瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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   歌     漢・李延年
北方有佳人、      北方に  佳人 有り、
絶世而獨立。      絶世にして  獨立す。
一顧傾人城、      一顧(いつこ)すれば  人の城を傾け、
再顧傾人國。      再顧(さいこ)すれば  人の國を傾く。
寧不知傾城與傾國、 寧(いづく)んぞ 傾城(けいせい)と傾國(けいこく)とを 知らざらんや、
佳人難再得。      佳人は  再び得難(えがた)し。
 
〈訳〉北のかたにいる すばらしい女人
   この世にひとりの 絶世の美人
   ひとたび流し目をすれば 人は城を入れ上げ
   再び流し目をすれば 人は国を入れあげる
   城を国を入れあげる愚かさは 知らぬではないが
   佳き人は 二度と得られぬ
 
ed076a56.JPG 李延年(生没年不詳)は漢の武帝の宮廷付楽士。自分の妹を後宮に入れるべく歌ったのがこの歌だという。3・4句の「一顧傾人城、再顧傾人國」は、美人または遊女のの形容としてし「傾城」「傾国」の語を生み出したものらしい。以下の『漢書』外戚伝は、この詩を載せ、武帝の寵愛を受けるに至った経緯を述べる。
 
漢書 外戚伝 より
孝武李夫人、本以倡進。初、夫人兄延年性知音、善歌舞、武帝愛之。每為新聲變曲、聞者莫不感動。延年侍上起舞、歌曰、 “北方有佳人、絕世而獨立、一顧傾人城、再顧傾人國。寧不知傾城與傾國、佳人難再得!”
上嘆息曰 “善!世豈有此人乎?” 平陽主因言延年有女弟、上乃召見之、實妙麗善舞。由是得幸、生一男、是為昌邑哀王。李夫人少而蚤卒、上憐閔焉、圖畫其形於甘泉宮。及衛思后廢後四年、武帝崩、大將軍霍光緣上雅意、以李夫人配食、追上尊號曰孝武皇后。

c5d40db3.JPG〈訳〉武帝の妾、李夫人は、もと歌妓から出世したものである。さきに、夫人の兄、李延年は生まれつき音感がよく、歌舞に巧みなところから、武帝の寵愛が篤かった。新しい歌曲や変奏曲を作るたびに、聞く者みな感動したものである。李延年が帝のお側に侍っている時、立って舞いながら歌った。
 北方に佳人あり、絶世にして独立す〈くらべものがない〉
 一たび顧みれば人の城をかたむけ、再び顧みれば人の国を傾く。
 いずくん知らざらん城を傾むくると国を傾くるとを。佳人は再び得がたければなり〈この美人に溺れれば城も国も傾くことはわかっているが、二人とない美人なので、ふみとどまれない〉
 帝は溜息をついていった。「見事! なれど、この世にさような女があろうか?」
 平陽公主〈武帝の姉、公主は内親王の称〉はそこで、延年に妹がいると申し上げた。帝はそこで召出して見た。実際、美しくて舞いの上手である。これから寵愛を受け、男児一人を生んだ。これが昌邑哀王である。
71477e27.JPG 李夫人は若くして早死にした。帝は憐れに思い、その姿を甘泉宮の壁に描かせた。衛思后が(戻太子とともに巫蠱の事件によって)廃せられて後四年目に、武帝が亡くなると、大将軍霍光(?~BC68年)は、帝の生前の意向に沿って、李夫人を武帝に合葬し、遅ればせながら尊号を奉って、孝武皇后と呼ぶことにした。
 
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