ビザンツ様式を代表するキリスト教の大聖堂建築です。イスタンブルにあり現在はイスラーム教モスクとされています。
一般に、聖ソフィア聖堂といいます。ビザンツ帝国の都コンスタンティノープルであった、現在のトルコの首都イスタンブルにある大聖堂を持つ建築物です。532年のニカの乱で焼け落ちたが、ユスティニアヌス帝はわずか39日後に復旧に着手します。神の栄光と己の栄華を永久に伝えるため、もとの教会よりはるかに壮大な規模としたのです。5年半の歳月をかけて537年12月に完成した時、ユスティニアヌスは「我にかかる事業をなさせ給うた神に栄光あれ。ソロモンよ、我は汝に勝てり!」と叫んだといいます。ソロモンとは旧約聖書に出てくる壮大な神殿を築いたイスラエル王国の王のことです。
ビザンツ様式の特徴
建物はビザンツ様式の典型である巨大な円蓋(直径33m、高さ55m)を中央にもち、それを沢山のアーチと柱で支える。沢山の窓から内部に光が射し、宗教的な効果を高めました。
ビザンツ帝国滅亡に際し、オスマン帝国のメフメト2世は、コンスタンティノープルをオスマン帝国の首都イスタンブルとして改造した際、この聖堂もイスラームのモスクに転用されアヤ=ソフィア=モスクと言われるようになりました。その4隅に立つ塔(ミナレット)は、ことの時あたらに設けられたミナレットです。現在は、モスクの形態のまま、博物館として内部が公開されています。
建物内部を見回すと、同時に目につくのが、正面上部の半ドームに描かれた聖母子像、すなわちイエス・キリストと聖母マリアの像です。イスラム教のモスクに描かれたキリスト教のモチーフ。この不思議な取り合わせは、いったい何を意味しているのでしょうか。
その謎の手がかりは、15世紀のモスクへの改修時にありました。
見事な建築物であるアヤソフィアの破壊を望まなかったメフメット2世でしたが、偶像崇拝を禁じるイスラム教国家の君主である彼は、アヤソフィア内部の壁面に描かれたイエスやキリスト教の聖人たちの像をそのままにしておくことはできませんでした。アフメット2世はキリスト教の絵画やモザイク画を漆喰で覆い隠し、人々の目に触れることがないように命じたのです。
しかし、20世紀に入って博物館となったアヤソフィアで修復作業が進められると、漆喰の下から黄金に輝くビザンティン時代のモザイク画が次々と発見され、これによって、アヤソフィアがかつてキリスト教聖堂だった事実が改めて強く浮かび上がってきたのでした。
ウェブニュースより
東京・台東区浅草の雷門の前で刃物を持った男が暴れ、現行犯逮捕されました。
捜査関係者によりますと、29日午後5時ごろ、浅草の雷門前の交番に「金を出せ」と刃物のようなものを持った男が暴れました。男はその後、交番を出たところで警察官らに取り押さえられました。警視庁は男を現行犯逮捕し、詳しい状況を調べています。 (2019年4月29日 18時59分 テレ朝news)
sechin@nethome.ne.jp です。
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