瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
シドニーのmihoちゃんから、メールが入った。曰く、「節夫おじさん、道子おばさん/先週の月曜日に、素敵な年賀状がこちらに、届きました!/とても和風で、でも色がモダンで、素敵ですね。マットも喜んでいました。/ありがとうございます。/今は、両親が送ってくれたクリスマスカードと一緒に飾ってありますが、季節にかかわらず飾れそうなので、どこかに飾りたいなと思っています。/今日は、シドニーの気温は43度です。今年のオーストラリアは、温度が高く、山火事が多く発生しています。/特に今日は、100年に2度目の山火事が発生しやすい状況らしく、湿度と風の状態も影響するのですが、TVで、注意を呼びかけていました。水不足とかは、特にないようです。/私たちの住んでいるところは、山から離れているので、特に影響はないので安心してください。/日本は逆に、今年は寒い冬を迎えていると思いますが、体に気をつけてください。 美帆」
新年早々、Patti Page(パティ・ペイジ、本名:Clara Ann Fowler)の訃報を聞いたばかりなのに、今日は又、岡本敦郎が亡くなっていたというニュースを聞く。どちらも、85歳を過ぎのご老体で無理からぬこととはいえ、「昭和も遠くなりにけり」の感一入。ウェブニュースより
訃報:「テネシー・ワルツ」の歌手パティ・ペイジさん 85歳 ―― 全世界で1000万枚以上を売った「テネシー・ワルツ」などで知られる米歌手パティ・ペイジさんが1日、カリフォルニア州エンシニタスで死去した。85歳。AP通信などが2日、報じた。/共同電によると、南部オクラホマ州で生まれ、勤めていたラジオ局で歌い始めた。デビュー当時は磁気テープを用いた多重録音の黎明(れいめい)期。コーラスを雇う予算がなかったペイジさんが複数パートを1人で歌った「コンフェス」が、目新しさもありヒット。その後も多重録音を多用し先駆者として知られた。/「ウッド・アイ・ラヴ・ユー」「モッキン・バード・ヒル」など50〜60年代にヒット曲を連発。通算84曲が米ビルボードチャートの40位までに入った。/最大のヒット「テネシー・ワルツ」は50年発売。大衆音楽ジャンルの多様化が始まりつつあった当時の米国で、ポップスとカントリー、R&Bの垣根を越えて愛聴された。日本では1952年に故江利チエミさんがデビュー曲としてカバー。日本の独立回復の流れに伴い、全国に広がった「ジャズ(西洋音楽)ブーム」をけん引する役割を果たした。(スポニチ 2013年01月04日)
【訃報】抒情歌謡の第一人者逝く―― 「白い花の咲く頃」や「高原列車は行く」などのヒットで知られる歌手・岡本敦郎(おかもと・あつお)さん(本名同じ)が昨年12月28日午後4時14分、脳梗塞のため都内の病院で死去していたことが7日、所属の日本コロムビアから発表された。88歳だった。通夜・葬儀は同31日、長男の秀一氏が喪主となり、親族のみで営まれたという。北海道小樽市出身。1946年(昭21)、コロムビアの新人歌手オーディションに合格。同年5月、NHKのラジオ歌謡「朝はどこから」でデビューした。50年リリースの「白い花の咲く頃」が反響を呼び、抒情歌謡というジャンルを確立。明るい響きと言葉のはっきりした美声が特徴で、「リラの花咲く頃」「あこがれの郵便馬車」などヒット曲を連発した。紅白歌合戦には計7回出場。07年、脳梗塞のため入院したものの翌年から仕事復帰。最後のテレビ出演は昨年8月放送のテレビ東京「懐かしの昭和メロディ」だった。(テレ朝ニュース 01/07 17:20)
新年早々、Patti Page(パティ・ペイジ、本名:Clara Ann Fowler)の訃報を聞いたばかりなのに、今日は又、岡本敦郎が亡くなっていたというニュースを聞く。どちらも、85歳を過ぎのご老体で無理からぬこととはいえ、「昭和も遠くなりにけり」の感一入。ウェブニュースより
訃報:「テネシー・ワルツ」の歌手パティ・ペイジさん 85歳 ―― 全世界で1000万枚以上を売った「テネシー・ワルツ」などで知られる米歌手パティ・ペイジさんが1日、カリフォルニア州エンシニタスで死去した。85歳。AP通信などが2日、報じた。/共同電によると、南部オクラホマ州で生まれ、勤めていたラジオ局で歌い始めた。デビュー当時は磁気テープを用いた多重録音の黎明(れいめい)期。コーラスを雇う予算がなかったペイジさんが複数パートを1人で歌った「コンフェス」が、目新しさもありヒット。その後も多重録音を多用し先駆者として知られた。/「ウッド・アイ・ラヴ・ユー」「モッキン・バード・ヒル」など50〜60年代にヒット曲を連発。通算84曲が米ビルボードチャートの40位までに入った。/最大のヒット「テネシー・ワルツ」は50年発売。大衆音楽ジャンルの多様化が始まりつつあった当時の米国で、ポップスとカントリー、R&Bの垣根を越えて愛聴された。日本では1952年に故江利チエミさんがデビュー曲としてカバー。日本の独立回復の流れに伴い、全国に広がった「ジャズ(西洋音楽)ブーム」をけん引する役割を果たした。(スポニチ 2013年01月04日)
【訃報】抒情歌謡の第一人者逝く―― 「白い花の咲く頃」や「高原列車は行く」などのヒットで知られる歌手・岡本敦郎(おかもと・あつお)さん(本名同じ)が昨年12月28日午後4時14分、脳梗塞のため都内の病院で死去していたことが7日、所属の日本コロムビアから発表された。88歳だった。通夜・葬儀は同31日、長男の秀一氏が喪主となり、親族のみで営まれたという。北海道小樽市出身。1946年(昭21)、コロムビアの新人歌手オーディションに合格。同年5月、NHKのラジオ歌謡「朝はどこから」でデビューした。50年リリースの「白い花の咲く頃」が反響を呼び、抒情歌謡というジャンルを確立。明るい響きと言葉のはっきりした美声が特徴で、「リラの花咲く頃」「あこがれの郵便馬車」などヒット曲を連発した。紅白歌合戦には計7回出場。07年、脳梗塞のため入院したものの翌年から仕事復帰。最後のテレビ出演は昨年8月放送のテレビ東京「懐かしの昭和メロディ」だった。(テレ朝ニュース 01/07 17:20)
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目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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