瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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史記 列伝 管・晏列伝 第二より
 管仲既任政相齊、以區區之齊在海濱、通貨積財、富國彊兵、與俗同好惡。故其稱曰:“倉廩實而知禮節、衣食足而知榮辱、上服度則六親固。四維不張、國乃滅亡。”下令如流水之原、令順民心。故論卑而易行。俗之所欲、因而予之;俗之所否、因而去之。其為政也、善因禍而為福、轉敗而為功。貴輕重、慎權衡。桓公實怒少姬、南襲蔡、管仲因而伐楚、責包茅不入貢於周室。桓公實北征山戎、而管仲因而令燕修召公之政。於柯之會、桓公欲背曹沫之約、管仲因而信之、諸侯由是歸齊。故曰:“知與之為取、政之寶也。”
管仲富擬於公室、有三歸、反坫、齊人不以為侈。管仲卒、齊國遵其政、常彊於諸侯。后百餘年而有晏子焉。

〈訳〉
a54a8f58.JPG 管仲は、政治を任されて斉の宰相になった。姓は微小な国で、しかも海に面した辺鄙に地であったが、貨物を流通させて蓄財し、国を富ませ兵力を強大にし、衆俗の好悪にしたがって大衆を導いた。それ故にその言説(『管子』牧民篇)にいう。
「人は、米倉が充実して初めて礼節を知り、衣食が充足して始めて栄辱を知る。上の行うところが法度にかなえば、六親(父・母・兄・弟・妻・子)は相親しんで堅固な状態になる。四維(国を治める四つの大綱。礼・義・廉・恥)が張り詰めていないと国はめつぼうする」
 精霊を下す場合には、水が水源から流れて次第に低きにつくがごとくに、民心に順応するようにした。それ故に、論議は卑近で実行しやすかった。衆俗の望むところはこれを与え、よく禍をきっかけにして福とし、失敗を転じて成功に導き、また、何事においてもその軽重をみきわめて慎重に釣り合いが取れるようにした。たとえば、実情は桓公が少姫(蔡の姫で、桓公の夫人)を怒って蔡を襲撃したのだが、管仲はそれをきっかけにして楚を伐ち、楚から周室に献上していた包茅(祭祀に用いる青茅のつつみ)が、楚の怠慢によっていつのまにか周室に入貢されなくなったのを責めている。また、実情は桓公が北のかた山戎を征伐したのであるが、管仲はそれをきっかけにして、燕(えん)にその祖である召公の善政を修めさせている。また、柯(か)の会盟(柯は地名、山東省。斉の桓公と魯の荘公との会盟)のときに、桓公は曹沫(そうばつ、生没年不詳、魯の将)との約束にそむこうとしたが、管仲は桓公を諌めて信を守らせている。このようなわけで、諸侯は斉に帰したのである。その故に、その言説(『管子』牧民篇)にいう。
「人に与えることが、実はやがて取ることになる――これを知るのが、政治の要諦なのだ」
 管仲の富は斉の公室に比肩するほどであり、三帰・反坫(三帰は台、反坫は盃をのせる道具で元来、諸侯の所有すべきもの)もあった。しかし、斉の人々は管仲の功労を多とし、かれが奢っているとは思わなかった。管仲が死んでからも、斉はその施政にしたがい、つねに諸侯の間において強盛であった。管仲の死後、百余年経って晏子(晏平仲嬰)があらわれた。
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