旗の下で仕事をしたい」。邦夫氏はこの年の夏の終わりの八月下旬にこう言い、所属した新進党の離党を表明した。翌朝、都内のJR駒込駅に近い自宅前で見た晴れ晴れしい表情をよく覚えている。
 だが、決断は誤算につながることが多かった。青島幸男氏の後継を目指して転身を図った九九年の都知事選では、主要候補の中で最後に名乗りを上げた石原慎太郎氏に敗れた。民主党とも距離を置き、復党した自民党が野党時代だった二〇一〇年には、新たな再編を目指して再び離党した。だが、目指した新党の結成はかなわず、一二年末には政権復帰した自民党への復党を果たした。
 こうした経歴から「政界の渡り鳥」とも呼ばれたが、二度の自民復党が認められたのも邦夫氏の明るい、気さくな人柄があったのだろう。
 料理好きで、朝、取材のため自宅に行くと、残っていた食材でチャーハンを作ってくれたこともあった。熱狂的な中日ドラゴンズファン。チョウの収集家としても有名で、「地元秘書にはチョウの世話係もいる」と笑って話した。政治家としては時の運に恵まれなかった面もあるが、快活な笑い声が今も聞こえてきそうだ。 (東京新聞 2016623日 朝刊)


 


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