瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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  ウェブニュースより。
cdef2fa3.JPG 存在感増す「地域政党」=国会議員も急接近-統一選 ―― 4月の統一選に向け、発信力のある首長率いる「地域政党」が存在感を増している。河村たかし名古屋市長が代表を務める「減税日本」や橋下徹大阪府知事の「大阪維新の会」は、市議選や府議選に公認候補を多数擁立。各議会で主導権獲得を狙う。国会議員も地域政党人気にあやかろうと河村氏らに急接近。民主党の原口一博前総務相は新たな政治団体「日本維新の会」を設立する方針を表明し、解散・総選挙も視野に両氏との連携を模索する。今後、地域政党をめぐる動きは国政を巻き込んで活発化しそうだ。
 ◇66万票に揺れる既成政党:2月6日の「名古屋トリプル投票」。河村氏は、愛知県知事選で盟友の大村秀章氏を初当選に導き、自ら仕掛けた直接請求に基づく住民投票で市議会を解散に追い込んだ。辞職・再出馬した出直し市長選では、民主、自民の二大政党が事実上相乗りした候補らに圧勝。同市長選で過去最高となる662251票を獲得し、4年前の前回市議選(定数75)当選者全員の合計得票数60万5374票を上回る驚異的な集票力を見せつけた。/勢いに乗る河村氏は、今月13日投開票の出直し市議選で「減税日本」の公認候補を40人以上擁立し、過半数の議席確保を目指す。「市長選の河村票を考えれば(減税日本の過半数獲得は)現実的」(前民主党市議)-。河村人気を目の当たりにした既成政党は戦々恐々だ。4月の愛知県議選を前に、早くも民主党の現職県議が同党を離党して「減税日本」公認にくら替えする動きも出ている。
 ◇「日本維新の会」に党内対立の影:民主党内では、小沢一郎元代表に近い新人の衆院議員16人が菅直人首相に公然と退陣要求するなど党内対立が深刻化し、内閣支持率は下落の一途だ。小沢氏に近い原口氏がこの時期に「日本維新の会」旗揚げを表明した背景には、次期衆院選で苦戦が予想される小沢系議員の受け皿をつくりたいとの思惑が透けて見える。/小沢氏は2月8日に国会内で河村氏と会談して連携を確認。原口氏は、橋下氏や東京都知事選出馬の意向を固めた東国原英夫前宮崎県知事に「地域主権に前向きな人たちの連合をつくる」と秋波を送る。これに対し、橋下氏は「連携が国政についてとなると、一線を画す」と距離を置き、東国原氏は「労を惜しまない」と協力の意向を伝えた。
 ◇新たな追認機関の可能性:一方、知事、市長が自ら地域政党を立ち上げて議会支配を目指す河村氏らの手法に全国の首長は否定的だ。地方自治は、ともに住民から直接選ばれた首長と議員が相互監視する「二元代表制」を採用しており、「議会のチェック機能が失われる」(麻生渡福岡県知事)との声が強い。/ただ、現在多くの地方議会が首長の意向を追認するだけの機関と化しているのも事実。全国都道府県議会議長会によると、2009年に47都道府県議会が知事提出議案を原案通り可決・承認した率は99%に上る。/地域政党の躍進によって首長の意に沿う議員が議会で多数派を形成すれば、新たな追認機関が生まれる可能性がある。名古屋市議選や大阪府議選などで有権者がどのような選択をするのか、判断が注目される。 (jijicom.2011/03/02-16:30)
e464a0cf.JPG 丸山センセイ都知事選に前向き 慎太郎の動向見極め結論 ―― 自民党の丸山和也参院議員(65)が東京都知事選(4月10日投開票)への立候補を検討していることが3日、分かった。一部の自民党幹部に意向を伝えた。ただ、現職の石原慎太郎知事(78)が進退を明言しておらず、その動向を見極める意味もあり、丸山氏は「来週までに結論を出したい」としている。/丸山氏は1946年、兵庫県生まれ。早大法学部卒業後、司法試験に合格し、国際弁護士として活躍した。日本テレビ系「行列のできる法律相談所」に出演し、人情派弁護士として人気者に。同局の「24時間テレビ」で100キロマラソンに挑戦・完走したこともある。/2007年7月の参院選に自民党公認(比例区)で出馬し、「政治に魂を!」「不正に異議あり」などとアピールして当選した。現在1期目。/前回の都知事選(07年4月)でも、丸山氏は立候補届け出に必要な書類を、都選挙管理委員会から取り寄せており、以前から、都知事職には関心を持っていたようだ。/都知事選には現時点で、大手居酒屋チェーン「ワタミ」前会長の渡辺美樹氏(51)、神奈川県の松沢成文知事(52)、共産党の元参院議員小池晃氏(50)らが立候補を表明。宮崎県の東国原英夫前知事(53)も出馬の意向を固めている。/このほか、発明家のドクター・中松氏(82)=本名・中松義郎=も無所属で立候補する意向を固め、3日夕に都庁で会見し、正式に表明する。 (zakzak.2011.03.03)

4eef4262.JPG 曾鞏(そうきょう、1019年 - 1083年)は中国・北宋の散文家。字は子固(しこ)、諡(おくりな)は文定。江西省南豊の出身で、唐宋八大家の一人。39歳にして進士試験に合格し、国立図書館につとめた後、中書舎人となった。欧陽脩の影響を受けて優れた古文を書き、清の桐城派(清代の古文家の一派)の文章に影響を与えた。
 六朝・晋の書家王羲之(おうぎし、303~361年、)が池の縁で書を習い、池の水が墨で真っ黒になったという伝説の跡について記した『墨池記』は、王羲之ほどの天才も、その技能は天与のものでなく、努力の賜物であることを強調する。曾鞏30歳の作である。
47d42df0.JPG   王羲之の墨池の記
 臨川(江西省臨川県)の町の東に、こんもりと盛り上がった土地があり、真下にたにがわが流れていて、「新城」と呼ばれる。新城の上にくぼみがあって長方形の池を成している。これを王羲之の墨池と呼ぶのは、荀伯子(じゅんはくし、378~438年、六朝・宋代の人)の『臨川記』の説である。王羲之は昔張芝(ちょうし、生没年不詳、後漢の書家)を慕って、池のそばで書を学び、池の水が真っ黒になった。ここがその古跡だというのだが、本当にそうだろうか。王羲之はどうしても仕官しようとしなかったとき、東方の諸国を巡りつくし、東海に船出して、その心を山水の間に楽しませたというが、あるいは勝手気ままに徘徊したあげく、一人ここへ来て休んだのだろうか。
 王羲之の書は晩年のものこそ素晴しいが、とすればその才能も、思うに勢力を尽くして自ら獲得したもので、天成のものではないのである。しかるに後世かれに及び得る者が出ないのは、学び方が足りないためではなかうか。まして、道徳の奥義に到達しようと望む者はなおさらであろう。
 墨地のほとりは、いま州の学問所になっている。教授の王君盛は、墨地の名が廃れるのを恐れて、「晋歐右軍墨池」という六字の書を鴨居に掲げ、さらに私に「記を書いて欲しい」と言って来た。王君の心を推察するに、人の長所を愛するものは、一才能といえども廃れさせるにはしのびず、それが古跡にまで及んだということであろうか。また、かの事跡を推奨して、学ぶ者たちを励まそうというのであろうか。そもそも人に一才能があり、それがこれほど後世の人に尊重されるとすれば、いわんや仁愛の人・厳正の士の遺風が後世に裨益すること如何ばかりであろう。慶暦八(1048)年九月十二日、曾鞏記す。

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