栲(たく)を詠める歌2
巻3-0285:栲領巾の懸けまく欲しき妹が名をこの背の山に懸けばいかにあらむ
※丹比笠麻呂 (たじひの-かさまろ、生没年不詳)
飛鳥(あすか)-奈良時代の官吏です。大宝(たいほう)-和銅(701~715年)のころの人。紀伊(きい)や筑紫(つくし)に赴任したときよんだ歌が「万葉集」にみえます。
巻3-0460:栲づのの新羅の国ゆ人言をよしと聞かして.......(長歌)
標題:七年乙亥、大伴坂上郎女悲嘆尼理願死去作謌一首并短謌
標訓:七年乙亥に、大伴坂上郎女の尼(あま)理願(りがわん)の死去(みまか)れるを悲嘆(かな)しびて作れる謌一首并せて短謌
原文:栲角乃 新羅國従 人事乎 吉跡所聞而 問放流 親族兄弟 無國尓 渡来座而 大皇之 敷座國尓 内日指 京思美弥尓 里家者 左波尓雖在 何方尓 念鷄目鴨 都礼毛奈吉 佐保乃山邊 哭兒成 慕来座而 布細乃 宅乎毛造 荒玉乃 年緒長久 住乍 座之物乎 生者 死云事尓 不免 物尓之有者 憑有之 人乃盡 草 客有間尓 佐保河乎 朝河渡 春日野乎 背向尓見乍 足氷木乃 山邊乎指而 晩闇跡 隠益去礼 将言為便 将為須敝不知尓 徘徊 直獨而 白細之 衣袖不干 嘆乍 吾泣涙 有間山 雲居軽引 雨尓零寸八
万葉集 巻3-0460
作者:大伴坂上郎女
よみ:栲綱(たくつの)の 新羅(しらぎ)し国ゆ 人(ひと)事(こと)を よしと聞かして 問ひ放(さ)くる 親族(うから)兄弟(はらから) 無き国に 渡り来まして 大皇(おほきみ)し 敷きます国に うち日さす 京(みやこ)しみみに 里家(さといへ)は 多(さは)にあれども いかさまに 思ひけめかも つれもなき 佐保(さほ)の山辺(やまへ)に 泣く児なす 慕(した)ひ来まして 布細(しきたへ)の 宅(いへ)をも作り あらたまの 年し緒長く 住まひつつ 座(いま)ししものを 生ける者 死ぬといふことに 免(まぬ)かれぬ ものにしあれば 憑(たの)めりし 人のことごと 草枕 旅なる間(ほど)に 佐保川を 朝川(あさかは)渡り 春日野を 背向(そがひ)に見つつ あしひきの 山辺(やまへ)を指して 晩闇(くれやみ)と 隠(かく)りましぬれ 言はむすべ 為(せ)むすべ知らに たもとほり ただ独(ひと)りして 白栲(しろたへ)し 衣袖(ころもで)干(ほ)さず 嘆きつつ 吾が泣く涙 有間山(ありまやま) 雲居(くもゐ)たなびき 雨に降りきや
意訳:栲の綱の白き、新羅の国から、人々が立派とお聞きになって、言葉をかける親族兄妹もないこの国に渡って来られて、天皇の治められる国に、日が射し輝く京にはいっぱい、町の家は沢山あるのですが、どのようにお思い為されたのか、縁もない佐保の山辺に、泣く子が母を慕うように、慕い来られて、仏門だけでなく床を敷く家をも作って、新しい年に気が改まる、そのような年を長く住んでいらしたのに、生きるものは死と云うことを免れることは出来ないものであるから、頼りにしている人々が皆、草を枕にするような苦しい旅にある間に、佐保川を「朝に川を渡る」ように仏の国に入り、春日野を背後に見て、足を引きずるような険しい山辺を指して、暗闇のようにこの世から隠れなさいました。どうして良いのか判らず、あちらこちらをさまよい、ただ独りだけで、喪の白い栲の涙で濡れた衣の袖を干すことなく、嘆きながら、私が泣く涙は、有間山の雲が山の際に居て棚引き、雨となって降ったでしょうか。
左注:右、新羅國尼、名曰理願也、遠感王徳歸化聖朝。於時寄住大納言大将軍大伴卿家、既逕數紀焉。惟以天平七年乙亥、忽沈運病、既趣泉界。於是大家石川命婦、依餌藥事徃有間温泉而、不會此喪。但、郎女獨留葬送屍柩既訖。仍作此謌贈入温泉。
注訓:右は、新羅國の尼(あま)、名を理願(りがん)といへるが、遠く王徳(おうとく)に感(かま)けて聖朝(みかど)に歸化(まゐき)たり。時に大納言大将軍大伴卿の家に寄住して、既に數紀(すうき)を逕りぬ。ここに天平七年乙亥を以つて、忽(たちま)ちに運病(うんびょう)に沈み、既に泉界に趣(おもむ)く。ここに大家石川命婦、餌藥(にやく)の事に依りて有間の温泉(ゆ)に徃きて、此の喪(も)に會はず。ただ、郎女の獨り留(とどま)りて、屍柩(しきう)を葬り送ること既に訖(をは)りぬ。よりて此の歌を作りて温泉(ゆ)に贈り入れたり。
意訳:この新羅の国の尼は、名を理願といった。はるか遠く天皇の聖徳に感じ、わが国に帰化した。そして、大納言大将軍大伴安麻呂卿(大伴旅人の父)の家に身を寄せ、数十年が過ぎた。天平七年になってにわかに病気にかかり急逝した。そのとき大伴家の老主婦である石川命婦(石川郎女=安麻呂の妻)は療養のために有馬温泉に行っていてこの葬儀に居合わせなかった。ただ坂上郎女(安麻呂と石川郎女の娘、旅人の異母妹)がひとり留守番をしていて、葬送の儀を行なった。そこでこの歌を作って有馬温泉にいる母に贈った。
※大伴坂上郎女(おおともの-さかのうえのいらつめ、生没年不詳)
奈良時代の女流歌人です。大納言安麻呂の娘で、旅人(たびと)の異母妹です。家持の叔母にあたり、初め穂積皇子に嫁しましたが,その死後異母兄宿奈麻呂 (すくなまろ)の妻となり、坂上大嬢 (おおいらつめ) 、坂上乙嬢 (おといらつめ) を生みます。旅人の死後は大伴家の中心的存在となり、一族のことをとりしきったらしい。『万葉集』に長歌6首、短歌 77首、旋頭歌1首を収め、万葉女流歌人中最も歌数が多い。歌風は理知的,技巧的で,社交的性格が濃く認められます。一方,繊細で鋭い感覚,新しい心境をうたった作品もあります。この点を含め、またその生活環境からいっても、家持の歌に大きな影響を与えていると考えられます。
※理願尼(りがんに、?~735年)
新羅(しらぎ)(朝鮮)の尼僧です。渡来して大伴安麻呂(おおともの-やすまろ)邸に寄住。安麻呂の死後も妻の石川郎女(いしかわのいらつめ)や娘の坂上(さかのうえの)郎女のもとでくらします。天平(てんぴょう)7年死去。坂上郎女がその死を有馬の温泉で療養中の母に知らせた歌が「万葉集」にのせられている。
sechin@nethome.ne.jp です。
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