蕨(わらび)を詠んだ歌
蕨(わらび)はイノモトソウ科の多年草で、早春に山野で巻いた新芽が特徴です。この新芽は早蕨(さわらび)と呼ばれ、食用になります。万葉集には1首だけに登場です。
1418: 石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも
※志貴皇子(しきのみこ、?~715/716年)
天武朝~奈良時代初期の皇族政治家、万葉歌人です。施基,芝基,志紀とも記します。天智天皇の第7皇子で、母は越道君伊羅都売 (こしのみちのきみいらつめ) 。光仁天皇、湯原王、榎井王の父です。天武8(679)年の吉野での盟約に加わり、持統3(689)年に撰善言司(よきことえらぶつかさ)。大宝3(703)年太上天皇の御葬送の造御竈長官。慶雲4(707)年文武天皇崩御のとき殯宮 (ひんきゅう)に供奉します。霊亀元(715)年二品(律令制で、一品から四品まである親王の位階のうち第二等)。のちに春日宮御宇天皇と追尊され,田原天皇とも称されました。『万葉集』に短歌6首を残します。歌数は少いが流麗明快で新鮮な感覚をもつ歌風は高く評価されています。
ウェブニュースより
藤井七段「開き直って踏み込んだ」大逆転王位戦連勝
将棋の最年少プロ、藤井聡太七段(17)が大逆転で連勝した。初防衛を目指す木村一基王位(47)に先勝した、第61期王位戦7番勝負第2局が14日、札幌市「ホテルエミシア札幌」で行われ、13日からの2日制での対局は午後7時40分、劣勢の後手藤井が、自玉の詰みをかわして粘った末に反撃し、144手でひっくり返した。16日に控えた、渡辺明棋聖(36)との棋聖戦5番勝負第4局での最年少タイトル獲得へ、大きく弾みを付けた。なお、王位戦の第3局は8月4、5日、神戸市で行われる。
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苦しい対局で、藤井が大きな2勝目をもぎ取った。初日から1手のミスも許されない、スローペースの相掛かりに持ち込まれた。2日目となったこの日の夕方は、明らかに劣勢だった。各8時間の持ち時間もどんどん削られる。「収拾がつかなくなって、苦しくしてしまった」。午後5時の段階で、木村が1時間16分もあったのに対し、藤井は20分しかなかった。
前局、棋聖戦5番勝負第3局の渡辺戦で敗れた時と同様、先に時間を使わされる。必死の防戦から最善を尽くし、逆転への糸口を探り出した。木村が寄せ損ねたのも味方した。「最後まで分からなかった。開き直って踏み込んだ」。形勢は覆り、30歳年長の王位が、投了を告げていた。
初日の封じ手場面、先輩棋士に「一日の長」を見せつけられた。初めて体験した封じ手。用紙の入った封筒の署名を忘れ、木村に指摘を受けた。立会人の深浦康市九段(48)からは封筒を差し出す向きも指導された。初の2日制7番勝負で、初々しさを見せたのは、この場面だけだった。
開幕局、ペース配分という課題も感じた。「初めてで分からないところが、経験できて分かった」と話していた。土壇場で集中力を発揮した。
19年度まで、史上初の3期連続「勝率8割超え」を誇る。収録日と放送日の異なるテレビ棋戦を除けば、連敗は17年8月棋王戦の豊島将之八段戦と9月加古川青流戦の井出隼平四段戦、18年9月棋王戦の菅井竜也王位戦と王位戦予選の山崎隆之八段戦(肩書、段位は当時)しかない。勝負強さを、粘りが身上の「将棋の強いおじさん」に見せつけた。
15日には札幌から大阪へと移動し、16日の棋聖戦第4局に備える。「どの対局もいいコンディションで迎えられるようにしたい」と、抱負を口にした。
四段デビュー時、扇子には「大志」と揮毫(きごう)した。明治時代、札幌農学校に招かれたクラーク博士が発した「少年よ、大志を抱け」の名言の一部だ。七段扇子には、「飛翔」と書いている。北の大地からタイトル獲得という大志を抱いて勇躍、飛翔する。 「日刊スポーツ2020年7月14日21時49分]
sechin@nethome.ne.jp です。
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