瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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溝上かをるさん(Dr.中村東樹主催の新ネット俳句の仲間)のフェイスブックに「アフリカの発展途上国への様々な支援をされている恵理さん、その先にはイラクや北朝鮮も視野に。優しさ、行動力、決断力・・素晴らしい若き女性の活躍に感動しました。」とあり、記事の紹介がありましたので、記載させていただきます。


2歳児の母がアフリカにかける思い JICA・中村恵理
 
 発途上国への支援などを行っている国際協力機構(JICA)。各国や国際機関と協力し、インフラ整備や農業開発、自然環境保全などに取り組んでいますが、職員たちは実際、どんな働き方をしているのでしょうか。JICA本部(東京都千代田区)で、アフリカ諸国の支援を担当している中村恵理さん(37)に、日々取り組んでいる仕事と、仕事を支えるランチについて聞きました。
アフリカの子どもたちを健康に
 アフリカの9か国を対象としたアフリカ部アフリカ第1課で、ケニアとルワンダの2か国を担当している中村さん。現地の大統領などからの要請を受けて、その国に必要な様々な施策が実行できるようサポートしています。例えば、ルワンダでは今、子どもの栄養不良を改善するための仕組みづくりを進めています。中村さんは、数か月に1度は現地に赴き、ルワンダ政府との協議だけでなく、実際に農民や子どもたちの暮らしぶりを見て、現地の状況に即した施策ができるように努めています。
 ただ、いくら良い施策を作っても、現地の慣習やニーズに沿っていなければ実行されません。例えば、子どもの栄養改善のためには、妊娠の段階での栄養面のケアや情報提供をすることが必要とされています。ルワンダの農村を訪問しましたが、妊婦の姿が見つかりませんでした。後になって、農村では、女性が周囲に妊娠を隠そうとする慣習があることを知りました。妊婦の早期発見が重要な施策であるにもかかわらず、簡単ではないことが分かりました。
 
 中村さんは「我々から見ると合理的でないことも、文化や歴史的背景から、弱い立場の人にとっては当たり前なこともある。まずは、行動の裏にある動機を解きほぐして働きかけなければ、施策は浸透しないんです」と話します。
 政府や関係機関の体制づくりをサポートしたり、プロジェクトを立ち上げたりするなど、「日本とアフリカをつなぐ窓口のような業務」も中村さんの仕事。様々な立場の意見を集約するのに苦労することも多いですが、「それぞれの国に『自分たちの国をなんとか良くしたい』という思いを持って国づくりに力を尽くしている方々がいる。JICAのノウハウを使って、その方々と『伴走』できることにやりがいを感じます」と、中村さんは目を輝かせます。
食堂もワールドワイド
 世界各国で職員が活動するJICAは、ランチも世界規模。東京・市ヶ谷の交流施設「JICA地球ひろば」にある食堂「J’s Cafe」では、週替わりでエスニック料理を提供しています。アルゼンチン、インドネシア、キューバ――世界各国の料理は、職員以外でも楽しむことができ、施設見学に訪れた修学旅行生らからも人気です。
 
 ふだんは、本部内の社員食堂や周辺でランチを済ませる中村さんですが、研修などで地球ひろばを訪れた際は、必ずこの食堂を利用するそう。駐在経験のある国の料理がメニューにあると、「懐かしい気持ちになって、『あ、あの料理がある!』とうれしくなりますね」。
 
 お気に入りはスーダン料理。中村さんは2009年から2年間ほど、南スーダンに駐在していました。当時は、スーダン共和国から独立する直前で、大きな建物もほとんどなく、事務所はプレハブ。コンテナや簡素なホテルで生活していました。ただ、現地の料理は、オクラやゴマ、ピーナツなど、日本と同じような食材を使い、味付けも日本人好みで食べやすかったそうです。
 スーダンでは、「ラクダの肉」にも挑戦したそう。「歯ごたえがあって、ジビエのような味わいでおいしかったですよ。向こうでは生で食べる人もいます」と教えてくれました。
アフリカ開発会議が日本で開催
 今年8月には、横浜市で「第7回アフリカ開発会議(TICAD)」が開かれます。日本が主導し、国連やアフリカ連合委員会(AUC)、世界銀行などと共同で行う国際会議で、アフリカ諸国の首脳らや、日本とアフリカのビジネスリーダーたちが一堂に会し、アフリカ開発の課題や、さらなる連携に向けて議論がおこなわれます。JICAではアフリカ部が主体となり、準備を進めています。
 
 アフリカ諸国は今、モバイル決済や輸血用血液のドローン輸送など、革新的な取り組みで注目を集めています。中村さんは「アフリカと聞くと、暗いイメージを持たれがち。でも、日本でもまだ見られないような先端技術を活用し、生活を良くしているといった明るい側面も、多くの人に知ってもらいたいですね」と期待を込めます。
平和構築につながる記憶
 発展途上国の平和のために奔走する中村さんの根底には、幼少期に祖父母から聞いた戦争体験の記憶があります。高校生の時、パレスチナ問題のニュースと祖父母の話が重なり、「祖父母の話を『何十年も前の話』と、人ごととして聞いていたけれど、今でも同じような体験をしている人たちがいるんだと驚きました」。
 
 平和構築のために何かしたいと漠然と考えるようになり、学生時代はNPOの活動を知るためにカンボジアへ。大学院では紛争研究に取り組み、06年、JICAに入りました。「第2次世界大戦から2世代後の我々は、当時と全然違う生活をしていますよね。世代が変われば、物事、世の中も変わる」と中村さん。紛争のある国でも、「何世代か後の人たちは、今の日本のように安心できる生活を手に入れられるかもしれない」と願いながら、平和のために貢献してきました。
アフリカに学ぶ子育て術
 南スーダンから帰国後の2011年に結婚。今は、2歳の子どもを育てながら働いています。海外出張の多い仕事ですが、子育てとの両立に不安はないそう。なぜなら、出産当日まで働いたり、産後すぐ仕事に復帰したりするアフリカ女性のパワフルな姿を間近で見てきたからです。
 
 「アフリカの人たちから、コミュニティーで子育てする文化や、『どうにかなる』というポジティブな考え方を学びました」と中村さんは話します。海外出張の際には、夫や両親がローテーションを組んで子育てに協力。出張中は、インターネット電話のスカイプなどで子どもと話をするのが楽しみの一つです。
 また、出産を経験したことで、海外での活動で妊婦や子どもを見ると、「母子手帳はあるのかな」「うちの子と比べて、この子たちは小さいな」などと気に留めるように。母親としての視点が生かされるようになったといいます。
いずれはイラクなどの紛争地域へ
 今はアフリカ支援のプロフェッショナルとして活躍している中村さんですが、入った時からの志望は「イラクや北朝鮮の、現地の人たちと一緒に国づくりに伴走したい」。まだ実現はしていませんが、子どもが大きくなったら、現地に駐在して平和構築に携わりたいと考えています。
 
 これまでの経験の全てが紛争地域の支援に生かされると信じる中村さん。「近い将来、紛争の絶えない地域での国づくりや人づくりにも関わり、少しでも地域が安定するよう力になれたら」   
(取材・文/メディア局編集部 安藤光里、写真/金井尭子)


 

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目高 拙痴无
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1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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