瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
昨日のブログに続いて、梁鴻の伝の最後の部分
初,鴻友人京兆高恢,少好老子,隱於華陰山中。及鴻東遊思恢,作詩曰:
“鳥嚶嚶兮友之期,念高子兮僕懷思,想念恢兮爰集茲。”
二人遂不復相見。恢亦高抗,終身不仕。
〈訳〉
さきに梁鴻の友人京兆〈陝西省長安県〉の高恢は、若い頃から『老子』を好み、華陰県(陝西省華陰県)の山中に隠棲した。梁鴻が東に旅立つ時、高恢を思って作った詩がある。
鳥は嚶嚶(鳴く様子)として、友をこれ期す。(二人の友情を、友を求めて鳴く鳥に譬える)
高子を念いて、僕は懐しみおもう。
恢を思い念えど、爰(ここ)に茲(ここ)に集(とど)まる。(残念ながら高恢は一緒に飛び立てないという意)
二人はとうとう再び会えなかった。高恢も高潔で拗ね者。終身仕えなかった。
逸民とは中国で隠者のことをいい、自己の節義や志を全うするため,名利を捨て官職を離れて野に隠棲する人々で,隠逸,高逸,高士などともいう。伯夷・叔斉,竹林の七賢,陶淵明などが代表者。
賈島(779?~843年)は范陽(河北省涿県)の人で、字は浪仙。何度も科挙に落第したすえ、僧となって無本と号し、長安に出て青龍寺に住んだ。やがて詩才を韓愈に認められて(その動機が「推敲」の故事として有名な伝説となっている)、勧められて還俗し、長江(四川省蓬渓の西)の主簿に任じられ、普州(四川省安岳の北)司倉参軍に転じたが、赴任しないうちに死んだ。そのときは一文の貯えも無く病んだろばと古い琴があるだけであったという。
『唐詩紀事』巻四十
島赴舉至京、騎驢賦詩、得僧推月下門之句。欲改推作敲。引手作推敲之勢、未決。不覺衝大尹韓愈。乃具言。愈曰、敲字佳矣。遂竝轡論詩。
島(とう)、挙(きょ)に赴(おもむ)きて京(けい)に至(いた)り、驢(ろ)に騎(の)りて詩(し)を賦(ふ)し、「僧(そう)は推(お)す月下(げっか)の門(もん)」の句(く)を得(え)たり。
推(すい)を改(あらた)めて敲(こう)と作(な)さんと欲(ほっ)す。手(て)を引(ひ)きて推敲(すいこう)の勢(いきお)いを作(な)すも、未(いま)だ決(けっ)せず。覚(おぼ)えず大尹(だいいん)韓愈(かんゆ)に衝(あた)る。乃(すなわ)ち具(つぶ)さに言(い)う。愈(ゆ)曰(いわ)く、敲(こう)の字(じ)佳(よ)し、と。遂(つい)に轡(くつわ)を並(なら)べて詩(し)を論(ろん)ず。
推敲 推敲(すいこう)
無名氏
騎驢賈島練新詞 騎驢(きろ)し 賈島(かとう) 新詞(しんし)を練り
偶合韓愈車列騅 偶合(ぐうごう)す 韓愈(かんゆ)の車列(しゃれつ)騅(すい)に
自問僧推復僧敲 自問(じもん)す 僧は推(お)す 復(また)僧は敲(たた)く
敲佳並轡共論詩 敲く佳し 轡(くつわ)を並べて 共に詩を論ず
(四支韻)
〈訳〉
驢馬に騎上しながら、賈島が新しい詞句を練っていて
たまたま 韓愈の車列の馬に ぶっつかりそうになった
賈島はそのとき 自分の作っている詩の字句の一字を
推すにするか 敲くにするか夢中になって考えていた
韓愈がその訳を聞き それは敲くとした方がいいと教えてくれた
二人は意気投合して轡を並べて共に詩を論じ合った
かくて、次なる「題李凝幽居」を得たという。
題李凝幽居 李凝の幽居に題す
賈島
閒居少鄰並, 閒居 鄰並(りんぺい)少(まれ)に,
草徑入荒園。 草徑 荒園に 入(い)る。
鳥宿池邊樹, 鳥は宿る 池邊(ち へん)の樹,
僧敲月下門。 僧は敲(たた)く 月下の門。
過橋分野色, 橋を過ぎて 野色(や しょく)を分かち,
移石動雲根。 石を移して 雲根(うんこん)を動かす。
暫去還來此, 暫(しばら)く去りて 還(また) 此(ここ)に來(き)たる,
幽期不負言。 幽期(ゆうき) 言(げん)に負(そむ)かず。
