瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 江戸通りを南下。春日通りを通り過し、蔵前橋通りから、榊神社そして柳橋へと何時ものコースを通って両国橋の架かる靖国通りに出る。橋の西袂から親水テラスに降りて、新大橋のに向けて歩く。
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5a6592d0.jpg この間上流から東京湾に向う何艘かの釣り船に追い越された。どの釣り船にも4・5人の釣り人らしき人を乗せている。ここの親水テラスは一部両国ジャンクションの下になっている。高架線の隙間から明治座が朝日を浴びているのが見える。
12eb4130.jpg 新大橋を渡るつもりが、清洲橋まで足を伸ばすことにする。新大橋を過ぎた付近でひと休みしている警備員さんがいたので、カメラを向けるとそのうちの無帽でいた一人が「ちょっと待ってください」と、あわてて制帽をかぶって、3人仲良くカメラに納まってくれた。
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0694bca2.jpg 前方に西岸の日本橋中洲と東岸の清澄町を結ぶ清洲橋が見える。この橋は「震災復興の華」と呼ばれた優雅デザインで、当時世界最美の橋と呼ばれたドイツのケルン市にあった大吊り橋(第2次世界大戦で破壊されて現在はつり橋ではない)をモデルにしているという。清洲橋下のテラスから前方を見ると高速深川線と隅田川大橋があり、その間から遠く永代橋が見え、その後方に佃島の大川端リバーシィのビル街も見える。
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70c456d7.jpg 川下の昇降口から清洲橋通りに上がると西袂に説明板があるが、この橋を設計した方でもなく、作った人でもないのに、ここにどうして東京都知事の名前を入れなくてはならないのだろう。このお方は物書きあがりで、悪筆で知られているお方であるが、こうして説明板の表題として書かれた字をみると芸術的筆跡に見えるから不思議である。まあ、人間どうしてこうまでして名前を残したがるのだろう。
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14424b14.jpg 清洲橋通りを昨日の四つ目橋まで西進。途中大横川に架かる扇橋を渡る。この大横川は北十間川近くでは殆んど干からびて公園となっているが、この辺りでは川一面に水を湛えている。
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cb1cec2d.jpg 四つ目通りに入り、昨日通った小名木川橋を渡ったが、下流の小松橋にかけて凄い群れのユリカモメが游んでいた。橋の欄干には江戸名所図会の小名木川の五本松のレリーフが飾られている。
 このまま、四つ目通りを北上。昨日と同じように住吉からは地下鉄半蔵門線に乗車、押上で降りると、桜橋通りを通り、桜橋を渡って帰宅した。
 今日は少々調子付いて歩き過ぎたようだ。omron万歩計は15113歩、9.8kmを記録。
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目高 拙痴无
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1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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