まだ、真っ暗の隅田公園から桜橋を渡って墨堤通りを北上。いつもは明々と灯りをつけて作業をしているアサヒビールの配送場が今朝は真っ暗。そういえば今日は明治節――いやいや文化の日で休日だった。何となく鳩の街を抜けて水戸街道に出た。水戸街道を北上、東武の東向島駅から線路沿いに昔の玉の井私娼窟街の入口いろは通りまで北上。辺りはやっと白んできた。
永井荷風の『濹東綺譚』によれば、1918年(大正7年)~1919年(大正8年)のころ、浅草観音裏に言問通りが開かれるに際して、その近辺にあった銘酒屋等がこの地へ移ってきたのが始まりとのこと。この当時、この地は東京市外であった。その後、関東大震災後の復興に際して、浅草では銘酒屋の再建が許可されず、亀戸とともに銘酒屋営業が認められた玉の井は、ますます繁栄するようになったという。
東武のガードを潜って大正通りを西進。再び墨堤通りを北上。鐘ヶ淵通りの入口の信号を左折し、水神大橋を渡る。今日の隅田川はことのほか穏やかで、川面には波一つ立ってない。橋の上から上流に目を移すと、千住のマンションビルがそのまま川面に映っている。
橋を渡り、汐入公園内のさくら橋を渡る。橋の上から南千住方面を見渡すと、ケヤキ通りはすっかり秋色になったようだ。欅(けやき)は秋の紅葉が美しい樹木でもあり、個体によって色が異なり、赤や黄色に紅葉するのだそうだ。
隅田川のテラスに降り、瑞光橋の下を潜り、明治通りに出る。瑞光橋から見るスカイツリーとリバーサイド隅田のビルはその姿をそっくりそのまま隅田川の川面に投げかけている。橋場、今戸の遊歩道を南下して帰宅した。万歩計は昨日は7800歩程度、本日は12790歩ばかり、ちょっと歩き過ぎかな?
今日は横浜在住のIN氏の誕生日だと聞く。徘徊から帰宅するとメールを入れておいた。「78回目の誕生日おめでとう。/「明治節は雨は降らない」という古くからのジンクスどおり、今朝は風ひとつなく隅田川の川面は鏡のように静かで、まるで貴方(きみ)の人柄を表わしているようだった。/現在、「水門」(24号、今回は冊子様式)を編集中だが、総会の出欠返事の整理だけでも時間がかかるようです。/取り敢えず、門司での貴方(きみ)のお姿を貼付させていただきます。/まずは、誕生日のおめでとう旁写真貼付まで」
早速返事が来た。曰く「日高 節夫 様/誕生日のお祝いメールを頂きありがとうございました。/満36歳直前に死んだ親父が、あの世で閻魔大王とタフネゴシエーションした結果か、先年死んだ母と私は長生きさせてもらっています。/高校同窓のなかで24期、25期はいちばん死亡率が高いのに、私は、君を筆頭に、いい同期生に付き合ってもらえて、お陰で知的好奇心を刺激させられ、ボケることを遅らせることができてありがたい。これからもせいぜい私の脳を鍛えてくださるようにお願いします。/体は及ばずながら週一回の水泳で衰えを防ぎますから…。/門司の恩人や母の知人を訪ねる今回の旅は、ほんとうに有益でした。背中を押し、手を引っ張ってくれた同期生に感謝しています。/「草原の風」は、いちばん後回しでいいから、無理をしないでください。/もっとも、ちょっとだけ先出しをすると、今日11月3日の連載では、もっとも早く劉文叔の才能を見出したことを誇りにしていた厳尤将軍は敗走ののち革命軍に加わるが、更始帝・劉玄につかわされた劉信によって劉望、厳尤、陳茂の三人ともに誅される。この厳尤将軍だけは生き延びさせ、逃げおおせてもらいたかったが、易経の卦どおりの運命は避けようもないということか。」
sechin@nethome.ne.jp です。
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