土俵が出現するのは17世紀末。それ以前の相撲に土俵はなかった。最初の土俵は,土を入れた五斗俵を四角形に並べ,これを境界線として,この中で勝負を決めるようになった。元禄時代(1688年−1704年)になると円形の土俵に統一され,盛土の上に土俵を設けるこんにちの土俵の原型ができあがった。以後,土俵の外へ押し出したり寄り切ったりという決り手が生まれ,競技としての興味を増した。時代により形式は異なるが,現在は一辺545cm(18尺)の正方形に土を盛り,内径が455cm(15尺)になるように土俵(つちだわら)(米俵を3分して土を詰めたもの)を円形に埋め込む。かつては土俵の四隅に四本柱(しほんばしら)を設けたが,1952年秋場所以後,房(ふさ)に代わった。
ウェブニュースより
大関とり豊昇龍が2桁白星「体がしっかり動いた」ライバル霧島を下し直近3場所33勝に望み ―― <大相撲名古屋場所>◇13日目◇21日◇ドルフィンズアリーナ
大関とりに挑む豊昇龍(24=立浪)が、新大関霧島(陸奥)に寄り切りで勝利して10勝目を挙げた。2桁白星は3場所連続。大関昇進の目安となる直近3場所33勝に望みをつないだ。
残り3日間で全勝が条件と、昇進へ後がない状況で、豊昇龍が意地を見せた。新大関霧島を力強く寄り切り10勝目を挙げた。「先にまわしを取ってつかまえたかった。体がしっかり動いた」という納得の攻め。場所前には同じモンゴル出身の霧島が先に出世したことについて悔しさをあらわにしていた。稽古場でも競い合うライバルを寄せ付けず、3場所連続で2桁白星を達成。1差で平幕の北勝富士を追い、初優勝への望みをつないだ。
12日目には過去5戦負けなしだった北勝富士にまさかの不覚。立ち合いから強烈な突き押しで体を起こされ、まわしを手にかけても取れなかった。横にいなして体勢を立て直そうと試みた際に左足が土俵外に飛び出して痛恨の黒星。険しい表情で支度部屋に引き揚げ、報道陣の取材を手で制して無言を貫いた。
連敗は免れたが、窮地であることは変わりない。大関とりへは残り2番も落とせない状況だ。看板力士の階段を着々と上りつつある24歳。21歳9カ月で大関昇進を果たした憧れのおじの背中を追いかけ、残り2日間も「1日一番」を全うする。
◆豊昇龍智勝(ほうしょうりゅう・ともかつ)本名・スガラグチャー・ビャンバスレン。1999年5月22日、モンゴル・ウランバートル市生まれ。千葉・日体大柏高から立浪部屋に入門し、18年初場所で初土俵。19年九州場所で新十両、20年秋場所で新入幕、22年春場所で新小結、同秋場所で新関脇。得意は右四つ、寄り、投げ。188センチ、142キロ。 [日刊スポーツ 2023年7月21日17時58分]
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