〈訳〉 李凝(りぎょう)の侘住居(わびずまい)にしるす
隣近所もない静かな住居
草の茂る小道は荒れた庭へと導く
鳥がねぐらに就く池のふちの木
僧が叩〈たた〉いている月下の門
橋を越えたこちらにも原野の趣(おもむき)が分けられて
山から運んだ庭石は雲の湧く根を移したもの
しばらくご無沙汰していたが またここにきましたよ
浮世を離れた約束には 決して嘘(うそ)は言いません
初,鴻友人京兆高恢,少好老子,隱於華陰山中。及鴻東遊思恢,作詩曰:
“鳥嚶嚶兮友之期,念高子兮僕懷思,想念恢兮爰集茲。”
二人遂不復相見。恢亦高抗,終身不仕。
〈訳〉
さきに梁鴻の友人京兆〈陝西省長安県〉の高恢は、若い頃から『老子』を好み、華陰県(陝西省華陰県)の山中に隠棲した。梁鴻が東に旅立つ時、高恢を思って作った詩がある。
鳥は嚶嚶(鳴く様子)として、友をこれ期す。(二人の友情を、友を求めて鳴く鳥に譬える)
高子を念いて、僕は懐しみおもう。
恢を思い念えど、爰(ここ)に茲(ここ)に集(とど)まる。(残念ながら高恢は一緒に飛び立てないという意)
二人はとうとう再び会えなかった。高恢も高潔で拗ね者。終身仕えなかった。
『唐詩紀事』巻四十
島赴舉至京、騎驢賦詩、得僧推月下門之句。欲改推作敲。引手作推敲之勢、未決。不覺衝大尹韓愈。乃具言。愈曰、敲字佳矣。遂竝轡論詩。
島(とう)、挙(きょ)に赴(おもむ)きて京(けい)に至(いた)り、驢(ろ)に騎(の)りて詩(し)を賦(ふ)し、「僧(そう)は推(お)す月下(げっか)の門(もん)」の句(く)を得(え)たり。
推(すい)を改(あらた)めて敲(こう)と作(な)さんと欲(ほっ)す。手(て)を引(ひ)きて推敲(すいこう)の勢(いきお)いを作(な)すも、未(いま)だ決(けっ)せず。覚(おぼ)えず大尹(だいいん)韓愈(かんゆ)に衝(あた)る。乃(すなわ)ち具(つぶ)さに言(い)う。愈(ゆ)曰(いわ)く、敲(こう)の字(じ)佳(よ)し、と。遂(つい)に轡(くつわ)を並(なら)べて詩(し)を論(ろん)ず。
推敲 推敲(すいこう)
無名氏
騎驢賈島練新詞 騎驢(きろ)し 賈島(かとう) 新詞(しんし)を練り
偶合韓愈車列騅 偶合(ぐうごう)す 韓愈(かんゆ)の車列(しゃれつ)騅(すい)に
自問僧推復僧敲 自問(じもん)す 僧は推(お)す 復(また)僧は敲(たた)く
敲佳並轡共論詩 敲く佳し 轡(くつわ)を並べて 共に詩を論ず
(四支韻)
驢馬に騎上しながら、賈島が新しい詞句を練っていて
たまたま 韓愈の車列の馬に ぶっつかりそうになった
賈島はそのとき 自分の作っている詩の字句の一字を
推すにするか 敲くにするか夢中になって考えていた
韓愈がその訳を聞き それは敲くとした方がいいと教えてくれた
二人は意気投合して轡を並べて共に詩を論じ合った
かくて、次なる「題李凝幽居」を得たという。
題李凝幽居 李凝の幽居に題す
賈島
閒居少鄰並, 閒居 鄰並(りんぺい)少(まれ)に,
草徑入荒園。 草徑 荒園に 入(い)る。
鳥宿池邊樹, 鳥は宿る 池邊(ち へん)の樹,
僧敲月下門。 僧は敲(たた)く 月下の門。
過橋分野色, 橋を過ぎて 野色(や しょく)を分かち,
移石動雲根。 石を移して 雲根(うんこん)を動かす。
暫去還來此, 暫(しばら)く去りて 還(また) 此(ここ)に來(き)たる,
幽期不負言。 幽期(ゆうき) 言(げん)に負(そむ)かず。
〈訳〉 李凝(りぎょう)の侘住居(わびずまい)にしるす
隣近所もない静かな住居
草の茂る小道は荒れた庭へと導く
鳥がねぐらに就く池のふちの木
僧が叩〈たた〉いている月下の門
橋を越えたこちらにも原野の趣(おもむき)が分けられて
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