瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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  岐阜県は大垣市在住で、兼愛塾教師をしてくださっていたA氏より早速にメールを戴いた。 
88286ee2.JPG 「先日、日高先生のブログにコメントを書き込みましたHAです。/お察しのとおり、そちらで先生としてお世話になり、岐阜県大垣市で写真館を営んでいるAです。/その節には、何かとお世話になり有難うございました。先生も奥様もお元気そうで何よりです。/最近「年金なんとか便」なるものが国から送られて来て、その中には兼愛塾で働いていた期間と、日高先生のお名前も記載されていました。それを見てとても懐かし
く,「兼愛塾」で検索したところ、先生のブログにたどり着きました。/宏明君が亡くなったことは、以前にお聞きしましたが、弟さんまでが亡くなられたとは、親御さんもさぞ落胆されたことでしょう。お察し致します。また,年末には先生のお姉様がお亡くなりになったとか、、。/遅ればせながらお悔やみ申し上げます。/1月4日の先生のブログの写真は後列中央は奥様ですよね/え?? その右が宏明君の妹さんかと思ったのです。/私も今年は65歳になります。写真の仕事は最盛期の10分の1もありませんが、それでも写真は写しています。/あまりお金にはなりませんが、最盛期のときより中味のある写真を撮っていると自画自賛して、生きている証拠としています。/これからも先生のブログを楽しみにしています。/失礼します HA
日高節夫様」
 
 すぐに返信メールをおくった。(ここには貼付写真は省略)
 「早速のメール有難うございます。/アドレスを私のパソコンに搭載いたしましたので、テスト送信してみます。/貼付した写真は昨年暮れに撮りました「兼愛塾塾友会忘年会」の参加者全員です。毎年、12月にはこのように塾友が集まり、わいわい騒いでいます。中には記憶に残る顔もあろうかと思いますが、如何ですか。/これからも、時には近況等をメールで交換いたしましょう。/まずは、テスト送信旁写真貼付まで」
 
 昨日のブログ、尭問篇にある楚の偽狂人接輿について、調べてみた。 
論語 微子篇 より
 楚狂接輿歌而過孔子曰:「鳳兮!鳳兮!何德之衰?往者不可諫、來者猶可追。已而、已而!今之從政者殆而!」孔子下、欲與之言。趨而辟之、不得與之言。
 楚(そ)の狂(きょう)、接輿(せつよ)、歌って孔子を過(よぎ)りて曰く、鳳(ほう)や鳳(ほう)や、なんぞ徳の衰えたる。往(ゆ)きし者は諌(いさ)むべからず、来(きた)る者はなお追うべし。已(や)まんのみ已(や)まんのみ。今の政(まつりごと)に従う者は殆(あやう)し。孔子下(お)りてこれと言わんと欲す。趨(はし)りてこれを辟(さ)け、これと言うを得(え)ざりき。
〔訳〕
 楚の気違い接輿(しょうよ)と渾名のある男が、孔子先生の宿所の前を通り過ぎた。その歌はこうであった。「鳳(おおとり)よ鳳よ お前の徳の何と衰えたことよ 過ぎし日の過ちは咎めるすべもないが 追えば間に合う未来がある 思い切れ思い切れ 今時 政治に手を出すのは危険だ」 孔子は堂を下りてこの男と語ろうとなさったが、彼は急ぎ足でこれを避けたので、この場の談合は出来なかった。
 
荘子 人間世第四 より
 孔子適楚、楚狂接輿遊其門曰
 鳳兮鳳兮、何如德之衰也! 來世不可待、往世不可追也。天下有道、聖人成焉;天下無道、聖人生焉。方今之時、僅免刑焉。福輕乎羽、莫之知載;禍重乎地、莫之知避。已乎已乎、臨人以德! 殆乎殆乎、畫地而趨! 迷陽迷陽、無傷吾行! 吾行卻曲、無傷吾足! 山木自寇也、膏火自煎也。桂可食、故伐之;漆可用、故割之。人皆知有用之用、而莫知無用之用也。

〔訳〕
 孔子が楚の国に行ったおりのこと、楚の狂(きょう)接輿(せつよ)が孔子の門の辺りをぶらつきながら言った。
83b9d9cb.JPG「鳳(ほう)よ! 鳳よ! など徳の衰えし
 来世は待つによしなく、いにし世は追うべからず
 天下に道あれば聖人の事も成り 天下に道なくば聖人はただ生くる
 今の世にあたり、刑をまぬかれんことかたし
 さいわいは羽よりかろくして、求むることを知らず
 やんぬるかな やんぬるかな、徳もて人にのぞまんは
 あやいかな、あやういかな、地をかぎりて歩まん
 迷陽! 迷陽! わが歩みをそこなうなかれ
 わがあゆみをとおくせば、わが足をやぶることなからむ
 山の木はわれとわが身にあだをくわえ、
 灯のあぶらはわれとわが身を焼く
 肉桂は食べられるからこそ伐られ
 漆は用いられるからこそさかれる
 人はみな有用の用は知っているが
 無用の用は知らない
 
史記 孔子世家第十七 より
 楚狂接輿歌而過孔子曰:「鳳兮!鳳兮!何德之衰?往者不可諫兮、來者猶可追也!已而、已而!今之從政者殆而!」孔子下、欲與之言。趨而去、弗得與之言。
 於是孔子自楚反乎衛。是歲也、孔子年六十三、而魯哀公六年也。

〔訳〕
 楚の偽狂人の接輿(しょうよ)が歌いながら孔子の車前を通った。
  鳳〔おおとり、孔子を指す〕よ 鳳よ
  汝の徳も 衰えたるものかな
  過去については 諌むるも詮なし
  未来については 一言せん
  やめよ 隠れよ
  今の世の 政治する身の殆(あや)うきに
 孔子は車からおりて語り合おうと望んだが、接輿は走り去ってしまって、語り合うことが出来なかった。かくして、孔子は楚から衛に帰った。この年、孔子は六十三歳で、魯の哀公の六(489)年であった。
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1932/02/04
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