瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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  列女傳 巻二賢明伝 「楚接與妻」 劉向
 楚狂接輿之妻也。接輿躬耕以為食、楚王使使者持金百鎰、車二駟、往聘迎之、曰:「王願請先生治淮南。」接輿笑而不應、使者遂不得與語而去。
 妻從市來、曰:「先生以而為義、豈將老而遺之哉!門外車跡、何其深也?」接輿曰:「王不知吾不肖也、欲使我治淮南、遣使者持金駟來聘。」其妻曰:「得無許之乎?」接輿曰:「夫富貴者、人之所欲也、子何惡、我許之矣。」妻曰:「義士非禮不動、不為貧而易操、不為賤而改行。妾事先生、躬耕以為食、親績以為衣、食飽衣暖、據義而動、其樂亦自足矣。若受人重祿、乘人堅良、食人肥鮮、而將何以待之!」接輿曰:「吾不許也。」妻曰:「君使不從、非忠也。從之又違、非義也。不如去之。」
 夫負釜甑、妻戴紝器、變名易姓而遠徙、莫知所之。君子謂接輿妻為樂道而遠害、夫安貧賤而不怠於道者、唯至德者能之。《詩》曰:「肅肅兔罝、椓之丁丁。」言不怠於道也。
 頌曰:接輿之妻、亦安貧賤、雖欲進仕、見時暴亂、楚聘接輿、妻請避館、戴紝易姓、終不遭難。

〔訳〕
 楚の国の狂人接輿(しゅうよ)の妻の話である。
 接輿は田畑を耕して暮らしていた。〔あるとき、〕楚王が使者に金二千両と四頭立ての馬車二輌を持参させ、彼を招聘使用としたことがある。使者は口上を述べた。
「王は先生に淮南(淮水以南)の地を治めていただきたいときぼうしております」
 接輿は笑ったまま返答しない。使者は結局話し合いが出来ないで立ち去った。彼の妻が市場から帰ってきて言った。
「先生(あなた)はお若い時から節義を重んじていらっしゃいましたが、なんと、お歳を召して、お忘れになったのでしょうか。門の外には車の跡が、くっきりついていましてよ」
 接輿は言った。
「王はわしが愚か者とは知りなさらん。あろうことか、わしに淮南を治めさせようとて、使者を遣わし、金や馬車を持参させて、招こうとなさったのじゃ」
 彼の妻は言った。
「まさかご承諾なさったわけではありますまいね」
 接輿は言った。
「富貴というものは誰でも欲しがるものじゃ。お前はどうして、わしのすることに目くじらを立てるんだ。ああ、承諾したとも」
 妻は言った。
「義士は、礼の法則に外れた行動をとらず、貧乏の故に節操を破らず、賎しい身分の故に品行を汚さないものです。妾(わたし)が先生(あなた)にお仕えしてからは、田畑を耕しては食糧を得、糸を紡いでは着る物を作ってまいりました。腹がくちくなるほど食べ、暖かい衣服を身につけ、節義に従ってこうどうしていたのです。楽しさもわれわれ自身の手で作り出してきたのです。もし、人さまから高い俸禄をいただき、人さまが作った立派な馬車に乗り、人さまが調理した上等の肉や新鮮な魚を食べるようになりますと、妾といたしましては、お仕えのしようがなくなってしまいます」
 接輿は言った。
「わしは承諾しなかったんじゃ」
 妻は言った。
「主君の仰せに従わないのは、忠誠ではありませんし、仰せに従うと節義をわすれることになります。立ち去るのがいちばんです」
 旦那は釜と蒸篭(せいろう)を背負い、奥さんは機織の器具を頭に載せ、姓名を変えて、遠くへ引っ越し、何処へ行ったのかわからなくなった。有識者は言う。
「接輿の妻は楽しみつつ道義を守り、災害から身を避けた。一体、貧賤を意に介さず、道義に励むのは、最高の徳を備えたものだけが為し得ることである。『詩経』に『肅肅たり兎の罝(あみ)、之を椓(う)つこと丁々(ちょうちょう)たり』というのは、道義に励む様を言ったものである。
 賞賛の言葉。「接輿の妻も、貧賤を意に介さなかった。宮仕えを思い立ったものの、動乱の時世と見きわめてやめてしまった。楚の国は接輿を招聘したが、彼の妻は引越しを希望し、機織の器具を頭に載せ、姓名を変えたので、とうとう災難にあわずにすんだのである」
 
917d6491.JPG※ 劉向(りゅう きょう、BC77~BC 6年)は、前漢の学者、政治家。はじめの名は更生、字は子政。戦国策など多数の著作者で知られる。高祖劉邦の末弟である楚元王劉交の玄孫。陽城侯・劉徳の第2子で、兄に劉安民が、弟(名は不詳)の息子に劉慶忌がいる。前漢の宗室の身分である。

 
 詩経 国風 周南 兔罝
 肅肅兔罝 肅肅(しゅくしゅく)たる兔罝(としゃ)
 椓之丁丁 之を椓(たく)すること丁丁たり
 赳赳武夫 赳赳(きゅうきゅう)たる武夫(もののふ)は
 公侯干城 公侯の干城(かんじょう)
 
 肅肅兔罝 肅肅たる兔罝
 施于中逵 中逵(ちゅうき)に施(いた)る
 赳赳武夫 赳赳たる武夫は
 公侯好仇 公侯の好仇(こうきゅう)
 
 肅肅兔罝 肅肅たる兔罝
 施于中林 中林(ちゅうりん)に施る
 赳赳武夫 赳赳たる武夫は
 公侯腹心 公侯の腹心
 
375cabde.JPG〔訳〕 すき間もないわ 兔(うさぎ)あみ
    杙(くい)うつ音も ちょうちょうと
    武(たけ)きもののふ
    君がまもり
 
    すき間もないわ 兔あみ
    道のちまたに めぐらせり
    武きもののふ
    君がよき伴(とも)
 
    すき間もないわ 兔あみ
    林の中に めぐらせり
    武きもののふ
    君が腹心(たのみ)
 
※ 杙(くい)を打ち込み、兔網を要所要所に張り巡らすことをもって、君の腹心、国家の干城なる武人を興する歌だとされる。
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