瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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きのうに続いて今朝も雨。床抜け1番メールを開く。下関のKH氏から23日午前0時30分発のメールに曰く、
 日高節夫 様 
 いつもありがとうございます。
 さて、系譜を拝見して、ずっと気になっていたところにまいりましたので、教えていただけたら幸いです。
  節夫様は、広島に原爆の落ちた昭和20年8月6日に、門司から三次に移動されています。
 普通に考えると、門司から山陽本線で広島に行かれ、広島で芸備線に乗り換えられて、三次に行く。
というコースになります。
  門司を早朝に発たれたということですが、原爆投下爆発の8時15分16分は、まだ山口県内を移動中だったことでしょう。そして、広島駅を通られたとすると、それは原爆後のはずです。
 原爆投下の中心近くとして原爆ドームが有名ですが、そこから広島駅は2キロ強、西の横川駅も2キロくらい、横川・広島駅間の山陽線も2キロくらい離れています。
  原爆投下直後になりますが、節夫様は、広島駅を経由して、三次に行かれたのでしょうか?
 鉄道は問題なく動いていたのでしょうか? 原爆被害を目にされたのでしょうか?
  お教えいただければ幸いです。
  ちなみに、わたしは、小学校1年の頃(昭和31年頃)、父母らと一緒に、広島に旅行しました。エスカレーターに乗ったのが、そのとき初めて。カキフライを食べたのも、そのときが初めて。
と良い思いでも多いのですが、原爆ドームにも行き、展示物の悲惨さにショックを受け、その夜、悪夢にうなされました。
以後、広島に行くことは多いのですが、原爆ドームには行きません。
 勝手なことで申し訳ございませんが、よろしくお願い申し上げます。
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 雨で徘徊には行けず、質問に答えるには少々記憶もあいまいだし… 2001年の夏、中学高校の先輩、今は亡きKN氏に勧められて、製作した「賢人の愚劣なる軌跡」を思い出し、その中の爺の文8頁分をスキャンして、添付メールで送った。
 
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昭和20年8月6日について
日高先生そしてKH様。歌手の二葉百合子さんは、乗車していた芸備線列車が原爆投下直前にトンネルに入ったため、被爆を逃れたということを、20年ぐらい前の雑誌「世界」(岩波書店)で読んだことがあります。場合によると、同じ列車に日高先生も乗り合わせておられたのでしょうか。私も、入市被爆した祖母から、その生前中に、当時のことを聞いておかなかったことを、悔いております。
助兵衛 2008/06/25(Wed) 編集
Re:昭和20年8月6日について
原爆だって、東京大空襲だって凄まじいものには違いありません。戦場で飢えや病で苦しみながら死んだ人たちはもっと凄まじかったでしょう。
釣りの話ではありませんが、話せば話すほど話がでかくなりそうで、法螺吹きにはなりたくありません。体験記等というものは1度書けばそれでよいでしょう。
 【2008/06/25】
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