瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 6月2日夜、「5月29日に西宮市在住のYK氏が亡くなった」と横浜市在住のIN氏が報せてくれました。
 
YK氏はここ2・3年(肺癌?)手術のあと、自宅療養を続けていたと言いますが、以前は色々な情報や感想などをこまめに丁寧に自筆のFAX を寄越してくれていました。しかし、それも無くなりかなり病状が逼迫していることは想像していましたが、われわれのグループにとってはかなりのショックだったでしょう。勿論この爺にとっても2・3日は何にも手を付けられないほどでした。
 IN氏の話によれば、YK氏の娘さんからの知らせで、とても安らかな死であったこと、本人の希望により、身内だけの葬儀をすませ、香典等の儀礼的な申し入れは一切断ってくれとのことであったということでした。
 
われわれのグループで一番のスポーツマンであり、こよなく野球を愛し、自らも高校時代は軟式野球部で活躍していました。また先にも述べたようにわれわれのうち誰よりも几帳面で水門会の関西支部の支部長を勤めていました。
 
彼は毎年、正倉院展に出かけては正倉院展の図録を送ってくれていましたが、昨年の第65回正倉院展の図録は、本人からの添え書は無く、奈良国立博物館から直送されてきました。きっと、彼は出かけることが出来ず、奈良国立博物館へ直送を依頼したものと思われます。

 
いずれにしても惜しい人物を失ってしまったものです。中学入学以来今日までの交誼に感謝すると共に、心から冥福を祈るものであります。

 
6月3日は退院後初めての外来診断の日でした。採血検査・レントゲン撮影、そして、食欲の無いことを訴えると、まあ、経過はよくも無く悪くも無く、1週間後まで様子を見ましょうということでした。

 
今朝は少々風が強いようでしたが、隅田公園を散策してきました。昨日は1日中雨でしたが、今朝はからりと晴れ強い風も爺には爽やかに感じられました。山谷堀水門広場にある大柳が風に煽られて大きく揺らいでいました。

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ありがとうございました
blogに書いてくださってありがとうございます。父は陛下が元気なうちはかんばると口癖でしたが、病いは勝てませんでした。ここ2年ほどは奈良まで行けず代わりに兄が毎年正倉院展へ行っていました。父と一緒に正倉院のカレンダーや水門会の本も入れましたので、天国で眺めているかもしれません。皆様と仲良くして頂いて父も幸せだったと思います。目高さんも退院されたばかりだそうで、どうぞお体ご自愛くださいね。ありがとうございました
YKの娘 2015/06/09(Tue) 編集
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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